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戦場の砂嵐

 住宅地を見下ろす高さから飛行しながら、俺はイーグルの狭いコクピットにいた。

 ヘルメットをしていないせいか、視界は良好。息苦しさが無いのも最高だった。

 周囲を見渡せば多くの味方機が編隊飛行をしている。揃えられた機首は西を向いている。


『テンペスト1……ああ、オオスミと言ったっけか? おい』

 鼓膜に直接響いてくる無線音声。視界に投影されたHUD上には荒城の顔のウインドウが表示されていた。薄緑色ホログラムの荒城もまた、俺と同じくヘルメットを装着していない。


『お前の名前、まだ聞いてなかったよな。教えろよ』

「春人だよ。春の人と書いてハルト!」

 俺より数歳上の筈だが、まるでクラスの友人のノリだった。思わず俺もため口で返す。


『成程な……四月馬鹿か!』

 さぞ可笑しそうに、笑い声を上げる荒城。音割れする無線音声に頭が痛くなる。


「声デカすぎだよ……っ」

 俺は隣を飛ぶイーグルを睨みつけた。尾翼には擬人化された黒い雨雲のエンブレムが記されている。不敵に笑い、雷を剣のように振りかざしている――それが俺達、テンペスト隊のエンブレムだった。


「それよりさ。俺が一番機でいいのか?」

『気にするな。どうせ二機だけの編成だし、俺はこう見えて一番機を立てるタイプなんだ』

「ああ、そうかい」

 冗談を口にする荒城に俺も釣られて口許が緩む。

 正式にアライドに入隊した俺は、瑠希乃と何度か模擬空戦を繰り返した。

 そして、廃人プレイ時代のカンコツをある程度戻した上で、作戦に参加している。


『よろしく頼むぜ、テンペスト1』

 荒城とは滑走路脇でたった一度会っただけ。今回が初の編隊飛行なのに、荒城は俺を信頼してくれている。そういう気持ちが込められているのを感じる声。


「そっちこそ、落ちるんじゃないぞ」

 それが嬉しくて、俺は力強く僚機に答えた。

 今朝早くに天空橋を飛び立った俺達は、北関東にあるという爆撃機型アンネームドの基地を目指している。東京圏に迫りつつあるアンネームドの軍団に先んじて攻める。奇襲で向こうの侵攻スケジュールを破綻させるのがこの作戦の狙いだ。

 かき集められたのは天空橋所属の全戦闘機隊。その内、俺が属するテンペスト隊は二機しかおらず、数合わせみたいな扱いだった。

 だが、東京の空戦でアンネームドを撃退させた事で、部隊全体の指揮は案外高い。


『綺麗な平野だな。ここが電子世界の中だっていうのを忘れさせる』

 味方機の誰かがそんな事を呟く。

 見渡せば、北条のクーガーキャットを先頭に対地対艦ミサイルをしこたま積んだミラージュやホーネット、ファルコンもどきが追随している。機種も役割ロールもバラバラだ。

 とにかく爆薬さえあればいい。デカブツの爆撃機を一網打尽にする為に積めるだけ積んだという気概を感じる。


「しかし、ここまで敵が攻め込んでいたなんて……東京の目と鼻の先じゃないか」

 北関東の開けた大地を見下ろしつつ、俺は大きく息をついた。


『最前線の中部地方は戦力も厚くしている筈だけど……まさか、この関東にまで敵の拠点が敷設されているなんて迂闊だったわ。日本アルプスから越えてきたのかしら』

 戦況を教えてくれたのは瑠希乃だった。

 北条機のすぐ横に付く副官ポジションの青いファントムもどき、ブルーバック。その尾翼には擬人化した北風――ボレアス隊エンブレム。 そして、機体側面と主翼先端にはそれぞれ空自を豊富とさせる日の丸のマーキング。


「またその機体で戦うのか?」

『言ったでしょ? この機体が私の愛機なの」

 さらりと言ってのける瑠希乃だが、俄かには信じられない話だ。ハイフライヤーズには数多くの戦闘機が登場するが、ファントム系の初期能力値は最低クラスである事は言うまでもない。

