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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
馴染みつつある日常

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27/51

互いの寝息が子守歌

遅い時間帯の更新になってしまい申し訳ありません。

 ◇


 俺と『兄貴』、二人して焼きそばで重くなった腹をさすりながら「おやすみ」と言い合い、それぞれの部屋に戻る。

 いつもの俺ならもう寝ている時間だから、満腹感も手伝ってまぶたが重い。明日の準備があるからなんとか睡魔に抗ってるんだけど、やっと起きてるって感じ。


 ちょっと夜更かししただけで眠くてたまらんとか、俺、健康優良児じゃん。



 ◆


(アイツ、布団まで行き着くのか)

 大アクビで自室へと戻る『弟』があまりにも眠そうだったので、思わず隣室に向けて聞き耳を立てた。


 壁の向こうからゴソゴソと音が聞こえる。

 粗方、明日の通学の支度でもしているのだろうが、寝ぼけてちゃんとできているのか心配なところではある。



 ◇◇


(眠い。うー、眠い、眠すぎ)

 今、起きてるのが不思議なくらい眠くて、フラフラになりながら現在、明日の支度中。


(今日やった課題……入れた。明日の教科……揃ってるよな?)

 時間割で確認しながら持って帰ってた教科書とノートも入れてくんだけど、なーんか不安で堪んねえ。

(大丈夫か、これ。なんぞ、忘れてる気がする)

 注意して時間割と荷物の中身をチェックしてるけど、眠すぎて集中できんし。


(俺、明日、色々とやらかさねえか、これ)

 学校の支度がちゃんとできてるかわかんねえし、睡眠時間がいつもより短くなった分、明日の朝はちゃんと起きれるのかも心配だ。

(明日、『兄弟』揃って寝坊したりして)


 やっとのことで明日の支度を終えて、スマホのアラームをセットしつつベッドで横になる。

(えーっと、明日の弁当と朝メシ、何にしよ……)



 ◆◆


(寝たな)

 明日の支度を済ませてベッドで横になると、壁越しにクークーといびきが聞こえた。この壁のすぐ向こうにいる『弟』は、どうやら夢の中にいるようだ。

 いびきか寝息かは日によってまちまちだが、眠る『弟』が立てる音が規則正しいのはいつも変わらない。


 俺も『弟』に倣って眠るべく、目蓋を閉じる。

 真っ黒に閉ざされた視界の中、微かに聞こえるいびきの音に耳と意識を傾けた。こうしていると、ただ目を閉じているよりも早く眠りに就ける気がするのだ。


(ずっと一人で過ごしていた俺が、誰かの寝息を聞きながら寝るなんて、嘘みたいだよな)

 『弟』のいびきにつられて、同じ間隔で呼吸をしつつ思う。



 誰かの寝息を聞きながら眠るのは、かつての俺にとっては本当に稀なことだった。

 クソ親父は論外。母の存命中も、狭い部屋やアパートに二人で暮らしていながらも、その寝息を聞くことは滅多になかった気がする。彼女は俺より遅く寝て、早く起きる人だったからだ。


 他に、肉親以外の誰かのいびきを聞く機会があるとすれば、旅行とか出張で同行者と相部屋になったときか、大部屋での入院くらいだ。あとは、恋人と過ごすときとか。

(ただ、他人と相部屋は正直、苦手なんだよな)

 共に食事を摂るのは構わないが、就寝となると話は別だ。

 他者の気配を感じるとどうにも落ち着かず、なかなか寝付けない。下手をすると相手の酷いいびきに悩まされて、寝ずの番を過ごすことさえあった。

 そんな、人の気配に神経質なきらいのある俺が、こと『弟』に限っては自分でも驚くほど寛容でいられるのだから不思議なものだ。


(なんなら、ふたり暮らし初日だって、『弟』(アイツ)の気配を感じていたのに、見事に爆睡したものな)

 当日は引越しの疲れも相俟って、寝付きがすこぶる良かったのかもしれない。

 しかし、その翌日も隣の部屋からいびきが漏れ聞こえるのに、難なく眠ることができた。寧ろ、いつになく心地よく眠れたのではないか。



 俺達『兄弟』が共に暮らすようになって、まだ日は浅い。

 それにも拘わらず、今や俺の中で『弟』のいびきもしくは寝息は、"あって当たり前のもの"との認識になっている。


(不思議だ。つい数ヶ月前までは、誰かの寝息を聞きながら寝るなんてないと諦めていたのに)

