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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
番外編 『兄弟』と四季

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おでん、初挑戦しない?/前篇

今回のお話は前中後篇の前篇です。

 ◇ ◇


 いつも良くしてもらってる近所の婆ちゃん――通称、"柿ばあ"がぶっとい大根をくれた。

 俺の腕くらい長くて太い、クネッと捻った腰がセクシーな大根は、腰の曲がった婆ちゃんが抜くには骨が折れそうだ。


「この大根、ひねくれてるけど立派だね。婆ちゃんが抜いたん?」

 訊くと案の定、婆ちゃんは「まっさかあー」と皺だらけの顔をもっと皺くちゃにさせて笑っておどける。

「友達から貰ったのよぉ」

 まあ、フツーに考えりゃあ、そうだよね。

 それにしても、柿ばあ、いつだって愛嬌たっぷりで可愛いから、若い頃はさぞモテたろうな。



「婆ちゃんは大根、どうやって食べた?」

「沢山いただいたからねぇ。切り干しにしたり、ふろふき大根にしたり、沢庵も何本か漬けたね」

「そりゃあ、張り切ったな」

 婆ちゃん、本当に大根を沢山貰ったらしい。これぞ、人徳ってやつね。


「そんじゃ、俺はこのご立派さんをどうすっかな。オマエ、どう料理されたい?」

 ずっしりと重い大根を持ち上げて訊ねても、答えが返ってくるわけがなく。結局、婆ちゃんちからの帰り道も、寒風吹き荒ぶ中、脚ほども太い大根を小脇に抱えて「うーん」と唸りっ放しだった。


 みぞれ鍋もいいし、大根餅もいい。かつお節をこんもり載っけた大根サラダも食べ放題。

(けど、冬に大根っつったらやっぱりアレかねぇ)



 ◆ ◆


 寝坊も二度寝もできる土曜日の朝。布団のぬくもりに後ろ髪を引かれつつ、ベッドから這い出た。

 大あくびで部屋着に着替え、寝癖もそのまま自室のドアを開け、ふと足を止める。


(何か、煮炊きしてる)

 味噌汁やご飯とは少し違う、でも確かなぬくもりを感じさせるにおいだ。どうやらこの部屋のもう一人の住人が、朝からご馳走を仕込んでいるらしい。

(どんな美味いものが出てくることやら)

 あれやこれやと想像を膨らませながら洗面所で身支度を整え、台所に向かった。



「おはよう」

「おはよーさん。コーヒー、淹れてるぜ」

 煮炊きの蒸気のせいか、台所の空気は少し湿って、廊下よりはほんのり暖かい。

 コンロの前には『弟』がいて、鍋蓋と箸を手に、湯気を上げる両手鍋の中を覗いていた。


「ありがとう、早速いただこう。で、今日はどんな力作をこさえているんだ?」

 水切りラックに伏せられたコーヒーカップを取りがてら、『弟』が構っている鍋を見遣る。

 パッと見は、鍋を満たす白濁の湯。だが、中身はどうやら湯だけではないようだ。薄い白濁の水面直下で、より濃い白色の丸が鍋の径を埋めるようにいくつも、プカプカと漂っていた。

(大根かな)

 側面を向いている物も何個か見受けられるが、結構分厚い輪切りにされている。火が通るのに時間が掛かりそうだ。


「大勢の大根が温泉を満喫してる」

「フハッ! 誰が上手いこと言えっつったよ」

 俺の比喩表現を聞いて『弟』が吹き出すが、俺には今の鍋の中身がそうとしか見えなかった。

 人間よりも早い時間帯に風呂を満喫するとは、なかなか贅沢な大根じゃないか。



(ふむ)

