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【仮想】東京防空戦

「まさか、君が戦うと言うの? アンネームドと?」

 そう言って少女は頭上高くを指さす。


「そうだ。今行かないともっと死ぬ! 頼む!」

 俺は六点シートベルトをきつく締めると、横で見ていた少女に檄を飛ばす。

 こちらを見返す澄んだ黒の瞳。しばしの時が流れ、彼女は強く頷く。


「分かった……行きましょう!」

 平時ならば心がときめいてしまうような可愛らしい声音と共に、少女が後席へと跳ぶ。同時にキャノピーがゆっくりと下がり始めた。


「大澄君! 君はあの敵と戦うと言うのか? もし落とされたら君は死ぬんだぞ!」

 閉まりかけたキャノピーの隙間からは、井上が焦ったように怒鳴り散らしている。

 だが、俺の決意は今更揺るがない。


「任せてください。皆を頼みます!」

「大澄く――」

 井上の甲高い声はそこで途切れ、俺と少女は完全に外界と遮断された。

 外の喧騒はくぐもった低音に変わり、周囲の悲鳴が水の中みたいに濁って反響する。

 その空間の中、目の前に浮かぶ俺自身のメニューの操作だけに意識を傾ける。

 ホログラムのウインドウ上をタップする度に無機質な電子音が弾け、俺は埋もれに埋もれたフォルダの底まで指を滑らせ続けた。

 薄れつつある記憶を頼りに探すのは《ハイフライヤーズ》の起動ショートカットだった。

 悪戦苦闘の末、ようやく見つけたミサイル型のアイコン。人差し指で思い切り小突くと、ほどなくして起動が始まった。


「よし、いいぞ!」

 思わずガッツポーズ。この世界に転移してきた半年ぶりにタイトル画面を眺める。

 IDとパスを入力――しかし、赤い文字と共にバツ印が画面に広がる。


「クソ! パスが間違ってやがる」

「ちょっと……大丈夫なの?」

 後ろに座った少女が心配そうにこちらを覗き込もうとしている。


「これじゃないなら……こっちか?」

 記憶を頼りに片っ端からコードを叩きこむ。すると、画面が暗転した。


 ――ようこそ空の世界へ。


 現れたのは、どこか冷たい印象の小さなフォント。


「きたっ、行ける!」

 同時に、視界に懐かしい戦闘機のHUDが投影された。

 自然と俺の腕が操縦桿へと伸びる。

 注意域を示すイエローのHUDにノイズが走り、出撃準備中のパーセンテージが上昇する。


「アカウントを切り替えてもまだ戦闘は終わっていない。機体の蓄積ダメージも元のまま。空に上がっても一発当たれば爆発するわよ!」

 後席の少女の言う通り、HUD上の機体状態は万全とは言い難い……かもしれない。


「構わない。どのみちアンネームドに殺されるなら、一発当たろうが二発だろうが同じだ!」

 しかし、俺の意志は揺るがない。操縦桿を握り締める。

 校庭の端には様子を見にきた生徒達もいた。何人かはススまみれで、見るに痛々しい。


「君。こっちに来てからの操縦経験はあるの?」

「無いよ。転移してからは初フライトだ!」

 少女が嘘でしょと小さく呟く。しかし、俺はここに転移する前にハイフライヤーズをやり込んでいた。事実、ここまでの初期起動は身体が覚えた通りに操作出来た。問題は無い筈だ。


