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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
番外編 『兄弟』と四季

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48/51

餃子もくもく/前篇

今回のお話は前中後篇の前篇です。

 ◇ ◇


 誰にだって、"ダメな日"ってあんじゃん。例えば、物を取り落とすレベルのしょーもないミスを連発しまくるとか、ほんのちょっとボンヤリしてただけなのに、目敏い先生に見つかって注意されたとか、そーゆー『今日は何してもアカン』ってときが。

 で、運悪く、今日の俺がそれだったワケ。


 手始めに、朝メシで目玉焼きを作れば、黄身の上にコショウ瓶落とすわ、味噌汁滾らかすわ。

 身支度をすりゃあ、洗顔料で歯ぁ磨いちまうわ、靴下を片方見失うわ。

 登校したらしたで、忘れ物がいくつかあるわ、よりにもよってわからない問題で指名されるわ、音読でアホみたいな読み間違いするわ。

 授業外でも凡ミスは止まらない。弁当に箸入れ忘れてるわ、中身が盛大に偏ってるわ、掃除をすりゃあバケツひっくり返すわで、何をしても上手くいかず、空回りしてばっかり。

 しまいにゃ、午後のホームルームで配布用のプリントを床にぶち撒けちまって、とうとうプツンときたわけだ。うん。


 『わぁーった! もー勝手にしろ。知らん! やってられっか!!』――って、散乱したプリントの中央でそう叫ばなかった俺、超エライ。

 本日の俺の散々な凡ミス連発をずっと見てきた同級生の憐れみの籠もった眼差しと、今日一日、俺の不運を散々からかいまくってた安達(ダチ)による同情の声を向けられることの、居心地の悪いことったらない。


 はー。まあ、うん。こんな日もあるんだろうよ。

 ……はぁ。



 ◆ ◆


 『弟』と会うまで、食にあまり関心のなかった俺でも、たまーに、本当にごくまれに、『今、無性にコレが食べたい』と思うことがある。今がそれだった。


 きっかけは通勤バスの中。どこからか大降りの雨音に似た音が聞こえて音源を辿ると、背後の学生がスマートフォンで調理の様子を動画で観ている。

 イヤホンはしていたが、ジャックが抜けていたらしい。炒めるか焼くかの調理音がだだ漏れだ。


 それでだ、俺はその調理音から"その料理"を想像した。

(あー、困った。餃子が食べたい)



 ◇ ◇◇


 自棄だった。うちまで遠回りになるのも構わず、お気に入りの商店街まで相棒のチャリをぶっ飛ばす。


 八百屋で安売りになってたキャベツ、ネギ、玉葱、生ニンニクとショウガを買って、精肉店では合い挽き肉と、今日の晩メシで絶対にいるモンを買う。


「あら、こんなに?」

 会計時、お徳用袋入りの"それ"を見た精肉店のおばちゃんにちょっと驚かれた。

 俺、この店によく来るし、おばちゃんともちょいちょい話すからなあ。俺の顔は勿論、俺が料理するのも、何人分のメシを作るのかも知ってるのもあって、数を疑っちまったみたい。

「そ、作んの」

 俺が力強く頷けば、何やら察したらしいおばちゃんがオマケにコロッケくれた。

「残り物だけどさ、これ食べて、気張んなさいな」

 だって。やったあ。



 商店街の飲食スペースで、ちょっと冷めてるけど、それでもうまいコロッケをおやつに食べていたら、スマホの通知音が鳴った。

(夕方のこの時間なら『兄貴』だろ。ほら、正解。なになに……おん?)


《帰りに餃子を買って帰ります》


(あれま)

 予想通りの人物からの用件に、思わず視線を買ったばかりの荷物に向ける。

 エコバッグの口から覗くのは、手のひら大の分厚い袋が二つ。

(気が合うな)

 袋の中身は餃子の皮。お徳用五〇枚入りが二袋。今日、それを一気に全部、使うつもりだったんだけど――

(その上、更に追加があんのね。ほーん)