 朝食代わりのコーヒーを飲みながら大根を観察する。

「立派な大根だな」

 皮を剥かれてなお、迫力を感じさせる大きさだ。豆皿よりもサイズがあるのではないか。

「柿ばあからのいただきもの。友達から大量に貰ったからって、分けてくれたんよ」


 柿ばあの名に、すぐさま『兄弟』共に良くして貰っている一人の老女の顔が浮かぶ。

「今度、お礼をしないとな」

 ――さて、何をお返ししたものやら。

 お礼の品を思案するも、鍋の中でゆらりゆらりと気持ち良さげに揺らぐ大根を見ると、温泉の素しか思い浮かばなかった。



 ◇ ◇◇


「それにしても、丁寧な仕事振りだな」

 午前といってもわりと遅い時間にやっと起きてきた『兄貴』は、ひょっとするとまだ半分、寝ボケているのかもしれない。

 マグカップのコーヒーをチビチビと飲みながら、ぼんやりと鍋の中を眺めていた。


 『兄貴』曰く、『温泉を満喫してる』大根は均一の厚さに切り揃えて皮を厚めに剥き、面取りをしている。『兄貴』はこのことを丁寧と評価したんだろう。

(そんじゃ、あれには気付いてるのかな?)

 今は白い茹で汁の中だからわかりにくいけど、表面に十字の切れ込みも入れてるんだ。


「隠し包丁も入れたのか」

「お! ご名答。お客さん、隠し包丁をご存知とはツウだねぇ」

 一年と少し前からちょっとずつ、料理を作るようになっていた料理初心者の『兄貴』が隠し包丁を知っていたとは驚きだ。

 やるじゃねーのと感心するも、当人はさもありなん、みたいな顔をしている。

「小学生の家庭科で習ったぞ。ところで、この大根はかなり分厚めに切られているが、もう既に、そこそこ煮えていそうだな」

 『兄貴』が煮えていると判断したのは、大根の白い肌がうっすらと透けて見え、切断面や面取りした角もまろくなっているからだろう。


「どれどれ」

 試しに、大根をひとつお玉で掬い、箸を突き立ててみる。表面は柔らかいけど、半ばで箸の先が止まった。

「まだ煮えてないスね」

 大根、欲を出してちょっと分厚くしすぎちまったかも。芯までなかなか煮えてくれない。こりゃあ、しばらく保留だな。


 ちょっと抉れた大根を再び、茹で汁に戻してやる。

 周りの大根と一緒にユラユラプカプカと湯の中で揺れる大根は、なんとも気持ちよさそうだ。

(今晩の風呂、乳白色の温泉のもと入れよ)

