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第7章 2

 杏には変に事前情報を入れない方がいいと思った。先入観は無い方がいい。グループLINEでのやり取りで、杏がいつ瑠奈の家に行く予定かは分かったから、その翌日にでも杏に連絡してみようと思った。そうしたら、その日のうちに杏から個別でLINEが来た。「亮ちゃん、ちょっと会おうか」。

 前の週、僕が瑠奈の家に行った時まではまだ、夏っぽい湿り気のある暑さが延々と居座り続けていた。それが、週末を境にして突然死したように終わった。十一月の第三週に入り、一気に冬になろうとしていた。小柄な杏がレンガ色のダウンを着込んでフードまで被ると、雪ん子か赤ずきんのように見えた。カフェに落ち着き、フードを脱ぐと杏は、

「まじ、さみいな」

 と鼻水をすすった。相変わらず、化粧っけがない。

「物思う創作の秋はほとんどスルーでいきなり冬だ」

 そうか、と思う。杏が描いたマンガを発表できる秋もこれが最後なのだ。

「いや、しかし、何だなあ、瑠奈っち。あれは」

 杏はそれでため息を吐く。

「ありゃ、陰謀論だろ?」

 と僕。

「そだな。ま、典型的なうちじゃね?」

 杏は専門家みたいな物言いをしてから、うーんと唸った。それで再び、口を開いた。

「瑠奈っち、剣道はバリバリだけど、メンタル脆いんだよな。来年の春から社会に出て、しかも東京じゃなくてっていうの、あいつ、不安なんだよ。陰謀論に走る理由なんて人それぞれなんだろうけど、瑠奈っちは、そういう不安から逃れるように陰謀論を信じ出したんじゃねえかなあ」

「脆いのなんて、ボンのことでよく分かってたのになあ。インターンシップ活動あたりから、俺はもう自分のことばっかしか頭に無くなってて、逆に瑠奈っちの就活は超がつくほど順調だったから、俺、あいつのこと、ちゃんとフォロー出来てなかったな」

「おいおい、亮ちゃんのせいじゃないよ。何でも背負い込むなよ」

「あいつのそういう脆さも含めて、俺は瑠奈っちを」

 そこで僕は言葉を切り、ちょっと躊躇ってから、でも杏は良く知っていることだしと思い、続けた。

「瑠奈っちを好きになった。だったら、自分の就活がピンチだとしてもずっと目を離さずに支えてやらなきゃ、だろ。俺はいつも迂闊なんだよ。今はせめて、瑠奈っちを陰謀論から助け出したい」

「どうやってだよ。具体的に、どこから助け出すんだよ。瑠奈っちは、自分で勝手にSNSや動画を見つけて、勝手に心酔してるんだ。それに、あのオッサン以外にも、似たような動画をいろいろ見ているらしいぞ。数多、あるんだよ。誰もあいつを狙って騙しにかかってなんかいない。相手なんかいないんだよ」

「たぶん、いないわけじゃない。誰かとか何かとかに特定ができないんだ。瑠奈っちの件に限らず、俺たちが今、闘う相手は、そういう相手なんじゃないかな」

「亮ちゃん、ポエム過ぎ」

 杏は苦笑いする。

「亮ちゃん、言いたいことは分かるけど、それ、無理。闘いようがない」

「だからって、瑠奈っちを放っておけないだろう」

「放っておくとは、わたしだって言ってない。けど、難しいんだよ。この手の陰謀論、マンガのネタにならないかってちょっと調べたことがあるんだ。ネットでチョロチョロ、だけど。理屈じゃダメなんだよな、これ。悪魔の証明だから」

「なに、それ?」

「何かがあることを証明するんじゃなくて、無いことを証明するのは難しいんだ。だってそうだろう、宇宙人が密かに大統領や首相を支配しているかなんて、本人にでもなってみなきゃ、分かんねえよ。いや、本人だって無理か。知らないうちにコントロールされている、みたいな設定だったかな。それにさ、仮にあの陰謀論を論破できたとしても、瑠奈っちが自分の中に抱える問題が解消しない以上は、瑠奈っちはその論破の理屈に耳を傾けることを拒否するかもだ。そうでなきゃ、別の陰謀論とか、あるいは宗教とか、全然違うところに向かっていくかもしれねえし、ま、そういうことじゃねえかな。つまりさ、理屈の世界のようでいて、理屈の世界じゃないんだよ」

 だとすればこれはもう、他人の僕に、直接どうにか出来ることではない、ということになってしまう。

「それにな、ちょっと大袈裟にいえばさ、何を信じるか、何に頼るかっていうのは、その人の魂の問題だと思うんだ。でさ、その人の魂を救えるのは、結局はその人自身しかいないんだよ。自身で救えるようになるまで、わたしたちは仲間として、友人として、心配しながら寄り添って見守るしかないだろう」

 杏はどんな時でも冷静さを失わない。ボンといい、杏といい、大したものだ、全く。ポエムな僕はどうしたらいいだろう。

「まいったな。あー、俺も、陰謀論でもカルトでも瑠奈っちと同じものを信じてしまえれば、楽なんだろうけどなあ」

「それ、亮ちゃんにはムリだよ」

「何でだよ」

「亮ちゃん、ホントには、なんにも信じてないだろ」

 自分のそういうところには、自覚が無いでもなかった。

「杏だって、何も信じてなんかいないんじゃね?」

「いや、わたしは唯一、創造することの楽しさだけは信じてる。――あ、そうだそうだ」

 杏は、くるっと表情を変え、身を乗り出した。

「『創造すること』で思い出した。亮ちゃんに言わなきゃと思ってたんだ。瑠奈っちの騒ぎで、すっかり忘れてたよ」

 それで杏は軽々と言ったのだ。

「わたしさ、就職すんの止めた。やっぱ、マンガは止められないよ」


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