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第5章 3

 増尾の半生を振り返る一日旅、その締めはショッピングモールの中にあるカラオケだった。増尾と僕が到着すると、もう増尾の仲間たちはボックスの中で待ち構えていた。

 ボックスのドアを開けた途端、増尾がまさに何度も言っていた通りに、

「おー、まっさん!」

「まっさん、待ってたぞ!」

「まっさんの東京のご友人、ようこそ!」

 と彼らは口々に「まっさん」と呼び、歓声を上げ、僕らを取り囲んだ。男が五人、女が四人、高校の同級生だと言った。

 みんなが歌い出すと、増尾の酒のピッチは、増尾の機嫌と比例しながらどんどん加速していった。道中、露天風呂などで愚痴っていた増尾がウソのようなのだ。

 東京に戻ることを考えると終電は早く、途中から僕は時間が気になりだした。でも増尾は、「大丈夫、送るから」と意に介さない。東京までなどあの原付でしかも真夜中、泥酔した状態で送れるわけもないのに、僕を間に合うように解放してくれる気持ちはまったくないようだった。

 帰れなくてもいいかと、途中からは思っていた。明日夜のバイトまで予定はないし、ホテルなんか取っていなくても、真夏だ、駅舎でも野宿でもかまわない。まあ増尾も、さすがに家に泊めてくれるだろう。

 そんなことを思っていたら、田島という、おそらくは増尾の一番の友だちが、

「俺、飲んでないからさ、車で新幹線の駅まで送るから。まだ大丈夫だから安心して」

 と耳打ちしてきた。

 そこからさらに一時間半。その田島くんが、

「さすがにそろそろだな」

 と言い、ぱんぱんと大きく手を叩いた。

「はい、これでラストだよー。山崎さん、ホントに帰れなくなるから」

 もはや酒で使い物にならなくなった増尾に代わって、田島くんがその場を仕切ってくれた。その流れがとても自然で、ああ良い呼吸だなあと思った。

 まだ九時にもなっていないというのに、増尾はべろんべろんだった。最後にヒゲダンを大合唱し、ボックスを出て、モールの外に出る。熱帯夜とはいえ、幾分しのぎやすくなった風がゆるゆると僕らを包み撫でていく。モールからの光、それに照らされる周囲の田園風景、県道を時折通り過ぎる車のヘッドライト、日中から引き続きよく晴れた夜空の月、そして星。モールからの遠いざわめき、田島くんたちの近くの話し声、自然から伝わってくる夜の音。酔っているせいもあってか、不思議な浮遊感を感じる。夢の中感に包まれる。

 田島くんと駐車場に向かおうとする僕に増尾は抱き着き、というか倒れ掛かってきた。

「山崎!」

 酔っ払い特有のバカでかい声で叫ぶように言った。

「今日はありがとうな」

「おう、わかった、わかった」

 僕がいなすように応じるのを、田島くんたちが、にこやかに見守っている。

「ずっと夢だったんだよ。東京で出来た知り合い――友だちを案内することがさ。頭の中で想像して、まずはしょぼい駅前で待ち合わせて、原付二人乗りして、一番眺めが良くてスカッとする農道を突っ走って、不似合いにきらめいちゃってる小学校で度肝を抜いて、その後は落ち着いた感じの中学見せて、で、ありきたりな高校見せて、それからダサいけどフィンランドサウナまでついてる温泉センター、ここの露天風呂で午後遅めのまったりした田園風景を見せて、で、風呂上り、夕焼けで真っ赤になる中をまた午前中の農道を突っ走って、最後はモールのカラオケで俺の地元の仲間たちに紹介する。なんか、まるで初デートする中学生みたいだろ? でもずっと、なんつーの、テレビでやってる有名人の『地元紹介』みたいなの、妄想してたんだよ。たださ、東京から連れてくる人間のところだけが空白だった。それがやっと埋められた。ありがとー、ありがとう、山崎」