 ――人間が大根に倣うとかウケる。

 一人、しょーもないことを思って、ひっそりニマリと笑っていると、背後の『兄貴』がふと呟いた。


「ふろふき大根なら味噌で食べたいな」

 ――できるならば、甘めの味噌と木の芽を載せて、熱燗で食べたい。


 願望が口を衝いてますな。けど――

「ザンネーン」

 首を緩く振る。

「これ、ふろふき大根じゃねーよ」

 ちょっぴり残念そうな表情の『兄貴』に「ごめんな」と笑い返し、鍋に軽く蓋をした。



 ◆ ◆◆


 目覚めの一杯のコーヒーを飲み終えても、なんとなくコンロの前から離れ難いのは、今日が特に冷え込んでいるからだろう。火の側は暖かくて、居心地が良い。

 『弟』が調理台でゴソゴソと何やら仕込む最中も、俺は硝子の鍋蓋の隙間から立ち上る湯気と、鍋の中で白濁の湯に浸る大根を眺め続けた。


「茹で汁が濁っているのはどうしてだ」

「それ、米の研ぎ汁だから。ミカから教わったんだけど、こうすると大根が甘くなるんだと」

「ミカって、あの料理上手な子か」

「そうそう」


 『弟』がミカと呼ぶその子は『弟』の級友で、性別は列記とした男だ。ちなみに、ミカの愛称は姓名から取られたそうな。

 彼は手が込んだ弁当を毎日、自作してくるくらい料理が得意で、『弟』は度々、料理友達として彼の助言を得たり、作ったもののお裾分けに与っている。

 彼の料理は俺も何度か食べたことがあるが、どれも確かに美味しかったことから、『弟』は随分と優秀な料理友達を得たようだ。


「米の研ぎ汁に含まれてるデンプンが作用するらしい。今まで捨ててたものが思わぬ所で活躍するとか凄くね?」

「確かに」

 米を研いだ後の濁り水が調理に使えて、しかもそれで大根が美味しくなるとは、料理とはなんとも奥深いものである。

 そう考えていると、隣で昆布を結んでいた『弟』が、ふと手を止めた。



「ミカはおふくろさんから米の研ぎ汁の活用法を習ったそうだけど、そういうちょっとしたことを教えてくれる存在って貴重だよな」

 『おふくろさん』と告げたその横顔は、穏やかではいるが少し寂しげで。この子が今、誰を思ったかなど容易に察せられた。


 亡き母への思慕と郷愁――『弟』の胸中に去来したそれらに気付けても、不器用な俺では掛ける言葉をなかなか思い付かない。

 脳裡に二、三、過った言葉を飲み込んだのは、それらでは『弟』の中に息づく繊細な心に触れるに値しないと判じたからだ。

 どんな言葉なら彼の心を踏みにじらずに済むかと、思考を巡らせに巡らせて、結局、「そうだな」と小さく頷くことしかできなかった。



 ◇ ◇◇◇


 母ちゃんが生きてたら、俺ももっといろんなことを教われてたのかな――なんて、センチメンタルなことを考えたけど、そんなの俺の柄じゃないから、ちょっと大袈裟に顔を上げて、『兄貴』の方を向く。


「さて、皮剥き、面取り、隠し包丁……随分と手の込んだ、この大根の行く末はなーんでしょ? 当てたら、一個、味見させてあげるよ」

「お、それは魅力的なお誘いだな」

 心なしかしんみり湿っぽかった雰囲気をちょっと強引に切り替えちまったけど、『兄貴』はこういうとき、茶化すことなく平然と対応してくれる。


 フム、と顎を引いて少しの間、思考した『兄貴』は、俺の手元にある結び昆布を気にしつつ、小首を傾げて答えた。

「鰤大根?」

「残ね……」

「飴色に照る大根とホクホクの鰤の身が寒さに凍えた体に染みる、冬に相応しいご馳走。あと、鰤を切り身ではなく頭やカマ、骨などの"あら"で作るのも捨て難い。皮下のゼラチン質が融けてプルプルになった皮と、旨味たっぷりの脂が絡んだ、トロリと緩んだ眼球と目のまわりの肉は絶品だよな。ああ、想像するだけで垂涎ものだ」


 残念、不正解、と唱えようとした矢先、料理のイメージがそのまま口を衝いたらしい『兄貴』による鰤大根のプレゼンテーションが早口で行われる。

 ヤバイ。今日の晩メシ、鰤大根じゃないのに、この最高のプレゼンのせいで無性に鰤大根が食べたくなったじゃねーか。



 ◆ ◆◆◆


「あ゛ー! 不正解だけど、正解にしてもいいなって思ってきてる自分がいるー」

(おっと、しまった)

 調理台に突っ伏し、「鰤大根うまそー!」と呻く『弟』に、慌てて手で口を塞ぐ。俺はただ、鰤大根の美味いところを想像しただけだったのに、知らず気持ちが口を衝いて出ていたらしい。


「鰤大根も絶対にうまい。よし! 採用!」

 『弟』が調理台に突っ伏した態勢から勢いよく起き、俺に向けて親指を立てた拳を突きつける。

「いいのか?」

 『鰤大根も』と言ったということは、本来は別の料理に大根を使う予定ではなかったのか。

 不用意な自分の発言で、予定していた献立が変更するかもしれないことに罪悪感を覚えるも、曇り無い晴れやかな表情で「無問題!」と返された。


「だって、この鍋の中、丸々一本分の大根だし」

「待て。大根丸々一本分? そんなに?」


 『弟』の放った新事実により、罪悪感が一転、脳裡に不安が過る。

 どんな料理を作るにせよ、この台所にある一番大きな鍋いっぱいあるらしい茹で大根を、俺達ふたりで傷む前の食べきれるのか? 少々、ワンパクすぎる量に思えてならないが。

 コイツは一体、この大量の茹で大根で何を作り、何日掛けて食べきるつもりでいるのだろう? 今日から毎日、大根生活に突入してしまうのか?


