暮れのひと仕事
2024年 新年あけましておめでとうございます。
新年最初のお話は年末のワンシーンです。
◆ 一二月某日
『大掃除はこの一本でピッカピカー!』
「「大掃除」」
掃除用洗剤のコマーシャルが流れ、『兄弟』二人揃ってテレビに注目する。
クリスマスが終われば間もなく暮れと正月の話題になるのだから、毎年のことながら毎度、忙しのないことだ。
「大掃除かー」
ぼんやりと呟いた『弟』は、テレビから部屋中を見回して呟く。
「俺達、こっち越してきてまだ半年くらいしか経ってないっしょ。部屋そこまで汚れてないよな」
その呟きは別に大掃除を徹底的にしなくても良いんじゃないか、との打診に聞こえなくもない。
『弟』に倣い部屋中に視線を這わせた俺は、暫し黙考した後、ふむ、と小さく唸る。
「『兄貴』、どしたん?」
「ここ十年ほど、大掃除をしていないなと」
「マジで? んなことあるの……あ」
年末になると、年神を家にお迎えする仕度の一環として各地各世帯で行われる大掃除。日本人なら誰もが一度は学校や家庭や職場等で大掃除を行ったことがあるのではないだろうか。
だが、俺は年末の風物詩たる大掃除を久しくしていない。それを聞いた『弟』は訝しげに眉を顰めるも、すぐさまなにやら察したかのような神妙な顔で、俺に同情めいた眼差しを向けてくる。
「社ち……仕事が忙しくて、大掃除をする暇がなかったんだな」
("社畜"と言おうとしたな。否定はできんが)
今勤めている会社は大晦日と正月に休めはするも、普段が多忙極まるゆえに大掃除をする気力がなく、毎年、寝正月を過ごしていた。
(……というか、大掃除どころか普通の掃除もテキトーだったが)
掃除といえば、気が向いた時だけ雑多に積まれた雑貨と本を整理したり、床にフロアワイパーを掛ける程度だ。前の部屋では窓拭きなんてついぞしなかった。
(だからこそ、今せねばならないことがあるんだよな)
『弟』と共に新しい部屋に越してきて、新たな年を迎えようとしている今、俺は過去から持ち越されていたものと向き合わねばならないのだ。
「お前と共にこの部屋に越して半年――」
「急に改まってどした?」
背筋を正して『弟』と向き合うと、食卓の向かいにいた相手はこちらの雰囲気につられて居住まいを正した。
「俺の部屋自体はキレイだが、押入れの中にはまだ前の部屋の荷物が詰め込まれたままなんだ」
「えぇ?」
今現在も俺の部屋の押入れ下段を埋める荷物。見ぬ振りも忘れることも許さぬ段ボールの存在を明かせば、『弟』は素っ頓狂な声を上げた。
「まだ片付けてねーの?」
「ああ、まだ」
「そりゃあ――」
『弟』が思わず呆れ声を出すほどの体たらくたる押入れの中の事実。そして、目前に控える年の暮れ。それらは俺達『兄弟』の中で、ひとつの結論に至らせた。
「やんなきゃでしょう、大掃除」
「やらねばならないんだろうな、大掃除」
今年から始まった、『弟』との同居生活。『弟』と初めて過ごす正月を気持ちよく迎えるにはやはり、今年中に前の部屋から持ち込んだ不要品を処分し、数ヶ月とはいえ生活する内に溜まった汚れを清めておくべきだろう。
(長年溜め込んだものと向き合うのは面倒くさいがな)
押入れの一角を占拠している荷物を思うと気が重いが、思い付いた時にやらねば、いつまで経ってもしなさそうだ。
「じゃあ、『兄貴』は自分の部屋の荷物整理な。俺は気になるとこだけちゃちゃっと掃除しとくわ」
「いや、俺もする。せねば、するぞ」
――んな必死にならんでも。
決心と共に大掃除の宣言をすれば、『弟』の呆れまじりの呟きが聞こえた気がした。
◇ 大掃除初日
「『兄貴』、メシできたぞー」
「んー」
かれこれ一時間、浴室に籠もっている『兄貴』に声を掛ければ、籠もった声の生返事があった。
「水垢取り、あと蛇口だけだから少し待ってくれ」
「あいよー」
ってか、『兄貴』、自分の部屋の押し入れ掃除忘れてね?
