(16) - パワープレー -
後半も残り3分を切っている。こちらは依然ノーゴール。対して向こうは1点リード。
まずは同点――点を取るしかない!
「夏美、羽衣ちゃん、行って!」
僕は二人に声をかけ、コートへ送り出した。戻ってきた瑞希さんが、ふと声をかけてくる。
「夏美は大丈夫そう?」
「うん。策を授けたし、うまく行けばいいんだけど……」
「策ぅ?」
一緒に戻ってきた絵梨ちゃんも興味津々だ。
「うん、まあ見てて」
僕は視線をコートへ戻した。
「羽衣ちゃん!!」
夏美からのパスが羽衣ちゃんへ渡る。相変わらず、紗緒理ちゃんがすぐにマークに付く。ここまでは同じだ。
――だが。
羽衣ちゃんはボールをキープしたまま、半歩だけ下がると、紗緒理ちゃんの脇を抜くようなパスを出した。
正確にコントロールされたボールは、紗緒理ちゃんの脇――
手を伸ばせば届きそうな位置を通り抜け……た、その瞬間。
紗緒理ちゃんの手が出た。
パシッ、と乾いた音が響き、ボールがその場に落ちる。紗緒理は一瞬、何が起きたのか分からないといった風に顔を歪めた。
ピッ! と鋭いホイッスルが鳴り響く。
「ハンド!!」
綾姉さんの声と同時に、ボールはもう動いていた。羽衣ちゃんは落ちたボールを素早くセットし、迷いなく蹴り出す。
「行けぇ!!」
羽衣ちゃんの右足から放たれた弾丸が、一直線にゴールを強襲する。
相手ゴレイロの手をすり抜けたボールは、わずかに枠の外へ逸れる――かに見えた。 だが、そこにはすでに「彼女」が走り込んでいた。
その先に――夏美がいた。
「入れぇぇ!!」
夏美の執念を乗せた爪先がボールを捉え、無人のネットへ転がり込んだ。
同点、ゴール!!
「やったあああああああ!!!」
夏美が高くジャンプし、拳を天高く突き上げる。みんなも、まるで優勝が決まったかのような狂喜乱舞で夏美を称えた。
夏美の勘は当たっていた。
紗緒理ちゃんの本職は――ゴレイロなんだ。
事情は分からない。だが、僕が相手の監督でも、彼女をゴレイロで使わないかもしれない。
彼女はまだ小学生だ。
大人もいるチームで、小学生をゴールマウスに立たせるのは、抵抗があるだろう。
それに、あれだけ動ける選手だ。
フィールドプレイヤーとして使いたいと考えても不思議じゃない。
だが――ゴレイロの練習も続けていたのだろう。
だからこそ、あのコースに来たボールに、反射的に手が出てしまった。
これは賭けだった。
ただし、ハンドになった場合の動きは事前に決めていた。
ハンドを取られた直後は、どんな選手でも一瞬動揺する。その隙を突く。
シュートと見紛うほど速いパスを逆サイドへ。
それをダイレクトで叩き込む。
サインプレーとも言える一連の流れ。
羽衣ちゃんの精密なボールコントロールと、それに即応できる夏美の対応力があってこそ成立するプレーだった。
夏美がこちらを見て、Vサインを送ってくる。
「まだだ! まだ残り時間があるよ!!」
僕は声を張り上げる。
スコアは1-1。――ここからが勝負だ。
瑞希さん、羽衣ちゃん、綾姉さん、絵梨ちゃん。
最強の攻撃布陣をピッチへ解き放つ。
「羽衣ちゃんにボールを集めて!!」
羽衣ちゃん対紗緒理ちゃん。
先ほどのハンドの影響か、紗緒理ちゃんの動きに迷いが見える。
詰める距離が、わずかに遠い。プレッシャーが弱まっている。
シュートコースこそ開かないが――。
羽衣ちゃんから前線へのパスが通り始める。
「絵梨ちゃん!!」
羽衣ちゃんと僕の声が重なった瞬間、絵梨ちゃんが渾身のシュートを放った!
ドン!
