(15) - バックパス -
決勝戦。ホイッスルと共に、序盤から火の出るような激しい攻防が繰り広げられた。
僕が送り出した攻撃的布陣は、狙い通り何度も決定機を作り出す。しかし、相手の驚異的な粘りの前に、あと一歩のところで仕留めきれない。逆に鋭いカウンターを食らい肝を冷やす場面もあったが、そこは最後の砦、芽愛莉が超人的な反応でゴールを死守してくれた。
スコアは0対0のまま。開始十分を過ぎたあたりで、僕は先発メンバーによる速攻を断念し、体力を温存させるためのローテーションへ切り替えた。
「くっそー……固いわね、あのチーム!」
交代でベンチに戻ってきた綾姉さんが、悔しげに悪態をつく。
「焦らないで、チャンスは必ず来るから」
僕は努めて冷静に声をかけたが、内心では打開策を見つけられずにいた。
今もピッチ上では、羽衣ちゃんが果敢に切り込もうとしている。しかし、それを紗緒理ちゃんが完璧に抑え込んでいた。 彼女はほぼマンツーマンの形で羽衣ちゃんに張り付いており、羽衣ちゃんがベンチへ下がれば、合わせて紗緒理ちゃんも休ませるという徹底ぶりだ。 もちろん、うちのチームは羽衣ちゃんだけではない。けれど、他のメンバーも網の目に絡め取られるように封じられている。
(ちっ……完全に研究されているな)
内心で舌打ちが漏れた。
事前にこちらのチームを知っていたわけではないだろう。
この大会の中で試合をチェックし、徹底した対策を打ち出してきたに違いない。
(監督として、もっとできることがあったんじゃないか?)
僕は、そんな後悔の念に囚われながらも、なんとか打開策がないか探っていた。
その時、羽衣ちゃんが勝負に出た。 ヒールリフトでボールを高く浮かせ、空中でボールを操るようなトリッキーな技を披露する。相手の意識が上に向いた瞬間――紗緒理ちゃんの動きが、一瞬だけ微妙に変化した。
「……ん?」
違和感。反射的に目が止まったが、次の瞬間には元の鉄壁のディフェンスに戻っていた。 今のは、一体なんだったんだ?
結局、そのトリッキーなドリブルでも紗緒理ちゃんを抜き去ることはできず、羽衣ちゃんは苦し紛れのパスを選択してしまった。
「これは、厳しいな……」
僕が思わず呟くと、隣の綾姉さんが「まだよ! まだ終わってないわ!」と自分に言い聞かせるように気合を入れた。 その通りだ。まだ何も終わっていない。 けれど、決定的な糸口を掴めないまま、重苦しい空気の中で前半終了のホイッスルが鳴り響いた。
ーーー
ハーフタイム。さすがに全員の顔に濃い疲労の色が浮かんでいた。
本日四試合目、しかも準決勝は前後半二十分ずつのフルマッチ。ここまで無失点を守り抜いてきたエル・ブレイズの堅守も、肉体的・精神的な限界に近づいている。 向こうのベンチに目を向ける。あちらも条件は同じ。ここからは、どちらの執念が勝るかの勝負だ。
「みんな、後半はさらに前へ人数をかけていこう。リスクは承知の上だ!」
僕は決意を込めて伝えた。
後半、再び攻撃的な布陣で勝負に出るが、やはり「カテナチオ」を崩しきれない。後半十分を過ぎたあたりで疲労の見えるメンバーを入れ替え始めた、その矢先だった。
芽愛莉からの縦パスを、夏美が受けた瞬間。
「――っ!?」
敵二人が、待機していたかのように鋭いプレスを夏美にかけた。狙い済ました罠だ。
「夏美、危ない!」
芽愛莉が叫ぶ。反射的に夏美は、プレスを避けるようにバックパスを選択してしまった。
(あっ……それは不味い!)