「操作の感覚は覚えてるよ。だから、……多分、大丈夫! 半年前だけど」

「多分? 多分って……本当に大丈夫なのかしら」

『おい、武波たけなみ! 応答しろ!』

 不意に、無線機からノイズ混じりの声。上空で交戦中のクーガーのパイロットからだった。


『ボレアス4、状況を伝えるんだ。飛べるのか?』

「パイロット登録を切り替えました。彼が飛びます」

 武波と呼ばれた少女が後席のコンソールを操作していたら、反応するように俺の視界上に新たなウインドウが増える。クーガーのパイロットの通信ウインドウだ。


『そうか……こいつが』

 訝しがる男。ヘルメットはしていないので素性が良く見える。

 髪は短く切り揃えられていて、広い額の下の眉は太く真一文字。日に焼けた肌に精悍な顔立ちで、いかにも空軍兵士っていう風貌だ。

 日本人でこれ以上、トムキャットが似合う男はいないっていうような顔をしている。


『お前とどっこいか? 学生じゃないか!』

「飛べるなら構いません。隊長、援護をお願いします」

『分かった! 早く上がって来い』

 年上の男にも決して怯まない少女。通信が途切れた所で、俺は彼女に礼を言う。


「ありがとう……君のお陰で何とか飛べそうだ」

「私は今出来る最善を尽くしただけよ。お礼なら無事に空に上がってからにしてよねっ」

 黒髪を揺らしながら少女は事も無げに言う。クールビューティーに見えて心は熱そうだ。


「……ああ!」

 負けないように強く答えながら、俺はスロットルを一気に上げた。機体後方からは青白い炎が燃え盛っている筈だ。

 前方グラウンドの向こうは灰色のビル。滑走距離は短いがHFならばこの距離でも十分だ。

 ぐっとスロットルを押し込むと、機体がゆっくり進み始めた。

 キャノピー越しの上天ではまだ数機の敵味方がドッグファイトをしている。

 それらを仰ぎながら、正面を再び睨む。徐々に加速する機体。あっという間に前方のビルが近くなる。


「早く操縦桿を引いて! ぶつかるわよ!」

「分かってる!」

 速度計を確認し、操縦桿を一気に引き起こす。知らず内に喉元から声が迸る。


「いっけええええええええ!」

 ふわりという懐かしい浮遊感が身体を包み込んだ。電脳世界の空に飛び立った瞬間だ。


 ――帰ってきたんだ。電子の空に。

 ジェット音を吹かしながら機体は上昇していく。振り向けば、どんどん小さくなっていく天空橋高校のグラウンド。もう人の顔すら見えない。


「よし! ちゃんと飛べてるわ!」

 後ろで少女が喝采するが、俺としては当たり前の事をしただけ。何とも微妙な気分だ。


『いいぞ、ボレアス4! 上がってきたんだ、飛び方は分かるよな?』

 隊長機が俺の横に付く。視界のHUDにはクーガーキャットに重なる様にボレアス1の表示が灯っている。


「こちらボレアス4。機体に異常無し。武器使用可能――いけます!」

 コンソールをチェックし、武装確認。ミサイルは十分数が残っている。


『状況は分かるか、ボレアス4』

「アンネームドが飛来してる、こいつらを悠々飛ばし続けると人が死ぬ。何とかするには全機撃墜するしかない……そうですね?」

 隣についたクーガーを一瞥しながら、俺は大声でそれに答えた。


『分かってるじゃあないか! よし、行くぞ!』

 クーガーと機体を並べて横に大きく旋回する。Gの感覚は微々たるもので、現実のそれには遥かに及ばない。以前プレイした時と同じような体感だ。

 目視できるぎりぎりの場所に小さな敵影を確認。俺は一気に機体を加速させる。


「ゲームと同じだ。これなら俺だってやれる!」

 背後の少女はヘッドセットを掴みながら味方に呼びかける。


「空中管制機聞こえる? すぐに敵機のデータを更新して」

 程なくしてレーダー上に敵機の光点ブリップが浮かび上がる。それと同時に、耳障りなジジジと電磁音が響き始めた。


「敵からのレーダー照射よ! ほっとくとミサイルが飛んでくる!」

「させるかよ」

 俺は操縦桿を握り締めて機体を思いきり上昇。陽ざしで目がくらみそうだ。


「おらああああっ!」

 機体が宙でひっくり返り、その先に黒い機影――F-16によく似た形のアンネームドがいた。キャノピーに真っ赤に光る目玉が明滅してこちらを視認している。


「落ちろよ!」

