⑷反復記号-second time- ⑦
「二年の三学期、十二月にいばらが飼ってた白猫が死んじゃったの。子猫の頃から可愛がって育ててきてたから、ショックが大きく学校を休むぐらいね。それからいばらは変わっちゃった」
その頃を思い出すようにEryの目が細む。さぞかし心配をしただろう。世話上手なEryが目に浮かぶ。
「学校に復帰できるようになったものの、以前の明るいいばらはいなくなってた。大口を開けて笑うこともなくなって、精々薄っすらと口角を上げるくらい。関わらないでってオーラがなくなることはなかった。一気に暗い子になって、他の友達はいばらから離れていった」
「でもEryはいばらと一緒にいたんだ?」
「まあね。親友だから」
烏龍茶を口に含む。ほぼ一方的に話していたが、すぐにまた口を開く。
「いばらは自分を誤魔化すのが上手なのよ。言い聞かせるっていうより、もう洗脳よね。自らの考えや感覚を否定して、まるでなにもなかったかのように過ごすことができるの」
それを聞いて、アキはああ、と納得する。一年前のスタジオで、いばらが笑顔でお疲れ様、と言ったことを思い出す。
あの時がきっとまさにそれを実行していたのだろう。
「気に入らないこととか傷ついたことって、ずっと抱えてると腐敗してくんだって。心の中でそれを思い出すたびに自暴自棄になって、その放った悪臭でまた悪い妄想をしてしまうんだって、いばらが昔言ってた。だからいやなことがあった瞬間に力を抜いて頭を空っぽにして、どうするとか対抗策を考える前になかったことにするの。それが今まで、彼女が彼女自身を守る方法だった」
今やっと詳しく聞いて、少しショックを受けている。
いばらにはつらい過去や苦痛が深くあったとは思っていた。しかし、実際にその内容を聞くと考えが甘かったと思う。想像と現実では、やはりリアリティが違うというのだろうか。思い当たるくらい誰にもあるようなことがいばらにも起きている。だからといってそれに耐えられない奴が悪い、だなんて一言では言えないのだ。
怪我をして、膝の擦り傷で痛いと泣いたとする。周りの人に訴えたら、世の中には骨を折った奴が多くいるんだ、擦り傷で泣くんじゃない、と言う。そう言われたら、自分は泣き止むだろうか。それとも腹部からこみ上げてくる怒りがあるだろうか。
妙に落ち込んだ。居座りが悪い。心を誤魔化すようにコーラを飲む。そこに我慢していたかのようにEryが身を乗り出してきた。
「だから酒田くん! いばらのこと好きなんでしょ!?」
「ぶっっ!」
ストレート過ぎて、コーラを吹き出してしまった。Eryにかからないように少しは堪えたものの、そんなことには悪気がないように未だEryは強く言ってくる。
「あの子を支えてあげてよ、お願い! 人に頼るなんて、あんまりしないの。変に気遣われるのがいやなんだと思うんだけど、それでも生活や活動に支障が出たら意味がないでしょ!?」
「まあね・・・っ」
噎せながら答えた。
「髪を縛って気合を入れる方法を取得してるけど、本当はあの子には合ってないの。忘れないであげてほしいのは、髪を下ろした状態が一番素直になれて生きやすい姿なのよ」
「それは、わかってるよ」
好きだってことは、ノリで決めたわけでもただの冗談でもないのだ。
一目見た時から魅力を感じていた。その当時はどうしてなのかわからなかったが、最近いばらと一緒にいて少し理解できた。
いばらにはとても人間らしいところがある。心の感性が敏感で、そのせいで病んでしまってもいるのだろうが、自分の言葉と声で想いを表現するシンガーにとっては最適だと思う。とっても素直な内面を持っていて、繊細なのだ。
どうしても守ってやりたい。それだけ輝く可能性のあるあの笑顔はできるだけ消えてほしくない。
誤魔化して守っているとはいえ、作り笑いを浮かべているのだったらそれは意味がない。
「わかってる」
おもむろに呟いた。どうにかしたいとは思っていたのだ。作った笑顔も、現状に引きずられるストレスと、それでやりたいことやいばらの気持ちを殺してしまうのも、そんなの間違っている。
「今日、いばらは?」
「連絡つかないの。また寝てるのかな」
「寝てる?」
もう夕方も終わり、食事なんて夕飯なのに、まだ朝食もとっていないのか、と眉をひそめる。
「ストレス溜まった時はひたすら眠ってるの。ご飯さえまともに食べないのよ」
「それは危ないな」
寝るにも多少はエネルギーを使っているだろう。心臓は動いているわけだから、寝てるから食べなくても大丈夫は間違いだ。
「会いに行ったら、ダメかな」
「大丈夫じゃない? 私もこのあと行こうと思ってたから、一緒にくる?」
「だって寝てるとこに会いに行って起こしてもよくないんじゃないの?」
「大丈夫、合鍵持ってるから」
「わお・・・」
にっこりと合鍵を顔の横に出して見せてくれた。確かに、なにかあった時に誰も入れないんじゃしょうがない。
安心したが、罪悪感と期待感が入り混じっていた。