入れ知恵とさびしがりや(後)
今回は『兄貴』パートが長めになります。
『兄貴』による篤志の解説。
◆
荷物を積んだ車が続々と倉庫から出て行き、会社に戻っていく。俺も後に続こうと車に向かっていたところ、背後から小走りの足音と共に名を呼ばれた。
振り返ると、痩身の男が肩で息をしながら会釈をする。
暗がりではあったが、マッチ棒のような体格のおかげで誰かはすぐにわかった。一時間半ほど前、会社に戻ってきた篤志に同行していた企画担当者で、俺も運搬作業の打ち合わせの際に少しやりとりをした人だ。
「お疲れさまです。今少しお時間をいただいてよろしいでしょうか」
やや気弱そうな印象の細い声に、慇懃な口調のその男、名は確か――
「お疲れさまです、暮内さん。今、丁度、荷物を積み終えて社に戻るところでしたので、お話しいただいて大丈夫です」
「では、先程はご助言いただきありがとうございました。おかげでスムーズにことが運びました」
暮内氏はそう言うと、笑顔で丁寧に頭を下げてきた。
「……ご丁寧にどうも」
相手の頭を唖然と見下ろすこと三秒。ハッと我に返り、彼に倣ってこちらも頭を下げる。
(『ことが運び』ということは、この人は俺の提案を実行したのか)
部署外の――いわば作業を手伝っている以外は企画とはほぼ無関係と言っていい人間の提案を聞き入れるだけでなく、素直に実行してくれるとは思っていなかっただけに、些か驚いた。
しかも、スムーズにことが運んだ、と笑顔で述べる氏の様子に取り繕った感じがないことから、俺の提案したことは上手く作用してくれたようである。
「助言なんて大したものでは。少しでもお役に立てたのなら、何よりです」
――社交辞令ではなく本当に。
暮内氏は頭を上げるついでにこちらの耳許で、やけに実感の籠もった声で囁かれたものだから、俺は内心、深くため息を吐いた。
ちなみに、このため息は篤志のせいだ。
(部署外の人間のテキトーな入れ知恵にも拘わらず、ここまで感謝されるとは。篤志はどれだけポンコツなんだ?)
篤志は昔から名家の一員としておだてられ、また四兄弟の末っ子として家の人間から随分と甘やかされて生きてきた。
本人曰わく、『誉められるとメキメキ育つ』、『ちょっとやそっとの失敗ではへこたれない』、『天才肌』。
だが、奴ほどおだてに弱く、ちょっとの失敗でへそを曲げてしまう根っからの甘ったれはいない。
更にタチが悪いことに、アレは自惚れ屋でもあった。学生時代に体格の良さからスカウトされて、のめり込んだラグビーで好成績を上げたという自負が、過剰なまでの自信を呼んだようだ。
肉体を鍛え上げたのならば、ついでに精神も鍛えられれば良いものを、そうはいかないのがあの男である。
少しでも自分の予想外なことや都合が悪くなると途端に不機嫌になり、どんなに原因が自分にあろうとも強引に余所へ責任転嫁する悪癖は幼い頃のまま変わらない。
成長とは時に、ままならぬもののようだ。
(『ままならぬ』ではないか。篤志の場合は環境によるところも大きいし)
篤志は昔からとにかく人に集られた。
家では使用人が、学校と部活では教師と生徒が、他の場所でも篤志目掛けて人が寄り、ちやほやと持て囃す。
取り巻きの目的はなんのことはない、単純にお家の恩恵に与りたいからだ。そして滑稽なことに、篤志は持ち前の鈍感さゆえに、取り巻きらから得る人望を偽りのものともわからず、満更でもないご様子ときた。
そんな篤志が長年に渡り身を置いてきた歪な環境は、傍から見れば茶番であり、見方によっては哀れみさえ誘うが、俺はそこに同情はしない。
たとえアレが裸の王様然としていようが、本人が満足しているのなら、部外者の俺が同情するのは傲慢だと思うからだ。
その"裸の王様"が社会人になり、親の会社に入ってポンコツになるのは、順当な流れではないか。
