重陽の菊にどんな思いを籠めようか
今回(2024.9.10公開分)は番外編・重陽のお話です。
◇ ◆
「じゅーよー?」
「重陽」
「POPに菊の絵が描かれてるけど、菊の日なん? 俺、パック詰めの菊とか初めて見たわ」
「俺もだ。今、調べたら、重陽に菊を食べたり、菊湯に浸かることで菊の気を貰うのだと」
「菊湯ぅ? こどもの日に入る菖蒲湯みたいなもんかな?……ええと、魔除けだっけ?」
「邪気払いのことか?」
「邪気払い! そうそれ。邪気が払えるくらい、何か、強ぇ力があるってこと?」
「香りが邪気を払うのだそうだ。ふむ、菊湯には肩凝りと腰痛と筋肉痛を緩和する効能があるのか。いいな」
「どんな食べ方があんだろ?」
「何々……菊酒、おひたし、吸い物や刺身などの彩りとしても使われるのだと。キャベツの千切りにでも混ぜるか?」
「それじゃ、菊とキャベツ、どっちが主役かわかんねえな。ホントにそれでいいん?」
◇
重陽なんて初めて知った。
菊といえば、墓とか仏壇に供える花って、どことなく陰気そうなモンって決め付けてたわ。
そーゆー勝手な決め付け、やっぱりよくないな。もっといろんな知識を正しく身に付けねーと。
菊の認識を改めると同時に、自分の知識の偏りに気付かせてくれるきっかけをくれたのは、例のごとく『兄貴』だ。
スーパーの野菜売り場で重陽のポップを見つけて、よく知らない単語だなってスルーした俺とは違い、『兄貴』はすぐさまスマホで意味を調べていた。
不明なことは忘れる前に即調べる。
そんな当たり前だけど、なかなかやらないことを自ら実践して教えてくれた『兄貴』には感謝しなきゃな。
(けどさぁ)
「『兄貴』、それは正解なん?」
「違うのか?」
晩メシ前、おもむろに買ってきた菊花と発泡酒を冷蔵庫から取り出す『兄貴』の行動の不可解さに、思わず待ったを掛けた。
菊酒って、発泡酒に菊の花を浮かべるわけじゃねえんじゃねーの?
「もー。それ寄越して。おひたしにすっからさ」
『兄貴』に倣って即座に作り方を調べた料理、うまくできればいいな。
◆
(菊って、葉だけでなく花も独特の風味なんだな)
『弟』が初めて作ったという菊花のおひたしを食べながら思う。
俺は春菊が好きだから菊花のおひたしも違和感なく食べられたが、『弟』はおひたしを一口食べて眉を顰め、ゆっくりと小首を傾げた。
「クセのあるポン酢味」
「ポン酢で味を付けたからな」
「薬と思って食べるか」
「フフ、菊花のおひたしの競争率が減ったな」
「っつーことは、『兄貴』にはそれが旨いんだな」
「嫌いじゃないよ」
残りのおひたしを一人占めできそうなのは嬉しいが、いつか、『弟』と菊のクセを共に楽しむ日が来ればいいな。
「重陽に菊を食ったから、これでしばらくは病気知らずだ」
「寿命もちょっとは延びるかもしれないぞ」
冗談のつもりで言ったら、おひたしを今まさに口に入れようとしていた『弟』がピタリと静止した。
「どうした?」
この不自然な間はなんだろう? 『弟』は何を考えたのやら。
「……」
しばしの間、パチパチとまばたきしつつ、無言で俺を凝視する『弟』。
やっと動き出したかと思えば、箸で摘まんだおひたしを口に含んでから、自分の小鉢をこちらに差し出した。
「菊、俺の分もあげる。たんとお食べよ、『兄貴』」
……コイツは俺を老い先短い年寄りと思っていたりするのか? それとも、俺に短命の相でも見たか。
グイグイズイズイ、他の皿を押しのけながら寄越される小鉢を、まあいいか、と受け取った。
とりあえず、しばらくは『弟』を心配させないよう、健康を心掛けるとしよう。
◇◇
菊花はあまり好きな感じではなかった。
味はないかと思ったら、味付けのポン酢に紛れてちょい苦がしんねりと顔を出す感じ。
あと、やっぱりっつーか、菊の匂いがする。春菊ほどキツくはないんだけど、だからこそ戸惑ってしまう。
(いや、オマエ。日頃あんだけ香り漂わせとって、いざ食ったら、葉っぱよりもぼんやりした匂いってどうなん。もっと、菊らしくしゃっきりしてくんねぇ?)
ついでに食感も変。噛み締める度に、キュッキュ言ってる。ほら、あれ。体育館シューズで体育館を駆け回ってるみたいな。なんか、ヤダ。
邪気払いの薬だと思わんと、食ってられん。
そんな、俺が今まで食べてきたものの中で、トップクラスで味覚も匂いも食感も煮え切らないものを、『兄貴』は平気な顔で食べていた。
俺があげた分は日本酒を冷やで出してきて、それのおつまみとして食べてるし。
(ん、あれ?)
「酒の中に菊入れたのか」
よく見ると、『兄貴』お気に入りの硝子の徳利とぐい呑みに黄色い花びらが浮いてる。
「ああ。これが最も簡単に作れる菊酒だそうだ」
「花筏みたいだ。見た目涼しげだけど、飲むときに邪魔じゃない?」
「平気だ。酒の中で揺らぐ菊を見ながら飲む酒も乙なものだぞ」
「オットナー」
菊花のおひたしをおつまみに菊酒を飲んだ『兄貴』が、あとは更に菊湯にも浸かれば、菊の恩恵をたっぷり受けられるだろう。
これで『兄貴』が夏の間に溜め込んだ邪気を払えて、残暑の厳しいこの時季も元気に過ごせるし、寿命だって延びちゃうってわけ。良いこと尽くしじゃん。
(爺ちゃんも母ちゃんも、九月九日に菊食ってたら、もしかして……)
硝子の徳利の中で、ヒラと揺らぐ菊の花びらをぼんやりと眺めつつ思う。そんなの、考えたって無駄なことなのに。
「ぐい呑みならまだある。お供えしておいで」
菊酒の徳利をこっちに寄せる『兄貴』には、俺が何を思ったかなんてお見通しなんだよな。
優しい『兄貴』がいる俺は、本当に恵まれてる。
◆◆
いつか『弟』と飲む為に買っておいた硝子のぐい呑み。
それに菊の花弁が浮かぶ、なんとも涼しげで華やかな酒を注いだ『弟』は、中身を零さないようそっと歩いて自室へ向かった。
俺も『弟』に倣うべきかと思ったが、止しておく。
母は菊を食べるよりも見る方が好きな人だったと、口に入った花弁のほろ苦さで思い出したから。
『弟』の部屋からおりんの音がひとつ鳴る。
美しい音色に耳を傾けていると、窓の外からキリギリスや虫達の鳴き声が聞こえた。
日中は残暑と呼ぶにはまだまだ暑すぎるとはいえ、ゆるやかに早まっていく日没や、ふとした風の涼しさに秋を実感する。
(半月もすればお彼岸か。時が過ぎるのは早いものだ)
舌に残る花弁を酒と共に喉の奥に流しながら、次のお彼岸には母と『弟』の大切な家族に多めの菊を供えようと決めたのだった。
本編最新話『四十九日はふたりだけ?』はこちら( https://ncode.syosetu.com/n6529ik/31 )です。




