薄暮と雨
◇
背中にはリュック、チャリのカゴには本日の戦利品を山盛り積んで、上機嫌で商店街を後にする。
(うん。ここは良い穴場だった)
おやつに食べたコロッケパンはソースたっぷり、熱々のザックザクで大満足。商店街にあった個人経営のスーパーではお買い得品もゲットできた。
パッと見冴えないアーケード街だし、通学路からはちょっと外れてるし、家からも決して最寄りとは言えない距離だけど、来て損はない。教えてくれた安達には明日、お礼を言わんと。
(さて、雨が降り出す前に帰っか……な?)
チャリのペダルに片足を掛け、地面を蹴ろうとした瞬間、ポツンと雫が手の甲に当たる。
(雨?)
空を仰けば、どんよりとした灰色の雨雲が空を埋め尽くしていた。
ポツン、ポツ、パラ、パラパラ
雨だ。
雨粒が次から次に落ち、地面に小さなシミを増やしていく。背後の商店街からは屋根を打つ雨音も微かに聞こえた。
(ヤッベ、もう降り出しちまった)
夏の雨は厄介だ。降り出したと思ったら土砂降りになることもある。
(マズい! 洗濯物)
屋根のあるベランダに干したとはいえ、雨風に吹かれては濡れてしまう。
(うぅっ。帰りはハムカツ食いながらのんびり帰ろうと思ったのに)
チャリの籠の片隅に目を遣れば、ハムカツが入った紙袋が哀れにも雨に晒されていた。
◆
車窓の外は薄暗く、厚い雲が張った空は今にも泣き出しそう。そして、目の前には夕方のラッシュで混む車の群。
赤信号での停止中、ふと目に入った光景に、慣れぬ運転への不安が過る。
(いかん。集中しろ。でも、力みすぎない)
社用車のハンドルを握る手に自然と力が籠もるのは、いかに運転し慣れていないかの証だ。緊張のせいで停車する度に吐息してしまう。
ただ運転するだけでも神経を使うのに、今使っている道も初めてのものだから、うっかり迷わないよう気を張り続けているから余計に疲れる。
(この混雑のどこかに、ウチの車もあるんだろうけどな)
前後に同じく倉庫へ向かう社用車もあるはずだが、見失って久しい。
(ナビ通りに走っているから道は間違っていないはずだが)
社からここまで、先導車とカーナビの案内に従って走ったから迷ってはいないだろう。念のためにカーナビを確認してみたが、やはり道を外れた様子はない。
だが、それでも不安を払拭できないのは、先程から脳裏に怪訝そうな『弟』の顔が浮かぶからだ。
◇◇
やっぱあ、夏の雨は侮れん。
商店街を出た先で降りだした雨は見る間に勢いを増し、夏の熱気で焼けたアスファルトを瞬時に濡らした。
地面からモワリと上るぬるい水蒸気をすぐさま洗い流すような強めの雨風だから、当然、俺も帰り着く頃には濡れネズミなわけで。
(雨、いきなり本気出して降り出すなし)
悪天候、急すぎん? 半日前の青空、どこいったん?
チャリを爆走させて帰り道を急ぐ。自分は濡れながらも、それでも紙袋なんて水耐性弱々なモンに入ったハムカツを守るべく、雨が本降りになる前に、エコバッグに突っ込んだ俺、えらい。
ウチに帰り着いても、チャリを爆走させた勢いのままバタバタとベランダへ向かい、洗濯物を回収した。
風向きが良かったのか、洗濯物への被害はないっぽいのが幸いだ。
ひとまず洗濯物は救った。今の俺は濡れネズミだから畳むのは後。次に救うべきは買ってきた食い物。暑気に晒されていたそれらをとっとと冷蔵庫に押し込む。
(うっし! ミッションコンプリート。次、俺)
◆◆
――『兄貴』、悪いことは言わん。もう慣れん道を自分の勘で進んじゃダメだかんな。
これはクソ親父の墓に『兄弟』で行った時、散々道に迷った末に『弟』が言ったセリフだ。
助言ではなく、警告の意図が強いことはその強めに言い含めるような言い回しから明白だった。
(アイツに注意されていなかったら、多分、今頃はああいう道に入っていたんだろうな)
チラと一瞥するのは、先程から何台かの車が進入している狭い脇道。
混雑中にその光景を見てしまうと、ナビに示されていなくてもつい、脇道に入りたくなってしまう。
混雑する本道を出て、渋滞を避けるように脇道から迂回して目的地へ向かう方が時間を節約できないか。
今も頭の片隅で考えているのだが、『弟』の「道路上での直感には簡単に従うなよ」との警告が行動にブレーキを掛けている。
試しにカーナビのマップをスライドさせて、目の前の脇道の行き着く先を確認してみた。
この辺りは細い道が碁盤目状に入り組んでいる上に、ビルが乱立しているようだ。どこも似たような景色ばかりなのは容易に想像できる。道に慣れた者でなければ迷ってしまいそうだ。
(『兄貴』にとってはハズレの道だ、とアイツは言うんだろうな)
『弟』の警告を無視せずよかったと、人知れず苦笑する。
ほらー、言っただろ、とドヤ顔で言う『弟』の様が目に浮かぶようだ。
こんなところでも、俺はアイツに助けられている。
◇◇◇
「ふー、さっぱりした」
浴室を出て体を拭けば、つい言っちゃいがちな一言を今日もやっぱり言っちまう。
(あとで牛乳飲も)
これも入浴後の典型。これをやんなきゃ決まんねえってこと、あんでしょ。
(それにしても)
ティーシャツを着つつ、出たばかりの浴室を見る。
雨とはいえ、まだ夕方だから換気用の窓の向こうも浴室内もまだ明るい。おかげで入浴中も照明を点ける必要がなかった。
だからかな。
(明るい時間の風呂って、やっぱりちょっと変な感じ)
外では働いてる人や活動している人がまだまだいる時間帯。
窓からは雨音だけじゃなく、この近隣のどっからかで立てられた生活音とか人の声も聞こえる。
(フハ、これ、どこの家の坊主だろ?)
