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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
番外編 『兄弟』と四季

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36/51

初めての年越しは一抹の不安を伴うものらしい

 ◆


 おせちは年が明けてから。

 俺と『弟』のどちらも、おせち食べるタイミングは同じだった。ならば大晦日の夜はちょっとしたご馳走を食べて、年越しと共に蕎麦を食べることにしたのだけれど――


(どうしよう。年の暮れに救急車を呼ぶハメになりはしないか?)

 『弟』との協議により、大晦日である今晩の食事は手巻き寿司になったのだが、俺は食事の初っ端から不安に苛まれていた。



 もっもっもっ。

 手巻き寿司を頬張る『弟』の、パンパンに膨らんだ頬と咀嚼に合わせて動く口に、ついそんな擬音語を脳内で当てる。

 もっもっ、と咀嚼を繰り返す『弟』に見入っているのは、今し方、信じ難いものを目撃したからだ。


(一口でいったな)

 掌二枚分のサイズの海苔で作られた、二口分ほどの大きさの手巻き寿司。それを『弟』は一度で丸ごと口に詰めきった。

 寿司を運んだ手はそのまま口許に留め、何故か、目を爛々と輝かせて前方を凝視しつつ、一心不乱に咀嚼する『弟』。

 餌にがっつくハムスターを彷彿とさせるその様に、喉に詰めるか窒息するのではないかと、気が気でない。


(お前、出来た寿司をまじまじと見ていたろう? あれが何口で食べるかの目測であったのなら、見当違いもいいところだぞ。自分の口と喉のキャパを過信しすぎてやしないか? まさか、それ、一息に飲み込みやしないだろうな? 掃除機を準備した方がいいんじゃないか)

 手巻き寿司を頬張る『弟』を見守る傍ら、脳内で問い掛ける。

 俺が話し掛けたことが原因で、目の前のハムスターもどきが下手に喉を詰まらせるのが怖いから、無言に徹する。一応、茶だけはその手許に移してやった。



 ◇


(いいね、手巻き寿司、サイコー)

 パリッとした海苔の歯応えも小気味よくていいし、『兄貴』が奮発して買ったマグロの赤身もうまい。酢飯のやわらかな酸味のおかげで魚の旨みが際立って、噛み締める度に舌にうまさが広がってゆく。

 手巻き寿司はちょっと大きめだったけど、臆さず一口で食って正解だったな、と飲み込んだ後に茶を啜りながら余韻に浸った。

(手巻き寿司、最高、最強)


 二個目の手巻き寿司は鯛とカイワレ大根にした。こっちもうまい。

 カイワレなんか、ただの添え物じゃん、とか侮ってたけど、ピリッとした辛さとほろ苦さがいいアクセントになる。見下してすまんかった、カイワレ。



「うまいか」

 寿司を思う存分頬張る俺に、『兄貴』が神妙な顔で、おそるおそる尋ねてくる。

(なんで、『兄貴』、顔青いん?)

 部屋寒いんかな? 声も少し震えてね? これ飲み込んだら、暖房入れて、茶を入れ直してあげるか。

 けど、とりあえず返事とお礼が先だ。『兄貴』が暮れ正月だからと財布の紐を緩めてくれなかったら、このご馳走にはありつけなかったんだし。


「ふまい。『あにひ』、あんがと」

「喋るのは飲み込んでからにしなさい。待て、一気に飲み込もうとするな」

「ん? らいひょーふらけろ(大丈夫だけど)?」


 寿司の味を十分に堪能したので、口の中のものをひと飲みすると、大きな米の塊がゆっくりと食道を下りていった。唾も混じってるから喉に詰まる心配はない。

 あと口にお茶を一口啜っていると、何故か、俺に見守るようなまなざしを送る『兄貴』と目が合った。


「『兄貴』、食ってる? 魚、どれもうまいよ」

「あ、ああ。お前も慌てて食べなくてもいいからな。具はあるんだ。焦らず、少しずつ食べるんだ」

「そんな。俺、餅食う幼児か年寄りじゃねーんだから、心配せんでも、これくらいヨユーよ?」

「見ている俺の心臓が保たん」

 『兄貴』、心配性だなー。



 ◆◆


 『弟』の手巻き寿司の一気食いがどうにも不安だが、俺もいい加減、何か食べよう。

(さて、具は何にするか)