 元となった戦闘機はもう50年以上も前にロールアウトされた機体だし、仕方ないね。


『ていうか、ちゃんと自分達の役割は分かっているんでしょうね? テンペスト隊の皆さん』

『へいへい。怖ぇ魔改造ファントム女に督戦されないように頑張りますよ』

 おどけた口調の荒城に、俺は緊張した心を解きほぐされる。

 そうしている間に緑と茶で彩られた平野の果てに人工物が見え始めた。市街地だ。


『こちらダイヤモンド隊。各機、対地戦闘準備に移行せよ』

 隣を飛んでいた編隊のリーダーが指示を飛ばす。その合図で俺達も機体下部にぶら下げていた燃料タンクを切り離した。

 移動の間中、薄暗くなっていたHUD。その光度が増していき、同時に心意気も戦闘態勢へと移行していく。


『ボレアスリーダーより各機へ。本作戦には再編成したテンペスト隊も参加する。主に各隊のサポートだが、基本は自分のケツは自分で守れ。いいな』

『『了解』』

 北条が一応の確認を取り、全員がそれに答える。皆が一介のゲームプレイヤーながらよく統率されているようだった。流石、天空橋をまとめる隊長役だ。


『テンペスト1……おい、大澄』

「え?」

『……状況によっては対地攻撃も行え。撃墜数を稼ぐチャンスだぞ?』

 隊長機らしい堅苦しい口調から一転、北条は俺にそんな軽口を言ってのける。


「了解……!」

 スコアを積極的に上げろという彼の言葉に、今度は力強く答える。


『こちらは空中管制機メルクリウス。天空橋航空隊聞こえるか』

 続いて発せられた声はアナウンサーのように整っていた。思わずシステム音声だと疑ってしまったが、どうやら彼もまたプレイヤーらしい。


「管制役までいるのか……」

 上空から味方部隊に指揮を飛ばすのが空中管制機の役割だ。メルクリウスというコールサインを名乗った男は、一度咳払いしつつ続ける。


『敵爆撃機型を確認した。滑走路にご丁寧に並んでやがる。全て逃がすな』

 遠くに見える飛行場には爆撃機TU-95を模した黒いアンネームドがひしめいていた。

 そのどれもが、腹に大事な爆弾をたんまり蓄え込んでいるのだ。


『ダイヤモンド隊、散開だ!』

『交戦を開始する』

 続々と攻撃態勢に移行する味方のHF達。


「テンペスト1、交戦エンゲージ!」

 俺も負けじと声を張り上げ、機体を加速させた。


『敵の迎撃機が上がってくる。各機攻撃開始』

 ボレアス1――北条が注意を促す彼の言う通り、敵の滑走路上を豆粒のように動いているのは敵戦闘機のようだった。


『ダイヤモンド各機。対地ミサイルを発射せよ』

『了解』

 ホーネットタイプの戦闘機で構成されたダイヤモンド隊は、対地用の長距離ミサイルを切り離した。白い尾を引きながら、地を這うように突き進んでいく白い弾頭。

 しかし、接近しての対地攻撃はそれだけ危険が伴う。俺はダイヤモンド隊の脇を固めながら僚機である荒城に無線を飛ばした。


「テンペスト2、迎撃機を落とそう。ダイヤモンド隊が対地攻撃に専念できるようにするんだ』

「了解」

 荒城機が俺の側面に付くのを確認、それと同時に上がってきた敵の戦闘機型が見えた。黒いボディの先端部では、赤い眼玉が爛々と光っている。


『ミサイル発射!』

「フォックス2!」

 荒城と共に、ミサイルの安全装置を解除、操縦桿のトリガーに指を掛ける。

 白煙を棚引かせながら、対空ミサイルが敵に真っ直線に向かっていく。はじけ飛ぶ黒鉄の破片、戦闘機の形をした魔物の断末魔。あっという間に混沌の坩堝と化していく空の戦場。


『テンペスト1の敵機撃墜を確認』

 目視確認する暇も無い俺達の代わりに、管制機メルクリウスが撃墜戦果の報を重ねていく。

 それを聞きながら、俺は別のアンネームドのケツ目掛けミサイルを放つ。

 爆炎が飛び、機体を傾かせてそれを追い抜きつつ、早くも二つ目の戦闘機型を撃墜。


『攻撃部隊も盛大にやってるみたいだな』

 荒城機と編隊を維持しつつ、眼下に視点を向ける。丁度、瑠希乃のブルーバックが爆弾を投下している所が見えた。帯状に上がる爆炎が、密集する敵の爆撃機型をクズ鉄に変えていく。