 頬を押し付けてくるのは、悪いけどさすがに避けた。

「今日は絶対晴れて欲しかったんだよね。ここの景色、農道にしても、露天にしても、快晴じゃないと冴えないから。全然、冴えないから。こんなに晴れて良かった。ほら、見ろよ。雲一つない。あー、俺は嬉しい、涙が出る」


 田島くんは信号のない農道をぐいぐいと飛ばしていく。

「いつも通ってるから」

 と慣れた感じで、スピードはかなり出ていそうだけれど安心感がある。今日会ったばかりではたいして話題も続かず、すぐに二人は黙った。エンジン音と、カーステレオから流れる夜の田園地帯には不似合いなジャズ。三〇分くらい走ったところで、

「あと一〇分くらいだから」

 と田島くんは口を開き、その勢いを借りるように、

「でも、良かったよ」

 と呟いた。

「まっさんって、寂しがりのくせに変にプライドが高いところがあるから、東京で友だちもできずに一人で孤立しているんじゃないかって、実はみんなで心配していたんだ。時々、帰省してきても、まっさん、強がるから本当のところは分からないし」

 たしかに、田島くんの懸念は半ば以上当たっていたということになるのだろう。なにしろ、地元に連れてこられる東京の知り合いが、僕しかいないというのだから。

「今日、山崎さんが来てくれて、まっさん、原付に二人乗りで小学校から全部案内したって言ってて、ああ、一人じゃなかったんだ、良かったって。たぶん俺だけじゃなくて、みんな思ったと思う」

「そだね、増尾とはサークルも学部学科も同じだったし。しょっちゅう会ってた」

 そこは嘘じゃない。僕にとって増尾は、大学で一番長く時間を共にした人間だろう。でもね、田島くん、と僕は心の中でだけ言葉を追加する。俺は増尾の良い友人ではなかった。増尾は多分、東京に出てきて知り合いの輪を広げれば広げるほど一人になっていったんじゃないかと思う。でも俺は、そんな増尾の方なんて全然向いていなかった。見ていなかった。うぜえヤツと思っていた。ごめん、増尾。

 でも、いいよな、それでも。増尾には、こっちに田島くんをはじめとして、カラオケに集まった九人、増尾のことをこんなに心配してくれている仲間がいるんだし。だから、いいんじゃね――?

「田島さんたち、みんな仲良いよね」

「ま、そりゃ、いろいろあることはあるよ。そりゃあ、いろいろある。でもまあ、こういう時くらいは、みんなで集まってやるかって感じかな」

「それって、やっぱり仲良いってことじゃね?」

「そうなのかな」

 やがて新幹線の駅に着く。ずっと続いていた田園の闇の向こうに高架線が見えてきたと思ったら、もうすぐに駅舎の建物だった。駅舎自体も周囲も、さして明るくはない。思い切りマイナーな駅で、最終前ともなれば人気は全くない。まるで終電がもう一時間以上前に行ってしまい、シャッターを下ろした後の駅のようだ。

 僕が車を降りると田島くんも降りて、僕の側にまで回って来てくれた。

「じゃ、また来てくださいね」

 田島くんから手を差し出してくれて、僕たちは握手をした。それから田島くんは少々遠慮がちな感じで会釈をし、僕もまた会釈で応え、田島くんは車に乗り込む。そこからはもう田島くんは、僕の方を振り返りはしない。車はそのままスムーズに発車して、ためらいなく駅前ロータリーを出ていく。僕はそれを、棒立ちの感じで見送る。

 何でだろう、行かないでくれよ、と思った。握手の感触が残っている。たしか、老人ホームに勤めていると言っていた。ごつい、がっしりとした掌だった。

 改札を抜ける。最終新幹線の到着時刻までは二〇分近くの余裕があった。待合室に入る。ここにも誰もいない。

 そうか、増尾は「変なプライド」が邪魔をしていたのか。田島くんの言葉を思い出す。そう言われてみれば、そうだったのかもしれない。僕にはそんなプライドはない。けれど、自分を人にうまく委ねられないという点では似ている。