 鮪、鯛、鯵、イカ、いくら、玉子焼き、ツナマヨ、キュウリ、カイワレ大根、紫蘇、梅肉、納豆等々――大皿に所狭しと並ぶ具に視線を彷徨わせる。

(これらは全て、あらゆる意味でご馳走だ)

 酢飯の上に、紫蘇と梅肉と鯛を載せながら思う。同時に、脳裏では午前中に行ったスーパーマーケットの光景が浮かぶ。


 『弟』と二人で歩いて行った店は、朝イチに拘わらず駐車場は満席で、店内は店内で見回す限りどこも、人、ヒト、ひと。

 どの客もカゴやらカートを食料で山盛りにしていて、中にはオードブルが入った丸くて大きな弁当を持ち運ぶ人もいる。

 店の人混みを見た俺は、最初こそ茫然と人の坩堝と化した店内を眺めていたけれど、その混沌の中にいざ足を踏み入れてから三分経つ頃にはうんざりしていた。

 年末のスーパーマーケットは人混みと行列はなるべく避けたい人間には些か酷な環境である。


「我ながら、よくあの人混みで買い物したものだ」

 人混みのせいでスムーズに移動できない店内。歩く速度は展覧会での美術鑑賞中のそれだが、目に入るのは価値の高い美術品ではなく、日頃では有り得ない価格の食料品だ。


「労して手に入れたモンはうまかろ?」

「涙が出そうな正月価格も合わせて"ご馳走"だよ」

「正月になるとエッライ高くなんの、しゃーないんだろうけどまいるよな」

「ああ。キュウリ一本でも思い出したくない数字だったな」

「蒲鉾、いつからお高級品になったん?」

「俺も知りたい」


 ――暮れ正月だから。

 ――『弟』と初めての年越しだから。

 その特別感により清水の舞台から飛び降りる気分で財布の紐を緩めたが、正月になるとご馳走の刺身だけでなく、キュウリ一本、卵一個取ってもご馳走価格だ。

 今日の手巻き寿司は、俺のような薄給サラリーマンには本当にご馳走である。

(だが、まあ――)


 目の前で、(かなり不安になる食べ方ながら)実に美味しそうにご馳走にありつく『弟』の様も、『兄弟』二人で食べるご馳走が特別美味く感じられることも、今日の贅沢が正解であることの証明だった。


「美味いな」

「な!『兄貴』、これもうまいよ。あぐっ」

「うん。わかったから、一気食べはよしなさい」


 大晦日を『兄弟』で笑い合いながら過ごすことの、なんと贅沢で幸せなことか。

 昨年の俺では微塵も予想していなかった今年の大晦日の光景に、自然と笑みが零れた。



 ◇◇


 手巻き寿司を食べ終わって、いつもどおりに片付けをして、風呂を済ませて、紅白やらお笑いやらを見てたら、あっという間に夜の十二時が目の前になってた。

 慌てて年越し蕎麦を茹で始めたんだけど、テレビでどこぞの坊さんが除夜の鐘の前に立った時もまだ、我が家の年越し蕎麦は茹で上がることなく鍋の中だ。


「やべー。これじゃ、年越しちゃった蕎麦になっちまう」

「茹でながら"年越し"を迎えた"蕎麦"でいいんじゃないのか」

 そんなしょうもないことを言ってるそばで、テレビからは鐘の厳かで重厚な音が聞こえた。


「あけましておめでとうございます」

 ようやっと茹で上がった蕎麦の湯切りしながら俺。

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 俺の隣で薬味のネギを切りながら軽く頭を下げる『兄貴』。


 なーんか、気の抜けた年越しになっちまったな。

 でもまあ、俺たちはちょっとばかし気が抜けてた方が、無駄な力が入らんで済んでいいんじゃね?



