修学旅行、長崎原爆資料館行き
今日、空を見た時、修学旅行の記憶を思い出しました。怖かった記憶です。気持ちをはき出す意味で書きました。
唐突に、修学旅行の記憶が蘇った。それも、楽しかったユニバーサル・スタジオ・ジャパン等では無く、長崎原爆資料館の記憶だ。恐ろしくて、中々消えなかった記憶。
原爆資料館に入った瞬間は、体に染みつき取れない。肩が重くなり、呼吸が遅くなった気がした。あれ程、バスの中でうるさかったクラスメイトの談笑は、次第にしぼんだ。ここは、談笑をするべき場所ではない。ここは、受け止め無ければいけない場所だと思ったのかも知れない。
足が、重く感じた。溶けたガラス瓶に、壁に残った人の影、ボロボロの衣服、被爆者の写真。
気持ち悪かった。
原子爆弾の模型、変わり果てた風景。そこに生きていた人々の息づかいが、聞こえてくるようだった。
怖かった。
恐ろしかった。
忘れてはいけないと思った。
人間は、意味を求める生き物だ。生きる意味を探し、生涯に一度は多くの人々に尊敬される偉業を達成したいと思っているはずだ。そうでなければ、私がこんな抑鬱とした思いを抱くこともない。きっと、私が生きる意味を探しているのと同じように、犠牲になってしまった人々もそうだったはずだ。
誰一人として、今まで通り必ず明日が来ると思っていたはずだ。普通の日々が、永遠に続くものだと思っていたはずだ。今現在、私がそう思っているのと同じように。
彼らには、生きる意味を探し続ける事が出来なかったのだ。死人に口なし、手足なし。死ねば、この世には何も残せない。それが、とても恐ろしい。私は、怖い。死んでしまえば、私が存在する意味が無くなる事が怖い。両親が私に繋いでくれた命のバトン、それを私で途絶えさせることが怖い。一人死ぬのが怖い。病気で死ぬのが、怖い。事故で死ぬのが、怖い。朝日を見れなくなるのが怖い。恐ろしくて、たまらない。
彼らには、恐怖を感じ続ける事も出来なかったのだ。生き続ける事が出来なかったのだ。私の修学旅行の思い出は、原爆資料館で収束した。頭の中に、それが棲みつき、私がふと空を見た時芽を出した。
原爆資料館には、事実しかなかった。事実だからこそ、恐ろしかった。事実を直視する事は、怖い。だからこそ、自分の目と耳で、そして体全体で感じ取ることが必要だ。
一度足を運んで欲しいと思う。その記憶は、体に棲みつき、生き続けると思う。
私が行った事があるのは、長崎原爆資料館だけです。広島原爆資料館にはいったことがありません。実を言うと、また同じような恐怖を味わうのではないかと考えてしまい、足が向きません。私は、蛍の墓やこの世界の片隅にを、二度見ることが出来ない人間ですから、もしかしたら当然の結果だったのかも知れません。ここまで読んでくれてありがとうございます。