中のものを全部引っ張り出して、水拭きと乾拭きした押し入れが乾くまでって浴室の掃除始めてたけど、部屋の掃除はいつ再開すんだ?
――十分後
「『兄貴』、そろそろメシ食おうぜー」
「んー。酢パックを鏡にするからその後に」
「テキトーでいいかんな」
――五分後
「『あーにーきー』メーシ」
「あとちょっと」
(もー。しゃーねー『兄貴』だな)
――五分後
浴室内に男二人がしゃがみこむ図ってなかなかシュールで暑苦しいな。
そんなことを冷静に思いつつ、俺は『兄貴』の口許におにぎりを持っていく。
「あの」
「ん。おにぎり、遠慮せんで食いな」
『兄貴』がなかなか掃除を中断しないから、俺は昼メシの特製おにぎりを作って、食わせに来た。
「手を離せない『兄貴』用の特製おにぎりだからさ」
おにぎりの中身は昼メシに用意してたおかず。
最初はなかなか掃除を中断しない『兄貴』にムカついて、ヤケクソで白米オンリーのおにぎり作ろうとしてたんだ。
でも、ふとイタズラしたくなっちゃってさ。キンピラだの肉のしぐれ煮だのを具に詰めてたら楽しくなって、かなりデカくなっちゃった。いつもの弁当よりデカイ。
『兄貴』は今にも自分の口に押し込まれそうな、拳よりも大きなおにぎりをしどろもどろに見下ろす。
「さすがに掃除しながら食べるわけには」
「だから俺が横で食わせてやってんデショ」
「あの」
「ほら」
「す、すまん。呼ばれて行かなかった俺が悪かったから」
「はい、あーん」
とっとと食ってとっとと風呂掃除して自分の部屋片付けねーと、『兄貴』は今晩、部屋で寝れんくなるぞ。
そのくらい『兄貴』の部屋は荷物だらけなんだからな。
◆◆ 大掃除の合間
「『兄貴』、食いたいおせち料理とかある?」
大掃除の休憩中、『弟』に尋ねられて茫然とした。
「作るのか?」
作れるものなのか?
おせち料理の準備は手間がかかる、とても面倒というのは聞いたことがある。"あちら"では厨の連中が、会社では女性社員がよく愚痴を零していた。
「場合によるけど、うん」
「考えるから少し待て」
おせちって何があるんだ?
子どもの頃、お重に詰められていない簡易的なおせちなら食べたことがある。母が厨から分けて貰ったり、作ってくれたんだ。
さて、あの時は何を食べたっけ?
◇◇ 大掃除中
「うーん、おせち……おせちか。伊達巻き、きんとん……黒豆、昆布巻き……田作り、たたきごぼう、かずのこ、紅白なます、煮しめ」
休憩中におせちのことを尋ねちまったもんだから、どうもそれ以降の『兄貴』は掃除中におせちのことを考えてるっぽいんだよなあ。
だって、たまに手を止めてブツブツ呟いてんだけど、聞こえてくるのは大体、おせちの中身だもん。挙げ句、何度かスマホで調べ始めてたし。
そんで、窓拭き中の今は、手を止めて外のある一点を凝視して難しい顔してる。
眉間の皺が深いわ、額に拳当てて考え込む仕草してっけど、これ、別に難解な問題にぶち当たってるとかじゃなさそう。おせちおせちって呪詛みてえに唱えてっから。
多分、『兄貴』は記憶の引き出しを開けて、奥隅に引っ込んでる正月の思い出を探ってるんだろうな。おせちと聞いても内容をなかなか思いつかないんだ。
(俺と一緒)
俺もここ数年はおせちと無縁で、栗きんとんしか思い出せなかった。『兄貴』の呟くおせちの中身を聞いて、そういやそんなのもあったなって感じだし。
「うちのはあと、ゴボウと人参の肉巻き――八幡巻きっつーんだっけ――それとか魚の西京焼きとかあったかも。あと、箸休めに金柑の甘露煮もあったな」
けど、母ちゃんの好物の金柑の甘露煮以外の諸々は爺ちゃんがいた時のはなし。爺ちゃんがいなくなってからは、おせちで食べたいものだけ用意してた。母ちゃん、暮れ正月関係なく仕事で忙しかったから。
「ふむ」
『兄貴』はふと口に手を当て、小首を傾げる。
「やはり酒のつまみみたいなレパートリーだな」
「フハッ、言えてる」
真顔で言う『兄貴』につい、笑っちまった。
「しかし、品数が多いと用意するのが大変そうだ。勿論、俺も一緒におせちを作るが、食べたいものだけに数を絞ったり、出来合いを買うのも手だな」
「そういうこと。だから、二人が食べたいものを数品、それぞれが食べたいものを一品ずつにせん?」
「うん、そうするか。買い物は明日、二人で行こう」
「そりゃ助かる。明日の買い物で数日分の食料の買い出しするつもりだからな。荷物持ち頼むぜ、『兄貴』」
けど、『兄貴』、暮れのスーパーに行って大丈夫かね?
