表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/32

第1章 1

 夏が終わろうとしている。日が沈むとそれなりに涼しいと感じられるようになり、重くねっとりとしていた空気の粘度も下がるようになった。背中や尻の下の固いコンクリートにも、昼間の熱の名残りは無い。それでもなお窒息しそうなのは、この空のせいかもしれない。

 僕はビルの屋上に寝転がって、蓋のされたような夜の空を見上げていた。雲が厚く覆い、月も星も見えない。雲は街のネオンサインを吸収して、暗い赤に染まっている。地上の雑踏からのざわめきはごちゃまぜになって、ざらついた感じの波の音のようだ。そこに時々、緊急車両のサイレンの音が混じったりする。

 近づく足音がある。でも僕はそのまま寝転がって空を見ている。何も見えない空を見ている。

「亮ちゃん」

 声で瑠奈だと分かった。あー、やっぱり瑠奈は気づいたのか。今日は人数が多かったし、少しの間、一人になりたいと思ってしまった。杏も一緒だから大丈夫なはずだし。ちょっとして戻れば分からないだろうと思ったけれど。瑠奈、気づくのか。

「ここがよく分かったね」

 僕は瑠奈の方を見ずに言った。

「非常口が開けっぱなしだった」

「そうだった?」

「普通、そこから知らない雑居ビルの屋上に出る?」

「うん。そうだね、出ない」

 瑠奈は僕の横に、膝を抱えて体育座りしたようだった。

「急にいなくならないでよ」

「悪い」

「私が心配性なことは知ってるでしょ」

「すぐ戻るつもりだったんだよ」

 僕が言い終わる前に、ヴヴヴ、とくぐもった音が鳴る。断続的に何度か震えて、止まる。瑠奈のスマホだ。それに応えるように、僕のスマホもメールかSNSの新着を連続して伝えてくる。

「ねえ、杏のコミコミューン、行く?」

 本名は杏と書いて〈あんず〉だけれど、みんな彼女を短く〈あん〉と呼ぶ。コミコミューンは、コミケなんかと同様の、でも規模は小さめの同人誌即売イベントだ。

「瑠奈っちは?」

「うーん。遠いし、――混むでしょ」

「だよなあ」

「あー」

 瑠奈も、そのまま体を伸ばして、あおむけに寝転んだ。それで、

「疲れたなあ」

 と呟く。

「今年の夏はタガが外れた感じで暑かったよなあ」

 と僕。

「インターンシップ疲れしたよ」

 また、どこかでサイレンの音がした。

「結局、何件やった?」

「四社だよ。四社。夏休み、潰れたよ。完全に潰れた」

「手応え、どうだったんだよ」

「これで全部落とされたらお礼参りだよ」

 瑠奈は剣道の有段者で、何回か試合を見に行ったことがある。素早いし、遠いしで、大袈裟でなくてリアルに、剣先の動きが見えなかった。

「ペンより剣だ。殺せ、殺せ」

「殺さないよ。――で、どう、亮ちゃんは。インターンは」

「行けなかった。全部落ちた。インターンの書類選考段階で落ちた」

「マジ?」

「瑠奈っちは剣道とかあるし、慶應だし。俺はほら、所詮、マンモスだけが取り柄の三流大学だし、これといって何も無いから」

「――何か、嫌な世の中だねえ」

 瑠奈はそれで体を起こし、また体育座りに戻った。

 二人、しばらく黙っていた。その間も常に地上からはさざめきが届き、けたたましい音声をばら撒きながら風俗バイト誌の宣伝カーが忙しく通り過ぎて行った。

「亮ちゃんはインターン、どんなとこに応募したの?」

「金融系。いちおう、そっち系のゼミだし。別に興味あるわけでもないんだけど」

「サークル、なんていったっけ? 名前、いつも忘れちゃう」

「フィールド・マーケティング・アソシエーション。それっぽいけど、やってることはアド街とか王様のブランチの真似事だな」

「楽しそうじゃない」

「ま、それなりに、かなあ」

 また瑠奈の、そして僕のスマホがバイブする。断続的に、一回、二回、三回、四回……。こらえきれないように、瑠奈がスマホを見る。

「みんな、探してる」

 それで渋々、僕もスマホをみる。

「だな。――カラオケ、戻るか」

「だね」

 高校の時の友だちでカラオケに来た。発起人は杏で、コミコミューンの宣伝をしたかったらしい。このカラオケに杏が誰を誘っているのかを確認して、まあいいかと、来ることにした。

 僕は高校時代の同級生たちと、だいたい半年おきくらいで会っている。発起人は杏のことが多いけれど、違うこともある。グループLINEで繋がっていて、このメンバーだけなら問題ない。時々、拡大カラオケになったりするので要注意だ。グループLINEでは、杏のように常に書き込んでるようなのもいる一方、瑠奈や僕はほぼ見ているだけだ。せいぜい、スタンプを返すくらい。高一からグループを作り直したりの紆余曲折があって、やっと今のメンバーになって、それで安定している。

 そのメンバーの中でも、僕、瑠奈、杏には特別な繋がりがある。なぜなら、高二のあの日まで、僕たちはいつも四人だったから。そして、あの日以来、三人になってしまったから。僕と瑠奈は気持ちの行先を失い、僕と杏は瑠奈を見守り、僕たちは結局、喪失を埋め合わせることが出来ずにいる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