 あるとしても当分先のことだと高を括っていたというのに。

(まさか……同居人の寝息を聞きながら眠るだけでなく、寧ろそれがないと安眠できなくなる日が来ようとは……露ほども思わな……)



 照明を消した暗い部屋。隣の部屋からクークー、と聞こえるいびきに合わせて呼吸を繰り返すこと数分。まるで『弟』の眠気がこちらに流れてくるかのような心地良い脱力感に、抗うことなく身を任せる。


「おやすみ」

 まどろみの中、壁の向こうの相手が聞いている筈がないとわかっていながらも声を掛ければ、意識は瞬く間に夢の中へと誘われた。



 ◇◇◇


 ふと、夜中に目が覚めた。部屋の中も窓の外もまだ真っ暗だ。

(こんなん、絶対に朝じゃないだろ。寝よ)

 時刻を確認しようともせず、薄く開いたまぶたを再び閉ざす。


(静かだ)

 多くの人がまだ眠る、夜明け前の静寂の町。

 常夜灯が点る暗い部屋には、当たり前ながら俺ひとりだけ。


 静かなのは苦手だ。

 自分以外の存在を感じさせないくらいの静けさは、好きじゃない。だって、爺ちゃんも母ちゃんもいなくて、ひとりぽっちで過ごした日のことを否が応でも思い出させるから。

 広いひろいこの世界で、俺のことを大事に思ってくれる人はもういないのだと、ひどくおっかないことを想像しちまって、生きた心地がしない。

 静寂はいつだって必ず、俺に孤独を吹き込んでくるんだ。



(そうそう、引越した日の夜も心細かったんだよな)

 振り返るのはまだ記憶に新しい、俺がこの部屋で初めて横になった夜のこと。


 俺だけのために用意されたこの部屋では、施設で暮らしていた時には毎晩聞いていた、誰かの寝言やいびきは全然聞こえないんだ。まあ、当然っちゃそうだけども。

 昨日の夜まで普通に聞いていたものが、今日は一切ない。大人数のいびきなんて、時にはうるさいとさえ感じていたのに、なくなって清々するどころか、あまりに静かで落ち着かないなんて冗談みたいなこと、本当にあるのな。


 引越しでヘトヘト、体は寝たいって訴えてるのに、静かすぎるのが気になって、まぶたを閉じても寝付けない。

 眠れないことにうんざりしつつ、まだベッドもない布団の上で寝返りを打つこと数度。ふと、ドアの向こうから『兄貴』の足音が聞こえた。


 戸締まりの確認をしたのだろう。一度、玄関に向かった足音が、居間へ戻る際にふと、俺の部屋の前で止まる。

 何か、用かとドアを注視していたら、少し経ってから「おやすみ」と穏やかな声を掛けられた。

 また足音、ドアの開閉音、俺を起こさないように気遣っているのが分かる控えめな物音、そして少し経ってから微かに聞こえてきた寝息。


 スウ……スウ、と聞こえる寝息は、『兄貴』が告げた「おやすみ」と同じくらい安穏としていて、つられて寝息と同じリズムで呼吸を繰り返す内に、俺はいつしか眠りに就いていたんだ。


 ――ここでは俺、ひとりじゃないんだな。


 引越しの夜、たった一人分の寝息だけが聞こえるまどろみの中で、俺は言い知れぬ安堵感を覚えた。



 あの、酷く静かなのに、不思議と安心できた夜のことを思い出しながら、半ば願うような心持ちで注意深く耳を澄ます。


 スウ……スウ……スウ……

 壁の向こう、『兄貴』の部屋から微かな音が聞こえる。夜の闇に溶けて消えちまいそうなくらい静かなそれは、『兄貴』の寝息だ。

 穏やかで規則正しい寝息は、なんだかいかにも『兄貴』っぽい気がする。


(こんな小っせえ音、施設(あそこ)じゃイビキだの寝言だの歯ぎしりだのにすっかり紛れちまうよ)

 やっとのことで拾えた音のあまりの小ささに、ちょっとだけ笑う。

(『兄貴』、仕事で疲れすぎて、うなされることがなくてよかった)


