⑴眠り姫の苦痛 ④
眠っているいばらの頭に触れようとした時、玄関の方で音がした。あの三人が戻ってくるには早すぎるはず。驚いて思わず手を引っ込め、ふたたび動悸を覚えた胸をおさえながら顔を覗かせるとドアが開いた。そこから現れた人物と目が合う。
「あら、酒田くん?」
「は、橋下さん・・・? なんで・・・」
アプリコットの髪色をしたショートカットがよく似合う女の子がいた。ブーツを脱いで上がってくる彼女の手には買い物袋があった。少なからず食材を買ってきたようだった。いらっしゃい、とオズが彼女の足にすり寄っていく。
「そっか、様子を見にきてくれたのね。私は昨日いばらと連絡とってたから」
「連絡?」
そういえば枕元にスマホが置いてあったか。ライブ後は彼女もいばらを心配してメッセージを送ったらしく、ちょうど目が覚めた頃にいばらが返信したらしい。
「そしたら、三日間なんも食べてないって言うし。その状態だとシャワーも浴びられてないのかなと思って」
「やっぱりなにも食べてなかったのか・・・あ、持ってくよ」
「ありがとう。それよりも・・・」
玄関におもむき、彼女から袋を受け取った。お礼と一緒に言われたことに動揺することになる。
「もしかして、お取込み中だったー?」
「!?」
声にならない声を出す。確かにアキは寝室から顔を覗かせてしまった。それがどんな誤解を招くのかいやでも分かる。
「い、いやっ・・・いやいやいや! だってあいつは熟睡中だしっ!」
「熟睡中なら大声出さない方がいいんじゃない?」
「っ・・・」
手で口を塞いで寝室の方に耳を澄ませた。特に変わった音はしない。
焦って振り返ったが安堵して彼女を見ると、彼女もまたあの三人のようにニヤニヤしている。
「・・・橋下さんまでそういう顔するのやめてくれる?」
「まで? ダッチー達も来てるの?」
「今さっきに、君とすれ違いで買い物行ってくれてる」
「はーん、気を使われたってわけね」
「勘弁してほしい・・・」
嬉しいことは嬉しいが、いばらはアキの気持ちには気付いていない。そこまで鈍感なことは彼女もよく知っているはずだ。
「いばらに告っちゃえばいいのに」
「バカ言うなよ。これ以上負担にさせたくないっつの」
「あら、そんな優しい人がいばらのことを世話してくれてるなんて。親友の出る幕じゃないわねー」
茶化してリビングに足を踏み入れて行った。今日はやたらと気疲れする。あとに続き、材料をキッチンに持っていって広げた。
彼女は橋下絵里。アキたちにいばらを紹介したのが彼女で、いばらとは同じ高校出身であり一番仲が良かった存在でもある。その肝心な彼女とはどう繋がったかというと、ダッチーが彼女に声をかけていた。彼女はEryとして以前ベーシストをやっていて、ダッチーと対バンをしていたこともあれば、同じバンドをやっていたこともある。しかし大学を卒業と同時にやめてしまって、今はアクセサリー屋で働いている。いばらのライブ衣装に合わせたアクセサリーも彼女が選んでいるのだ。店の店長からは手をこねられているが、特にこちらとしてはどこの店のアクセサリーを使わせているとは公表していない。売れてくれればいいと思うが、小さな店でもあり大企業がいくらでも作り出せてしまうのでどうなるかはわからない。
鞄を椅子に置いてジャケットを脱ぎ、背もたれにかけ、腕まくりをしてアキの隣にきた。長ネギや卵、豚肉と鶏肉、調味料はケチャップや塩、バターやチーズ、六枚切りの食パンを買ってきていた。電子レンジで温めれば食べられるように何食か作り置きしておこうと買ってきたらしい。
「お米は重いからまたあとで行こうと思ってたんだけど・・・」
「多分、それは翔太たちが買ってくると思う」
「男子さすがです」
そう言ってEryは手を伸ばし、リンゴをつかんだ。
「とりあえず剥いて、いばらに食べさせてくる。少し体力つけさせて、シャワーに送り出しちゃうわ」
「それは考えつかなかった」
「こういう女を嫁にした方がいいわよ。でも酒田くんは父性擽る人がいいのかしらね」
「ほっとけ」
そう言っている間にもEryは慣れた手つきでリンゴを剥き、一口大に切っていく。逆にいばらは料理をしないこともあり、いつも洗って丸かじりとワイルドな食べ方をする。だから体力がなくなるライブ後や病床についている時はリンゴは食べられないから食べ物と認識していない。風邪や弱っている時にはいいものと言われているはずなのに。
一切れのリンゴに小さなフォークを刺し、お皿ごと持って寝室に入っていった。いばらー、と優しく声をかけるといばらの声がかすかに聞こえる。
「はい、あーん」
ベッドの中でいばらの口にリンゴを運んだ。しゃりしゃりといばらがリンゴを噛みしめる。
「美味しい?」
「ん・・・」
「酒田くん来てるよ。あとからダッチーたちも来るって」
「・・・んん」
「今のうちにシャワー浴びない? しばらく入ってないんでしょ」
「んー・・・」
力なく会話し、もう一切れリンゴを食べさせていばらを起こさせた。気分が悪そうな素振りを見せたいばらの背中をさする。
「大丈夫?」
「ふぅ・・・っ」
「ゆっくりでいいから」
支えながらベッドを出させたが、すぐさまバランスを崩した。Eryの異常な声が聞こえてアキも部屋を急いで覗く。
「だ、大丈夫?」
「いった〜・・・ごめんごめん、支えきれなかった」
尻餅をつくEryの腰に抱きつくようにいばらがへばっていた。さすがにこうなると同性でも起こすのは大変だ。すぐに手を貸し、Eryの上からいばらを起こした。そのままベッドに戻す。枕に抱きつく様子を見てEryもため息をつく。
「この様子じゃ、シャワーはダメそうね。なに、この前のライブ、相当だったの?」
「久々のアンコールがあったかららしい」
「ああ・・・確かに気が抜けてからエンジンかけるのはしんどいよね」
シャワーに連れていくのは断念し、タオルで拭けるとこだけでもとEryは準備を始めた。その間に野菜を全て適当に切っておいてほしい、と頼まれた。
その後、洗面器にお湯を入れて、タオルと一緒に寝室に持ち込むEryを見る。
「酒田さん、ここ閉めておきますね」
「いちいち報告しなくていいっつの」
クスクスと笑いながらドアを閉めた。