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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
番外編 『兄弟』と四季

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38/51

『兄貴』の甘酒と思い出話

更新が予定より遅くなってしまいました。

楽しみにしていらっしゃる方がおられましたら、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。


今回は冬ならではのあたたかい飲み物のお話です。

 ◆


 コトックツクツクツコトッ。

 冬の台所にひとり。コンロには湯気が立つ片手鍋。そして、鍋いっぱいのとろみのある乳白色。

 鍋の中をお玉でゆっくりと混ぜれば、芳醇な酒の香りが鼻腔をくすぐる。


 作っているのは甘酒。酒粕で拵えたそれを、今年はいつもより気持ち長めに沸かす。

 何せ、今年は未成年者もこれを飲むのだ。アルコールをすっかり飛ばしてやらねばならなかった。


 湯飲みに少しだけ注ぎ、一口味見。小首を傾げて迷う。

「まだ薄いか」

 よくわからんな、と呟きながら鍋にザルを入れ、その中に酒粕と砂糖を再投入。

 量りはしない。これくらい、目分量でなんとかなる。


 俺の作る甘酒は簡単だ。湯でふやかした酒粕をザルで漉し、砂糖と水を加えて沸かしただけ。気分で酒を入れたり入れなかったり。

 この作り方は甘酒が好物の母に習った。それ以来、毎年、寒くなるとなんとなく作ってしまう。



 ◇


 小腹が減ったと思ったら、おやつの時間が近かった。

 茶でも淹れるかと部屋のドアを開けて、嗅ぎ慣れない匂いを感じる。炊いたご飯のような、でもちょっとだけすっぱいような。悪い臭いじゃない。なんとなーく覚えのある匂いだ。


(わかった。たぶん、あれだ)

 匂いの正体がわかった途端に、懐かしく思えたその匂いに誘われて台所を覗くと、珍しく『兄貴』がコンロ前で奮闘してた。

 片手鍋に入れた容器――あれはザルか。鍋の中身に浸したザルの中をお玉で細かくかき混ぜてる。調理では味噌をこす以外であまり見ない光景だけど、慣れた手付きだ。


「なにしてんの?」

 聞いてはみたけど、『兄貴』が何を作ってるのかはわかる。

 甘酒だ。ちょっと酒っぽいにおいだから、米麹じゃなくて酒粕でできた方。

「甘酒を作ったんだが、薄くてな。足した酒粕を溶いている」

「へー」


 あれ? せっかく漉したザルの中身、鍋に戻してら。



 ◆◆


「ザルに残ったの、戻すの?」

「あ」

 『弟』のコンロ脇に置いたザルを見ながらの問い掛けに、思わず間抜けな声を上げる。


「しまった。甘酒はお前にも分けるつもりだったのに、いつもの癖でつい。口当たりはそこまで気にならないと思うが」

 もしかすると甘酒を初めて飲むかもしれない『弟』のために、初心者でも飲みやすいよう今回は特別丁寧に作った。

 酒粕はほぐしながらザルで漉したから、ザルに残ったものにダマはない。それを鍋に空けたとして、甘酒の口当たりにそこまで差し障りない筈だ。……いや、なめらかさは多少落ちるかもしれない。


「もう一度、漉し直すか?」

「や、いいよいいよ。俺、多少のダマくらい平気だし。ただ、漉し残りも味の決め手になるのかって、気になっただけ」

 ケロリとした顔で平気、と告げる『弟』は、どうやら俺と同類らしい。


「好きなんだ。酒粕のかけらと少しつぶつぶした食感が」

 よく漉すか撹拌された、口当たりなめらかな甘酒も勿論好きだ。だが、まれに口に入る酒粕のかけらの風味と味わいが感じられないのが、俺には少し物足りない。だから、いつもは漉すにしても酒粕のかけらが残るようやや雑にしていたのだ。

 そして、酒粕は気持ち多め。少しもったりさせた方がなんとなく腹持ちがよさそうだし、緩慢な喉越しが気に入っている。


(母さんも似たようなこと言ってたな)

 酒粕の風味とかけらの口当たりと喉ごしをこよなく愛していたあの人は寧ろ、酒粕を漉してさえなかったが。



 ◇◇


(ただ、甘酒が好きなだけじゃないんだろうな)


