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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
番外編 『兄弟』と四季

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46/51

おでん、初挑戦しない?/中篇

今回のお話は前中後篇の中篇です。

(後書きにて保温調理の簡単な注意書きがあります。保温調理が気になる方は、ご一読ください。)

 ◇◇ ◇


 保温調理のいいところ。

 ひとつ。食材をじっくり加熱してくから芯まで味が染みる。

 ふたつ。煮崩れが少ない。

 鍋を火に掛けてると水中では対流が起こる。対流で食材が動くと、水とか他の食材との接触で煮崩れちまう。その点、保温調理は火から下ろすことで対流が抑えられるからな。煮崩れしにくくなるんだ。


「っつーワケで、保温調理は煮込みとか汁物にはもってこいなんよ」

「ふむ」

(えぇー、反応薄)

 『兄貴』、あからさまに冴えない表情してんじゃん。てか、保温調理の話になってからずっと、眉唾みたいな顔しての何?

 まあ、『兄貴』がこんな調子だから、俺も保温調理の詳細を説明をしているわけだけども。


 別にさ、自分の作った料理を食べる相手が、今の『兄貴』みたく、調理法に納得いかんって顔するのは心外とは思わんよ、俺。

 納得いかないってことは、相手が提供されるものの安全性に疑心を抱いてるってことだろ。自分に害があるかもしれないものを避けようとする心理って、健康的に生きる上では必要不可欠なものだ。提供者を盲目的に過信して、出されたものを何ら疑わずに鵜呑みにするよりかは、はるかに慎重で健全じゃん。

(あんまり神経質すぎるとウザいけどな)


 そんなわけで、現在、保温調理中の布団の小山を挟んで、俺が調理法を説いてるのはひとえに、『兄貴』の抱える食への憂いを払いたいからだ。

(だって、俺、毒をこさえてるわけじゃねえもん)


 『兄貴』にこの毛布の山が抱えてるもんを安心して食べてもらうにはまず、相手の信用を得なきゃならない。

 『兄貴』が納得できるまで保温調理の安全性を説き、それでも不安が残るのなら、問題点を解消すべく対処する。

(まあ、最終的に保温調理を諦めたって構わないしさ)

 俺にとっては便利な調理法だけど、別に、どうしてもって固執してるわけでもないし。気楽に説得するさ。


「食中毒を心配してんなら、保温調理後に一度、煮立たせるから大丈夫」

「……」

 いや、無言でこっち見詰めるなし。

 保温調理が『兄貴』に信用されるまで、先は長そうだ。



 ◆◆ ◆


「この調理法、俺の母ちゃんが冬になるとよくしてたんだけど、俺、一度も腹壊したことねーよ」

 おでん鍋を毛布で包んでからというもの、『弟』は保温調理とやらを詳らかに熱弁している。


「それは――」

「ん?」

「いや」

 ――それはオマエの腹が強いからじゃないのか?

 言い掛けて、慌てて口を噤んだのは、『弟』が彼の母親に習った調理法にケチをつけることになるからだ。

 だが、なるべくケチをつけないよう努めても、俺が保温調理に不信感を抱いているのが『弟』にはわかるのだろうな。だからこうしてこの調理法の利便性と安全性を丁寧に説いているのだ。



「母ちゃんの受け売りだけどさ、保温調理中はコンロに余裕ができるし、時間とガス代の節約になるから便利なんだよ」

 確かに、ある程度の煮炊きが必要な煮物や汁物を保温調理にしてしまえば、コンロに空きができる分、他の料理をもっとスムーズに作れるかもしれない。

 俺のような料理初心者にとって、調理行程の調整が必要な献立を作る場合には、保温調理は力強い味方になりそうだ。


「だが、台所か部屋のどこかに、この布団の小山のような保温調理中の器具があったら邪魔じゃないか」

 鍋を包んだ布類は結構かさばる。床に置いたらうっかり蹴ってひっくり返しそうだし、台に置くにしても場を取りそうだ。

 それを指摘すれば、『弟』は「そうそう」と何度も頷いた。どうやら、失敗経験が大いにあるらしい。


「母ちゃんはさ、保温調理に新聞紙と発泡スチロールの箱を使ってたんだけど、あれ、まあまあデカくて邪魔なんよ。冬になると、保温調理グッズが台所の片隅でスタンバってたけど、俺、そそっかしいからうっかり蹴っちまうんだよな。盛大に転がしちゃあ、母ちゃんに呆れられたり叱られてたわ」


