⑵歌姫が立つ景色 ②
家から徒歩七分にあるバス停からバスに乗り、揺られること十分ー。いつも通っている精神科の病院。
中に入り、診察券を見せる。今月初めて来たことに気づき、保険証も一緒に提出した。待合室の小さな花瓶には可愛らしいピンクの花が一本ささっている。それを見つめているうちに順番がきた。予約をしているため、あまりこの花を見つめる時間は少ない。
部屋の中は怪我や病気で来る診察室と比べて広めで、太陽の光を沢山集めこむ大きな窓もある。お願いします、と入ってきたいばらの顔色を見て担当医も察した。リラックスできる大きめの椅子に座ると、担当医も資料から手を離し、自由自在に動く椅子を転がしていばらと対面する。
「美岬さん、また最近もお仕事忙しいんですか?」
「まあ・・・」
「心配ごとも、あるようですね」
いばらの細かい反応と仕草、言葉で鋭く見抜く。さらに背もたれに力なく倒れかかり、頭を抱える。
「・・・半年後に、とても大きなライブをやるらしいです」
「それは不安で仕方がないですね。でも、美岬さんはそれを成し遂げたい?」
悲しい表情をしてコクッと頷いた。体の不調はどうだ、と尋ねられるといばらは重い口を開いた。あまりよいものではない。一通りカルテに書き込み、担当医はふたたびいばらに向き直った。
「きっと自分でもわかっているとは思いますが、ご無理はなさらないように。あと、あなたにとって大切なのは自分の心のケアです。それを怠ると、もっとつらい目に遭ってしまいます。お薬も新しく出しておくので、上手く活用してください」
短く返事をして、担当医は一緒に頑張りましょう、と付け加えた。この言葉を聞いたということは診察は終わりだ。精神科があるとはいえ、自分でどうにかしないといけないものだ。他人が治せるのなら、自分は生きている意味がないと思う。
お礼を言っていつも通りに立ち上がりドアに向かうと、担当医が痺れを切らしたように立ち上がった。声をかけられる。こんなことは初めてだ。そしてとある質問をされた。 ーやはり首をかしげてしまった。
「少し、座って待っててください」
医師はそう言って机に向かって座り直した。斜めがけバックを胸に抱いた力を緩め、素直に椅子に戻る。
数分後に封筒を手渡された。封をしっかり糊付けされているが、白い封筒には宛名や担当医の名前さえ書かれていない。
「美岬さんは読まなくていいです。ある方に、渡していただきたい」
返事をしたものの、手渡された封筒を見てキョトンとするしかなかった。
「それを受け取ってほしい方はー・・・」
名前ではなかった。ある条件に当てはまる人。それはいばら自身が考えていいということだった。
なんだろう・・・なにを選択すれば正解なんだろう・・・。
診察室から出て、ふたたび封筒を見つめバッグにしまった。肩掛け紐を通し、パーカーのフードをかぶって病院を出た。
外に出て歩き出そうとした時、一台の車が目に入る。藍色の見慣れた車。その中でハンドルに肘をつきながらスマホをいじるアキが見えた。いばらが出てきたことにアキも気付き、その持っていたスマホを振る。その車に駆け寄って、開いた運転席からアキが顔をのぞかせた。
「・・・アキ」
「迎えに来たぞ」
「ありがとう・・・」
昨日のこともあって、少し居心地が悪かった。いや、昨日のことがあったからこそ今日迎えに来たのかもしれない。反対側にまわって助手席に乗りこんだ。
アキは自分側の窓を閉め、いばらがシートベルトをつけたことを確認すると車を発進させた。背もたれに身を預けて、うつむいて静かにしている。あまり診断がよくなかったのだろうか。
「お腹空いてないか?」
「お腹空いた」
「なにが食べたい?」
「・・・うー」
あまり落ち込んでは見えない。なにか考えごとか、と納得する。
特に食べたいものが決まってないならなんでもあるところと向かったのはファミレスだった。平日で、しかも昼過ぎな為に人がちょうど極端に減る時間帯だった。いばらはきっと家を出る寸前まで寝ていたと考えるとお昼は食べて出てきていないだろうと。
伊達眼鏡をかけたアキはフードをかぶっただけのいばらを背中に隠して店員に二人、と答えた。席に案内されて机を挟むように座るとメニュー表を開いた。