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ひとりじゃなくふたり  作者: 三山 千日
馴染みつつある日常

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16/51

山椒と梅味

今回から一話が少し長めの話になります。


※閲覧注意

 死にネタ(『兄弟』の父親の臨終の話題に触れます)、偏見などの人によっては苦手であったり不快になる要素を含むシーンがあります。

 以上の要素が苦手な方は自己責任のもと、閲覧のご判断をお願いいたします。尚、その上で本作においてご気分を害されましても、当方は責任を負いかねますのでご了承くださいますようお願います。

 ◇


「なあ、お前、兄貴と暮らしてんの?」

 昼休み終了一〇分前。教室に戻ると、俺の席を陣取っていたダチの安達が藪から棒に訊いてきた。

 コイツ、昼休みに担任から呼び出しを食らっていたが、どうやら俺の素行調査に付き合わされてたっぽいな。

 安達は俺と席が前後で休み時間とかにわりとツルむから、担任はそれに目を付けて、俺の様子を探るよう指示したってとこか。


(んー……まだだな)

 この話題に乗ると、したくもない話になりそうな予感がする。

 俺はまだ、自分の事情を詳らかにしていいと思えるほど、安達(コイツ)のことを信用していない。



 ◆


「おっ、いいもの食べてるな」

 弁当のブロッコリーを口に運ぶと同時に、背後から声を掛けられる。

 振り向いて声の主を窺えば、昼食から戻った上司だった。

「随分とまあ……ゴホン」

 残り少ない弁当と食べかけのおにぎりを見た上司は、何を言おうとしたのやら。空咳で誤魔化された先は考えずにおく。

「ところで、どうだね。弟くんとの生活は慣れたか」

 『弟』――その一言で一気に白けた。


 この上司は一体、俺に何を求めておいでなのやら。

 歪で虚ろとも謂える内実はともかく、"あちら"と一応は繋がりのある俺のことを、この人は腐っても鯛とでもお思いの上で、何やら期待でもしているのか、偶に、こうして下世話になる。

「お陰様で」

 相手に向き合いつつも、目は微妙に合わせず、下手な笑顔で返す。



 ◇◇


 人は誰だって、いつだって、そうだ。

 自分とは異なる状況や環境にある人間に近付き、相手が抱える事情を暴かんと、好き勝手に突いてくる。

 それが"そっち"の興味によるものか務めだかひやかしだか知らんが、()()()にとってはまったくもっていい迷惑だ。

 ――俺は昔も今も、フツーに過ごしてるだけだってのに。



 俺の事情を探られることは面白くないけど、それを薄っぺらな笑顔で隠した。

「そー」

 返すのは素っ気ない一言。そして、表情にも声にも感情を込めず、平坦な調子で聞き返す。

「それがどしたん?」

 相手は一瞬、息を呑む。それからさっきの質問を誤魔化すようにヘラリと笑った。



 ◆◆


「いやあ、ウチの子も今、思春期で大変でな。最近は娘といると少し気まずくてね」

 上司が苦笑まじりに語る。

 相手が家庭での苦労に労りと同調のどちらを求めているのか、もしくは両方を求めているのか、迷うところだ。取り敢えず、はあ、と生返事をしておく。


(俺は別に、大変と感じたことはないけどな)

 『弟』は確かに思春期だが、アイツといて気まずく感じたり、苦労させられたことは今のところないので、上司の発言にいまいち共感できない。

(あ、いや、少し違うか。気まずかったことならあったな)

 はた、と思い直す。

 やはり、大変とまでは思わないものの、『弟』といて気まずい雰囲気になったことならある。『弟』と初めて会った時だ。


(あれは仕方ない)

 そう、仕方がなかった。思春期云々の話とはまた違う。

 何せ、あの時は碌でなしのクソ親父とはいえ、自らの親の死に際に居合わせていたのだから。



 ◇◇◇


 ウチには姉貴と妹がいてさ、と安達がスナック菓子の袋の口をこっちに差し出しながら告げた。

 あんがと、とひとつ摘まんだ棒状のスナックはやたら赤くて、内心、ギョッとする。

「二人とも辛口でさー」

 それは態度と嗜好、どっちの話だろ?

 どぎつい赤を見下ろしつつ、思う。


 恐る恐る口に入れたスナックは辛くはないけど、耳の下が痛くなるくらいすっぱかった。

「すっっっぱ! 梅味かよ。あ、でも、おかかの味もする」

「うまいっしょ、コレ。今のマイブーム」

 酸っぱい系スナック、初めて食ったわ。梅おかか味だからか存外、抵抗感はない。


「あ、ウチの女どもの辛口はさ、激辛好きで、言うことも辛口って意味な。でも自分には激甘なんよ」

 そんなん、「ああ、そうなん」としか言えなくね?

 相手は喋ってる間もポリポリと、すっぱいはずのスナックを表情筋ひとつ動かさずに食べている。見てるこっちの口の中がすっぱくなりそうだ。

 口の中のものを飲み込んだ安達は、またしてもヘラリと笑う。

「ヒトには辛口で手厳しいけど、その実、自分らはけっこーだらしなくてさ。そんなん、厳しく言われる方は理不尽じゃん。だから俺は()()なわけ」

 持ち上げるのはスナックの袋。

 つまり、口をすっぱくして言うってこと?



