四十九日はふたりだけ?
◇
「ありがとうございましたー」
ここまで乗せてくれたバスの運転手さんに礼を言い、開放された降車口のステップを降りる。
足がアスファルトの地面に着くと同時に、強い日差しと外の熱気が肌に触れた。さっきまで冷房に当たっていたから余計に、外気の暑さと焼けるような日射が堪える。
(こりゃあ、迷わずとっととお寺さんに着かないと、干上がっちまうな)
お寺さんには行ったことがあるし、一応、前もってスマホの地図アプリでルート確認したから迷わんとは思う。……けど、先にバスを降りた超絶方向音痴が早速、進路とは真逆の方向に足を向けてるから気をつけねーと。
「『兄貴』、どっち向いてんのよ。お寺さん、あっちだし」
俺がバスから降りるのを待っていた『兄貴』の腕を引けば、言われるまま踵を返した相手が微笑む。
「オマエはいいやつだな」
いきなり、なんの話?
◆
バスを降り、外の蒸し暑さに小さく吐息していると、背後で感謝の声が聞こえた。『弟』がバスの運転手に礼を述べたらしい。
「オマエはいいやつだな」
「なんの話?」
さっぱりわからん、と小首を傾げる相手の様子から察するに、先の礼はごくさり気ないものだったようだ。
「感謝の気持ちを相手にきちんと伝えられるのは立派ということだ」
「そういうことか。『兄貴』はそう言ってくれんのね」
照れかばつが悪いのか、『弟』は苦笑混じりに頬を掻く。
「俺の知り合いにはさ、『そんなことイチイチ言わねーよ』ってからかってくるのもいるからさ」
「ふぅん。礼儀知らずもいるものだ」
感謝の念を忘れず、世話になった相手にきちんと謝辞を伝える。
礼儀の初歩であり、言葉にすれば簡単なようにも思えるが、これがなかなか難しい。言い損ねたり、礼儀ごと忘却していたり、そもそも感謝の念すらなかったり。
(寧ろ、世の中、そういうのだらけだが)
脳裡にすぐさま浮かんだのは、クソ親父を始めとする"あちら"の人間だ。
礼儀も感謝も忘れた人間が、礼儀を欠かさぬまっとうな人間を揶揄するようになったときが、礼儀知らずに堕ちたときと言えよう。
(礼儀知らずにちょっかいを出されても、コイツは相手に惑わされることなく、己の意志を貫くんだな)
『弟』はからかわれたと萎縮せず、誤った指摘にも惑わされずに感謝の意を伝え続けたであろうことが、先程の運転手へのスマートな謝辞でわかる。
きっと、謝辞が人としてのまっとうな行いであると、『弟』は確信して疑わないのだろう。その確信の基は、彼の親御さんの躾や周りの人々の教育と『弟』自身の経験則の賜物と言える。
(うん。半分とはいえ、遺伝子の基があのクソ親父とは思えないほど、性根が真っ直ぐでいいことだ)
あのクソ親父には――少なくとも俺から見た限りでは――感謝の概念すらなかったものな。
死ぬまで礼儀知らずで厚顔なままだった男の、飄々とした軽薄な面を思い出すのも忌々しい。
鼻息ひとつ吐いて気を取り直し、数歩先を早足で行く『弟』を追った。
「恩と礼儀を軽んじる輩など放っておけ。どうせ、その内、誰からも見限られるのだから。それよりも、どんな些細なことだとしても世話になったことを当然と思わず、感謝の念を忘れない自分を誇れ。礼を欠かさないのも大したものだ」
「褒めすぎ」
いくら俺が人の心の機微に疎くとも、俯いてぷいとそっぽ向く『弟』が、気分を害したわけではないのも、彼の耳が真っ赤なのが暑いからでないのもわかる。
「んじゃあ、『兄貴』もちゃーんと、人から良くして貰ったらお礼言いなさいよー」
照れ隠しか、ポンポンポンと強めに肩を叩かれ、そそくさと先を行く『弟』に「照れ屋め」と微笑し、「応」と頷く。
「俺もオマエを見習わないとな」
◇◇
国道沿いのバス停から徒歩十分。交差点から東へ進み、橋を渡る。
「お! 向こうの陸橋、この間よりも伸びたんじゃね?」
橋の上から指したのは、遠く見えるできかけの高架橋だ。
川沿いに広がる広大な田畑を跨ぐ形で橋を渡し、そのまま国道に繋げる予定らしい。視界の届かないずっと向こうまで等間隔に並ぶ橋脚を見渡し、工事の進捗を窺う。
前回来た時よりも橋桁が少し伸びてる。作業員さんら、暑い中、頑張ってんだな。
視線をできかけの高架橋からその真下へ下ろし、首を軽く巡らせる。
見えるのは田畑と古い住宅街、川を挟んで密集するのは、アパートと会社ビル、国道沿いには店や病院が並ぶ。その風景はいかにも郊外って感じ。
(日本の町並みってのは、どこも似たり寄ったりだな)
ここまでのバスの道のりでも思ったけど、今日見てきた風景は以前住んでた所とか、今住んでる町とかと大して変わらない。あと、クソ親父の墓も、こんな感じの町の中にあったっけ。
変わり映えがないからこそ、信号やバス停、チェーン展開された店の支店名に見慣れぬ地名を見たり、どこに繋がってるんだか見当もつかない道を見たときの微妙な疎外感に、新鮮みとほんのちょっと戸惑いを覚えてしまう。
(俺の知ってる人間はこの町にはいないんだな)
お寺さんに用事があるときくらいしか訪れないであろう町。
俺はきっと、向こうに見える高架橋が完成しても、それからいくらかの時が経ったとしても、この町に疎外感を抱き続けるんだろうな。
(フハ。らしくないこと考えてんな)
なんで、こんなアンニュイな気分になってんのよ、俺。これから行われる、四十九日の気に中てられてんのか?
