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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
馴染みつつある日常

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24/51

雨とコーラと決心と

更新が遅くなってすみません!

 ◇


 外が真っ暗になってから結構時間が経った。雨はまだまだ降っている。

 俺はとうに惣菜を作り終えて、今はだらだらと残りの宿題をやってるトコ。


 シトシトピチャパチャ雨の音。

 また起動させたオーディオアプリのプレイリストはやっぱり『兄貴』のお気に入りで、今は昔の洋楽が流れてる。

(歌詞、全然聞き取れねー)

 結局、一曲丸々聴いてみて、簡単な単語は何個かわかったけど、どんな歌詞かはさっぱりわからなかった。この一曲が流れてる間に宿題は何問か解けたけど、歌詞の聞き取りと和訳はどれだけかかっても……いや、何十回聴いてもできないままかもしれないな。



 ◆


「お疲れさまです。あとは部署の者だけでできますので、応援の皆さんはお帰りいただいて結構です。本日はご協力いただきありがとうございました」

 暮内氏に深々と頭を下げられる形で、応援組はお役御免となった。

 やれやれ、ようやくの解放だ。


(今、何時だ? あー、『同僚』見逃した)

 スマホで時間を確認する。時刻は午後十時過ぎ。毎週、『弟』と観ているドラマが終わり、報道番組が放送されている時間だ。

 残業が決まった段階でリアルタイムでの試聴は諦めていたが、今週は俺がお気に入りの寡黙なのにひょうきんな先輩検事の活躍する回だっただけに見逃したのが悔やまれる。

(録画しているからいつでも観られるが、どうだろう、アイツは観たかな)

 『弟』がドラマを観たのならネタバレがない程度で感想を聞きたいし、未視聴ならいつものように二人で観たいが、付き合ってくれるだろうか。


(そうだ、アイツに今から帰ると連絡を……いや、よしておこう)

 今から帰ると、自宅に帰り着くのは、『弟』が寝ようと自室に戻るか、既に寝ている時間になる。

 俺がここで帰宅予告をすれば、アイツは気を遣って、寝ずに待ってしまうかもしれない。

 『弟』の睡眠時間を削るような真似だけは、保護者としては避けたいところだ。スマートフォンを取り出すことのないまま、急ぎ足で会社を出た。


(少しでも早く帰り着いたら、アイツにおやすみくらいは言えるかもしれない)

 通勤に使うバスは今日の便は終わったが、電車ならばまだある。今すぐに帰れば、留守番をしてくれた『弟』に一声掛けるくらいはできるかもしれない。

 そうと決まれば、善は急げ。駅への道を急ぐ。


 あー、それにしても今日の残業は長かった。本当の本当に、お疲れさん。



 ◇◇


 曲も宿題も一区切りついたので、ひと息つくのにそばに置いてたコーラを手に取る。

 宿題を広げる前に冷蔵庫から出したコーラだから、ペットボトルはびっしょり濡れていて、中身もちょっとぬるくなってんのはご愛嬌。蓋を開けてたから炭酸がちょっと抜けちまってるかも。


 一口、コーラを口に含む。 

 口と喉をくすぐる炭酸。わざとらしい甘ったるさが舌を這う。

 鼻へ抜ける独特なにおいはスパイスと薬品、どっちのものなんだか。

(甘く煮たタイヤっぽいにおい?……いや、違うか。どことなく胡散臭いっつーか)

 ペットボトルを口から放し、舌にまとわりつく甘さに目を眇める。


(うん、やっぱ、コーラはあんまり好きじゃねーわ)

 自然界にはなさそうな黒い色とか、クセのあるにおいとか、炭酸特有の針先で舌全体をつつくような刺激とか、過度な甘味に紛れる微かな酸味と苦味とか、飲み込んだ後に口内に残るぬるつきが、好きどころか嫌なのに。

(それでもたまーに衝動的に飲んじまうのはなんでかねえ)



 ――こんな、コーラみたいな人間がかつていたな。

 ぬるい液体を飲みながら思う。


 耳を澄ませば、パチパチと炭酸の泡が口内で弾ける音。それが外の雨音と一緒に聞こえる。

 雨は嫌いだ。コーラもこうして飲んじゃあいるが、やっぱり好きじゃない。何故って、どういうわけだかそのどちらに触れても、"クソ"が付くほど嫌いな男――親父を思い出しちまうから。


(今日はなんなんかね。アイツのこと、やたら思い出すじゃん。胸くそ。ああもー)



 ◆◆


 今夜は電車で帰ることにしたのだが、これは仕事終わりの身としては少々、気が重い移動手段であった。

 何せ、自宅最寄りのバス停に比べると駅から自宅までの道のりは断然遠いのだ。まして、今日のように雨が降っていれば、移動の面倒くささは倍増する。

 タクシーが拾えればいいが、徒歩だと思うと、その道のりはより長く、より面倒くさく感じられた。


 目的の駅に着き、電車を降りたところで本日何度目かのため息を吐く。

(ぬるい。ジメジメと蒸し暑くて鬱陶しい)

 夜になって幾分か落ち着きはしたものの、それでも外はまだまだ快適とは言い難い熱気が残っているし、降り止まぬ雨がもたらす湿っぽさが輪を掛けて、まとわりつく空気を不快にさせた。

(冷蔵庫から熱帯雨林に出た気分だ。何度、経験しても慣れん)