芽愛莉も即座に理解したのだろう。一瞬、ボールを迎えに行くのを躊躇してしまった。その刹那の迷いを見逃すほど、背番号7・紗緒理ちゃんは甘くなかった。 彼女は弾丸のような突進で芽愛莉の前に割り込むと、猛烈な勢いでボールを掻っ攫う。
「ちっ、しまった……!」
そのまま最短距離で芽愛莉をかわし、右足を一閃。 ズドン!! 鼓膜を震わせるような衝撃音と共に、ボールはゴールネットを無慈悲に揺らした。
「「「おおおおおおおっ!!!」」」
会場が割れんばかりの大歓声に包まれる。
「そんな……」
「くそっ……!」
夏美と芽愛莉が、信じられないものを見たという顔で呆然と立ち尽くす。絵梨ちゃんが悔しげに地面を叩いた。
「みんな……ごめん、私のせいで……」
「……いや、私が悪かった。反則を取られてでも、迷わず前に出るべきだったんだ」
泣き出しそうな夏美を、芽愛莉が沈痛な面持ちでフォローする。 フットサルの「ゴレイロへのバックパス」のルールは、サッカー以上に厳しい。 味方が意図的に蹴ったボールをゴレイロが手で触れてはいけないのは共通だが、フットサルでは一度ゴレイロの手から離れたボールは、「一度ハーフラインを超える」か「相手が触れる」までは、再度ゴレイロが足で触れることすら許されない。
二人はそのルールを当然、知っている。だが、極限の疲労とプレッシャーの中では、その「知識」が逆に判断を鈍らせた。 夏美はパニックにならずにサイドへ蹴り出すべきだったし、芽愛莉は、たとえ間接フリーキックを献上してでも、紗緒理ちゃんより先にボールに触るべきだったのだ。
結果としては、バックパスを選んでしまった夏美のミスではある。
だが同時に、フットサル経験の少ない芽愛莉のミスでもあった。
そんな場面だった。
重苦しい沈黙が流れかけたその時、瑞希さんが夏美の肩を強く叩いた。
「反省はあとよ! まだ終わってない! 取られたら取り返す、それだけでしょ!」
「……うん」
夏美は頷いたが、ショックを隠しきれず視線が泳いでいる。
僕はすぐに交代を指示した。
「ご、ごめん……」
「気持ちを切らさないで! まだ行くよ!」
「う、うん……っ!!」
その声で、夏美も気合を入れ直してくれたようだった。唇を噛み締めてピッチを睨む夏美。その横顔を見た瞬間、僕の脳裏に彼女がポツリと漏らした言葉がフラッシュバックした。
『でもあの子。ゴレイロじゃないんだね』
僕は弾かれたように、再び大谷紗緒理を見た。 フィールドプレーヤーとして完成された、隙のない技術。けれど、彼女はまだ小学六年生なのだ。
(まさか……そういうこと!?)
一つの仮説が、確信を持って僕の頭を貫いた。僕はすぐに羽衣ちゃんを交代させ、呼び寄せた。
「ご、ごめんなさい……なかなか突破できなくて」
息を切らせながら、羽衣ちゃんが僕に頭を下げてきた。
「大丈夫! まだ一点だし!」
そう励ましたものの、やはり失点は重い。
僕はここで、ある策を授けるつもりでいた。
上手くいく保証はない。だが、このまま何もせずに終わるのは、もっと嫌だった。
夏美を見る。
誰かと交代させて、別の選手にこの策を託すべきだろうか。
さきほど、夏美がボールを持った瞬間に二人がかりで来たことを思い出す。
相手は――夏美を一番“甘い”と見ているのかもしれない。
確かに、現状のメンバーの中では経験は一番少ない。
だが――。
短い休憩の間に、夏美の表情にはしっかりと気力が戻っていた。
経験は少ない。
それでも、高い運動能力、反応速度、そして勝負度胸は確かだ。
ここは――信じるべきだ。
「二人とも、聞いて」
僕は決意を固め、策を授けるために二人を呼び寄せたのだった。