 ◆◆◆


 上司の話にテキトーに相槌を打ちつつ、俺は今から一ヶ月ほど前の、病院からクソ親父の容態が急変したとの一報を受けた時のことを振り返る。


 ――どうやら、あの男はもうじきくたばるらしい。

 あの日、病室に駆けつけた俺は、開放された病室のドアから慌ただしく出入りする看護師達のやや強張った表情で、"いよいよ"を把握した。

 さて、俺はあの男の死期が迫っていることを悟ったあの時、何を感じたのだったか。少なくとも悲しくはなかったし嬉しくもなかったことだけははっきりしている。


 俺の心情はともかく、医療スタッフの邪魔にならぬよう戸の端に寄って入室しようとしたその時、俺はソイツと鉢合わせた。


 互いがぶつかる手前で立ち止まり、キュッと短い悲鳴を上げる靴底。相対する少年の俯きがちの顔が弾かれたように上向き、俺の顔を仰ぐ。一見して暗い顔をしている。まあ、死の気配を感じるこの部屋で翳りを見せるのは当然ではあるが。

 少年の戸惑いに揺れる眼。間もなく伏せられた目蓋と、俺から逸らすように左下を向く目線は、どことなくやるせなさそうだ。


「スミマセン」

 ぶつかりかけたことへの謝罪を少々ぶっきらぼうに述べて、きつく結んだ口はあからさまに拒絶を示している。

 この子が何に対して拒絶しているのかを推し量るのは野暮だろう。くたばりかけている男の許から立ち去ろうとしているのならば、なおのこと。

 それよりも気になるのは――


(ああ、この子が)

 この少年は誰なのか。そんなこと、目を合わせた瞬間にわかった。

 小さな黒目、つり上がり気味の目尻、固く結んだ薄い唇、やや角張った耳の形。所在なげな伏し目も、部屋の主の臨終に差し掛かっているこの場から立ち去ろうとする行動も、どれもこれも鏡で自分を見ているようだったから。



 初めて会った兄弟。片方は臨もうとして、片方は立ち去ろうとした親の死。

 だからこそ、『弟』と二人、死にかけのクソ親父の傍で過ごしたあの時は酷く気まずかったが、それは仕方がないではないか。



 ◇◇◇◇


「なあ、兄貴と暮らすってどんな感じ?」

 男二人って部屋散らからねえ? 家事で喧嘩したりする? インテリアはシンプル?

 安達はこっちが答える隙もないくらい矢継ぎ早に訊いてくるけれど、俺はそれには一切答えず、ただ相手のよく回る口を眺め続けた。

 だって、コレ、安達がしゃべりたいだけで、俺が答えなくても別に良さそうだし。


(賑やかなやっちゃな)

 止まらない質問の嵐には呆れるけど、それほど不愉快ではなかった。これまでいろんな人にされて、答えなければなかなか解放されなかった"余計な世話"でしかない質問よりかは断然気楽だ。


「うちはスゲーよ。おかんと姉貴と妹の女三人とも、趣味が合わないっつーか好みが違うんだよ。そんでもって、互いに譲らねーから、リビングとかセンスの領土争いみたくなってんだぜ」

 安達のげんなりとした顔は、コイツなりの苦労を窺わせる。

 安達家のリビングがどんな状態かはわからんが、話を聞く分には、色もデザインもごっちゃごっちゃな部屋なんだろうな。んで、そんな統一感のない部屋の中で、安達がきょうだいとか安達の母ちゃんに口すっぱく文句言ってる様を想像すると、ちょっとウケた。


 さっきまでは面倒な話になるかもと、ちょっと警戒心していたけど、心配なさそう。

 更にエスカレートする安達の愉快な愚痴にフハ、と失笑すると、知らず知らずに入っていた肩の力がふっと抜けた。



 ◆◆◆◆


 上司による思春期の子どもの気難しさの説明を聞く振りをしつつ、こっそりと残りの弁当を食べ進める。

(思春期ね。それらしいことが、これからあるのだろうか)

 上司の話はどうでもいいが、思春期真っ只中の『弟』に今後、どのような変化が起きるのかは気になるところだ。

 おにぎりの最後の一口を頬張りながら、これまで自分が見てきた『弟』の様子を顧みる。


 最近になって初めて存在を知らされ、出会った時には既に思春期だった『弟』。

 俺達兄弟が初めて集ったのは、父親の臨終を迎えようとしている病室という、なかなか悲惨な状況だったが、その割には打ち解けるのは早かったのではないだろうか。

 最初は確かに気まずかったものの、ポツポツとではあるが少しずつ話すにつれ、気まずさは和らいでいったように思う。

(まあ、途中から気まずくしているどころではなくなったしな)


 当時、何が起きたかを挙げるとキリがないが、主にクソ親父の死とそれ関連の面倒ごと(としか言えない)の数々と、"あちら"の人間との話し合いと、俺が保護者として『弟』を引き取り、二人で暮らす為の手続きや引っ越しあたりか。

 "諸々"を片付けるために、俺達新米兄弟は日々、目まぐるしいまでに忙しくて、そこで互いに反発だの反目だの喧嘩だのするような暇も余裕もまったくなかった。それぞれができることをして、時に協力し合ったからこそのやっとこさ落ち着いてきた"今"があるわけだ。

 口許に付いた"お弁当"を取って口に含み、顎に手を当てて、うん、とひとり頷く。

(やはり、アイツといてとか、アイツのせいで大変と感じたことはないな)

 そんな覚えは驚くほどにない。微塵もない。それのなんと有り難いことか。



 ふと、舌先がジンと痺れた。さっき口に入れたものに山椒の欠片でも付いていたようだ。

 山椒のもたらす小さな刺激が、閃きを誘発でもしたのか。はたと気付く。


(待てよ。もしかして、俺は気を遣われているんじゃないか?)

 目の前の上司ではなく、思春期真っ只中の『弟』に。

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