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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
番外編 『兄弟』と四季

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43/51

おいでませ、立ち飲み屋『弟』へ

遅い時間の更新、すみません!

 ◇


「お兄ちゃんは焼き鳥が食べたいです」


 家飲み、お兄ちゃん呼び、丁寧語。

 家飲みは構わん。丁寧語はたまにあるけども、他はいつもの『兄貴』にはあり得んだろ。


 まあ、なんかあったんだろうなーってのはお察しで。

 何せ、仕事終わりに帰宅した『兄貴』がつまんなそうなツラをしてたり、普段はあまりしない晩酌を始めるんだもん。モロわかりな。

(しゃーねー『兄貴』だなー)


 パパッと頭の中で記憶を浚い、思考を巡らすこと数秒。

(うん、イケるな)

 立ち上がり、焼き鳥が食べたい酒飲みに訊ねる。


「居酒屋『弟』やっちゃう?」

 俺も大概甘いよなあ。



 ◆


「お兄ちゃんは焼き鳥が食べたいです」


 自棄酒してしまいたくなるほど、仕事でつまらないことだらけだった今日。

 テレビで一瞬だけ映った焼き鳥に触発されて、発泡酒片手に『弟』にリクエストしてみた。


(……いや、リクエストというか、この言い方はおねだりだな)

 らしくない上に、我ながら気色悪いな、と後悔していたら、相手がすっくと立ち上がる。


「居酒屋『弟』やっちゃう?」



 ◇◇


 冷蔵庫には冷凍してた鶏肉と豚バラあり。野菜室にもそれなりに。

 テキトーにキュウリと人参とセロリで野菜スティックを作ってやって、次は肉を切っていく。


「大将」

「それ、俺のことー?」

 居酒屋ごっこを始めた酒飲みに笑って振り向けば、冷蔵庫の脇で『兄貴』が踏み台に座ってビールをちびちび飲んでた。


「そこで飲むん?」

「居酒屋だろ、ここ」

「そりゃ、居酒屋と言いましたけども。まあ、邪魔せんなら好きにしててよ。ほら、これやる」


 酔っ払いに野菜スティックを持たせれば、間もなく冷蔵庫の辺りからポリポリポリと音がする。


「なに付けて食ってんの」

「特に何も」

 『兄貴』、草食動物かなんかなの?



 ◆◆


 何も付けない野菜スティックもまあまあイケると、ポリポリポリポリ齧ってたら、『弟』に無言で柚子胡椒マヨを差し出された。これもうまい。


 野菜スティックとコンロから漂う肉が焼ける匂いをつまみに飲む。

 晩ごはんは食べたのに、酒が入るとまだ食べたくなるのは何でだろう。



 ◇◇◇


 ぶつ切りにした鶏肉は魚焼きグリル、コンロでは豚バラを焼く。


「『兄貴』、今焼いてんの鶏モモと豚バラだけど、何味にしよ……すげーな」

 何味の気分か訊こうと『兄貴』の方を向けば、片手に酒、もう片方に野菜スティック、膝上に柚子胡椒マヨを置いた飲み助がいた。手一杯じゃん。


「……なあ、立ち飲み屋『弟』に変更する?」

「邪魔じゃないなら」

「いいよ。肉焼いてるだけだし」

「それなら」

 『兄貴』は早速、立ち上がろうとするけど……


(膝上のマヨが邪魔で立てんとかある?)

 マジ、酔ってんな、コイツ。



 ◆◆◆


 台所に男二人、調理台には空の丸皿と発泡酒、ジンジャーエール、野菜スティック、柚子胡椒マヨが並ぶ。


「まずは塩な。んで、七味入り甘ダレを残りの肉に絡めよう」

 皿の上に焼き上がったばかりの鶏肉と豚バラが載せられる。

 キツネ色をした表面に脂が浮いてうまそうだ。


 まずは念願の鶏肉。

 まだ湯気を立てる肉を口に含めば、焼けるような熱が舌に当たる。

(あっふ)い!」

 これは絶対に舌を火傷した。あまりの熱さにハフハフと口を開閉して、なんとか熱を逃そうと試みる。


 熱を肉ごと発泡酒で流し込みたい衝動に駆られるも、それを何とか堪えること数秒。やっとの思いで適温に落ち着いた肉を噛めば、軽い塩気の混じる旨味の濃い肉汁がじゅわと口内に広がった。

(くうっ! 求めていた味)


 スタンダードな串の焼き鳥よりも一回り大きめの肉は、一口でもかなりの食いでがある。

 張りのあるモモ肉をしっかりと何度も咀嚼して、肉の味を十分に堪能してから飲み込み、仕上げに発泡酒を二口、三口。

「プハーッ!」

 口内に残っていた肉の脂が炭酸に流され、爽やかな苦味が後味に残る。

(はーっ、最高!)