 父のリストラから両親がメンタルを病み、小学校高学年の頃から親は自分を安心して委ねられる相手ではなくなった。むしろ、僕が両親の状態を見守っていてあげないといけなかった。家の状況の変化は自然と学校での自分にも影響したのだろう、交友関係も何となくうまくいかなくなった。私立中学受験だったところから公立中学進学に変わったのも、結構、対応が難しかった。それでもなんとか毎日をやり過ごした。高校受験は第一、第二志望ともダメで、第三志望にやっとひっかかった。どうしたって、腐る。自分の人生は、両親の躓きとともに下方に屈折して戻らないのだと思った。

 ボン、瑠奈、杏と出会えたこと、濃密かつ充実した毎日が送れたことは、まったく期待していなかった高校生活に突如舞い降りた奇蹟だった。僕はその三人と一緒にいる時だけ、自分を委ねられた。特に同性のボンには気を許せた。おそらくは瑠奈をめぐるライバルであるにもかかわらずだ。僕は、そのまま正味の僕でいるだけでいいのだった。ボンは、どうだったのだろう。ボンもまた、僕のことをそんな存在として思っていてくれたのならいいなと、心から思う。

 奇蹟は二年も続かなかった。ボンが亡くなり、僕は杏とともに瑠奈を見守る役割となった。ちょうど僕が、小学校高学年から両親の様子を見守っているように。

 僕はもう、どこへも誰にも僕自身を委ねることが出来ない。そういう自分に戻った。四人の奇蹟の名残り、それすら無機質なものへと変わっていく。瑠奈が就職して東京からいなくなり、杏も漫画家を目指していた自分から卒業して就職していき、僕だけが何も手にすることなく、何の夢を見ることもなく、ただ取り残される。そして、関係ないといえばないのだけれど、増尾もまた地元へと戻り、僕から離れる。……関係ある、か。

 駅の待合室は、田島くんの車の中とは違う。音楽は流れない。もう通過の新幹線も来なくて、他に待つ人もいなくて、駅員も見えるところにはおらず、僕一人だ。僕以外、まったくの無人。LED蛍光灯があかあかと照らしてはいるのに、ひどく暗く感じる。

 一人だ。

 ああ、僕は一人なのだ。

 そうだ、SNS。

 開けばいくらでも流れ出すXの書き込み、グループLINEでの情報のやり取り、誰かのインスタの投稿。誰にも宛てられていないものが、たくさん。誰かに宛てられたものもいくらかは。その誰かの中に僕が含まれるものも若干。ただそこでの僕は、たいていが役割としての僕だ。サブゼミの、サークルの、就活生の、役割を果たしている僕だ。

 瑠奈でも杏でも、あるいはゼミやサークル、「クマの子」でもいい、そういう誰かにメッセージを送ったなら、見てくれて返信もくれるかもしれない。きっと、くれる。

 くれるのだろうけれど。

 返してくれる気があったとしても、みんな自分のことに忙しい。僕に構っている暇なんか、誰にも無いんじゃないのか。優先順位は下の方だ。そうこうするうちに既読無視みたいになって、忘れられて、僕のメッセージは消えていってしまう。

 そもそも、すぐに返信が来ることなど、そんなにあるわけじゃない。ないけれど、もしここで誰かにメッセージを送り、三分待っても五分待っても返事がこなかったのなら、僕はもう耐えられないかもしれない。こんなの完全に我儘な自分勝手な気持ちなのだろうけれど、そうなったらもうダメかもしれない。

 怖かった。

 だからメッセージは送れなかった。

 もう歯を食いしばるしかない。

 食いしばって、この感情をやり過ごすのだ。

 なんとか新幹線が到着するまで。


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