(1)- 始動 -
妖精?
彼女を見た時、そんなイメージが頭をよぎった。
まだ朝靄の立ち込めるグラウンドでサッカーボールと戯れている。
ヒールリフトでボールをあげるとそのままリフティング。右足左足を交互に使い、頭や肩、背中に落としたと思ったらクルリと回りそのままリフティングを続ける。
まるで踊る様に。
そのまま、ボールを高く蹴り上げたと思ったら、落ちてきたボールをまるで足に吸い付くようにトラップした。卓越した技術だ。
彼女は、まだ幼く見える。小学生だろうか。
それなのに、その少女の技術の高さはどれを取っても超高校級だった。まるでボールを体の一部のように自由自在に操っている。
続いてドリブルの練習だ。ボールを何度も跨ぎシザーズを決めると、足裏を上手く使いボールを横に転がしたと思ったら逆足の裏で切り返す。ファルカンフェイントと言われるテクニックだ。
そうかと思うと、ボールを足の内側で逆足の後ろを通してターンするクライフターンを見せてくれる。オマケにボールを足の裏で止めたと思ったらクルリと回転して、再び前を向いてドリブルした。マルセイユルーレットか。いずれも一日二日で出来る様なテクニックではない。長年練習してきた賜物だろう。
そして、一瞬ボールを浮かせた瞬間に足を振り抜きシュートを放った。そのシュートは美しい放物線を描きながらゴールに突き刺さる。ゴールの隅に吸い込まれるコントロールされた見事なシュートだ。
その一連の動作は映画のワンシーンの様に綺麗だった。思わず見惚れてしまった。
彼女は、満足そうな表情を浮かべる。
そうして、大きく背伸びをすると何かを探すように周囲を見回していた。
なにが探しているのかな?と思い、声をかけようかと近づこうとしたその時だった。
不意に彼女が僕の方を見てきたのだ。そして目が合うと、突然顔を引きつらせて……。
「きゃー!!!!」
彼女は突然大きな悲鳴をあげ、ボールを急いで拾い上げると、そのまま物凄い勢いで走り去ってしまった。
僕は唖然としたままそれを見送る。
なんだろうか。何もしてないのに、変質者扱いされたような、この悲壮感は……。
「えっと……一体なんだったんだ?」
まるで夢のような出来事だった。まだ寝ぼけているのか?そう思っていたら、背後から声をかけられたのだ。
「おー、早いねー。池田翔太くん。もう着いてたんだ」
話しかけてきたのは澤北瑞希さんだ。綺麗なお姉さんでスタイルもいい。今はジャージ姿だが、それでもなおセクシーさは滲み出ている。
「あ、おはようございます。澤北さん」
「あれ?もう瑞希でいいよって言ったじゃんか」
彼女はそう言いながら少し頬を膨らませて抗議してきた。その仕草が可愛らしい。
「まぁ、無理にとは言わないけどね!これから一緒にやるんだし仲良くなりたいのに!」
そう言って少し悲しそうな表情をする彼女を見て罪悪感を覚えたので素直に謝ることにする。
「すいません。つい癖で……」
そう言うと彼女は嬉しそうに微笑んだのだ。その表情を見て思わずドキッとしてしまった。
それを誤魔化すように話題を変えることにする。
「朝から綾姉さんに叩き起こされました」
「そりゃ災難だったね。妹ちゃんは?」
「妹はダメですね。起きれません」
そもそも低血圧で朝が弱いのだ。今はバスケに夢中だしたぶんフットサルはやらないだろう……。
「そっか。んで、綾はどこ行ったの?」
「駐車場に車を置きに行きましたよ」
「おや?どこかで行き違いになったかな?」
瑞希さんはそう言うと、ちょっと言いづらそうに聞いてきた。
「それでーその……足は結局だめだったの?」
「はい……」
僕は、子供の頃からサッカーをやっていた。中学生の時には、代表チームにも選ばれたくらいだ。しかし中学の最後の年、僕に大きな試練が待ち受けていた。そう膝前十字靭帯断裂。サッカーどころか日常生活すら困難な怪我だった。
その怪我自体は治ったのだが、そこで発覚したのが骨自体も酷く痛めていたのだった。たしかに痛いなと思っていたこともあったのだが、まさかそんなことになってるとは思わなかった。なんでも鍛えていた筋肉がその骨を支えてくれていたんだとか。
結果的に、激しいスポーツは禁止。長距離を走るようなマラソンなどもダメ。未だに僕の足にはボルトが埋め込まれている。
サッカーでプロになろうとか、そこまで高い理想をもってやっていたわけじゃないけど、子供の頃から続けていただけに、やはりショックだった。
自分では、表に出していないつもりだったのだが、綾姉さんは気が付いたのだろう。今回のことに誘ってくれたのだった。
「あー、綾もショックだろうなぁ」