 つい先ほどまで肌寒いくらいに冷房が利いた車内にいた身としては、この急激な温度差は些か堪えるものがある。

 これだから、夏は苦手なんだ。



 ◇◇◇


 うっかりイヤな奴を思い出しちまったから、気分転換に外を見よう。

 立ち上がるは面倒だ。四つん這いで窓に寄る。

 雨で床が湿気てるのか、手のひらが床に接する度にペタリと張り付く。なんだか、は虫類とか両生類のしっとりした生き物になった気分だ。


(今ならもしかすると壁を這い回れるかも。……いや、ウソ)

 壁と天井を見上げて、重力などお構いなしに部屋中を縦横無尽に移動する自分を空想する。

 でも、四つん這いで壁を登り天井を這う自分の姿は傍から見れば、忍者とかクライマーとかの格好いいものではなく、まんまゴキブリじゃねーか、と思うと同時に、無邪気な空想を掻き消した。


(何、脳内ひとりノリツッコミしてんだ、俺)

 明らかに暇を持て余しすぎな自分に呆れつつ、窓の前で上体を起こして膝立ちする。カーテンに手を掛け、顔の幅ほど開いた隙間から外を窺う。



 雨はまあ相変わらず。雨足もこれといった変化なし。激しくはないが、止む気配もない。こりゃあ、明日も降るかも。

 辺りを見回す。パッと見、夜道を照らす街灯が少し目立って見えた。これは、そこいらの家の明かりが減ったからだ。

 近所の家とかアパートの窓は大半が暗くて、明るい所がポツポツとある。子どもとジジババはとうに寝てて、大人もそろそろ休み始めるくらいの時間だし、こんなもんだろ。

 空は一面、くすんだ藍色と鼠色を混ぜ繰り返したような色。当然、星も月の光もない。

 目の前で落ちた雨粒に釣られるように視線を下ろし、アパートの角に設えられた街灯の下に目をこらす。

 人影どころか動くものは何ひとつなかった。



 ◆◆◆


(さて、どうするか)

 駅を出て、その軒下から夜の藍色に染まる駅前ロータリーと降りしきる雨を眺めながら、どう帰ろうかと思案する。


(とっとと家に帰って、入浴を済ませてすぐに寝たいところだが、タクシーは……ないんだよな)

 地方のちっぽけな駅でも、いつもならタクシーが数台控えているのに、今は残念ながら全部出払っている。

 そうなると、あとは徒歩しか移動手段がない。


 駅から自宅までは徒歩三十分。体力のある時なら散歩に適した移動時間だろうが、残業帰りの疲れた身で歩くとなると話は別だ。

 そして、この雨は今朝の予報にはなかったので、当然傘は持ち合わせていない。体調は悪くないが、通常業務に加え、残業での長時間の作業と不慣れな運転と軽い肉体労働で、かなり疲労が溜まっている。そんな状態で、この雨の中を三十分ほど濡れながら歩けば、下手をすると風邪でも引きかねない。

(傘買うか。ああ、食事もまだだったな。となると、どこか店に寄らないと)


 ふと、なんとはなしに目の前の光景を眺める。

 一向に止まぬ雨、アスファルトをうっすらと覆う雨水、車のないロータリー、傘を差して移動する人、傘もなく濡れながら移動する人。

 疲労している自分、これから移動するのは徒歩三十分の道のり、夜でも蒸し暑い外、家で留守番をしている『弟』。


(もう濡れてもいいか)

 疲れすぎて、何か考えるのもダルかった。

 濡れて体が冷えたとて、冬でなし。この暑さなのだから、帰宅後すぐにシャワーを浴びれば、風邪はひくまい……多分。

(濡れてもなんでもいい。俺は早く帰りたい)

 途絶えることのない雨を見詰めること三秒。南無三、と駅の軒下から雨の中へと駆け出した。



 ◇◇◇◇


 一軒、また一軒と家の明かりが消えていく以外は、動きのない夜の町をひとり、じっと眺め続ける。

 スマホからは曲が流れる以外に、何らかの通知音が鳴ることもない。それはつまり、『兄貴』からの帰宅予告もないってワケ。

(いや、『兄貴』、マジ遅くね?)


 窓を開けたまま、片膝を立てた態勢で耳を澄ます。

 どこからか足音が聞こえやしないか、しばらく聞き耳を立てても、上の階からの間延びした足音だけしか聞こえない。

 上の人、めっちゃ眠いんだろうな。ペッタラーペッタラー、とスリッパの裏で床を軽く擦るような足音がいかにもな感じ。


 そう。外の明かりや上の階の人の足音でもわかる。家にいる人の大体は、きっともう眠たいんだ。いつもの俺だって、この時間はそろそろ寝ようと部屋に引っ込んでるし。

 でも、今の俺はそうじゃない。暇を持て余してはいるけど、全然眠くなくて、『兄貴』の帰りをなんとなく心待ちにしてる。

 だから、町が暗さを増すほどに、人々が寝静まるほどに、なーんか、落ち着かなくなってるんだ。

 そんで、思いつく。


 ――傘持って迎えに行こうかな。



 ちょっとだけソワソワ。

(いやいや、こんな夜遅くに外ウロつくわけには)

 ソワ、ソワソワ。

(でも、待てよ。『兄貴』傘持ってないから、雨で立ち往生してたりとかない?)

 ソワソワ、ソワソワ。


「ええい! 迷うより動け!」

 ガララッと目の前を窓を閉め、立ち上がる。

 夜回りのケーサツがなんだ。俺には雨で立ち往生してる『兄貴』に傘を届ける大義がある。……いや、大義ではないか。ないけども、気にはなるわけで。

 まあいいや、行こ。行っちまえ。

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