8話 学園長とか、そういうのいいです
エミリー・スレイプニル。
この学園の初代にして唯一の学園長だ。
学園の歴史がすでに300年以上続いているものであると言われているので、その当初から学園長をしている生きた伝説だ。
噂によれば、たった1人で学園を立ち上げ、国の魔導士育成機関として成り上がらせた、敏腕経営者でもあるという。
その人脈は国の王族、中枢機関の貴族から、名も知らぬ地方貴族の端くれまで多岐に及ぶと言われており、彼女のことを国の「影の支配者」と呼ぶものも少なくない。
学園の生徒であったとしても、在学中に出会えるのは入学式と卒業式の2度のみ。
もし、学園の中で出会えるものならば、一生分の運を使い果たしたといってもいいくらいの幸運であると言われている。
俺はコレットの付き合いで何度か顔を見たこと自体はあったが、他に接近することは決して許されなかった。
……そんな伝説が、今俺たちの目の前に当たり前のように立っている。
事務室のドアを自然と入ってきた彼女は、そのまま扉を閉めた。
扉の前に立って俺たちの姿を見つめる。
身長は俺より少し高そうなので、180センチくらいか。
近くで見てみると、すごい迫力だ。
学園の象徴である紺の制服を自ら身に包み、それでいて変に若作りしているように見せないような威厳もしっかりと保っている。
300年以上生きているはずなのに、金髪にサングラスが似合う女性なんて、あとにも先にも、この人くらいしかいないのだろう。
「一体、何の騒ぎですか?」
「が、学園長……」
学園長の姿を見たルミアは、青ざめていた顔色をさらに蒼白とさせていた。
体を硬直させて、全身ぶるぶる震えさせている。
完全に死期を悟った小動物のそれだった。
「あ、あの、これ、は、ですね……ええ、と、、ユユ、ユーマ様のですね……」
ルミアは声が震えてしまって、もうまともにしゃべれるような状態ではなかった。
いったい、何がそこまで彼女のことを震え上がらせているのか。
俺の退学手続きを進めていた、とただひとこと言ってくれれば解決することなのに。
「ルミアさんに、俺の退学手続きを進めてもらっていたんだ」
「ちょっと、ユーマさん!」
ルミアに代わって、事情を説明しようとしたら、すぐにルミアに取り押さえられそうになった。
すぐに身をかわす俺だったが、恐るべき速さでルミアも俺の動きについてくる。
俺の服に縋り付くルミアの目にはもう涙がいっぱいに浮かんでいた。
頼むからこれ以上は話さないでくれ、と目で訴えている。
しかし、関係ない。
そんなことではコレットからは逃れられないんだ。
「あら、あなたは、確かコレット様のおもちゃだったはず」
学園長は、俺とルミアのからみを無視して、痛い言葉を投げてきた。
この女、人の嫌がることを平気で言ってのけやがる。
そうだよ、俺はおもちゃだったよ。
それが嫌だから、ここから出て行こうとしているんだろうが。
ていうかこの女、俺のこと知っていたのか。
才能もない俺のことなんて、眼中にもないと思っていた。
「そうだったんだけど、嫌になったから縁を切ったんだ」
「あら、そうなんですか」
「それで、学園から出て行こうとしたら、ルミアさんに手続きをしないといけないからって言われてこの事務室にまでやってきていたという訳だ」
俺は伝えるべき事実を淡々と伝える。
必要以上に突っ込まれるわけにはいかない。
さっさとこの部屋から出て行きたいのに、学園長が入り口を占拠しているため出て行くことができない。
事情は把握したんだから、さっさと勇者のおもちゃくらい外に出させてくれ。
さすがにイライラしてきたぞ。
そんな俺とは反対に、学園町は微笑を浮かべながら事務室の床に目をやった。
「それで、あの宝玉は一体どうしたんですか?」
「ひっ……! あわ、あわわわわわわわわ」
学園長の追求に一番に反応したのはルミアだった。
ずっと俺の裾を掴んでいた手を離して、その場でついに硬直してしまう。
もう彼女の目には生気を感じられない。
もう立ったままショック死でもしたんじゃないか?
しかし、学園長の見た方向を一緒に確認しても宝玉らしきものは見つからない。
なんて言ったって、宝玉はさっき俺が粉にしてしまったからな。
もうそこには痕跡すら見つからないはずなんだが……この学園長はいったい何を見て話しているのだろう?
それとも、粉々にした宝玉でも、彼女のほどの実力があれば見てわかるということなのだろうか。
しかし、これは厄介な質問だぞ。
「見たところ、魔力を使った痕跡があるように思えるのですが……ルミアさん?」
「ひぃっ!! も、申し訳ありません!!!!」
聞いたこともない悲鳴を連呼していたかと思えば、次の瞬間、ルミアは光の速さで地面に額を付けていた。
この謝罪方法は俺もなじみが深い。
なんでも、東の方の国での最上級の謝罪方法として用いられている“土下座”とかいうやつだ。
この謝罪は、やっている側は何とも情けない気持ちになる。
コレットもこの謝罪をさせるのが大好きで、ことあるごとに俺にこの謝罪をする様に求めてきていた。
まさか、こんな形で他人の土下座を拝める日が来るとは思っても見なかった。
これっとは涙声に交じりながら、事情を説明し始める。
土下座しながらも、彼女の体は全身ガクブルだった。
「実は、私が先ほどユーマ様の才能を鑑定したところ、ユーマ様に黒魔導士の才能があることが判明しました! 私の判断ミスで、才能を鑑定する前に退学手続きをしようとしてしまっていたため、何とかユーマ様に学園に残っていただけるように話を進めていたところです!」
ルミアは一息でこれらのことを報告してしまった。
絶対に俺に口出しさせないようにする強い意志を感じる。
全部しゃべり終えてしまうと、あとは彼女の歯ぎしりの音が聞こえてくるだけだった。
彼女は全身震え続け、穴という穴から水がしたたり落ちていた。
そう、穴という穴だ。
後ろからだとよく見えてしまうのだ。
まさか、俺のせいでこんなみっともない姿になろうとは、彼女自身も思ってみなかっただろうな。
「あら、黒魔導士ですか!」
ルミアの説明を受けた学園長は、わざとらしく声のトーンを上げて喜んで見せた。
サングラスを少しずらして見せるあたり、なんともわざとらしい。
しかし、この流れはまずいな。
「おめでとうございます。ユーマ様。まさか黒魔導士の才能をお持ちだなんて」
「そりゃどうも」
「学園としても、すぐにユーマ様の編入の手続きをとりましょう」
ほら来たよ、この流れだ。
だが、俺の答えは決まっている。
「断る」
「あら、まあ」
学園長はただ笑っているだけだった。