橋を渡って小さな坂を下り、川沿いの道を北へ進む。
築三、四十年? って感じのちょい古びた民家が並ぶのを横目に歩き、突き当たりを曲がると、目的のお寺さんが見えた。
◆◆
国道から少し外れ、川を渡った先に広がる閑静な住宅街の端――広大な田畑との境に位置する小さな寺が、本日の目的である。
「オマエのおかげで、迷うことなく無事着けた。ありがとう」
「どういたしましてー。ってか、バス停からここまで迷う要素、全然なかったからな」
道の確認の為に、スマートフォンの地図アプリをたった一回覗いただけで、一切の迷いなくまっすぐに正解の道筋を辿れた『弟』は正直、天才だと思う。
一緒にいてくれてよかったと、心の底から感謝すれば、相手は軽く返事したが、その後に言い添えられたコメントにはうっすらと呆れが籠められていた。方向感覚に疎い『兄』で面目ない。
到着予定よりも早めに着いた寺は、これから法要が行われるとは思えないほど寂寞としていた。
山門の前に設えた駐車場に車は一台もなく、俺達以外の人の姿も声もない。聞こえるのは、蝉時雨と風に吹かれた木々の微かなざわめきだけ。
平時であれば居心地が良さそうな静けさも、今はただ寂しいだけと感じてしまうのは何故か。
(全然違うな)
前回の法要でこの寺を訪ねた際も思ったが、俺の知る"あちら"の法事とは様子が明らかに異なる。
ここには朝から法事の支度で家の者が右往左往することもなければ、会場となる屋敷のどこにいても参列者と鉢合わせになることもない。
拍子抜けというか、毒気を抜かれるというか。法要の施主として気負っていたのに、肩透かしを食らった気分だ。
"あちら"での法事のような慌ただしさがない分、気楽ではあるのだが、本当にこのまま悠長にしていてもいいものかとの戸惑いも少なからずあった。
(もしもアイツがまっとうに生きていたら――)
本日の四十九日の主役たる男が、"あちら"でまっとうに生きていたら、今、この場はこんなに寂寞とはしていなかったのではないか。
(アンタは本当にこんな法要を望んだのか)
クソ親父の法要は、本人が生前に示した意向に沿って執り行われている。
"あちら"は勘当した人間の面倒を見る義理はないと、俺に法要の施主を放って寄越し、俺も惰性で役を務めているだけに過ぎない。
それでも、"面倒"以外の何の感慨も疑問もないわけではないのだ。
まあ、何を思ったとて、どのような法要になろうとて、今更、死人が何を言うこともないのだが。
◇◇◇
古びた山門を潜り、小さいながらもよく手入れされた庭を横目に本堂へ向かう。
(マジで俺たち以外、誰も参らねえんじゃん)
寺に着いたのは法要開始二十分前。予定していたよりも早めの到着になったのは、バス停からここまで迷わなかったからだ。
どこをどう行ったって迷わねえだろって道でもガチで迷う『兄貴』らしく、移動時間に余裕を持たせた分だけ時間を稼げたってワケ。
もしかすると、急遽、参列する人がいるかもしれないからと言う『兄貴』に付き合って、十分くらい門前で待ってたけど、人も車も通りゃしねえ。
(ほら見ろ、『兄貴』。参列者のこと気にしてたけど、心配するだけ損じゃん。法事なんて、こんなもんなんだよ)
母ちゃんの法事だって、いるのはいつも俺だけだったしさ。
ふと、クソ親父のお通夜のときを思い出す。
初めて会う俺の祖母って人が俺らに向ける目は、いつだって冷えきっていた。
それってつまり、俺たちは、肉親からそういう目を向けられるような人の所に生まれたってことだよな。
そして、曲がりなりにも血の繋がった人間相手に、蔑んだ目を向けちまうような人らの血も自分の中に流れてるってことだ。