 そんな不安混じりの疑問を、半眼の渋い表情に載せた。



 ◇ ◇◇◇◇


 スジ、大根、三角形のこんにゃく、白滝、ジャガイモは下茹で完了。ゆで卵も結び昆布も下拵え済み。ミカお勧めのウインナー入りロールキャベツも、ダチが絶対入れろっつったトマトもある。

「うっし! 用意したものは練り物以外は全部、鍋に突っ込んだな」

 指差しで入れ忘れの具材がないかの確認が終わり、大きく頷いた。


「途中から『兄貴』が手伝ってくれたから、予定より早く済んだよ。サンキュー」

 大根の鍋の観察をしばらく楽しんだ後、具の下拵えを手伝ってくれた『兄貴』に感謝すれば、相手は苦笑混じりに頬を掻く。

「手伝いったって、茹で玉子の殻剥きとロールキャベツを巻いただけだぞ。しかも、不格好だし」

 確かに。茹で玉子は殻だけじゃなく、身も剥いてたよな。ロールキャベツも所々破れちゃってるし。でも、そんなの問題なくない?


「食うのは俺たちだけだぜ。うまけりゃいーんだよ」

「そうか?」

「そーそー」

 軽く頷きながら、具の入った鍋につゆをなみなみと注ぎ入れる。

 出汁とか調味料にこだわりはないから、つゆは市販のものだ。出来合いのものなら、まず失敗はないだろ。

 つゆを入れたら、後は火を入れて、ひたすら炊くのみだ。着火から数分後、大鍋から湯気が上がると共に、つゆの匂いも辺りに漂った。



(うんうん、見た目も匂いもそれっぽいじゃねーの)

 おでん作り、実は初めてなんだけど、テキトーに作ったわりには良い具合じゃん。

 鼻歌混じりにガラス蓋越しに鍋の中を覗き、ふと小首を傾げた。

(これ、落とし蓋するんだっけ? まあいいや)

 落とし蓋の要不要は知らんが、迷うんならとりあえずやっとけ。中央に穴を空けたアルミホイルを落とし蓋にする。

 これで、作業はひと段落ってとこかな。



 ◆ ◆◆◆◆


「よし、やることはやった。後は気長に炊いとけ」

 コンロに鎮座まします鍋を前に、腰に手を当てて満足に頷く『弟』に、俺は改めて向き直った。


「念のために訊くが、これはおでんだよな」

 大根の行く末の正解発表はまだされていないが、ここまで見ていれば、鈍感な俺でも流石にわかる。

 『弟』と下拵えした具の中には、トマトなどのおでん種にするには些か違和感があるような食材も含まれていたが、ほとんどの具と先程足されたつゆのにおいは、おでんのそれに違いなかった。――只、この鍋には確信を以て、おでんと呼ぶには足りないものがあるようなのだが。


「ご名答。今日の晩メシはおでんでーす」

 小首を傾げる俺に、『弟』が親指を立てた拳を突き出して頷いた。だが、この料理の拵えた本人の口から鍋の正体を直接聞いても、俺の疑問は晴れないままだ。

 差し出口かも――そう逡巡しつつ、訊ねた。


「あの……おでんなのに練り物が入ってないようだが」

 鍋の中に何が入っているのかは、具を詰める様子を見ていたから知っている。しかし、『弟』が鍋に練り物を入れるのは終ぞ見ることがなかった。

 その旨を伝えると、『弟』は合点がいったように「ああ、それで」と苦笑する。

「なんか、喉に骨が刺さったみたいな顔してソワソワしてっから何事かと思や、練り物がないのを気にしてたんか。心配せんでも、後でたーんと入れるから安心しなよ」


(おいおい。人を大の練り物好きみたく言ってくれるな、コイツ)