 トリガーを押し込んで機銃掃射。機体が震え、曳光弾が瞬く。

 左右に逃れようとするファルコンもどき。奴が向かう先を予想して照準をずらす。見事命中。


「よし、撃墜よ!」

 アンネームドが火を噴きながら落ちていく。

 と、同時に俺の胸中が不意に粟立つ。脳裏に浮かぶのは校舎に落ちたアンネームドの残骸。


「しまった――」

「大丈夫……大丈夫だから」

 背後の少女が言い聞かせるように呟く。彼女の視線が向く真下の世界。その先は――海。

 青黒い水面にアンネームドは落ちていく。


「何とかなったわ。やるじゃないっ」

 嬉しそうな声で少女がシート越しに俺を背後から小突く。何だか照れ臭い。


『敵機がそっちにいったぞ』

『こちらテンペスト2! 敵はステルス、注意しろ!』

 クーガーのパイロットの後に新たな通信が割り込む。若い男の声だった。


『新宿で取り逃がしたヤツだ。すまん!』

 えらく焦燥しているようだ。左側を見ると、一機の味方機が乱入してくるのが見えた。HF-15EXエクストライーグル その名の通り、F-15イーグルによく似たHFだ。通信はそのイーグルもどきから発せられているらしい。


「君も探して! ステルスでも目視なら見えるハズよ」

「分かってる」

 俺は周囲を見渡して敵の気配を辿る。瞬間、視界のレーダーに薄っすらと敵機のマーカーが明滅するが、認識が鈍い。やはり、直接目視しないとHUDに焼き付かないようだ。


「方位240! 雲の中! レーダーを見るの!」

 少女の誘導に従って、敵のマーカーが一瞬映った方へと機首を向ける。

 視界が白い雲で包まれたその先に、はっきりと黒い敵影が目視できた。


「ボレアス4、フォックス2!」

 それと同時にトリガーを押し込んでミサイルを発射。

 雲を抜けた敵機は旋回して回避を図るが、俺はその先を見越して機銃を浴びせる。F-23ブラックウィドウによく似たひし形羽根。ステルス機はきりもみ回転をしながらも粘る。


『野郎、早く落ちやがれ!』

 すぐ横についていたイーグルもどきもミサイルを放つ。機銃に耐えていた敵機は背後からブチ込まれたミサイルで粉々に砕け散り、俺達はその爆炎をすり抜けた。

 振り返るとゆっくり落ちていくアンネームドの残骸が見えた。


『敵機全て撃墜だ。よくやった!』

「やったわ!」

 背後で少女が歓喜の声を上げ、通信機越しでも何人かのはしゃぎ声が聞こえる。

 どうやら、今ので最後らしい。俺もようやく操縦桿を握る手を緩める。


『おい、ブルーバック。このポンコツめ。助かったぜ、この野郎っ』

 真横には先ほど通信をくれたイーグルが、並んで飛んでいた。

 キャノピー越しにパイロットがこちらに親指を向けている。顔ははっきりとは分からないが親しみやすそうな、そんな気がする声の男だった。


『そんな旧式機でよくやるぜ』

「ちょっと、テンペスト2。二度目よ。私の愛機にケチなんて言うようになったじゃない」

 ムッとしながら背後の少女が反論した所で、視界に映り込むのはクーガーキャットに乗る隊長機のパイロット。


『ご苦労だったな、瑠希乃。で、どうだ。新入りは?』

「悪くはないです……そうですね。ブランクの割に腕は良い方だと思います」

 俺が背後を振り向くと、少女は唇の端を少しだけ上げて微笑みかける。


『そうか。それでは全機帰還だ!』

 クーガーが先行し、俺や他の機体もそれに続く。

 真下には濛々と立ち続ける黒煙の柱がいくつも見えた。ニュースでは荒い画質でしか見えなかった惨劇の痕は、今は間近で鮮明に広がっている。


「これがアンネームドの爪痕か……」

 既存の街の建物オブジェクトの破壊は、システムがある程度復旧してくれる。でも人命までは復元してくれない。そもそも俺達はこの世界で異物なのだから仕方ないのかもしれない。


「死にたくなければ、戦い続ける事よ」

 美しい濡れ羽烏のポニーテールを揺らしながら、少女は押し殺したように呟いた。


「それが明日に繋がる」

 敵への怒りも、勝利の喜びも、生き延びる事が出来た安堵も……全てを知っている。 

 少女の黒い瞳はどこまでも真実を物語っていて、どんな青空よりも澄んでいる、俺にはそう思えた。

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