「肉、ウッマ! ただ焼くだけで旨い」

 鶏肉をアチアチモグモグと咀嚼して味わった『弟』は、口の中身をジンジャーエールで流し込み、次いでスティックセロリを齧る。

 セロリを一本食べ終われば、またコンロに向かう。フライパンの中を菜箸で軽く混ぜ、肉にタレを絡めていく。グラスの中身を一口飲む。おもむろに箸を伸ばして、皿の上の肉を食らう。またグラスを傾ける。

 一連の動作を繰り返す『弟』の姿は、たとえグラスの中身がただのジュースであろうとも、キッチンドランカーのそれだ。


「オマエ、将来、酒を飲めるようになっても、台所での飲酒にはくれぐれも気をつけろよ。飲み過ぎは体に毒だぞ」

 グラスの中身を豪快に飲み干す『弟』は、保護者として酔いが少し醒める程度には心配になる姿ではある。

「急にシラフになんの何?」

 『弟』が豚バラの脂でテカる口を歪めた。



 ◇◇◇◇


 台所では醤油ダレのいい匂いが漂っていて、俺も『兄貴』も肉が焼けてタレが絡む端からそれを取って食べちゃあ、酒とジュースを呷る。

 冷蔵庫内の有り合わせの材料で作ったから量はそんなにないんだけど、それでも男二人で仲良く台所に並んで立ち、肉を食うのは楽しかった。


(『兄貴』はどうだろ? 随分と旨そうに飲み食いしてはいるけど、嫌なこと、ちっとは忘れられたかな)



 今日、帰ってきてから発泡酒を一缶空けるまで、つまなそうなツラをしてた『兄貴』だが、今の今まで愚痴を漏らすどころか、そんなツラをすることになった原因さえちっとも言わないんだ。

(まあ、そりゃそっか)

 『兄貴』の不満の内容が仕事関連なら、いかな家族相手でも社外の人間に迂闊なことは言えないのだろう。


(そもそも、コイツが俺相手に弱音吐くこともあんまりないもんな)

 『兄貴』はちょっと堅物で、格好付けなトコがあるから、もしかすると、男の矜持だか兄の威厳に関わるだかで、クソ親父案件(一部例外)を除き、愚痴ることそのものに抵抗があるのかもしれない。

(『兄貴』、『弟』()にネガティブな姿見せるのはカッコ悪いって、ヤセ我慢してそうな節があるし)


 だからさっき、柄にもなく焼き鳥のおねだりをしてきた『兄貴』に、愚痴れないならせめて好きなモン食って元気出してほしいなって、リクエストに応えたんだ。

 まさかリクエストに乗じて、『兄貴』が酔っ払いの戯れみたく調理中の台所に居座ったり、ついには『兄弟』揃って調理台で肉食うことになるとは予想もしなかったけど。



(本当は、『兄貴』の鬱憤を吐き出させたかったんだけど、そっちは上手くいかねえな)