『ハルト、また敵だぜ! 今度はUAV(無人機)型だ!』

「アンネームドの癖にいろんな機種揃えやがって……!」

 荒城のイーグルが急加速。俺も負けじと追いついて新たに迫る敵の群体へと向かう。

 それからも空戦は続き、基地を破壊する内に上がってくる迎撃機も減っていった。

 後はひたすらの対地攻撃だ。地上に居座る車両型や爆撃機型アンネームドを破壊して基地の戦力を根こそぎ奪っていく。

 天空橋飛行隊はその実力をいかんなく振るい、北関東に陣取ったアンネームドの前線基地はほんの十数分で廃墟と化したのだった。




『いい腕だったよ、坊主』

 敵機の消えた空で悠々と飛行していたら、隣に北条のクーガーキャットがついていた。


「あんたこそ、お疲れ様だったな」

 中隊長機を務めた彼もまた、この戦いで多くの戦闘機型を撃墜したらしい。俺は北条に共に生き残った健闘を讃えあう意味で答える。


『やはり、空戦メインでオンライン漬けだったって話は本当みたいだな』

 眼下の廃墟と化した敵基地に動く物はもういない。ジェットの轟音だけが響く単調な静寂の中、北条の声は揚々としていた。


「そんな、買いかぶりすぎだって」

『そうか。油断していない、それならいいが――』

『警告、アンノウン急速接近!』

 突如、耳を割るような警告音が鳴り響き、管制機メルクリウスが叫び散らした。


『何、まだ敵がいるの?』

 瑠希乃が確認を取る。しばしの間が空いて管制機から新たな連絡が寄越される。


『北西の方角より敵戦闘機型だ……数は5!』

 それと同時に、視界HUD内レーダーに敵機を示す赤い光点ブリップが灯る。丁寧に編隊を組んだ五つのマーカーがこちらへと接近してくる。


「HFでよくある追加ミッションだな。交戦していいか?」

 先ほどの戦闘では敵の戦闘機型が少なかった。それに、殆ど空に上がる前に撃墜したのでドッグファイトらしい事をしていない。不完全燃焼気味だった俺の戦意が再び勢いを取り戻す。


『いや……これは』

『AWACSどうした? 報告を』

 しかし、管制機から伝わる声はどこか芳しくなかった。その違和感を察知したのか、北条が重ねるように問う。

 すると、レーダー上のウインドウに新たな映像が映し出される。そこには接近する敵編隊の様子がリアルタイムで映り込んでいた。

 ロシアの制空戦闘機フランカー。それをモデルにした機体はHFにも登場していたが、黒色のアンネームド版だ。鶴のようにくびれた特徴的な機影はそのままに、黒いシルエットが四つ並んで飛行している。


「どうしたんだよ? フランカーモデルの敵だろ? そんなに恐れる事か?」

『敵機接近。やむを得ない、迎撃する』

 返答に窮する管制機の代わりに味方機の編隊が戦闘態勢に移る。ホーネットタイプのHF部隊ダイヤモンド隊だった。


『ダイヤモンド全機へ。敵一機に対してこちらは二機ずつで応戦しろ』

『了解!』

 流石は歴戦の天空橋戦闘隊だ。統率のとれた二機編成がさながらフライトショーの如く鮮やかに散開。フランカーもどきに攻めかかる。


『待て、ダイヤモンド隊!』

 しかし、管制機から聞こえる声はどこか慌ただしい。ダイヤモンド隊を制止する動きだが、もう止められない。距離の詰まったホーネットの腹からミサイルが相次いで発射される。


『ダイヤモンド3、フォックス2!』

『エンゲージ!』

 両者が交戦状態に入る。俺達は少し離れた戦線後方から眺めていた。


『迂闊よ』

 しかし、その中で瑠希乃だけが苦虫を潰したような声で呟く。


『一機行ったぞ、テンペスト隊!』

 不意に浴びせられたのはダイヤモンド隊の隊長機からだった。

レーダーを確認すると、一機のフランカー型が味方の包囲網を抜けた所だった。黒いフランカーは鋭いカーブを描き、ダイヤモンドが放ったミサイルを振りきって突っ込んでくる。