年末のスーパーは日頃の比じゃないくらい人が多い。その上、どの品も正月価格で割高なんだよな。
『兄貴』仰天するんじゃね?
◆◆◆ 大掃除のあと
大掃除がやっと終わった。
押し入れと本棚の片付けも大変だったが、他の場所もなかなか骨が折れた。
日頃は余程酷い汚れ以外は大して気にしないのに、一度、頑固汚れに手を付けてしまえば最後、まわりの小さなシミまで徹底的に落とさなければ気が済まなくなってしまうのだから大掃除は不思議だ。
一時は本当にいつ掃除が終わるのか、部屋中、物が溢れたまま新年を迎えてしまうのではないかと気が気でなかったが、なんとか掃除を終えることができた。
今は隅々まで綺麗に洗い上げた湯船に浸かり、疲れを癒しているところである。
(ハハ、今日はいつにも増していい湯だな)
掃除で酷使した体に、少し熱めの湯が心地よい。疲れが湯に滲み出るようだ。
(大掃除をして正解だったな)
徹底した清掃は確かに大変だったが、余計なものを処分した上に、すっかり汚れを清められた部屋のなんと快適なことか。
大掃除後の部屋が爽快なこと、久しく忘れていた。これで新年も気持ちよく迎えられそうだ。
「風呂、上がったぞ」
「ミカー、昆布巻きの作り方教えてー」
(?)
入浴を終えて居間に戻ると、『弟』の話し声が聞こえた。こちらに背を向けた『弟』の手には、スマートフォンが持たれている。どうやら電話中らしい。
食卓にノートを広げた『弟』は、ほかほかと湯気を立てる俺に一瞥くれ、返事代わりに軽く手を上げる。
熱心にノートに書き込んだり、不明な箇所があれば電話の相手に質問するとは、随分と熱心なことだ。『弟』の話し声から『昆布巻き』と聞こえたから、おせちの話をしているようである。
(よかった。ちゃんと相談できる相手がいるんだな)
俺ではおせちや料理のことであまり力にはなれないから、『弟』が他を頼れるのは有り難い限りだ。
また、『弟』にこうして気兼ねなく電話を掛けられる友達がいること、困ったことやわからないことを一人で抱え込まずに誰かに相談や質問という形で頼れることを確認できてよかった。
『弟』が住み慣れた土地を離れ、新天地で暮らし始めて半年経つ。月日はまだまだ浅いが、『弟』が順調に人脈を広げ、人間関係を築いている様子に、彼の保護者として安心した。
ほのぼのとした気分で風呂上がりの麦茶を飲んでいると、突然、『弟』が勢いよく顔を上げ、背筋を正す。
「マジで!? ちょ、待って。『兄貴』ー! クラスの友達が正月のご馳走くれるってー!」
(それは……どんなお人好しなんだ?)
ご近所さんであろうが親戚であろうが付き合いが希薄になりつつあるこのご時世に、随分と世話焼きな友人を『弟』は持ったものだ。
「有り難いな。きちんとお返しを用意しような」
「応!」
大きく頷く『弟』を見つつ、はたと考える。
相手がどんなご馳走をくれる気かは知らないが、その厚意に見合うお礼の品とはなんだろう?……というか、品物のやりとりがある以上、『弟』一人に任せきりはよくないのではないか。
「いや、電話、代わってくれ! 俺からも礼を言わねば」
慌てて『弟』のもとに駆け寄ると、スマートフォンから少年の声が漏れ聞こえた。
「聞こえています。ウチは所以あって正月料理を多めに作っているので、どうかお気になさらず」
年のわりに慇懃な少年に、『弟』は「だって!」と気楽に笑う。
うん。この電話相手の少年の厚意に、普段からがっつりと甘えていそうな『弟』の様子に、お礼の品をしっかり選び、なるだけ多くお渡ししようと強く決意したのだった。