 うまいものと酒で『兄貴』の気が緩んだ隙に、愚痴でも不満でも聞く覚悟をしていたんだ。


 ――なあ、俺、愚痴くらい聞くよ。

 そのセリフを言うタイミングを、台所に来てからずっと探ってた。

 タイミングを見誤ると高確率ではぐらかされるのは過去に母ちゃんと爺ちゃんで経験済みだからって慎重になるあまり、今の今まで言い出せなかったのがダセェけど。


 でもさ、ほろ酔いの『兄貴』と、換気扇がうるさい台所でグラス片手に肉食ってる内に気付いたんだ。


 ――俺が気ぃ遣うべきトコは、『兄貴』の愚痴を聞き出すこととは違うんじゃないか。


 多分だけど、今の『兄貴』に俺から愚痴の捌け口を提案すんのは野暮なんだよ。

 だって、台所に居座ってからの『兄貴』を見てればわかる。

 『兄貴』ときたら、帰ってきたときは暗い表情してたのが、おねだりしてきたあたりから少しずつ晴れてって、今はスゲー楽しそうなんだもん。

 せっかくヤなこと忘れてるっぽいのに、俺が脇から茶々入れんのは反則だろ。


 だから、居酒屋兼立ち飲み屋『弟』は『兄貴』が満足そうにしてるこの時点で、その役目をまっとうしたんだよな、きっと。



 ◆◆◆◆


 ゴゥと唸る換気扇。流しには茹だった枝豆、コンロには甘辛ダレが絡んだ鶏手羽、グリルではエビとスルメがパチパチと焼けた音を立てる。

 俺は台所の隅に設置した折り畳みテーブルでレモンサワーを作り、『弟』には美味いと評判のレモンスカッシュをグラスに注ぐ。


「鶏手羽、枝豆一丁上がり。お客さん、できやしたぜ」

 ねじり鉢巻きの『弟』の呼び声に応じて調理台の前に立てば、ザルに入ったままの枝豆と皿に無造作に盛られた手羽先が湯気をあげて俺を待っていた。


「野菜とか豆腐が食いたきゃ、冷蔵庫から取ってな」

「エビとスルメは?」

「あとちょい。グリルにあんの覚えとって」

 わかった、と頷いてからレモンスカッシュのグラスを『弟』に渡す。


「なにこれ。グラスの縁になんか付いてる」

「ソルティドッグ風に塩を付けた」

「オシャレ! すっげ! 居酒屋ってこんなことすんの?」

「そういう店もある。さて、それじゃあ、始めるか」

「応! おいでませ、立ち飲み屋『弟』へ。『兄貴』、今日もお疲れさんっしたー! 乾杯!」

「ありがとう。オマエもお疲れさん。乾杯」


 カツンとグラスを当てて乾杯し、まずは喉を潤した。

 勢い任せにグラス半分を呷り、ぶはぁっと息を吐く。

「「くうっ! 沁みる!」」

 一人は酒を、一人はジュースを片手に、調理台を陣取るおつまみを食べていく。


 ここは立ち飲み屋『弟』。

 完全予約制、一見さんお断り、メニューは客のリクエストと大将の気紛れのみのこの店は、俺の数少ない行きつけの店のひとつである。……という設定で、『弟』と立ち飲み屋ごっこをするのは、今回で何度目だろう。



 立ち飲み屋ごっこのきっかけは、今から約一年前、仕事でつまらない目に遭った鬱憤を晴らすべく、自棄酒をしていたときのことである。

 恥ずかしながら、あの時の俺は悪酔いしていたのだろう。年柄もなく『弟』におつまみをおねだりしたり、ほんの悪戯心で調理中の『弟』の許に押し掛けて、『弟』と一緒に台所で飲み食いをした。


 冗談半分で始めた居酒屋兼立ち飲み屋ごっこ。

 料理をする『弟』を肴に酒を飲み、期待どおりの美味い料理に、更に酒が進む。

 台所での飲食はちょっとした非日常感を演出する上に、それを『兄弟』揃って行うことにどこかしら、共犯で悪戯を働いているような背徳めいた感覚を覚え、存外、趣深いものだったのではなかろうか。

 

 酒を飲み始めた頃は、仕事のことを思い出しては鬱屈としていたというのに、台所に移動してからは『弟』とのごっこ遊びと飲み食いがあまりに楽しくて、いつの間にか鬱積は解消されていた。



 あの日は俺にとっては楽しい夜だったが、『弟』はどうだったのだろう? きっと、思うところがあった筈だ。

 偶におどけて飲み屋の大将を気取っても、基本は普段どおりに振る舞っていて。でも、ふとした拍子に何かを言おうとしては、口を噤んでいたから。

 結局、あの日の『弟』は居酒屋ごっこを終えるまで、何を訊くことなく俺の我が侭に付き合ってくれた。

 そうして、二人で片付けてるときにこう言ったんだ。


 ――『兄貴』、また立ち飲み屋『弟』やろうぜ。『兄貴』がやりたいっつったら、いつでも開店してやっからさ。



 ノリが良い以上に優しい『弟』は、今日も俺の"予約"の連絡に快く付き合ってくれた。


 ――大将、立ち飲み屋、今日はやってるかい?

 ――毎度! やってんよ。


 こちらからメッセージを送れば、"大将"の返事と、お馴染みのハシビロコウのスタンプが即座に返される。

 ハシビロコウは大きな羽で輪を作り、"OK!"と意思表示をしているけれど、『弟』は身構えていたりするのだろうか。今日、立ち飲み屋ごっこに誘ったのは、別に自棄酒をしたいからではないのだけれども。


 ――大将、良い枝豆が手に入ったから、うまいものを作ってくれないか。


 同僚が農家を営む実家から大量に届いたからと、袋一杯に分けてくれた枝豆の画像を送れば、時を置かずに頭のまわりに花を飛ばして朗らかに笑うハシビロコウのスタンプが返ってきた。

 きっと、『弟』もハシビロコウと同じ心境だったのかもな。




「『兄貴』! この枝豆、すっげーうまいな」

 『弟』は枝豆の美味さに目覚めたらしい。凄い勢いで枝豆を食べ、シンクの三角コーナーを瞬く間に、殻で埋めていく。


「大将、香ばしい匂いがしないか」

「お、エビとスルメが焼けたんじゃん。好きに取って食って」

 自由奔放に振る舞う立ち飲み屋の大将に、やれやれと肩を竦めつつも、この取り留めのないやりとりが楽しくて愛しくて、気付けば自然に声を出して笑っていた。


 嗚呼、今日も立ち飲み屋『弟』では期待通りに楽しい酒が飲めている。

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