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眠り姫の歌  作者: 龍空 有王朱
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⑴眠り姫の苦痛 ①

 アキは昼真っ只中を走っていた。帽子を深くかぶり、しかしいつもかけている伊達眼鏡はしていない。ライブの時のようにワックスでかためていない濃いめの茶髪が、横切る風に素直になびく。


 少し苦しくなったら電柱に手をついて立ち止まる。そして落ち着いてから、目的地のある方を見つめてふたたび走り出した。


 走った先は、全室防音のいまどき女子に人気な少し高めのマンション。目的の部屋の鍵番号を滑らかに動く指で入力し、防犯の二重自動ドアをくぐる。


 清楚な作りのロビーを抜け、大理石の模様をしたボタンを押す。三階で止まっていたエレベーターが下りてきてドアを開けると、その綺麗な内装にみとれる間もなく乗り込んだ。


 六階にたどり着いた途端に飛び出して六二五号室に向かう。


 部屋の前に立つとチャイムを鳴らさず、すでに持っていた合鍵を使い容赦なく中に侵入した。木目が美しい、しかし素朴な机と椅子がある寂しいリビングを抜け、真っ直ぐに寝室へと向かった。ノックもせずドアに手をかけて一瞬にして開け放つ。


 女の子らしいピンクやオレンジを使った部屋のレイアウト。ぬいぐるみばかりあふれる部屋の中心に大きなベッドだけ置かれている。その中で眠る少女を、アキはロマンチックの欠片もなく叩き起こした。



「こら! 今日リハだろーが! いつまで寝てんだ、いばか!」



 彼女の名前をいじってそう貶す。


 しかし彼女は布団にくるまっていて起きない。代わりに彼女が飼っている猫がモゾモゾと中を動き回り、ニャー、と鳴いて出てきた。綺麗な黒猫で、透き通った目は水色だ。アキの顔を見るなり、寝ぼけていた顔を引きつらせる。



「シャーッッ」


「オズ、起こすなと言いたいのはわかるが・・・主人の頭を踏みながらはどうかと思うぞ」



 オズと呼ばれたその猫は、そんなの知るか、と彼女の頭に前両足を乗せながらいまだアキに牙を立てている。


 その布団の中にためらいなく、腕まくりをしたたくましい腕を突っ込んだ。中で彼女の腕を探り当て布団ごと引っ張り上げた。オズが思わず、ニャオーン、とベッドからおりる。


 骸のようにうなだれて出てきた彼女は、まだ完全には目覚めていないようだ。セミロングの髪はボサボサで、なおかつ、かすかにくせ毛が目立つのはきっと布団にもぐる前に髪を乾かさなかったのだろう。乱れたパーカーからは首元や胸を締め付けない程度の緩さをたもったキャミソールが見える。つかまれて持ち上げられても、ぐったりとした姿を見せていた。


 アキは思わずため息をついた。



「・・・おい、いばら」


「・・・!」



 名前を呼ばれてピクッと反応を示す。


 ベッドの上に座らせて、頭から布団をかぶった状態の彼女と視線を合わせた。四日ぶりに顔を見合わせれば、なおも彼女の顔色はよくない。



「お前・・・」


「リハ・・・ごめん・・・でも、でも・・・」



 その途端に口元をおさえ、うずくまる。気分が悪なったらしく、アキもその背中をさすった。


 あの白熱したライブも終わり、その四日後に先にスタジオにメンバーと集まっていたわけだが、リハの時間になってもいばらが現れないのだ。まさかと思い様子を見にきてみれば、そのまさかだった。


 うずくまる主人の横にオズが戻ってきて、ボサボサの髪に埋まりながら心配する様子を見せる。



「いい加減慣れろよ。 ・・・って慣れればこんな苦労はしないよな」


「・・・うえっ」


「大丈夫かよ・・・」



 いばらの口元をおさえる手首についた髪留めを見て、アキも思わず頭を抱える。


 最初は知人や友人、家族が見にくるライブから始まったバンド。それがライブを重ねるごとに面白いようにファンが増えた。十人から二十人、三十人から五十人、百人を越し、最後にはインディーズながら二、三百人を相手にする規模にまでなった。そんなバンドを業界も放っておくはずがなく、結成一年半で某有名事務所から声がかかった。その時のいばらも大変だったがー。


 今は五百人以上の観客相手にライブ活動を続けている。フェスやイベントに引っ張り凧で、でもちゃんとバンドの状況を考えてマネージャーの斎藤は予定を組んでくれている。



 こいつには、ちょっと酷なスケジュールだよな・・・。



 普通の人だったら休みがちょうどいい感覚である、なんと生活リズムに優しい仕事なのだろうと歓喜するだろう。しかしいばらには一つ問題があり、そうも喜んでいられない。


 いばらは極度の人見知りを含めたコミュ障で、時間を費やし仲を深めた相手なら普通に接せるのだが、普段から会わない人々に対してはなかなか言葉が発せられなくなる。事務所の人間もそうで、唯一まともに話せるようになったのは斎藤マネージャーだけだ。


 こんな体質で大勢の人の前で自分の歌を聴かせることになるんだから、それは体調を崩してもしょうがない。精神病の一つとして病院にも通っている。あまり適正の仕事ではないのだろうがー・・・。


 彼女は歌の素質を持っている。それもあってファンが確実に増えていったのだ。一度聴いただけで忘れられなくなる歌と、同性でも目を惹かれるパフォーマンス。作詞作曲もお手の物。天命なのか悪運の持ち主なのか、こうしていばらは人前に出るたびに数日寝込む。休みがいくらあっても足りないのだ。


 だが、いばらの体調に合わせて数ヶ月休んでいては仕事にならない。アキ達にはとってもいいスケジューリングだが、結局いばらにとっては仕事と体調管理を忙しく交互に繰り返しているだけ。それでも続けている彼女は歌が大好きなのだろう。



「・・・アンコール、いらなかった・・・」


「そんなこと言うなっつの」



 そうか、この前のライブはアンコールがあったか・・・。



 いつもの五百人前後のライブとは違い、少し大きめの箱を用意された。収容はだいたい八百人近く、いつもとお客のノリも違った。アンコールはこちらが用意しなくても、観客たちが勝手に始めるのだ。


 ありがたいことだと思うが、こっちとしてはアンコールがないほうが”いばらの稼働率”がいい。



 八百のアンコールありで四日目に突入してもこうだとすると・・・千人近くてアンコールがあったとなると一週間は余裕で寝込むってことか・・・?



 また半月後にイベントに出るライブがある。曲数は少ないものの、すでにレコーディングした新曲の発表もかねていた。そのための今日のリハでもある。


 青白い彼女の顔を見つめていると、いばらは力尽きたようにふたたびベッドに倒れこんだ。眉をひそめて、額にはうっすらと汗をかいている。



 こんな状態でリハをやらせるのも無理な話だし、練習にもならんか・・・。



 そう判断したアキはしかたなく布団をかけ直した。いばらの顔もとにいるオズに、いばらのことよろしくな、と言い残して静かに部屋をあとにした。

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