篤志をいいだけ可愛がり甘やかしてきた身内ならともかく、アレと仕事をせねばならない人達にとっては迷惑この上ない話であるが。
◇
(畳んだ洗濯物も片付いたし、そろそろメシにすっかな)
フンフン、と鼻歌を歌いながら冷蔵庫の中を物色する。
ちなみに、今スマホから流れてるのは一昨年流行った刑事ドラマの主題歌だ。
前に同じ『兄貴』のお気に入りリストを再生した時は、津軽三味線とギャグみたいな歌詞のハードロックを聴いたんだけど――
(『兄貴』の曲の趣味、混沌としてんな)
どうやったらこんなに幅広いジャンルから気に入った楽曲を選び出せるんだろうな。今度聞いてみよ。
そんなことよりも今、重要なのは曲ではなくメシである。
(ハムカツがあっから、付け合わせは千切りキャベツとトマト。けど、流石にハムカツは一枚だけじゃ物足りないな)
そういや、精肉店のおばちゃん店員が言ってたけど、店でフライを買って家で手を加える人も多いんだと。トンカツだけ買って、カツ丼とかカツサンドにするとか。
「あ、やべ。カツ丼の口になった」
けど、トンカツ用の肉なんて買ってない。あるのはハムカツ一枚だけだ。
今、冷蔵庫にある肉は生姜焼き用の豚肉だけど、カツにするには薄っぺらい。が!
(アレ、やっちゃう?)
フッフッフ。俺には秘策があるんよ。
冷蔵庫から薄切り肉と卵とスライスチーズ、他の食材も取り出し、調理台に並べる。
(今日の献立はアレとソレとコレで……よし、いける)
『兄貴』のいないひとりメシ。なら、ちょっとくらい冒険してもいいわけで。
「うっし! やるぞ!」
気合いが入ったところで丁度いい具合に流れてきたハードロックをBGMに、包丁を構えた。
◆◆
「出発前にお引き止めしてすみませんでした。私は倉庫のチェックがありますので、これで失礼します」
そう告げて、空になった倉庫の確認に向かう暮内氏の痩せた背中を見送りつつ、俺は社で彼と交わしたやりとりを思い出す。
(『助言』ね。そんな大したものじゃないんだが)
思いがけず暮内氏に感謝されることとなった『助言』とは、ありふれた提案とちょっとした入れ知恵のことである。
提案したのは、長丁場の作業においては定番の差し入れだ。
企画の担当部署では他部署に応援要請までして作業を行っているが、現場は良い雰囲気とは言い難い。
急な残業への不満や日中から蓄積された疲労や空腹で士気が低下傾向なこともあるが、何よりも担当部署の社員全体の気が立っているのが要因だ。
彼らの苛立ちの原因は度重なるアクシデント対応による疲弊だけでなく、篤志への悪感情も一因としてありそうだと、彼らがアレに向ける剣呑とした眼差しと陰口で推察された。
(篤志は存在そのものがうるさいからな。平素より口も態度も行動もウザいが、こういう切羽詰まった状況になるとそれが余計に火に油を注いでしまうんだろうな)
決して良いとは言えない現場の雰囲気。それを少しでも和らげるには差し入れが有効なのではないか。
時刻は夕方、食事時。今し方、倉庫から発送された荷物が社に着けば、電話番以外は総員、詰め替え作業の手を止めて作業場への運搬に回る。この隙に休憩がてら軽食の差し入れをして、鋭気を養って貰うのはどうかと暮内氏に提案した。
空腹は人をネガティブにさせる。少しでも腹を満たせば気も少しは紛れるだろうし、作業効率の向上にも繋がる筈だ。
そして、こうも付け加える。
――リフレッシュついでに、代表担当者さんの機嫌も取りませんか。
篤志が現在、トラブルの連続で不機嫌になっているのは、会社で自分語りに夢中な様子で察せられた。
アレの自分語りは数ある構ってムーヴのひとつだ。特に自分の非を認めたくない時と自己顕示欲を満たしたい時に語り出すのは、旧知の者ならば誰もが知っている。