「『兄貴』、今日は柚子胡椒派? 七味派?」

「今日は柚子胡椒で。蒲鉾は何枚にする?」

「んー、二枚」

 丼には熱々の蕎麦。そこに蒲鉾と温泉玉子を載せ、最後にネギを載せてやる。

「フハッ、堂々とした夜食だ」

「お前はいつも堂々と夜食してるじゃないか」

「けど、『兄貴』と揃って夜食するのはあんまりねーから、なんか、楽しくてさ。おお、除夜の鐘と相俟って、めちゃ年越し蕎麦っぽいじゃん」

 テレビと近所の寺から鳴る除夜の鐘を聞きながら蕎麦を見下ろし、我ながらちょっと馬鹿っぽいことをほざいてしまったのは、年越しに浮かれているからか。



 『兄貴』と蕎麦を囲み、さて、と居住まいを整える。

「ええと、なんて言やいいかな? 今年はめちゃくちゃ世話になりました!……とか?」

 年始の挨拶ってどんなだっけと、首を傾げて告げたなら、『兄貴』は「こちらこそ」と俺に向かって頭を下げる。


「お前には毎日三度の食事の世話と家事をしてもらって、こちらは大変有り難く――」

「待て、『兄貴』。それだと、俺が家政夫として雇われたみてーじゃん」

「そ ん な つ も り で は 断 じ て な い ぞ !」

「わーっとるわ! ま、来年も楽しく過ごせるといいな。どうぞよろしく」

「ああ、互いに健やかで充実した一年を送れますよう。いただきます」

「いただきまーす!」


 『兄貴』いわく『茹でながら"年越し"を迎えた"蕎麦"』は、除夜の鐘が鳴り終わるまでに食べ始められるようにしようと慌てたからか少しだけ固かったけど、うまかった。


 俺が蕎麦を啜る間、ポケットに入れてたスマホが何度も通知音を鳴らす。きっと、ダチからの新年の挨拶だ。

 みんな律儀だな、と思いつつ、少しでも早く返信を送れるよう、蕎麦を啜るペースを速めた。



 ◆◆◆


 正月の朝。年越し蕎麦を食べた後、『弟』に日の出まで起きていようと提案され、正月だしまあいいかと頷くも、結局、俺はいつの間にか寝てしまったようだ。起きると、そこはベッドではなくカーペットの上で、横たえられた体にはご丁寧にも自分の毛布と掛け布団が掛かっていた。

 起きたら起きたですぐさまお雑煮が出てくるという、まさに至れり尽くせりな状況だ。

「だがしかし、曲がりなりにもお前の保護者として、それはいかがなものなのか」

 お椀の中、鰹と昆布の風味が美味いすまし汁と、焼いた餅の香ばしさが癖になるお雑煮を味わいながら猛省する。


 ところで、鶏肉と蒲鉾、茹でたほうれん草はいいとして、餅にあんこが入っているのはどうしたことか。甘じょっぱくて不思議とイケるが、インパクトは計り知れない。

「ダチの一人があんこ餅のお雑煮教えてくれて、試してみたんよ。他の具もそんな感じ」


(もしかして、自分の家のお雑煮を覚えていないのだろうか)

 そう思い立ったのは俺がそうだったから。

 俺を育てた母の家では決まったお雑煮が出されたそうだが、当の母は正月でもお雑煮を作る余裕さえないほど忙しくて、結局、俺はそれを食べられぬままだった。


 ――『弟』にお雑煮の中身は触れ難い話かもしれない。

 その臆測が顔に出ていたのだろう。『弟』が俺の顔を見て苦笑し、手を振る。

「違うちがう。俺ンちは揃いも揃ってテキトーな人間ばっかだから、その時のありモンと気分で作るお雑煮なんよ」

「つまり、毎年、具も汁もまちまちということか?」

「そゆこと」

「そうか」


 今年の初苦笑いは、余計な気を回した自分へのものになったことに、すまし汁に浸かったあんこ餅同様、少ししょっぱい気分になった。

 今年はもっと、気楽に物事を考えてもいいかもしれない。



 ◇◇◇


 気まぐれ雑煮を食べた後、一度、部屋に引っ込んだ『兄貴』が居間に戻って差し出したのは、正月の風物詩、お年玉だった。


「あ……りがとう。お年玉なんて、いいのかな?」

 お年玉なんて、貰うの何年ぶりだろう? ってか、貰っていいんだろうか?