『やむを得ん。交戦しろ!』

「了解!」

 北条に促されるまま、俺と荒城はフランカーもどきを迎え撃つ。


『後ろに行ったぞ、ハルト! 』

 無線越しに荒城が叫び散らす。雲海を切り裂きながら、愛機を急旋回させる。

 それでも背後の敵機はぴったりついてくる。


「何て運動性だ!」

 警告音越しにキャノピーから振り返ると、面長の機首がはっきりとこちらを見据えているのが分かる。まるで、背中に短剣を付きつけられているようだ。


『待ってろ、俺が後ろを取ってやる!』

 荒城が逆にフランカーの背後を取ろうとする。一機が相手を引きつけて囮になり、その間にもう一機が後ろから仕留めるという編隊飛行の基本戦術だ。

 機体の高度を上げて空中で宙返り、敵を引き離しにかかる。幾度となく描いた飛行機雲の螺旋がまだ空に残っていた。

 通常ならばGでとっくに失神している。しかし、この世界はHFの物理法則が融合しているのだ。そのおかげで現実世界では不可能な変態機動を繰り返す。


『くそ、今度は俺かよ!』

 テンペスト2――荒城督重が泣き言のように叫ぶ。

 あっという間に攻守が逆転し、今度は荒城が追われる身となっていた。

 この神経をすり減らすような背後の取り合いを繰り返していたらいつかは気が緩み、一気にやられる。すぐにでも荒城を助けてやりたいのだが……


『早くしてくれよ!』

「もう少し……もう少しなんだ!」

 無線越しに、荒城の機内で鳴り響くけたたましいアラート音が聞こえていた。

 しかし、その一方で俺はこの状況に一つの好機を見出していた。


「俺の合図で右に飛べ!」

『何……?』

「頼む!」

 追われている荒城は良く分かっていないようだった。しかし、好機を逃すまいと俺はとにかく言う通りにしてくれと叫ぶ。


『……分かった! タイミングはお前に合わせるッ!』

 ウインドウ上の荒城が力強く首肯。それと同時に彼のイーグルが下降し始める。

 平野を這うように飛んでいく荒城機と、その背後から同じように急降下するフランカーもどき。双発の噴射口から白炎を噴き出して轟音を撒き散らす敵に、俺も負けるものかとスロットルを上げて下降。そして、俺と荒城は互いのウインドウを一瞥しながら頷き合った。