 スウ……スウ……スウ……

 『兄貴』の寝息に聞き入っていると、ふと涙腺にじわりと圧迫感を感じて、目許が熱くなってきた。

 なんか知らんけど、泣きそうかも。

 そっと深呼吸をして、心を落ち着かせる。


 ――うん。俺は今もまだ、ひとりじゃない。



(そう。まだ始まったばっかなんだよ)

 暗闇とまどろみの中、ホロリと涙が一滴、目から零れる感覚を覚えつつも『兄貴』の寝息を意識して聞く内、ふと思う。


 地元を離れて移ったばかりのこの町、前いた所より断然静かな住処での暮らし、そして何より、俺と『兄貴』の『兄弟』という関係も、何もかもがまだ始まったばかりなんだ。

 今の状況はまだ、すっかり馴染んだってよりも、まどろみから本格的に眠るまでの間のようにじわりじわりと新生活に馴染みつつあるってとこ。

 でも、現状に不安はあまり感じていないんだ。


 今の居場所には母ちゃんも爺ちゃんもいないどころか、何年間か共に過ごした施設の皆までいないけど、それでもここには『兄貴』がいる。

 自分がひとりじゃない証拠が、静まり返った暗い中でも隣の部屋から確かに聞こえることが、俺にとっては救いだった。



 ◆◆◆


 ふと目が覚めた。窓の外は薄暗い。夜明けはまだ先のようだ。

 眠くて。瞼の重さに逆らわず、二度目の眠りに就く。


 まどろみの中、壁の向こうから相変わらず『弟』の寝息が聞こえて、知らず微笑んでいた。


 ――ああ、とうに俺は独りだと思っていたのにな。



 以前にも、『弟』の寝息を聞きながらまったく同じことを思ったことがある。

 それは、俺が初めて『弟』の寝息を聞いたとき――クソ親父の通夜の晩のことだ。


 『弟』は肉親と過ごす最後の夜だからと、本音か嘘かもわからない理由で施設長から宿泊許可を取り、俺と二人でクソ親父のそばに夜通しいた。

 "寝ずの番"という言葉の何処に、ヤル気が沸く要素があるのやら。渦巻き線香の火を見守りながら「俺、一晩中、起きてる。絶対寝ない」と息巻く『弟』は、頼もしくそう宣言した一時間後にうたた寝をしていたっけ。


 その時に見た、出会って間もない『弟』の――齢十五歳という年若いというよりかはまだ幼さの残る少年の――寝顔は年相応にあどけないながらに、これまでに負ってきた苦労に堪え忍ぶような気難しげなもので、やけに印象的だった。

 けれど、翳った寝顔に反し、寝息はスウスウとかクカーとかと健やかで、俺はそんな『弟』の様子を見て、実に不思議な心地になったのだ。


 ――棺桶の中の肉親よりも、目の前で無防備に眠る少年の方が余程、家族として愛しく思える、と。



 幼い頃から真実、親と思えたのは母のみ。だが、その母はとうに鬼籍に入っているし、母方の親戚で俺が知っている者はない。

 クソ親父の方の系図では、血が繋がった者ならばいくらかはいる。しかし、彼らは俺を家族と見なさず、俺も彼らを家族とも味方とも思ったことはない。――今はいない、唯一人を除いて。


 俺はずっと独りだった。

 だが、俺が独りである事実をその存在で以て覆したのが『弟』だ。

 クソ親父によって苦労させられていたのは俺だけではなかったと、彼の曇った寝顔で確信した。

 同時に、『弟』のあどけない寝顔と寝息が俺に齎したものは、"家族"、"兄弟"という関係の認識と情けだ。


 血縁故に彼をただ保護するだけではなく、『兄』として『弟』を助け、守ってやりたいという気持ちを俺に芽生えさせる不思議な"何か"が『弟』の眠る姿にあった。


 ――ああ、とうに俺は独りだと思っていたのにな。


 肉親の棺を囲むこの少年と名実ともに『兄弟』になろうと決意した瞬間、俺は独りではなくなったのだ。

 独りではないという事実はどうやら、殊の外、俺に安心感を抱かせるらしい。


 今もクークー、と壁越しに聞こえるいびきに安心感を覚えつつ、俺は再び眠りに就いた。

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