 長封筒サイズのお年玉袋を手に、しどろもどろして尋ねると、『兄貴』が大きく頷いた。

「勿論。遠慮なく貰ってくれ。塩代にはしてくれるなよ」


 ――塩代。

 それは、母ちゃんの納骨の日、クソ親父が強引に渡してきた金封を指し、父親を追い払う為に撒く塩代なのかと、俺が吐き捨てた皮肉だ。


「フハッ。『兄貴』そういうギャグ、ケッコー言うよな。んじゃあ、早速このお年玉で塩じゃなくて、正月らしくゲーラカイト買って二人で飛ばそうぜ」

「いいが……まあいいが、もっと有意義に使ってほしい」

「嘘。シャレだよ」



 結局、俺たち二人はお年玉を手に、年始早々開いてる書店に行こうと家を出た。本でも買って、正月三が日を過ごそうって。

 けど、途中で仲良くして貰ってる近所の老夫婦に捕まり、老夫婦の親戚の人たちと餅つきの手伝いをしたり、昼過ぎまでご馳走に(あずか)ってたんだ。

 俺は爺ちゃん婆ちゃんのお子さんとかお孫さんと凧とかスゴロクをして昔ながらの正月を満喫したし、『兄貴』は爺ちゃんを始め男性陣に酒を振る舞われてた。


「俺たち案外、ちゃんとした正月送ってんね」

 若干、千鳥足の『兄貴』を連れて帰る家路にて、新年初めての夕日の染まりながら『兄弟』揃って頷き合う。

 家に帰ったら、ダチの御門(ミカ)に分けて貰ったり、出来合いだったり、『兄貴』と作ったおせちが待ってる。

「俺が作った栗きんとん、自信作なんよ」

「俺が作った田作りも、かなりいい出来だと思う」

「「遠慮なく、いっぱい食えよ。……! ハモった」」

 新年早々の異口同音に、二人揃って笑いながら、夕焼けの道を歩いた。

 今年も、楽しい一年になりそうだ。



 ◆◆◆◆ オマケの七草粥


 朝起きて台所に向かうと、既に朝食の仕度ができていた。

 お椀の中には緑の葉が混じった粥が盛られている。


「おお、七草粥か」

「いンや、"ながゆ"」

 一月七日にこの年の健康を祈り、正月の暴飲暴食で疲れた胃を労るべく用意される七草粥。

 それを食べるのは何年ぶりだろう、との感動は、『弟』の謎の言葉により疑問符へと変わった。


「ながゆ……長湯?」

「オンリー大根菜」

 お盆に二人分の七草粥を載せた『弟』が指したのは、流しの隅に置かれた三角コーナーに無造作に入れられた大根の頭だ。つまり、そこから上の部分を刻んでお粥に入れたらしい。

「なるほど、()粥ね」

「七草パック高かったんよ」

「ああ」

 世知辛さを『弟』があっけらかんと告げる。


 年の瀬からスーパーマーケットに並んでいたお粥用の七草のパックを見掛けたが、確かに値段はなかなかなものだったことを思い出す。

「草ならそこいらにあるのにな」

 確か、春の七草の中にはそこいらで普通に生えている草もあったはずだ。

「取って売りゃあ良い小遣い稼ぎなんだろうけど、この辺のは野良猫と犬の散歩の通り道なんよ。だから、うちのはコレ」

「菜粥」


 とはいえ、俺も、そして『弟』も七草粥にそこまで未練がないのは、これまでの淡々とした会話と菜粥を前にして、七草揃わないことを惜しむ気配がないことで察した。

「まあ、七種の草が入るよりもシンプルな方が胃に優しそうだし」

 ――それに、年末年始にご馳走を食べ過ぎて懐も寂しくなっているので、これくらい質素な方が丁度いいよ。

 余計を言いかけて、その発言を菜粥と共に飲み込めた自分を誉めてやりたい。


「あ、餅が入ってる」

「お粥だけじゃあ、絶対に昼まで保たんって」

 そう告げる『弟』は追加で二個、餅を焼きに席を立ったのだった。

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