 こちらは定番のおでん種が入っていないのを指摘しただけなのに、何やら大量の練り物を入れられそうなフラグが立ってしまった気がしないでもない。

 練り物だらけのおでんという、塩分超過待ったなしの鍋ものの存在に一抹の不安を覚える俺を余所に、『弟』が少し気になることを告げた。


「この段階で練り物を入れたら、スゲー膨れちまうんだよ」

「うん?『スゲー膨れちまう』とは?」

 それはどういうことだろうと、眉を顰める。

 手作り、市販の品、コンビニや飲食店のカウンターで販売されているもの――これまでに食べたおでんは数あれど、その中で『スゲー』と言わしめるほど膨れた練り物など見たことがない。


(練り物が膨れるのはつゆを含むからだよな。無限の許容量を持つわけでなし、膨れるにしても限度があると思うが)

 巷で見る出来合いのおでんに入った練り物の、元よりも一回り膨れたサイズが膨張の限界ではないのか。


(……というか、膨れ過ぎたら駄目なのか?)

 なんなら、おでんの練り物は少しばかりふやけているくらいが、中に染みたつゆを存分に堪能できて良さそうだが。



 暫し、鍋を見詰めて黙考していると、不意に、ニンマリと悪戯っぽい笑みを浮かべた『弟』が「なあなあ」と声を掛けてくる。


「試しにさ、ちくわ入れてみよっか」

 『弟』がすかさず冷蔵庫から出した一袋三本入りのちくわを見て、俺は無言で頷いた。



 ◇ ◇◇◇◇◇


「そういえば、あれも入っていないな。豆腐」

 おでん鍋に湯通ししたちくわを投入した後、『兄貴』がふと思い出したかのように訊ねる。


「豆腐? おでんに入ってるもんだっけ」

「ああ。あと、生麩と油揚げと魚河岸揚げとゴボウ天とウインナー巻きと――」

(おお。『兄貴』の口から馴染みのないおでん種の種類がどんどん出てくるじゃん)

 さもありなんと頷いてからおでん種を挙げていく『兄貴』に、フンフンと鼻を鳴らして相槌を打っていた俺は、とあるおでん種が出てきた途端、弾かれたように顔を上げた。


「餅巾着」

「あ゛ぁっ、餅巾着っ! 忘れてた」



 餅巾着とか、俺的おでん総選挙で上位組なのに忘れるとは不覚!

「あとさ、さっき言ったおでん種も『兄貴』んちでは定番なん?」

「定番というか、食べたことがあるくらいだが」

「うまかった?」

「ああ」

 『兄貴』が間髪入れずに頷くなら、結構気に入ってるんだな。


「俺ンちで出てきたおでんにはないラインナップだけど、うまいんなら食べたいな」

「逆に、ここに入っているジャガイモとトマトは俺の知るおでん種にないな」

「トマトはダチ推薦の一品で、『兄貴』が巻いてくれたロールキャベツはミカが教えてくれた。うまいと良いね」

 おでんのつゆが染みたトマトとロールキャベツって、ちょっと想像つかないよな。今から食べるのが楽しみだ。


「おでんは地域によって違うとはよく聞くが、家ごとでもかなり違いが出るようだな」

「な!」

 鍋がカタカタ鳴って、少し吹きこぼれそうなので、もう少しだけ火を弱めながら『兄貴』に頷くも、俺の中にはある心残りがあった。



「しかし、餅巾着。惜しいことをしたー」

 その名を聞くとありありと思い出す。

 巾着の袋の部分からかぶりつけば、揚げからたっぷりと滴り、口内に溢れるつゆ。煮含められてトローリと緩んだ餅。巾着の口を結んだかんぴょうの少し硬めの歯応えも好きだ。

 好物の餅巾着を思い出したからには、それがないと物足りないわけで。

(あと、『兄貴』が言ってた具も気になるなー)

