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第2章 2

 僕が高一で出会った瑠奈は、今みたいにはっきりと繊細さんだったわけじゃない。むしろ、ちょっと鈍感で、運動部系のガサツさもあって、それを無邪気さと明るさで補ってお釣りが大量に来る、そういう感じの女子に見えた。

 僕と瑠奈と杏がつるむようになったきっかけは、高一春、入学してから一ヵ月後に実施された遠足だ。場所は鎌倉で、アットランダムに四人ずつのグループが担任から指定された。それがつまり、僕たち三人と、それに牧浦聡だった。

 人を見るのに不信から入るような僕と、マンガオタクでやや俺様の気のある杏、それに文武両道ながら天然系の瑠奈という、放っておけばすぐにバラバラに散ってしまいそうなメンツを繋ぎ合わせてくれたのが、牧浦だったのだ。

 牧浦の家は目黒の高級住宅地にある豪邸で軽井沢と箱根に別荘がある――なんてことは仲が良くなってから知った話で、でも牧浦はただそこにいるだけで、じんわりと品の良さと人柄の良さが滲み出てくるような男だった。牧浦には、杏が綽名を付けた。坊ちゃんを意味する「ボン」と。

 金持ち喧嘩せずという諺のとおり、ボンが喧嘩はおろか、声を荒立てたりムッとしたりするところすら、僕はほとんど見たことが無い。もめごとがあれば一歩引くのはいつもボン。そんなだと悪い連中に金づるにされそうなのに、そうならないのは、ボンがあまりにオールマイティだったからかもしれない。瑠奈の文武両道を数段レベルアップした感じで、入学式の新入生挨拶、つまりは入試首席はボンだったし、テニスでは一年からインターハイに出場していた。アスリートなので体格も見栄えするし、顔立ちも、見方によっては十分にイケメンで通じた。そんなやつを金づるなんかに出来るわけがない。

 だからボンは、僕たちの四人グループには全然そぐわないように誰もが思った。けれど、そうはならなかった。

 僕たちはあの時、おそらく誰もが、あれ? あれあれ? と思ったはずだ。四人でいるこの心地よさは何だ。安心感は何だ。

 後から比喩として思い付いたのは、ジグソーパズルだ。僕と杏はおそらくは、ものすごく歪にねじれてとんがったピースで、瑠奈は僕ほどではないにせよ、やはりどこかに歪さを抱え、そうしてボンは、まさに「盆」のようにまあるく大きくバランスが取れ、……でも、きっとどこかには目立たないけれどへっこみを隠し、それが四つ合わさったときに、奇跡のようにぴったりとハマった。ハマってしまったのだ。

 ああ、それから、僕たち四人は、いられる限り一緒にいた。ボンにはテニスがあり、瑠奈には剣道があり、杏にはマンガがあり、(僕にはまあ特に何もなかった)、みんなの時間が合うことはそれほど無かったけれど、いやだからこそ、一緒にいられるときの充足感は信じられないほどだった。

 そうして――、高二から高三になる春休み。ボンは、短期留学先のオーストラリアで交通事故に遭い、僕たちの前から永遠にいなくなってしまった。

 もちろん、僕も杏も、ひどくショックを受けた。胸が空洞になったように感じ、えぐられるように痛み、何も考えられなくなった。

 ただ、誰より打撃がひどかったのが瑠奈だった。第一報を受けた時や、その後も、しばらくは一番平気に見えた。剣道を極める中で、彼女には、心の痛みを自分の中に抱え込むだけの力が備わっていたのかもしれない。でも抱え込んでしまっては、溜まる一方だ。悲しみは、それがつらいものであればあるほど、昇華させていかなくてはならない。そうでなければ、生きていけない。死んでしまう。

 溜め込まれた悲しみの重さが瑠奈の器を壊したのは、ボンが亡くなってから二週間以上が経った頃だったと思う。新学年が始まり、たしか昼休みか何かで、教室には半分くらいの生徒がいて、それぞれに喋ったり本を読んだりしているような時間。