(なら、参列者なんて俺たちだけで十分じゃん)
本堂に入る直前、来た道を振り返って山門の向こうを窺う。
駐車場に敷かれた芝生とアスファルトの道、突き当たりには河川の堤防が見える。景色を遮る物は何もない。駐車場に入ってくる車も、山門に向かってくる人もいない。
お寺さんに用があるのは、やっぱり俺たちふたりきりだ。
◆◆◆
本堂では袈裟姿のご住職が待っていた。
お決まりの禿頭に、柔和な表情。背は高くはないが、袈裟を着ていても骨太な体なのがわかる。年は四、五十代くらい――クソ親父と同世代だろうか。
「本日はようこそお越しくださいました」
穏やかな栗色の眼が俺と『弟』を向いて、ゆるりと細められた。
簡単な挨拶と参列者の確認後、予定より少し早いが法要が始まる。
一定の拍子を刻む木魚の音、堂内の空気を微かに震わす重低音の読経、高らかに鳴るおりんの音が細く、長く耳を打つ。
使い込まれた教本は手に馴染みが良く、ペラリと頁が捲れる軽やかな感覚と音が心地良い。
教本には漢字の羅列がぎっしりと詰まっているが、幼い頃から法事の度に聞かされたお経だからか、読経を追うのも唱えるのもさほど難しくはない。ただ、『弟』は俺とは勝手が違うようだ。
――今、どこ読んでんの?
声にこそ出さないが、小難しい顔をして脇から俺の教本を覗き込む。
――ここだ。
自分の教本を指でなぞっても、隣からは互いの教本を確認する為に、首を左右に振る気配と頁を忙しなく捲る音が聞こえるだけだ。
(フッ、まだ見つからないか)
『弟』の持つ教本の、該当頁を捲り、文字列を指で探し当てる。
――お! あった。サンキュー……あれ? どこ?
小首を傾げる気配。見失うのが早い。こんなの、地図で目的地を探し出すよりも簡単だろうに。
「えぇ?『御用だ、縞男』くらいムズ」
ボソリ。まだ文字を追えない『弟』が呟く。
小声で紡いだそれは、気が狂いそうなほど緻密で、浮世絵風の描写が面白いと一昔前に一世を風靡した絵柄探しの本のタイトルだ。
(オマエ、人混みに紛れた縞模様の下手人を探す絵本と教本を一緒にするんじゃない)
「フッ……ク」
『弟』のトンチンカンな呟きのおかげで、この笑ってはいけない席で、笑いを堪えるのに一苦労である。
◇◇◇◇
(ダメだ。お経、全然追えねー。クッソー、爺ちゃんとこのはそらで唱えられんのに)
片手で数えられるくらいしか聞いたことのないお経でわかるのなんて、独特のリズムとサビのごく一部くらいしかないって。
(しかし、ここのご住職、読経めっちゃうめえな)
腹の底から出してるような重低音が、一音の狂いなく悠然と流れ、本堂を満たしていく。荘厳な雰囲気ってこういうことを言うのかも。
教本から読経されてる箇所を追うのを諦めて目を閉じれば、緩やかな重低音が鼓膜を震わせ、脳に染み入ってくる。
(あ、マズい)
穏やかに流れる音が眠気を誘う。あくびを堪えるので一苦労だ。
(ここには俺らしかいないから、俺があくびしたらバレるじゃん。なんとか眠気を覚まさなきゃ。ええと……)
手許の教本に目を向けて、難しい漢字の羅列を視線でなぞる。
(お! おぉ?!)
やてらと難しい字の群の中に、見覚えのある文字を見つけた。
(この単語、"師匠"の必殺技じゃん! あ、こっちにも技名がある)
最近ハマってる異能力系バトル漫画に出てくる最強と言われる技名を教本の中に見つけて、一人密かに興奮する。
まさかの発見のおかげで眠気は消えたけど、法要の真っ只中に故人を微塵も偲ばず、他のことで気を紛らすとか、これ、クソ親父の供養にはならんよなあ。
(まあ、寝ないだけマシじゃね?)
