⑷反復記号-second time- ④
斎藤が帰ってから、近かったアキの家に場所を改めていた。ベッドと机と、小さな本棚と押入れがある簡素な部屋だ。その部屋の隅にはギターアンプと、手入れ道具をしまう小さな箱がある。愛用している黒いレスポールとは別に、朱色のギターとエレアコが置かれている。
「さかたあああああああ!!」
「うおっ!」
横から抱きつかれたまま、座っていたベッドに押し倒された。未だダッチーはまるで恋人とのように、愛してる、を連呼して唇を寄せてくる。こうなるとバカなダッチーなのだ。
必死になってダッチーを遠ざけようと腕を突っ張っていると、ふと力が緩まった。その視線はアキの隣にいたいばらに向いている。
ダッチーはアキに抱きついたままいばらを見上げる。
「なんか不満なのか?」
あの時と同じ言葉にアキは一瞬ドキッとしたが、違うのは空気だ。あの時よりも言葉に重みを感じない。いばらは瞬時に我に返り首を何回も横に振った。
「嬉しいよ」
「ならもっと喜べよ〜。無礼講だぜ! アキ覚悟しろ〜!」
「やめっ、うわああああああ」
喜んでいるどころではない。男とは接吻を交わす趣味はない。ふたたび腕を突っ張った。きぃが面白がってスマホのカメラを起動させる。記念だから許してやれ、と爆笑しながらきぃはアキを説得する。
そんなふうに言われると、許すわけがないだろう。きぃのカメラを阻止しようとすると逆にダッチーとの距離が近づく。結局ダッチー相手で精一杯になる。それを見ているだけの神。
浮き立っている仲間を見て、いばらはおもむろに口を開いた。
「・・・無礼講なら、言ってもいいかな」
周りの温度とは違う声色がやけに目立ち、四人はそのままの状態でいばらを見る。アキもダッチーと取っ組み合いになったままいばらを見つめる。
「なんだ美岬! 言ってみろ!」
自分のテンションが違うせいか、いばらば冗談以外のものを言おうとしていることにダッチーは気付いていない口調で促した。
そう言われていばらも発言の勇気を持つ。思い切ったように息を吸った。
「私、coda抜けたい」
その部屋の体感温度が急激に下がった。言ってしまった。いばらも大きな決断で悩んだだろうが、なによりアキはいつかこうなることが見えていた気がした。
またあんな顔をしているのだろうか。怖くてダッチーの顔を見られない。反面、全員の注目を浴びていばらは深く俯いていた。
きぃはあの時と似た様な空気を感じとったのかスマホをしまって、ベッドに腰掛けるいばらの前に膝をつく。
「どうした? どうしてそう思ったの?」
優しく問いただした。なにを思い悩んでいるのかなんて、聞いても仕方ないのだが。
また怒られるかもしれないと思っているのだろうか。髪留めがついた手が白いワンピースをぎゅっと握りしめていた。
「事務所に声をかけられたことはとても嬉しいの。そこは本当なんだけど・・・」
ダッチーとアキも組み合った体勢を解き、アキはいばらの隣に起き上がった。なんといってもこの一年半、いばらをずっと見守ってきた。誰よりもいばらのしんどさはわかっているつもりだ。
「・・・私、もう人が増えていくのが怖い・・・」
歌の才能といばらの性格を考えて、ぜひ彼女をボーカルにと勧めたのはいばらの親友のEryだ。歌唱力を活かし、塞ぎ込んでいるいばらをどうにか元気にできないかと考えていたのだ。
その結果、一時的に元気にはなったものの、やはり苦しみのほうが多くなってきている感じがあった。
まして事務所にかかってライブをやれば間違いなく今の何倍もの人が集まる。今までもトントン拍子にファンが増えたのだから、さらにいばらがつらくなることは間違いない。
いばらはここで降りたほうがいいかもしれない、とアキは思ってしまった。
「・・・なに言ってるんだよ」
「祥太・・・」
始まった。いばらとダッチーは犬猿の仲。しかし状態は蛇に睨まれた蛙のよう。
低く突き刺さるようなセリフはアキときぃがいるにも関わらず真っ直ぐにいばらに当たる。臆病に息を呑むいばらを見て、流石にきぃさえも今回はいばらの味方をする。
「ダッチー、知ってるだろ? いばらは・・・」
「いいよなぁ。人が苦手だってだけで、働かず一人暮らしもできるのか」
「っ・・・」
いばらの希望で、メンバーがいる地域に引っ越してきた。両親も一人娘のためにセキュリティもしっかり完備しているマンションを借りた。
はたから見たら贅沢な暮らしだ。ワガママで恵まれた人生だ、と。どんなに本人が苦しくても甘やかされていると思われてしまうのだ。
ーどんなことを言っても、理解されることはない。