 当時の自宅の光景や失敗を振り返る『弟』は、少し寂しげに苦笑した後、はたと頭を上げた。



「懐かしいったら、そういえば、甘酒も保温調理するんだよ」

 甘酒――その単語に、俺は思わず目を見張る。

 甘酒は亡き母の好物だ。



 ◇◇ ◇◇


 甘酒と聞いた『兄貴』が、ハッとした顔になったのはきっと、甘酒が好きだったっていう『兄貴』のお母さんを思い出したんだろうな。


「甘酒っても、ごめん、『兄貴』のお母さんが好きだった酒粕じゃなくて麹の方なんだ」

「いや、謝ることではない。それに俺も聞いたことがあるよ。確か、仕込んでいる間は六〇度くらいに保たねば、麹が発酵せずに甘くならないんだったか」

「そうらしいね。適温を保つのに、炊飯器とか魔法瓶を使うんだと」


 一時期、甘酒は健康と美容に良いらしいって、どっかで聞いた母ちゃんがよく作ってた。

 だから小学生の頃、冬場のすっかり冷えた台所に行くと、おかずを保温調理してる発泡スチロールのでかい箱と甘酒用の大容量の魔法瓶が調理台を占拠してるのをよく見掛けたんだ。


「あの頃は、小腹が好くと台所に向かってさ。魔法瓶の隣に並ぶ箱の中を覗いて、おでんだったら大当たり。その日のおやつはおでんと甘酒」

「食べ合わせはそれで正解なのか」

「それな」

 眉を顰めて訝しむ『兄貴』の反応は、まあわかる。

「けどさ、腹ぺこの前では何だってアリなんだよ。実際、そこまで悪かなかったし」


 何とはなしに手を置いた、毛布の塊。布を何重にも重ねてるから、内包するおでん鍋の熱はほんのりとも感じない。

 でも、熱の代わりに触れた鍋つまみの感触がきっかけとなって、過去の記憶が蘇る。



 学校から帰ったばかりの家の中。俺が帰るまで留守だった部屋は、どこもかしこも凍えるほど寒い。

 ランドセルを放り、キンキンに冷えた水でうがい手洗いをした俺は、まっすぐに台所に向かうんだ。


 調理台を陣取る発泡スチロールの箱を開けて、ひとまず暖を取ろうとする。

 手の平に触れるのは、保温材代わりの新聞紙のほんのり湿った感触と、分厚く重ねた新聞紙越しの鍋つまみの曖昧な輪郭と、ほんのりと伝わる鍋のぬくもり。

 でも、かじかむ手で暖を取るには、物足りなくて。新聞紙を剥いて鍋蓋を開けて、ホワリと上がる薄い湯気でも暖を取ってたっけ。


(真っ先に見える具はいつも、でっかく育った練り物でさ)

 『ふやけた練り物もおでんの醍醐味』って豪語するくらい母ちゃんは練り物好きだったから、ちくわとか天ぷらはわりと入ってて、いいだけふやけた状態でお目見えするんだ。


「練り物とこんにゃくと、あとは昆布かな。そこらはひとつふたつ盗み食いしてもバレないから、よく失敬してた」

「玉子や餅巾着はおやつにしなかったのか」

「無理ムリ。数がなくてすぐバレちまうから、そっちは晩メシの楽しみにまわしてた」


 おでんを食べて、甘酒を飲んで、しょっぱい甘いを繰り返し楽しんで。

 おやつを食べ終わる頃には暖房も利いてくるから、満腹なのも手伝って、そのまま母ちゃんが仕事から帰ってくるまで寝転けちまうこともよくあった。



「本当、懐かしい」

 母ちゃんの作るおでんと甘酒の味は今でも覚えてる。ひとりで留守番することが、たまにもの凄く寂しいと感じてたことも今、思い出した。

 俺が小学生のときだから、そこまで遠い日の記憶じゃないんだけどな。あの頃から色んなことがあったし、学校も住む場所も一緒に暮らす人も変わったんだ。懐かしいはずだよ。


「俺もだ」

 母ちゃんのおでんと甘酒の味を思い出していたら、ふと『兄貴』が呟いた。

「昔、冬になるとおやつにおでんを食べていた。あと、母がやらかした甘酒の失敗も思い出した」


 過去を語ろうとする『兄貴』が、何故かひどく渋い表情になった。

 いや、思い出話しようとしてんだろ? なして、険しい顔になってるんだよ?



 ◆◆ ◆◆


 『弟』のおでんと甘酒にまつわる話を聞いて、思い出したことがある。


「うちの場合、おでんがおやつになるのは食卓から下げられた後の余り物だったな」

 母は料理に関してはせっかちだったから、おでんが長く炊かれたことはない。炊く時間は煮魚や煮物とそう変わらないから、出来立てのおでんが食卓に上がり、残れば台所の片隅か冷蔵庫に置かれた。


「余りのおでんを温め直して食べたが、正直、二日目以降のおでんの方が美味かったな」

「わかる。煮物は冷めると味が染みるんだよな」

 うん? 今、相槌代わりに『弟』が興味深いことを言ったな。

「冷めると食材に味が染みるって、ひょっとして、カレーやシチューも同じ原理なのか」

「そうじゃね? 多分、そう。味しみしみのおでんがおやつなんて、贅沢じゃん」

「そうか?」

「うん」


 贅沢……贅沢か。

(かつての俺に聞かせてやりたいな)