そう思った途端、俺を一喝するようにおりんの音が一際高く鳴った。
◆◆◆◆
『弟』が(何がコイツの興味を引いたんだか知らんが)教本に見入る気配を隣で感じながら、俺はご住職の読経に聞き入っていた。
決して荒ぶることのない重低音は、自分の意識を内へ内へと誘っていく。
無心で瞑目。軽く脱力。次第に重さを感じ始める肩。意識して穏やかかつゆっくりと深呼吸。
お経を聞いていると、自然と背筋が伸びる。心は凪に、安定と平静を保つ。
けれど、俺は只の人間だから、無心を心掛けたってつい、雑念が湧いてしまう。
空調の利いた室内、ぬるい日向、袈裟の衣擦れ、お経。
クソ親父の葬式と火葬の光景、参列者はふたりだけの寂しい法事。
――やるせない。
漠然と湧き上がる感情がクソ親父に由来するのは確かだ。
だが、その感情は誰に対するものなのか。
(もっと大勢にあの男のことを偲んで欲しかった? 多少、無理をしてでも"あちら"の人をここに呼ぶべきだった? 俺が? あの男の為に?)
読経で炙り出された雑念が――煩悩とも呼べるのか――心を曇らせ、思考を濁す。
憂鬱だった。
生前は煩わしさしか感じなかった、親と認めたくもなかった男に、その死後も悶々とさせられる自分の、なんと滑稽なことか。
シュルリ、衣擦れの音と身じろぐご住職。焼香の煙とにおいが揺らぐ。
(ご焼香か)
いつ、焼香の番が来てもいいように、胡座の脚を軽く緩め、座り直すとほぼ同時、外で物音が聞こえた。
車のエンジン音、タイヤがアスファルトを薄く削る音。それから少し間があって、やがてコツコツとヒールの足音が聞こえる。こちらに近付いているようだ。
(まさか)
予感がした。それが良いものか、望まざるものかは正直、判断できない。
"あちら"の人間は参列を拒否した。こちらから確認を取っても意向を変えなかったから、端から来るとは思っていない。
だが、唯一人、欠席との確認を取っても、『絶対に来ることはない』との確信ができない人がいた。
既に"あちら"の人間ではないが、故人とは浅からぬ縁があるその人。
……背筋を冷や汗が伝う。
◇◇◇◇◇
山門の辺りで車の音が聞こえた。
近所の人か、お寺さんに用事のある人か。
(まさか、法要の参列者じゃないだろうな。だとしたら大遅刻じゃん)
本堂に近付くヒールの音に耳を傾けつつ、ここ最近ずっと、参列者の有無をしきりに気にしていた隣の人を盗み見る。
(『兄貴』?)
左隣のその人は腰を軽く浮かせた態勢で、微動だにしない。
表情がわずかに強張っている。口は引き結ばれていた。
(なんだ? スゲー緊張してないか?)
なんで?
ヒールの音は本堂に近付き、やがて俺たちの後方にある引き戸が静かに開けられた。
来訪を報せる戸の音を聞きつけ、そちらに目をやる。
戸から差し込む眩い陽光が逆光になって、来訪者の顔が影で覆われて、よく見えない。わかるのは、礼服を来た女の人ってことくらい。
緩く結わえた黒髪、首許に見える真珠のネックレス。
ご住職は来訪者を目視で確認して、読経を途切れさせることなく、手振りひとつで堂内に招く。
招かれたことを確認した女性は会釈をすると、物音ひとつ立てず、俺たちから少し離れた場所に座った。その軽く伏せられた目がこちらに向くことはない。
(この人、誰だろう)
クソ親父のお通夜と葬式、納骨も行った初七日にも来てはいないと思う。
ここに来たってことは、アイツに縁のある人なんだろうけど。
(……まさかな)
ちらり、ひとつの可能性が脳裡に浮かぶ。
"あちら"の事情はよく知らない俺でも、思い当たる人が一人だけいた。
◆◆◆◆◆
確かに四十九日法要の連絡はした。通話は何度しても繋がらなかったので、最後はメッセージを送る形となったが。
通夜、葬儀、初七日同様、返信はないまま。国外に滞在中、もしくは無視されたものと予想し、念のために"あちら"へも彼女への伝言を頼んだ上で、欠席の意思を確認した。それでもまだ安心できなかったわけだが、その懸念は間違いではなかったのだ。
(相変わらずだな。動向が読めない)
『弟』から離れた場所に座る壮年の女性。
容姿は俺が彼女と最後に会った時――あれは四年ほど前だろうか――と特段変わった様子はない。カサブランカの似合いそうな美貌も、歪み知らずの美しい姿勢も記憶のままだ。
彼女こそ、本日の法要における、俺の最大の懸念。
会わずに済むなら俺の心の平穏は保たれたろう。反面、今日という日に、彼女がこの場にいることを望みもした。
何せ、彼女は元とはいえ、クソ親父の伴侶であったのだから。