「3、2、1……よし、今だ!」

 俺がそう叫ぶと、荒城のイーグルがひらりと傾き、右へと急旋回。

 それを追って敵機も横に飛ぶ。二機の飛行機雲の白い尾が、鋭いカーブを重ねていく。


「落ちろ!」

 俺は操縦桿を思いきり横に倒してひねり込む。最短ルートでフランカーに肉薄したと同時にHUD上の照準が敵をロック、操縦桿トリガーを一気に押し込んだ。

 瞬間、発射された対空ミサイルがフランカーに襲い掛かり、爆炎が巻き起こる。

 コクピットを揺らす振動。火だるまになったフランカーが眼下の耕作地に落ちていく。


『ヒャッハー、やったぜ!』

 地表に堕ちたアンネームドを視認。脳神経が焼けるような戦闘機動から解放されると同時に、荒城が狂喜乱舞する。

 一歩間違えればそのままフランカーに落とされていたかもしれないのだ。アドレナリンが相当出てるような、どこぞの世紀末みたいなテンションの高さだった。


「それより他の部隊は?」

 安堵するのも束の間、俺はレーダーと周囲を交互に見回した。丁度、彼方の空で墜落していく機体が小さく見える。


『やられた! 落ちる……』

『ダイヤモンド6が撃墜された』

 悲鳴のような叫びで音割れしている無線。俺は鼓膜に響くそれに身体をびくつかせながらもレーダーを一瞥する。


「敵のフランカーもどきはもう落としきったようだが……」

『レーダーに反応しにくい奴が紛れている。ステルスか……しかし、この機影は!』

 すぐに答えたのはボレアス隊長機の北条だ。


『まさか……あの機影、大阪で見たやつだ』

 見えない敵機に味方が狼狽え始める。


「ちょっと待ってくれ。一体どうなってる。敵は一機だけだぞ?」

 味方の弱腰ぶりに俺は異を唱える。単機相手にこうも簡単に撤退命令を出す意図が掴めない。


『アンネームド側のエースよ。今までのモブとはまるで違うから絶対に交戦しないで』

 交戦は禁止。瑠希乃にきつく言明され、俺は操縦桿を握ったまま固まる。


『クソ、ヤツと交戦していた最後の一機が落とされた……間に合わなかった』

 ダイヤモンド隊の一番機が苦々しく呟く。丁度、突出していた部隊がやられたらしい。赤い敵の光点は残る俺達へと向かって来る。

 徐々に近づくマーカーの方角に目を凝らすと、敵機のカーソル上には《haboob》という名称が記されていた。


『ああ、あれはアンネームドに違いないさ。だが、ヤツだけは別格だ。ハブーヴ。それがヤツに冠せられた機体名だ』

『全てを呑みこむ大砂嵐(ハブーヴ)……私達は大阪の空戦で、あいつ一機に大損害を受けたの』

 北条の言葉を補足するように瑠希乃が続く。冷えきった声音は味方の俺ですらゾッとさせる。


「敵にもエースがいるって言うのかよ……」

 そして、高性能カメラがとうとう敵を捉えた。ウインドウ上にはテレビの砂嵐のような白と黒のモザイク迷彩に身を包んだ機体が見えた。

 確かに、黒一色のアンネームドとは見た目で一線を画している。その外見上の機体モデルはロシアの最新鋭機Su-57に近いが、垂直尾翼は無い。ステルス機らしい扁平状のデザインはどこか無人機を思わせる近未来的な風貌をしていた。

 しかし、赤い目玉がキャノピー部で爛々と光っていることから、奴もまたアンネームドである事が分かる。


『……待て。敵機体が離脱するようだ』

 声を出したのは管制機メルクリウスだった。

 レーダーには西へと飛び去っていくハブーヴの赤い光点がくっきりと映り込んでいる。

 ステルス搭載の筈なのに、まるで自分の存在を誇示している。俺にはそう見えた。


『何やってる、ハルト! 俺達も退避だ。アフターバーナー全開で逃げるんだよ!』

 見ると、他の味方は次々にハブーヴとは逆方向、東へと飛んでいく。取り残されつつあるのは俺達テンペストの二機くらいなものだ。俺も慌てて機体を東に向ける。

 無線にはそれぞれが息を吐く生々しい音だけが響く。アフターバーナーが機内を轟々と揺らし、キャノピーに水蒸気の雫がひっきりなしに叩きつける中、俺はただひたすらに自機の速度を上げる事だけに集中した。

 そうやって、どれだけの時が過ぎただろうか。


『空域内、敵機反応の消失を確認……生き残った機は報告しろ』

『見逃してくれたんだろうな……何機やられた?』

 安堵するようなメルクリウスの低い声とは裏腹に、北条の言葉は皮肉混じりだ。

 他の部隊の生き残りがそれに答え、北条やメルクリウスとやりとりし始める。


『お疲れ様だね、大澄君』

 その中で、瑠希乃が俺に声を掛ける。

 彼女の耳障り良い声は、緊張しきっていた俺の心を弛緩させる。

 周囲は田園風景から密集した埼玉県の住宅街に変わっていた。背の低い建物の中に高層マンションが入り混じっている。大分、首都圏に近づいているようだ。


『よく生き残れたわね』

「いい心地はしないな。作戦に成功して戦いには負けた……それに誰かやられた奴がいるって事だろ?」

 それはつまり、この世界からも現実世界からも消滅した命があると言う事。どこか非現実的だったこの世界の戦いの真実にようやく触れた気がした。


『それはそうだけど……』

 無線の向こう側の瑠希乃はどこか苦々しい顔。先ほどまでの陽気な調子も鳴りを潜める。


「俺は、結局何も出来なかったんだ」

 あの場の俺は恐怖で身が竦んでいた。空戦が得意なのを自負して入隊したのに……

 だが、もしあの場でハブーヴと戦ったとして、万に一つ俺は勝てたのだろうか。味方機を救い出されただろうか?


「甘く見ていたのか、俺は……」

 この戦いは本物の殺し合いだって、俺は知ってるつもりでアライドに参加した。

 その筈なのに……


『ハルト……お前』

 何か言いたげに荒城が呟く。


「でも……ハブーヴ。ヤツだけは――」

 それと同時に、必ず倒すと肝に命じる。そうしなければ自分の意志を保っていられる自信が無かった。この帳尻はいつか、どこかで合わせなければいけない。

 目標も無しに漫然と生き残るために戦う。それだけでは駄目だ。勝つために俺はもっと空戦技術を積み重ねなければならない。

 ヤツの主翼に記されたエンブレムはひたすらに無機質な白と黒の四角形四つ。面白くも無い意匠だ。

 しかし、俺はこの世界で戦う理由の片鱗に、ようやく触れられた気がしていた。

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