 手作り餃子の数を減らすか、『兄貴』に餃子は買わなくても良いと返事をするか。

 口の中のコロッケを噛み砕いて呑み込むまでの数秒で答えを出す。


《いいぜ。生でも焼きでも蒸しでも水でも買ってきな》

《ついでに飲みたい酒と俺用に餃子にお薦めの炭酸も頼む》


 餃子を包んで焼きたい人間と、餃子を買って帰ると宣言するほど食べたい人間が揃ってるんだぜ。そんなん、食卓が埋まるくらい餃子だらけにすりゃいーじゃーねーか。



 ◆ ◆◆


 昼食に餃子を食べようかとも思ったが、ニンニク臭の前に断念した。そんなわけで、午後からは頭の中の七割ほどが餃子で占められた状態である。

 何処か行きつけの店のテイクアウト、もしくは無人販売所か自販機で買って買えるか。味はがっつりめか淡白なものか、メインの具は肉か海老か、そんなことばかり考えてしまう。


(そうだ。餃子を買って帰るなら、アイツに伝えておかなければ)

 かつて、よかれと思ってクリームコロッケを買って帰ったら、『弟』が既にグラタンを用意していて、食卓が炭水化物だらけになった経験から、以後は連絡を怠らないよう努めているのだ。

 連絡を忘れない内に早速、スマートフォンを取り、『弟』に用件を伝える。返事は程なくして返ってきた。


《いいぜ。生でも焼きでも蒸しでも水でも、好きなだけ買ってきな》

《ついでに飲みたい酒と俺用に餃子にお薦めの炭酸も頼む》


(……なんだ?)

 『弟』がいつにも増して乗り気だ。メッセージから窺えるテンションが高い。

 これはアイツと暫く暮らした『兄』としての勘だが、アイツが過剰に乗り気なときは大抵、何か思い悩んで自棄になっているときだ。



 ◇ ◇◇◇


 なんだったっけ? ほら、あのハンドル引っ張ると、容器の中の刃がビュンビュン鳴りながら回転して、中の野菜がみじん切りになるやつ。……みじん切り器? フードチョッパー?

 あれ、いいよなぁ。いろんな食材があっちゅー間にみじん切りになって。爽快だろうな。

(ま、包丁で地道に切るんでも、没頭できるからいいんだけどさ)


 両耳に着けたコードレスイヤホンから流れるのは大音量のヘビメタ。自分も一人、口ずさみながら、自力でみじん切りにした生姜やらニンニク、ネギやらの薬味をボウルに入れ、調理台の隅に追いやった。


「さーて、次の獲物はオ・マ・エだー」

 わざと大仰な振りでまな板に載っけたのは、さっき買ってきた安売りのキャベツ一玉。

(うん、相変わらず、威圧感あるぅー)

 キャベツなんて、いつも一枚ずつ葉をバラして使うから、こうしてありのままの姿でまな板に載ると、その迫力に圧倒される。

 この一抱えはある塊を、これから自分が豪快にぶった切って、微塵にしてくんだって考えると、ちょっと滾らん?


「んじゃ、大物をやっつけてやんぜー」

 まずは芯の付け根から包丁の切っ先を差し込んでから、半分に切――


『ヴォーーーーーッ! ア゛ァァァァァァァ!』

「うおっ?!」


 ビビったー! 絶妙なタイミングで大音量デスボイス流れんな! キャベツの断末魔かと思ったわ。キャベツ、声太ぇだろ、オイ。両耳で呻くな! 吠えんな!


 唐突なデスボイスに度肝を抜かれて、心臓が早鐘を打つ中、半ば八つ当たり気味にキャベツを半分に断ち切った。

 ザクゥッ。

 葉が幾重にも層になってる野菜特有の、重く軋むような手応えが堪らない。

(堪らないけど、なんか、デスボイスと相俟って、キャベツ型モンスター斬っちまった感、半端ねーな)

 まな板の上に転がる、両断されたキャベツがまた、妙におどろおどろしく見えるっつーか。……いや、これ以上考えるの止めとこ。次だ、次。



 今回、使うキャベツは半玉分。まな板に伏せた片方をザクザクザクッっと軽快に、気持ち幅広めの千切りにしたら、次はなーんも考えず、まな板の向きを縦にする。

 本当はまな板じゃなくてキャベツの向きを変えりゃ、調理台がゴタつかなくていいんだけどさ。まな板いっぱい広がったキャベツの向きを手で変えるとか、面倒じゃん。

 千切りキャベツがバラけないように、軽くまとめて手で押さえ、問答無用で切ってきゃ、粗みじんの出来上がり。

 まな板の向きを直したら、包丁の切っ先だけをまな板に軽く押し当てて固定。弧を描くように柄をスライドさせながら上下に刃を動かして切ってく。刃を左右に何往復かさせたら、みじん切りの完成だ。



(うん、やっぱり、落ち込んだりイラついたときは、曲聴きながら単純作業をするに限るな)