現場は混迷を極めているというのに、まったくの他人ごとで自分のことしか見えていないのは、篤志がそれだけ余裕をなくしているからだ。
(幼少期なら癇癪を起こす一歩手前だが、今はどうだろうな。黄色信号くらいか)
流石に、いい年をした男が喚いたり暴れ出す姿は勘弁願いたい。
(いや、もう既に勘弁願いたい状態なんだか)
俺の経験則から言えば、不機嫌な篤志は扱いづらく、なにかあるとすぐゴネる。
ゴネる自惚れ屋は、厄介とまではいかないが面倒くさい。特に不機嫌時のこの男は、他人の言をなかなか聞こうとはせず、自分の意のままに突っ走る傾向にある。
その篤志の猪突猛進ぶりを矯正したり、制御できる存在があればいいが、現状では難しかろう。何せ、社内における篤志の立場は社長子息という次期幹部候補を囁かれる微妙なものであり、他の社員ではおいそれと口出しが難しい存在となっているのだから。
しかし、そんなお坊ちゃんでも、彼は歴とした社会人なのだ。自分にではなく他者に従わねばならないときも必ずある。
そういう時はいっそ、アレを駒に仕立ててやればいいのだ。
◇◇
「ふ、ふおぉ……!」
台所の調理場で、俺は自作の丼を前に打ち震えていた。
丼の中身はハムカツと豚とチーズのミルフィーユカツがこんもりと盛られ、その下には千切りキャベツが敷かれてる。
「うまそう! いや、絶対うまい!」
今日はカツをたっぷりの玉葱と一緒にダシに浸して玉子でとじたトンカツじゃなくて、ソースカツ丼にしたんだ。ちなみに大盛のご飯にはかつお節と醤油を混ぜ込んでる。
ソースと醤油の混じる部分は味的にどうだろ? そこは冒険だけど、たとえ失敗したとしても、これを食べるのは俺だけだから無問題。
(うまかったら、『兄貴』にも今度作ってやろう)
あとは丼だけじゃ寂しいから、豆腐と人参の味噌汁とたたききゅうりの梅肉和えも付けた。
(ンヒヒ、我ながら完璧な出来じゃね?……って、うわ、外、暗)
上機嫌でできた料理を手に取り、食卓に運ぼうと顔を上げた瞬間、居間と窓の向こうに見える景色のあまりの暗さに、つい驚く。
省エネっつって自分で居間の電気消したの、完全に忘れてたわ。
台所は明かりを点けてたし、調理に夢中で気付かなかったけど、いつの間にか外はすっかり夜になっていたんだな。
(なんか、変な感じ)
◆◆◆
どう見ても篤志に振り回されている様子の暮内氏に吹き込んだのは、お坊ちゃんを軽く担いで、もう少し扱い易くする方法である。
不機嫌な時の成功率は五分ではあるものの、やり方はわりと単純かつ簡単だ。
まず、今が食事時であることを利用して、世間話のていで篤志の行きつけの飲食店や定番の土産ものを聞き出す。相手が答えたら適当に褒めそやし、そして、さり気なく差し入れの話に持っていく。
例としては「"篤志さんの上げたもの"は差し入れによさそうですね」でもいいし、「以前、こういうものを差し入れしたことがあるが、"篤志さんの上げたもの"も喜ばれそうですね」でもなんでもいい。目的は単に、篤志の耳に"差し入れ"の四文字を入れておきたいだけだから、内容はテキトーでいいのだ。
暮内氏がすることはそれだけ。
あと、大事なことがひとつ。
――注意点として、提案は絶対にしないこと。あくまでも、ほのめかすだけで充分です。
篤志は基本的に他人の声は右の耳から左の耳で、不機嫌な時にはどんな提案も突っぱねるようになっている。
だがしかし、自分の思いつきにはとことん従順な奴なのだ。そして、ひらめきだか思いつきだか気紛れだか知らないが、それを実行する為のバイタリティとポテンシャルが異様に高い。
だから、篤志を駒に仕立てたければ、アレの手柄に結びつきそうなアイデアを餌に、その目の前に垂らしてやればいい。うまくいけば勝手に食いついて、あとは全力で動く。
