プロローグ
0745時――解放軍、天空橋空軍基地。
全機に出撃命令だ。
先程、前線の哨戒基地が当管区に飛来する敵性航空機を確認した。
恐らくは敵の強行偵察と思われる。
諸君も知っての通り、敵偵察隊の後ろに控えるのは大規模な攻撃部隊だ。
上陸を許した西日本と同様、奴らにデータ収集を許した後に待っているのは、本格的な侵略。
そして、もたらされるのは殺戮だけだ。
「東京の空を守りきれ。刺し違えてでも奴らを全機落とすのだ」
緊急ブリーフィングが終わり、彼らは青暗い作戦室を飛び出した。
狭く暗い廊下をひた走る面々。
ジャージ、タンクトップ、作業着など……彼らの服装は様々だが、一人だけ、この男臭い場所に似つかわしくない制服姿の少女が紛れ込んでいる。
キャメルのブレザーに紺の短めのスカート。長い黒髪を後ろで束ね、ポニーテールを左右に揺らしながら、彼女は男達に懸命についていく。
切れ長の目は前だけをまっすぐ見据えていて、薄桃色の唇は真一文字に引き締められていた。
少女が走りながら、求めるように伸ばした腕先に光が瞬く。
ホログラムのメニュー画面。彼女の目の前に現れたそのウインドウは透ける緑色をしていた。
様々な項目が並び、一際大きな《起動》と記されたリンクボタンを触れようと、白い指先がもう一度伸ばされる。
しかし、前方のウインドウは、足を踏み出す度に遠のき、あと一歩のところで捉えきれない。
少女はもどかしそうに唇をかみしめる。
「――ッ!」
そして、今度こそと勢いよく踏み出したところで、ようやく指先がリンクボタンに触れる。
『システム起動』
耳鳴りのような電子音声が鼓膜を震わせ、視界一杯に『High flyers』と書かれたロゴが浮上。
暗い廊下が眩く輝き、彼女が着ていたブレザーはカーキ色のフライトスーツに切り替わっていた。
そして、彼女と同じように、他の者達も次々とフライトスーツ姿に変わっていく。
「行くぞ!」
先頭の男が重い鉄扉を押し開ける。彼らに続いて少女もその先へと飛び出す。
――そこは、灰色のアスファルトが広がる滑走路だった。
「……」
海風の煽りで靡く黒いテールを押さえつけ、少女は辺りをぐるりと見回す。
陽炎に揺れる東京湾の遠景。対岸のビル群から反射する陽ざしで、海面は鮮やかに煌めいていた。少女が見上げた頭上には、海よりも僅かに薄い青がどこまでも広がっている。
「用意は出来ているぞ。早く乗り込め!」
「…………はいッ!」
立ち止まり、その景色にすっかり見とれていた少女は、拳を握り締める。
走り出した先、滑走路を望むハンガーには色とりどりの戦闘機が並んでいた。
「こっちだ!」
既にジェットエンジンの轟音とガソリン臭さが充満していて、整備員達が必死に手を振って出撃を促している。
少女はその中の一機を見つけて走り寄る。青い洋上迷彩が施された双発の戦闘機は、アメリカ軍の艦上戦闘機、ファントムⅡにそっくりだった。
キャノピーが開け放たれた機首。そこに掛けられた梯子を駆け上がり、コクピットに身体を滑り込ませる。すると、少女の視界上に様々な数値や計器がホログラムとして浮かび上がる。
戦闘機内にも機器はびっしりと備え付けられているが、実際に戦闘で頼りになる情報は視界に投影されたHUDに表示されていた。
ここは電子の世界。彼女が乗る戦闘機も眼の前に広がる世界も、その全てが電子で構成された架空の存在なのだ。
『ボレアス各機、上がり次第、アローヘッドのフォーメーションだ。急げ!』
隊長機の男の声と共に、眼の前をトムキャットに似た戦闘機が横切っていく。
ゆっくりと通り過ぎる尾翼には、擬人化された雲が息を吹いている絵が記されていた。
北風の名を冠する戦闘機部隊『ボレアス』のエンブレムだ。
「「了解!」」
シートのロック部を手で叩いて確認しながら、少女の視線は滑走路に向かうトムキャットもどき――隊長機へ。
『こちらボレアス1……出るぞ!』
高鳴る轟音と共に、排気ノズルが青白く点火、戦闘機は滑走路を猛進していく。
『ボレアス4。タキシングを許可する!』
ノイズ混じりの管制官が今度は少女へと発進を促す。
「全部落としてやる。待ってろ……アンネームド!」
迫りつつある決戦の時を予感し、操縦桿を握る少女の手にも力が入った。