 悶々と、腕組みをしてうなだれる。



「よし、決めた!」

「突然どうした?」

 急に勢いよく頭を上げた俺に、『兄貴』は半分引き気味で振り向いた。


「昼メシ食った後、追加のおでん種、買いに行ってくる」

 断言するも『兄貴』は怪訝そうに俺とコンロの鍋を交互に見やる。

「わざわざ行くのか? 俺がさっき言った具ならなくても構わないぞ」

「や、餅巾着もだけど、豆腐も生麩も魚河岸揚げとかいうのも食べてみたいし。つか、『兄貴』も一緒に行こうぜ! 俺の知らん具があったら教えてよ」


 「買いに行くぞ!」と力強く誘うも、『兄貴』は顎に親指を掛け、思案げに軽く頭を傾いだままだ。


「行っても良いが、鍋はどうする? しばらく鍋を火に掛けておかないとならないのだろう? 留守中に火を点けっぱなしにはできないぞ。なんなら、俺がお使いか火の番をするが」

「無問題! 俺に秘策がある」


 まだ鍋を気にする『兄貴』を安心させるべく、俺は任せとけよ、と胸を張ってピースした。



 ◆ ◆◆◆◆◆


 昼食とその片付けが終わり、一息ついた後、『弟』が部屋からバスタオルと毛布、ポリ袋を抱えてきた。


「寒いのか?」

 布の山に目を向けて、『弟』に訊ねる。

 他の部屋は凍えそうなほど寒いが、居間は暖房が利いて寒さはあまり感じない筈だが。風邪の引き始めかと心配していると、『弟』は笑顔で首を横に振った。

「全然。けど、こいつが必要なくらい寒がりがいるもんでね」

「?」


 この部屋にいるのは俺達だけだが、他に一体、何が毛布を欲しがっているのか。

 俺が怪訝な顔で身遣る中、『弟』はラグの上に半分に折り畳んだ毛布を置き、その中央に口を広げたポリ袋を置くと、次はテーブルの上にバスタオルを広げた。

(?)

 彼が何をしているのか、さっぱり見当がつかない。


「『兄貴』、ちょっとそこで待機してて」

「うん?」

 小首を傾げつつも頷いた俺を残して、『弟』が何処ぞへ去る。すぐに戻ってきたのだが、その手にはおでん鍋があった。

「熱っちいから、直に触らんようにな」

 慎重な足取りで運ばれた鍋は、テーブルに広げたバスタオルの上に置かれる。


「何事?」

「まあ見てなって」

 困惑する俺をよそに、『弟』は鍋をバスタオルで包み、それを軽く持ち上げた。

「『兄貴』、出番。この鍋をポリ袋に詰めたいから手伝って」

「お、応」

 何が何やらわからないなりに、相手に指示された通りにする。

 かくして、バスタオルに包まれたおでん鍋は、袋に詰められ、口を軽く結ばれて、更に毛布に覆われた。



「本当に何事だ、これは」

「保温だよ、保温」

「保温?」

 その二文字で思い浮かぶのは、炊飯器と水筒だ。しかし――


「出来かけのおでんを保温するのに、何か意味があるのか」

 炊いている途中なら、具はまだ大して火が通っていないか、味が染みていないのではないか?

 毛布でくるんだ程度では、そうそう保温機能はなさそうだが、問題ないのだろうか?

 鍋の温度が徐々に下がっていくような半端な保温状態にして、食材は傷まないのか? 食中毒にならないか?


「疑惑の目をしてますな。保温調理をご存知でない?」

 鍋入り毛布を蹴り飛ばさないよう、食卓の下に避難させながら『弟』がニヤリと笑う。


「初めて聞いた」

「ある程度、煮立たせた食材ならさ、火から下ろしても高温のまま保温してたら、余熱でいい具合に仕上がってくれんだよ」

「食中毒の心配はないのか?」

「食中毒を避けるために高温状態をキープするんじゃん」

「なるほど?」

「不信げだなー。言っとくけど、これまでも何度かこの方法でメシ作ってるからな。この間の豚汁とか、冬に大活躍のシチューとか」

「え」


 ……初耳だが???

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