 僕と瑠奈は同じクラスだったけれど席は離れていて、それでも、瑠奈の席のあたりでボンの話題が出ているのは何となく聞こえていた。そうしたら何だか急に騒がしい感じになり、「大丈夫?」と女子が声を掛けるのが聞こえ、――次の瞬間、机と椅子が倒れる大きな音が響いた。

 何が起きたのか分からなかった。けれど女子の悲鳴が聞こえて、僕は慌てて駆け寄った。

 瑠奈が床に倒れ、もがいていた。

 喉や胸のあたりを押さえ、

「息が……、できない。苦しい」

 と言う声が、途絶え途絶えに漏れてくる。

 呼吸困難になっている。

 みんな、どうしたらいいのか分からずに、立ち竦んでいた。女子の中には、「瑠奈あ、瑠奈あ、どうしたの? 死なないで」と、泣き出している子もいた。

 おそらくそこでは、僕だけが冷静だった。

 状況からみて、過呼吸の典型的な発作だと思ったからだ。

 大丈夫、瑠奈は死にはしない。処置すれば、すぐに落ち着く。

 かつて、僕の父親が心を病んで失業状態になった時、母親が何度も過呼吸の発作を起こした。小学六年だった僕は、それを逐一、見てきた。父親は動けないから、一人っ子の僕が母親の通院に付き添った。医師から診断と応急措置を教えてもらい、対処して来た。どんなろくでもない経験でも、結構、役に立つことがあるものだ。

 瑠奈が保健室へと運ばれていった後、何が起きたのかを、泣きじゃくっていない女子に尋ねてみた。ボンの話題ということは分かったけれど、亡くなった後でボンのことが話に出るのは珍しいことじゃない。「地雷」がどこにあるのかを知りたかったのだ。

 僕が瑠奈と仲が良いことはみんな知っていたし、それに応急措置でどうやら僕への信頼感も上がっていたみたいで、女子たちは誰もが親身に会話を振り返り、話してくれた。それでも結局、瑠奈の発作のトリガーとなった内容は分からなかった。

 その後しばらくの間、瑠奈は、あれほど激しくはないけれど、時に過呼吸の発作を起こすようになった。同級生たちは、瑠奈の前でボンの話をしないようにと気を付けるようになり、それはクラスの空気を微妙なものにしていった。

 やがて夏休みを挟んで二学期になり、受験が近づいてくると、選択制の授業も一段と増え、生徒の流動性が高まる。出席日数を逆算して学校に来なくなる生徒もいたりで、みんな、高校から大学、あるいは専門学校へと目線は移っていく。もうクラスにいないボンの話題が出ることもなくなった。瑠奈の発作も夏休み明けには出なくなっていて、あの日、瑠奈が倒れた時の空気もまた薄れていった。

 ボンの話も出来るようになった。ただそれでも、時に、ボンのこととは関係なく、瑠奈はうっすら様子がおかしくなることがあった。彼女自身にかかわることでは、瑠奈は全く平気でいた。最後のインターハイの時も、大学受験に際しても、彼女の心に不安の揺らぎなどないようだった。そうではなくて、彼女が繊細になるのは、他の人、おそらくは彼女にとって大事な人にかかわることだ。彼女は、大事な人が傷つくことを恐れている。究極的には、いなくなってしまうこと、死んでしまうことに怯えている。誰だってそういう気持ちはあるけれど、彼女の場合、ボンの死をきっかけに正常の範囲を超えてしまい、なかなか元のようには戻らない。だから僕と杏は、大学は別々になってしまったけれど、瑠奈のことをいつもどこかで気にかけている。

 ボンが死んでしまってからもう三年半が経とうとしている。けれど、ボンは瑠奈、それに僕や杏にも、抱えきれないほどの思い出と影響を残していて、僕は時にボンと語り合いたくなり、すがりたくなり、呪いたくなり、――僕らはいまだ四人でいる。


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