 幼い頃はおやつがお菓子や軽食でなく、前日の食事の余り物であることにしみったれた気分になったものだ。

 けれども、捉えようによっては、作りたてより二日目の、味がより染みたおでんがおやつなんておいしい話ではないか。


(あ、そういうことか)

 ふいに、あることに気付く。


 ――昨日のおでん、おやつに食べていいからね。いくらでもどうぞ。


 今はもう、すっかり遠くに感じるようになったあの頃。おでんが食卓に上がった翌日、母は必ずと言っていいほど、そう告げた。

 おでんだけは余分に作っていた母が、その残りをおやつに勧めた理由を今になって知る。


(俺に食べさせたかったのか)

 その為に、わが家のおでんには餅巾着や大根、魚河岸あげが多く入っていたのだろう。――俺が好きなおでん種をおやつでも食べられるように。


「うん、贅沢なおやつだったんだな」

 十年以上経って、やっと母の愛情に気付いた俺に『弟』はにっかりと歯を見せて笑った。



「そんじゃあさ、甘酒の失敗ってのは?」

「……あ゛」

 ほわりと胸の内側がぬくもるような、ささやかな感激を噛みしめる中、興味津々な様子の『弟』に訊ねられた"それ"の悪夢に、俺は思わず眉を顰める。


「えっと……もしかして、思い出したくないヤベー記憶?」

 口を衝いて出た低い声と険しく変わったであろう形相に怯んだ『弟』が、恐々と訊ねた。

 ああ、いかん。悪夢の数々に、ついうっかり過剰反応をしたが、コイツを怖がらせたいわけじゃないのだ。

 うっかり上がった唸り声をなかったことにはできないとわかってはいるも、それでも今更のように手で口元を隠した。


「違うんだ。昔のしょうもないことを思い出しただけだ」

「『兄貴』にドスの利いた声出させるほどの『しょうもない』って何だよ、怖ぇな」

「いやなに、うちの母は甘酒が好きだったが、甘酒とは相性最悪だったというだけだ」

「マジで何?」

 声も表情も和らげるよう努めているのに、『弟』はまだ緊張した面持ちのままだ。

 本当に、呆れるくらいに大したことじゃないんだがな。



「例えば、母が手っ取り早く甘酒を作りたいからと、マグカップに水と酒粕と砂糖を入れてレンジに掛けたら、盛大に噴き零れたり」

 何度か、レンジ内が甘酒の沼になったっけ。

「加熱しすぎじゃん、それ」


「作り置きの甘酒に甘みが足りないと、砂糖を足してレンジで加熱したら、かき混ぜた途端に噴き出したり」

 悲鳴を上げる母の許へ駆けつければ、調理台と床が甘酒まみれになっているのも毎年恒例、冬の風物詩である。

 ちなみに、甘酒が噴き零れる瞬間、母は熱々の中身を被らずに済むよう、持っていたマグカップを大きく傾けるので、多発事故のわりに無傷で済んでいたのは不幸中の幸いだ。代わりに、甘酒で汚染された調理台と床が信じられないほどにベタベタになったが。

「うん、それも加熱しすぎ」


「母が小鍋で酒粕を温めていたら、マグマのように滾ったり」

 小鍋の中、ボッコボッコと音を立てながら四方へ爆ぜる甘酒は、どう見ても白いマグマだった。

「火ぃ強過ぎだって。弱めろ」


「『これでいつでも温かい甘酒が飲める』と甘酒を炊飯器の保温機能に掛けっ放しにして、酸っぱくなったとか」

 不味くて自分は飲めなかったが、母は腐ってはいないようだからと、しばらくの間、頑張って飲んでいたっけ。

「発酵させすぎたらなるやつだ。つか、『兄貴』の保温への不信感の元凶、絶対にそれだわ」


 度々、甘酒に汚染された台所と調理家電の悪夢が記憶に蘇って額を押さえる俺の傍らで、『弟』もまたがっくりとうなだれたのだった。

※今回は作中で"保温調理法"に触れていますが、本作品の著者は調理の専門家ではありません。

 この調理法をお試しになる際は各自、【自己責任】のもと、料理サイトや書籍等を参考に調理方法を事前に調べた上で、適切な温度管理と調理時間を守って調理を行いますようお願いいたします。

 季節を問わず、保温時の温度が不適切だったり、長時間放置しすぎると食中毒の危険や健康を害する危険もありますので、食品を扱う際は細心の注意を怠らないようお気をつけください。

 なお、本作品で興味を持ってこの調理方法を試されて、万一、健康を害することになりましても当方では責任を負いかねますので、ご了承のほどお願い申し上げます。

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