――だが、ゴン!と鈍い音が響き、ボールはコート外へ。
ゴールポストだ。
「くそー! ファイナルダイナミックシュートが!!」
「ドンマイ! ドンマイ!」
惜しい。
さすがはディフェンス力で勝ち上がってきたチームだ。
ギリギリのところでやらせてくれない。
だが、このまま攻め続ければ――奪える。
そう思わせるには十分な攻撃だった。
向こうのチームも同じことを感じたのだろう。
このタイミングで、タイムアウトを取ってきた。
よし……助かった。
こちらも要求しようとしていたところだ。
フットサルでは、各チームが前後半それぞれ一回、一分間のタイムアウトを取ることができる。
僕は、相手チームの動きを観察する。
――紗緒理ちゃんが、ゴレイロのユニフォームを着ている。
「パワープレーで来るわね」
「そうですね」
瑞希さんも、同じ読みのようだった。
フットサルのパワープレー。それはゴレイロをフィールドプレーヤーに入れ替え、五人全員で攻撃を仕掛ける背水の陣だ。 数的優位を作ることで攻撃の選択肢は飛躍的に増えるが、当然、自陣のゴールはがら空きになる。まさに諸刃の剣だ。
まだ同点。
今大会は延長なし。このままPK戦でも、決して悪い結果ではない。
それでもパワープレーを選んだのは、ウノ・ゼロを破られたプライドか、あるいはこの戦術への自信か。
――いずれにせよ。
前に出てくれるなら、こちらにもチャンスはある。
僕はみんなを呼び寄せた。
「相手はおそらくパワープレーでくる」
「ピンチだけど、チャンスでもあるわね」
梓さんも状況を理解しているようだ。
「ボールを取ったら、遠くからでも狙っていいからね」
そう言って、瑞希さん、梓さん、綾姉さん、夏美を送り出す。この最終局面でも体力が残っており、守備力が高く、ロングシュートも狙えるメンバーだ。
さあ、僕にできることはもうない。あとは信じて、応援するのみだ。
試合は再開され、相手ボールでスタートする。
すぐに正規ゴレイロが下がり、代わりに出てきた紗緒理ちゃんは、ゴールを守らず、即座にボール回しに加わった。
――やはり、パワープレーだ。
「さあ! ここ一本!! ディフェンス頑張るよ!!」
瑞希さんの声に、みんなが「はい!」と応える。
攻撃人数は増えたが、相手は慎重なパス回しをしてくる。それも当然だ。一本のパスミスが、そのまま失点に直結する。
こちらも互いに声を掛け合い、隙を見せないディフェンスを展開する。
じりじりとした攻防。
このまま時間切れで終了か――そう思った瞬間だった。
梓さんと芽愛莉が、何やら合図を交わす。
それと同時に、紗緒理ちゃんへのマークが、わずかに甘くなった。
相手はその隙を逃さず、パスを通してくる。
紗緒理ちゃんに、絶好のシュートチャンス。
――しかし。
「来た!」
それを待っていたかのように、芽愛莉が立ちはだかる。
あえてチャンスを与え、打たせる。芽愛莉が仕掛けた「誘い」の罠だった。
しかし、紗緒理ちゃんは驚くほど冷静だった。 彼女は右足を振り抜く寸前で動きを止め、逆サイドへ鋭いパスを突き刺したのだ。
(見破られた……!?)
芽愛莉の仕掛けた罠を、紗緒理ちゃんは瞬時に見抜いて「裏」を突いた。完全に逆を突かれた芽愛莉は、体勢を戻せない。万事休す――僕も、誰もがそう確信し、芽愛莉の顔も悔しさに歪んだ。
「芽愛莉!」
僕の叫びがコートに響く。 だが、事態は誰も予想しない方向へと転がった。
反応できなかったのは、芽愛莉だけではなかったのだ。 紗緒理ちゃんから放たれたあまりに鋭く、そして「あり得ない」コースへのパス。それは、受け手であるはずの味方選手にとっても予想外のものだった。 準備の遅れた味方の足に当たったボールは、勢いを失い、弱々しくゴール前へ転がっていった。
「あっぶない、あっぶない」
いつも冷静な芽愛莉が本当に焦った様子でボールをキャッチする。そして、相手が守備に戻るよりも早く――。
「よし! 行っちゃえええ!!」
芽愛莉は、自陣ゴール前から相手の無人ゴールを目掛け、全身のバネを使ってボールを放り投げた。 高く弧を描いたボールは、敵陣のピッチでワンバウンド、ツーバウンドと弾み、吸い込まれるようにゴールネットを揺らした。
「よっしゃあああああ!!!」
芽愛莉の雄叫びが会場に響き渡る。 同時に、試合終了を告げる長いホイッスルが鳴り響いた。2-1。絶体絶命の窮地からの、見事な逆転勝利だ。
「やったぁぁぁ!!」
ベンチもピッチも関係なく、全員が駆け寄って抱き合い、最高の瞬間を分かち合った。
「ふむ……今のゴールは認められるのか?」
則夫が不思議そうに聞いてくる。手で投げたボールが直接ゴールに入ったことを気にしているのだろう。
「ああ、インプレー中ならね。ゴレイロがキャッチしたボールは、蹴っても投げてもゴールに入れば得点になるんだよ」