 耳が壊れない程度にデカイ音量にしとけば、外からの余計な情報とかノイズも入ってこない。好きな曲で頭いっぱいにして、手作業に集中しとけば、余計なことを考えなくて済む。


 手作業だって、野菜切るくらいの単純作業でいいんだ。

 コツコツと切るだけの単純作業だから、没入感あるし、好きな音楽一曲分、野菜と一緒に嫌な気持ちも刻むつもりで手を動かせば、曲が終わる頃には、料理に便利なカット野菜の山が爆誕してて、超お得。

 フードチョッパーは便利かもしれないけど、こうやって手で黙々と野菜を刻むのも悪くないよな。機械よりも手の方が、どうしても時間はかかし労力も増えるけど、悶々とした気分がちょっとは晴れるしさ。


「ホント、音楽とみじん切りは偉大だね、こりゃ」

 鼻歌混じりでザルに移したボウルに刻んだキャベツをぶち込み、塩を振りながら一人、アホっぽいことを呟いた。



 塩をしてから数分。塩の浸透圧で野菜がしんなりしてきたら、手で絞って水切りして、ボウルの中で挽き肉と合わせたら、後は無心で練る。調味料を入れて、また練る。


(いっぱい食いたいから、敢えて薄味で)

 調味料は餃子の皮が入ってた袋に書かれたレシピを参考に、分量はちょっと控えたけど、どうだろ? 薄すぎないか。生肉入ってるから味見できないんだよな。

(まあ、どの道、タレで食うつもりだし、いっか)


 餃子のつけタレと言えば、俺はポン酢とラー油だけど、『兄貴』は何を使うんだろ。家にあるもので間に合うかな? 俺の知らない食べ方とかあれば、教えてくれると嬉しいんだけと。



 ◆ ◆◆◆


「残業、頼むね」

 就業時間が迫ってきた夕方、言う方は気軽だろうけど、言われた方はまったくもって気軽ではない頼みをされた。

 今日は急いで帰ろうとソワソワしていた気分が、一気に萎える。


 一応、残業を言い渡される原因となった業務が何かを訊ねてみたが、どう考えても残業を必要とするような用件ではないんだが。



「無理ですね」

 敢えて『わかりました』と言わんばかりの、人当たりよさげなにっこりとした笑みで――但し、目は一切笑むことなく――告げた。

 いつも気さくで温厚に振る舞う上司が、俺の表情と返答のあまりのギャップに一瞬、凍りつく。


「業務自体は明日の朝一番に始めれば、十分に間に合う内容です。明日、早めに出社して片付けます」

「いや、君自身はできるという自信があるのだろうけど、早めに片付いた方が安心じゃない」


 ――貴方ご自身が不安なだけなら、ご自身で残業なさればよろしいのでは?

 やや引きつった笑みの上司に向けて出掛かった返事を押し止め、笑みを一転、軽くうなだれ肩を落として恐縮してみせる。


「申し訳ありませんが、今日はどうしても外せない用事があり、残業はできかねます。先に提示した代替案でも差し障りがあるのでしたら、他の者を当たっていただけませんか」


 『弟』と暮らす前まではほぼ毎日、『弟』と同居してからもそれなりの頻度で残業を甘受してやったのだ。数回に一度は、特に意味のない残業を断ったって罰は当たるまい。

(俺――というか、独身者になら気軽に残業を押し付けてもいいと思ったら間違いだぞ)


 私用があるから上司に言い渡された残業を断るなんて、俺は間違っているか? 否。

 そりゃあ、餃子を食べたいから早く帰りたいという理由だけなら、有り得ないだろうさ。

 だが、難しい年頃の家族がひとりで思い悩んでいるかもしれないのならば、俺は不急の仕事ではなく家族を選ぶし、それは決して間違いではない。


 ――今日の定時は譲らない。

 目を逸らさず言外に告げれば、相手は無音でため息を吐いた。

「本当に明朝で間に合うのね」

「問題ありません」

 朝一に俺が出席予定の会議がどんなに前倒しになろうと、追加の仕事が多少増えようと、余裕で間に合う業務だと判断したから断言しているのだ。


「それじゃあ、明朝に頼むよ」

「はい」

 根負けしたとばかりに肩を竦めた上司に頷く。


(ただ定時に帰りたいだけなのに、なんでこんな面倒なやりとりをせにゃあならないのやら)

 デスクに戻る上司からとっとと視線を外し、人知れずため息を吐いた。

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