案の定、篤志は今、俺と暮内氏の狙いどおりに差し入れの手配に行ったというわけだ。相も変わらずチョロい。
「『尽力してくれる仲間の士気を高めるのも、リーダーの務めだから』と自ら率先して、役を買ってくれまして」
俺に報告してくれた暮内氏が満面の笑みでそう告げたのが印象的だった。
差し入れを提案した俺が言うのもなんだが、つい先程までこの倉庫で行われていた荷物の運搬なら肉体派の篤志も活躍できた筈。いわば、現場の貴重な労働力が減ったも同然だ。
それにも拘わらず、暮内氏の先程の表情は会社での初見時よりも断然和らいでいた。――まるで、『篤志が一時でも現場から遠ざかってくれて良かった』と言わんばかりに。
(そういえば――)
初見時よりも表情が和らいだのは暮内氏だけではなかったな、と彼が倉庫に到着した時のことを思い出す。
俺の印象に残っているのは、暮内氏と同行していた筈の篤志の姿がなく、どうやら倉庫には来ないらしいと知った瞬間の、この場にいた人達の反応だ。
――良いじゃないか。彼がいない分、運搬がスムーズに済みそうだ。
誰かがそう言ったのを皮切りに、その場にいた担当者達が一様にほっとした表情を見せる。
それを見た俺は、"篤志の差し入れ"の思わぬ効力――篤志が一旦現場を離れることで得られる仕事の円滑化と心の平穏――に気付いたのだった。
(どれだけ仲間からの心象が悪いんだ、アイツ)
取扱い注意のトラブルメーカー視確定じゃないか、これ。
本当に、篤志はこの数ヶ月でどれだけやらかしまくったのやら。当事者に訊くのも恐ろしい。
とにかく、この後で出される篤志の差し入れが好評であれば、不満の声は多少治まるだろう。差し入れの品のチョイスが微妙だとしても、空腹が治まれば作業効率が少しは上がる。悪いようにはなるまい。
篤志も差し入れというひと仕事を成し遂げ、それを人から喜ばれることで自尊心が保たれれば、いくらか機嫌が治る筈だ。
(まあ、篤志が絡むことだしな。ことがすべて上手くいくなんて期待はすまい)
少なくとも、状況がこれ以上悪化することはないだろう。……なければいい。ないといいなあ。
(ついでにこれを機に、篤志の同僚がアレの扱い方を把握できれば、今後の負担も多少減るだろ)
俺はよその部署の人間だが、さっき会社で見た時のような、篤志の阿呆みたいな言動――ふんぞり返って自分語りしかせず、打ち合わせや同僚への労いはすべて他に任せきり――が減ることを祈った。
◇◇◇
台所の蛍光灯で微かに照らされた暗い部屋に、言い知れぬうすら怖さを感じ、慌てて居間の明かりを点ける。
部屋が明るさを取り戻したからといって、この不安に似た奇妙な感覚が消えることはない。寧ろ、明るくなった部屋は心なしかシラけて見えた。
(慣れねーな)
この気持ちが何かも、原因もわかっている。だからこそ、頭を軽く振って気を取り直し、できた料理を食卓に運んだ。
食卓に並ぶのは、丼と味噌汁と小鉢に入ったきゅうりと麦茶。
『兄貴』とふたりで食事をする時は皿で埋め尽くされるテーブルも、一人分だけの料理となるとえらく余白が目立つ。
「……」
思うところがあり、暗い玄関に目を向け、耳を澄ます。
雨の音と、スマホからは聞き覚えのあるジャズがまた流れているんだけど、外通路を歩く足音はいつまで経っても聞こえない。
(静かで、つまんねー)
――寂寞
『兄貴』から借りた本で知った小難しい単語が頭に浮かび、それを打ち消すように半ば八つ当たり気味で、揚げ焼きしたトンカツにかぶりついた。
「うまいじゃねーか」
でも、多分、誰かと一緒に食うほうがもっとうまいんだ。
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