「えっ?綾姉さんが?」
「うん。だって、綾は翔太くんのこと……」
「え?なんですか?」
「ううん。なんでもない」
瑞希さんはそう言うとニッコリと笑ったのだった。そして……。
「まぁ、元気出しなよ。それにこれから頼むよ。カ・ン・ト・ク!」
「はぁ」
瑞希さんにそう言われると、僕は頷くしかなかった。
「なに?その顔!?せっかくかわいい子が来てくれたのにテンション低いぞ!」
「はい、頑張りますよ」
子って言う年じゃないでしょという突っ込みは、あえてしない。
「あ!かわいい子で思い出した!」
瑞希さんはそう言うと何かを探すように辺りをキョロキョロと見回している。
「どうかしました?」
「いやー……誰か見なかったかい?」
「妖精を見ました」
「妖精?」
「はい、グラウンドでボールと一緒に踊ってましたよ」
「はっはっはっーうまいこと言うね!」
瑞希さんは、おかしそうに笑った。
「で、妖精ってどんな?」
「えっと……小学生くらいの女の子でした」
「羽衣だな。間違いない。それで彼女は?」
「僕を見ると悲鳴を上げて逃げていきました」
瑞希さんは、「やれやれ」と言いつつため息をついた。
「ずいぶんマシになったと思ったが、まだ知らない人を見ると怖いらしいな。いやーすまない」
「いえ、特には」
「恥ずかしがり屋で、初対面の人に会うとテンパって逃げちゃうんだよ」
「そうなんですか?」
「まぁ、そのうち慣れると思うから仲良くしてやってくれ」
瑞希さんはそう言うと頭を下げた。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
僕も慌てて頭を下げる。そして頭を上げてお互いの顔を見て笑った。その時だった。背後の草むらがガサガサと大きな音を立てたのだ。
「あ、いた!!」
そう言うとズカズカと草むらに入り、まるで猫でも捕まえるかのように、少女をヒョイっと抱え上げた連れてくる。
「ほら、羽衣。挨拶しなさい!」
「長谷部羽衣です……」
消え入るような声でそう呟くと、恥ずかしそうに俯いてしまう。
小さな女の子だ。長い髪が朝露に濡れていて、輝いて見える。肌は白く、目鼻立ちがスッキリしている。ボールを大事そうに抱えている姿が可愛らしい。
「こちらは池田翔太くん」
僕は慌てて挨拶をした。
「あ、池田翔太です。高校1年です」
羽衣ちゃんは僕を見るとまた顔を引きつらせると瑞希さんの後ろに隠れてしまうのだった。
「ごめんねー羽衣が失礼な態度をとって。これでも小学6年生なんだけどね」
「え?6年生!?」
僕は思わず声を上げてしまった。6年生ということは来年中学生じゃないか。それにしては小柄な印象だ。
「はっはっはっ、羽衣が小さいのは気にしなくてもいい」
瑞希さんはそう言って笑う。
僕が小学生の時の女子はこんなんだったかなと、思い出してみたが、よく覚えていない。
羽衣ちゃんは瑞希さんの後ろで僕の方をじーっと見ている。まるで観察する様に……。
「あ、あの……」
僕が声をかけるとまたビクッとして瑞希さんの後ろに隠れてしまう。その姿だけ見ると、来年中学生になると思えない。
「おー、いたいたー、おはよー」
「おはようございます……」
綾姉さんこと宮口綾さんと古清水梓さんがやってきた。
宮口綾さん。僕は綾姉さんと呼んでるけど血のつながりはない。所謂近所のお姉さんだ。僕の家の隣に住んでいて、僕が小さい頃はよく遊んでくれた。近所の子供を集めてはサッカーを教えてくれたのが、綾姉さんだ。
そして、いかにも眠そうな声で挨拶したのが古清水梓さんだ。瑞希さんの友達で、大学で同じゼミの人だったらしい。
「あー……羽衣ちゃんがいるー」
「お、おはようございます……」
そんな梓さんがまだまだ眠そうな声で、羽衣ちゃんに話しかけると、またビクっとしながら瑞希さんの後ろから出てくる。
瑞希さんが羽衣ちゃんを前に押し出すと、羽衣ちゃんはペコリと頭を下げたのだった。
「おー、この娘が長谷部羽衣ちゃんね」
綾姉さんはそう言うと羽衣ちゃんに、ニッコリと笑いかけた。
「おはよう。私の名前は宮口綾。よろしくね!」
しかし、その笑顔に羽衣ちゃんはまたもビクッとして、また瑞希さんの背中に隠れてしまうのだった……。
その様子に、周りから笑いが漏れる。
「じゃあ、みんな揃ったしそろそろ始めましょうか!」
パンッ!と手を叩くと高らかに宣言した。
「エル・ブレイズ本町フットサルクラブ始動します!新体制での初練習!張り切っていきましょう!」
「「「おー!!」」」
瑞希さんの号令にみんなの声がグラウンドに響いたのだった。