そう説明すると、則夫は「なるほど、勉強になった」と神妙に頷いた。 実のところ、サッカーでも同じルールなのだが、あちらの広大なピッチでは、いかに強肩のゴレイロでも手で投げてゴールするのは不可能に近い。これこそ、狭いコートで戦うフットサルならではの劇的なプレーだ。
「決まったな! 芽愛莉の『ゴッドハンド・アタック』が!!」
絵梨ちゃんがまたおかしな技名を叫んで、わっはっはと笑っている。 芽愛莉も「わはは!! さすが私ね、運も実力のうちよ!」と上機嫌で胸を張った。
興奮冷めやらぬピッチに、紗緒理ちゃんが「ナイスプレーでした」と挨拶に来てくれた。 羽衣ちゃんは、差し出された手を少し照れながら、「ど、どうも……」と力強く握り返す。
「おう! お前も凄かったぞ、鉄壁のイージス!!」
「……鉄壁の、イージス?」
「おうよ! お前の二つ名だ!!」
絵梨ちゃんがいつもの調子で命名すると、紗緒理ちゃんは「は、はあ……」と困惑した様子で首を傾げた。
「いい名前だろ? 羽衣がここまで抑え込まれたのは初めて見たんだ」
僕がフォローすると、紗緒理ちゃんは褒められたのが分かったのか、少しだけ頬を緩めた。けれど、すぐにキリッとした表情に戻り、 「いえ、負けは負けです。次は絶対に負けませんから」 とリベンジを宣言して、颯爽と自陣へ下がっていった。
「ま、また……! また、やろうねっ!」
羽衣ちゃんも、遠ざかる紗緒理ちゃんの背中に向かって精一杯の声をかけ、最高の笑顔で仲間たちの輪に戻っていった。
ーーーー
表彰式も無事に終わり、それぞれ着替えを済ませた頃。
「優勝おめでとう! 本当にいい試合だったよ」
「うん! ありがとう!」
僕は、帰り支度を終えた夏美に声をかけた。
「どう? 初めてのフットサル大会、楽しかった?」
「うーん……そうだね。実はさ、今まで団体競技ってあんまり好きじゃなかったんだよね」
「えっ、そうなの?」
意外な告白に、僕は思わず聞き返した。
「ほら、チームスポーツって一人のミスで負けることもあるじゃない? そうなると、どうしてもその子が責められちゃうでしょ。それがなんだか見てられなくてさ」
「ああ……。責任を感じすぎちゃうのが嫌だったんだね」
「うん。でもさ、今日わかったんだ。誰かがミスしても、それを全力でカバーし合えるのもまた、団体競技なんだって。それって、実はすごく素敵なことなんじゃないかってね」
「……そうだね。間違いないよ」
夏美が、自分自身に言い聞かせるように嬉しそうに笑う。
「みんなと一緒に戦うの、すごく楽しかった! また、やりたいな」
「そっか。よかった。……本当に、よかったよ」
「うん! 誘ってくれて、ありがとうね」
夏美は太陽のような満面の笑顔を僕に向けた。その表情は、出会った頃よりもずっと晴れやかだった。
ーーー
「みんな、本当にお疲れ様!」
「お疲れさまーっ!!」
口々に挨拶が交わされる。僕たちは「反省会」という名の打ち上げで、近所の居酒屋に集まっていた。 未成年が居酒屋は……と少し躊躇したが、「お酒を飲まなきゃいいのよ。私たちは飲むけどね」という瑞希さんの一言で押し切られた形だ。
僕は、冷えたジュースを配りながらメンバーをねぎらう。年長組はすでにビールで乾杯しており、お酒は好きだがめっぽう弱い綾姉さんは、たった一杯で早くもテーブルに突っ伏して夢の中だ。
「ねえ、芽愛莉」
僕は、隣でジュースを飲んでいた彼女に声をかけた。
「ん? なに?」
「チームに入ってくれて、本当にありがとう。マジで助かったよ」
「いいって。私も楽しかったからさ」
芽愛莉がカラリと笑う。そして、不意に声を潜めてこう言った。
「それで? 翔太は夏美と付き合ってるの?」
「ブホッ……!」
あまりに斜め上な質問に、僕は飲んでいたジュースを盛大に吹き出しそうになった。
「い、いや、別にそんなんじゃないし……ただのクラスメイトだし……」
焦って否定する僕に、芽愛莉は意地悪な笑みを浮かべて「ふ〜ん?」と目を細める。
「じゃあ、私が取っちゃおうかなぁ」
「えっ、ちょっ……!」
言うが早いか、芽愛莉が僕の腕にぎゅっと抱きついてきた。
「ちょっと! 芽愛莉!? 酔っぱらってるのか!?」
慌てて彼女のグラスを確認するが、中身はただのオレンジジュースだ。けれど顔は真っ赤で、目は完全にとろけている。
「ちょっとぉ! 芽愛莉、何やってるのよ!!」
見かねた夏美が慌てて割って入り、芽愛莉を引き離そうとする。
「やーだー。翔太、いい匂いするもーん」
「もう! 駄々をこねないの! 離れなさい!」
「あ〜ん、夏美のケチン坊〜っ」
強引に剥がされた芽愛莉は、今度は矛先を変えて夏美に抱きつこうと奮闘している。
「ふむ! 仲良きことは美しきことかな!!」
則夫は相変わらずよく分からない格言を吐きながら、揚げ出し豆腐を頬張っているし……。そんな混沌とした様子を見て、梓さんや羽衣ちゃんが大笑いしている。
まあいいか。今日はひさびさの優勝だ。無礼講だ。存分に騒げばいいさ。
……お店に迷惑が掛からない程度にね。