子どもが母親に今晩の献立を大声で訊いてら。離れたヨソんちにまでしっかり聞こえてるって、元気がいいな。
そんな、誰もがまだ活動的でいる時間に湯なんか浴びるなんて、なんだかちょっと不思議な気分だ。
罪悪感にちょっと似て、なんとなく非日常で、けどどこかしらリッチな気分を味わえるから、夕方の風呂って変な感じ。でも、全然悪くない。
学校行って勉強して、居眠りもちょっとしたりして、部活で体も動かした。
帰りは商店街で寄り道して、うまいコロッケパンおやつに食って、帰りは雨に降られちまったけど、これこのとおり、シャワーを浴びたから心も体もさっぱりだ。
(うん。今日も平和で良い一日だったじゃん)
まだ、これから色々しなきゃいけないことはあるけども、まあ、概ねいい日ってことで。
そんじゃあ、さて。風呂ですっきりしたとこで、さっきの坊主じゃないけども、晩メシはなんにしようかな。
ふたりじゃないからちょっと手抜きができる晩メシ。
ひとりだからちょっと寂しいかもしれない晩メシ。
(『兄貴』にもなんかちょっと作ってやろっかな)
――ここにはいない人を気遣うなんて、本当のひとりぽっちじゃできないよな。
雨と換気扇の音が聞こえるほどの静けさの中、ふと思う。
◆◆◆
混雑の中、やっと前方を行くウチの社用車を見つけてほっとしたのも束の間、フロントガラスに雨粒が落ち始めた。
徐々に勢いを増す雨にワイパーを回そうとして、ウォッシャー液を出してしまう。
おい、ペーパードライバーよ、勘弁してくれ。
泡混じりの水にまみれた車窓の景色の中、雨に打たれながら歩道を駆ける人を見た。
(アイツ、帰り道で雨に降られなかったかな)
今まさに学校帰りかもしれない『弟』のことが、ふと心配になる。
こちらに越してからの『弟』は、放課後は体験入部と夕食の買い物の後に帰宅しているようだ。
その日の用事によって家に帰り着くのはまちまちだが、大抵は俺の帰宅よりも早い。だが、一度だけ暗い時間に帰り道でばったり出くわしたこともあった。
(あの時は野球部の体験入部だったな)
――ずっと球拾いしててさー。もー、ヘトヘト。
泥だらけのジャージ姿で疲れた、と言いつつも楽しげに笑う『弟』は、高校生活を満喫しているようで、見ていて微笑ましかった。
今日はどうだろう。野球部の時のように泥だらけになったのかな。雨に降られて、慌ててチャリを飛ばしたかもしれない。
雨の街中、店先で雨宿りをする学生数人を見掛ける度に、つい目が行ってしまうのは、そこに『弟』の姿を探すからだ。
ひとりだった頃はまったくしなかった誰かへの心配も、人を探すという行為も、『弟』がいる今は自然としてしまう。それのなんと不思議なことか。
こんにちは、『ひとりじゃなくふたり』著者の三山 千日です。
『ひとりじゃなくふたり』をご閲覧いただきありがとうございます。
本編『馴染みつつある日常』は諸事情により、"年内(2023年)の更新"は今作で最後となります。
次回(12/26)更新は『閑話休題』本編の時間軸より少し外れた時季のお話を公開予定(急遽更新日変更するかもしれません)です。
そして、もう一つお知らせです。
なろう版『ひとりじゃなくふたり』が某所にて先行公開している話に追いついてしまったため、2024年は本編と『兄弟』の日々の出来事を書き綴った掌編『番外編 『兄弟』と四季』を公開していく予定です。
『番外編』はシリアスな部分の多い本編よりもほのぼのとした内容になりますので、息抜きに読んでいただければ幸いです。
2024年も『ひとりじゃなくふたり』を読者のみなさまに楽しんでいただけるよう、頑張って書いていく所存ですので、どうぞお楽しみに!