 手慣れた様子で甘酒の鍋を混ぜる『兄貴』の姿に、俺の知らない一面を垣間見た気がした。

 甘酒は俺にとって、思い出の味のひとつだけど、それは『兄貴』にとってもそうなのかもしれない。



「そろそろアルコールが飛んだかな。味見するか?」

「ん」

 頷けば、調理台に出された二個のマグカップに、できたての甘酒がほんの少しだけ注がれた。

 手に取ったマグカップはまだ冷たいけれど、下の部分だけ甘酒でぬくもっている。

 肌寒い台所の中、そこだけ火気と湯気で暖まったコンロまわり。そして、手のひらに伝わるカップの温度差に、冬らしさを感じた。


 一口、味見した甘酒はトロリとした舌触りで、ほんのちょーっとだけすっぱい気がする。もとになった酒粕固有の味なのかな。でも、このくらいの酸味なら平気。それよりも、甘さが気持ち足りないような。


「俺はこれくらいの甘みと濃さでいいが、お前は……フッ、少し物足りないか」

 俺の顔を見た『兄貴』が微笑した。

 なんでわかったん?



 ◆◆◆


 甘酒の味見をした『弟』が、眉尻を下げてカップの中を見詰める。軽く小首を傾げた様子は、少し残念そうというか物足りない顔をしていた。

 一目見てわかるほど顔に出易いなんて、まだまだ子どもだな。


「もう少し、砂糖を足そう」

「いいよ、これで」

 俺が笑ったことにいじけたのか、『弟』は口を尖らせ、注げとマグカップを差し出す。

 いじけるところもまた、子どもっぽいぞ。


「飲むなら二人でおいしく飲める方がいい」

 砂糖を入れ足し、味見ついでに鍋を『弟』に任せる。砂糖が溶けるまでの間、俺は冷蔵庫から取り出した生姜をすりおろす。

 甘さ控えめの甘酒も、生姜の効いた濃厚な甘酒もどちらも好きで良かった。



 ◇◇◇


「「いただきます」」

 台所から少し肌寒いリビングに二人揃って移り、甘酒で満たされたマグカップにそろそろと口を付ける。

「あっちい!」

 一口目、甘酒の洗礼で舌先を火傷した。

 気を取り直して、よく息を吹きかけてから慎重に一啜る。今度は平気。でも、中身はまだまだ熱い。しばらくは口を付ける前によく吹き冷まさなきゃ、舌と食道を甘酒の熱で焼かれちまいそうだ。


 トロリとした一口は酒粕の風味が強く、飲み込むと喉から胃までポカポカと温かくなった。

「うま、あったかー」

 自然と頬が緩む。

 砂糖を追加してもまだ甘さ控えめと感じるそれだけど、お菓子みたいな甘さはなくとも、意外にすんなりと飲める。


(ちょっと大人の味。けど、懐かしい味だ)

 俺にとって甘酒は、爺ちゃんと母ちゃんとの思い出だ。



 ◆◆◆◆


(うん、うまい)

 甘酒を口に含んだ瞬間に感じる生姜と酒粕の風味に目を細める。

 いつもより甘めに作ったが、これはこれでいける。もったりと重めの口当たりと相俟って、どこか生キャラメルを想起させた。


(この酒粕、当たりだな)

 舌に微かだが酸味と苦味を感じはするものの、嫌な感じはない。それどころか、鼻へ抜ける果実みのある爽やかな香りもあってか、果実みがある。どの果物のイメージと近いかを強いて上げるならば、パイナップルだろうか。

 スーパーで買った酒粕だが、確か地元の酒造会社のものだったはず。今度、同社の酒を買ってみようかな。



 酒粕の個々の風味と味の違いはあるし、気分で甘さや濃さを変えることもある。それでも、毎年寒くなって甘酒を作る度に、やっぱり懐かしいと思う。


(でも、厳密には少し違うんだよな)

 自分が作る甘酒と母の作るそれとは。

 俺では母の作る甘酒を完全には再現できない。

 だからこそ、今感じている懐かしさには切なさも混じっていた。



 ◇◇◇◇


「うまいね、これ」

「ああ。生姜入りもうまいぞ」

「じゃあ、二杯目は生姜入れよう。それにしてもさ、なかなか冷めんね、これ」

 カップ半分飲んでもまだ熱いし。

 二人揃ってカップの中に息を吹きかけながら、ちびりちびりと中身を減らす。


「俺、甘酒ってさ、小学生の頃に初詣で行った神社で飲んだきりなんだよ。今日、本当に久し振りに飲んだ」

 爺ちゃんも母ちゃんもまだいた頃は、毎年、二年参りをしていたんだ。

 寒い冬の夜、参拝客に振る舞われた熱々の甘酒を家族三人で飲んだのが、俺の甘酒の思い出。


「あの時飲んだ甘酒は、もっとべったり甘くて、グラッグラ沸かしてたからすげえ熱くてさ。まだ冷めないなーってカイロ代わりにしてる俺の隣で、爺ちゃんが甘酒に振る舞い酒を入れて飲んでたよ」

