確かめてみるとしよう
この世は理に縛られている。
語り継がれる神話と伝説も、信仰も、道徳も、尊重されるべきものほど重い枷となる。
世界は女神の寵愛に包まれて、彼女の意志が風を運び、生ける者はすべて加護を受ける。
俺も教えに従い、善悪の理念に基づいて生きてきた。
――下らない。
神話とは紛いものだ。
世界には魔法も、妖精も、竜だって存在するが、どれほどのものが神の教えを信じているだろうか。
大切に守る神話は遥か昔のこと、教えが正しいのか確かめる手段はもうなくなっている。
魔法の力も個々が持つマナに依存する。生まれつきの才能が、その力量にも依存する。神秘的な力も所詮、術者の範疇を超えることはない。
妖精の国では悠久の時を生きるエルフたちに会った。しかし、だれからも神話の女神を見たという話は聞けなかった。
伝説で竜は女神の代行者だ。彼らは人間の考えを卑小だと言い、己らが神に選ばれた信託者という誇りを持ち全てを見下している。
それらを知ったとき、俺は神話など純粋な幻想だと気づいた。
――だから俺は誰も、何も一切信じていなかった。たった一人を除いて。
彼女はいつも元気で明るい存在だった。
「二十一歳で叙勲されるなんて、オルランドはボクの自慢の弟だなあ!」
姉さんの笑顔が、彼女のそばかすがより一層輝くような瞬間だった。
幼い頃に家族を失った俺を、拾って育ててくれた彼女は唯一の信頼出来る相手。血の繋がりもない俺を弟のように扱い助けてくれた。
そのおかげもあってか、剣と魔法に才能があった俺は軍の中で頭角を現していた。
俺が住む帝国は、かつての栄光を求めて隣接する国々と争っていた。皇帝は神話を大義名分として領土の拡大を目指しているようだ。
女神の恩寵は風に乗って、すべてのものに加護を与えるというが利益を優先し血を流すことは、本当に神話に綴られる女神が望むことなのだろうか。
ある日、姉さんから手紙が届いた。
『――どんな奇跡か、ボクが次の女神に選ばれたようだ。もちろん、オルランドは喜んでくれるよね?』
伝説によればこの国はかつて、女神と竜の力によって大陸を一つにまとめていた。
その教えにより女神の役割は受け継がれている。前任の女神が亡くなると新たな者が竜の託宣によって女神に選ばれるようになっていた。
姉さんがその座を継ぐことは忌々しくも神話の教え。
それでも姉さんが隣にいればいいと、そう思っていた。
――聖地で姉さんが竜と仲良くしているのを見かけるようになったのは、いつだったか。
聖地は帝国の中心にあり、この地を初めて治めた女神が眠る場所だと伝えられている。
そこは皇族や女神、託宣を授ける竜、そして厳格な円卓の議員にしか入ることを許されていない場所だ。
風が気持ちよく吹き抜け、ただなにもない草原と青空が広がっていた。
「まずはおめでとう、オルランド!紹介するよ!円卓に選ばれたキミなら、きっと仲良くなれると思うんだ!」
姉さんの背後には、彼女を見下ろす深紅の飛竜がいた。そいつは何も言わずただ、俺を蛇目でじっと見つめている。
その様子を見ても姉さんは大丈夫だ、と言わんばかりの笑顔を俺たちに向ける。
俺はこいつと仲良くする気はなかったが、これからのことを考えると邪気にもできなかった。
このまま姉さんを信じていいのだろうか。
――気づけばたくさんの弟子ができて、知らない内に派閥ができた。
なにやら姉さんがふたりきりで、だれにも聞かれたくない相談をしたいらしい。
厄介な護衛の竜も、姉さんの周りを囲む円卓の連中もいなくなるいい機会だった。
冷たい夜風がスカートをなびかせ、姉さんの頬を撫でる。
聖地はふたりきりになるのに、うってつけの場所だった。
「オルランドをボクの騎士にしようと思う!これで戦地に行く必要もなくなる。また一緒に暮らせるよね?」
草原を先に歩く姉さんは嬉しそうに笑っていた。ひさしぶりに見る笑顔だ。
ここから表情をよく見ることはできないが、そばかすの笑顔が懐かしく思えた。
おなじように俺もうっすらと微笑む。
そして腰に着けた剣の柄にゆっくりと手を当て、
「ああ……そうできたなら、どんなによかっただろうな」
彼女に向けて振り下ろす。
突然のことに驚く悲鳴もなく、彼女はゆっくりと冷たい草のベッドに倒れた。
滴るような血液が草原の緑の海と混じり赤黒い弧を描いて広がる。
その瞬間、続いてきた神話は断ち切られた。
正しかったのは俺か、神話か。
全てを壊した後で、確かめてみるとしよう。
はじめての作品になります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。