「甘酒に酒か。真冬の夜に外で飲むと、体が余計に温まっていいだろうな。酒入りも美味いが、お前に飲ませるにはまだ早い」

「じゃあさ、俺が呑める年になったら、酒入りの甘酒作ってよ。一緒に飲もうぜ」


(あ……)

 今みたく手の中の熱を感じながら、同じことを母ちゃんと爺ちゃんに言ったのを思い出す。

 あの時、爺ちゃんには「生意気言いやがって」と笑われたけど、今、目の前にいる『兄貴』は、微笑んで「いいぞ」と頷いた。

 爺ちゃんと『兄貴』の反応はそれぞれ違うけど――


「お前と一緒に呑むの、楽しみだな」

 その時を楽しみにしてくれたのは二人とも同じだ。



 ◆◆◆◆


 『弟』の甘酒に纏わる思い出を聞きながら、俺も『弟』とお爺さんが交わしたものと似たような会話を思い出す。

 相手は下戸な母で、その内容も少し違ったが、おおよそ似たようなこと。


 母は酒を嗜まないから酒入りの甘酒は飲めないが、自分が成人した暁にはいつものものと酒入りの甘酒を飲み比べて、味の違いを教えて、と微笑みながら頼まれたのだ。

 あの日の約束は結局、墓前での報告にて果たすことになったのだけれど、その思い出も含めて、甘酒は俺にとっての母の味だ。



 ◇◇◇◇


「ところで、お前に相談だが」

「うん? どーぞ」

 『兄貴』から相談なんて珍しい。味変におろし生姜をカップに入れながら頷くと、相手はぎこちない笑みで告げた。


「この甘酒を作るにあたり、酒粕を買ったんだがな」

「だろうね。で?」

「酒粕が今、冷蔵庫にキロである。どうにかして使ってくれ」

「は?」


 キロ? キロってどのキロ? 何キロ?

 恐る恐る冷蔵庫に向かい、冷蔵庫の扉を開ける。あった、酒粕!

「え、塊?! 塊なんだけど! ってか、匂い強! 酔う!」

 酒粕の匂いが強く漂う冷蔵室の一段目、左隅に寄せて、袋入りの迫力のある白い塊がどーん、と鎮座している。


「一人なら二百グラムの酒粕を買えば満足するが、二人となるとどの程度作ればいいのかわからなくてな。迷った末にそのサイズになった」

「それにしたって多過ぎんか?!」

 粕漬け作るか、クラスの人間に甘酒振る舞う量なんだけど?!

「冷蔵室の一角、占拠してるじゃんこいつ!」

 匂いに至っては、冷蔵室を支配する勢いじゃん。小分けして、密閉できる袋に入れないと、冷蔵庫開ける度に、酔っちまいそうだ。

 今日イチびっくりだわ。甘酒飲んでほっこりとか、昔を思い出してしんみりした気分とか軽々と吹っ飛んだし!

(あー、『兄貴』のおかげで、俺にとっての甘酒と酒粕の思い出が、またひとつ追加されたな)



「取り敢えず、小分け作業。『兄貴』も手伝えよ」

「それは勿論」

「んで、今日の晩メシは粕汁な。あとはなに作れるんだろ? えー」

 慌てて取り出したスマホでの検索は決まってる。

 "酒粕 レシピ 大量消費"

 検索結果は粕汁、漬け物、クッキー、クラッカー、チーズケーキなどなど。


「わあ、酒粕レシピいっぱいあって助かるー。酒粕消費もモリモリ手伝ってくれるよな、『兄貴』」

 にっこり……だけどちょっと引きつった笑みで『兄貴』を見れば、相手は心なしか身を縮めて、コクコクと頷いた。

「……はい、それはもう。次から酒粕を買う時は気をつけます」

「頼んます」



 この『兄貴』のやらかしは、冷蔵庫の許容量の逼迫と、俺に困惑と数多くの酒粕レシピの習得と、しばらくの間飲み食いし続けることになる甘酒と酒粕スイーツと酒粕料理をもたらしたのだが……


「お、『兄貴』のやらかしの種があるじゃん」

「それはもう忘れてくれ」

「フハッ、あんな面白いこと忘れんって」

「ぐぬ……」

 『兄貴』による酒粕大量買い以降、長年に渡り、店やらウチの冷蔵庫で酒粕を見掛けると、からかい混じりのこのやりとりが定番になったのだった。

本作は以前、某所にて公開していましたが、現在は当該記事を削除しています。

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