見つけてしまった居場所(アーニャ)
今日も殺すことができなかった……
暗い教会の一室で一人ため息をつく。
誰もいない空間の中だと、自分のため息の音すらもよく聞こえてしまう。
今まではそれが当たり前の日常だった。
でも、今はそれだけの静けさを寂しいと感じてしまう。
全部あいつのせいだ。
黒魔導士抹殺の命令を受けてから、もうすぐ2週間が経とうとしていた。
もうそれだけの時間が経っているというのに、私はまだターゲットである黒魔導士を殺せていない。
暗殺者として育て上げられてきて、初めての出来事だ。
日に日にザニス様のいら立ちが大きくなっているのも感じている。
扉を押し開ける勢いも強く鳴って来た。
ザニス様も勇者様含めて多くの人達から何か言われているらしく、そのうっぷんは全て私のもとに回って来る。
別に、いつものことだ。
私の役目は、彼のその怒りをただ引き受けるお人形になることだった。
そう、小さい頃から育て上げられてきた。
私はただの人形。
主のいいように従っていればいい。
声なんて出す必要がないからしゃべらなくていい。
人を殺すのに、言葉なんて必要ないのだから。
そうやってこれからも生きていくものだと思っていた。
……あいつに出会うまでは。
黒魔導士に図書館で見つかってしまってからというもの、彼は毎日のように私を図書室へと呼び出した。
私の正体がついにばれてしまったのではないかとも怯えていたけど、話して来るのは「魔導の心得」のことばかり。
わからない内容があるんだと切り出しては、ほぼ強制的に私を図書室まで連れて行く。
そして、気が付けば向かいの席に座らされて一緒になって本の内容を読解させられていた。
「魔導の心得」は、私の部屋に全巻そろっておかれている。
ザニス様が私に与えてくれた唯一の施しだった。
小さい頃からこの暗い部屋に押し込まれて、1人で過ごしてきた私にとっては唯一の友達とも呼べるような代物だった。
もう何周と読み進めて来てかわからない。
最初は何を言っているのかさっぱりわからなかった内容も、何度も読みなおしてだんだんと分かるようになった。
ひとつ、また一つと意味が分かるたびに、1人だった心が潤っていくような感覚がした。
魔法の世界は私のことを認めてくれようとしているんだという温かさがあった。
でも、そのことをザニス様に話しても、彼には何を言っているのかわからないみたいだった。
「変なものに心を奪われずに、魔法を放て」
そう言って、魔法を使って多くの暗殺術を学ばされた。
最初こそ抵抗があった暗部の仕事も、気が付けば何も感じなくなっていた。
1人、また1人と任務をこなすたびに、私の心も曇っていった。
だんだんと、「魔導の心得」を読む時間も増えて行った。
どれだけ嫌なことがあっても、本の中の世界は私のことを待っていてくれた。
この本は、どれだけ読んでも新しい発見を私にくれる。
本来の魔法の道の奥深さを私に見せてくれた。
だから、あいつが「魔導の心得」を手にしていた時には、我を忘れてしまった。
ターゲットに必要以上に近づいてはいけないことなんて分かっている。
だけど、それ以上にこの本について誰かに語れることが嬉しくて仕方がなかった。
自分でもびっくりするくらい、言葉が止まらなかった。
誰かと話すつもりなんて全くなかったのに、彼と一緒に居るとついつい口が動いてしまう。
「魔導の心得」を読んでいる人間なんて、探せばいっぱいいることくらい知っている。
教会の中だって、探せば簡単に見つかるだろう。
でも、彼はそんな奴らよりも、もっと純粋に魔法のことを知りたがっていた。
彼の持っている知識はちっぽけなものだけど、彼から質問を受けるのは嫌じゃなかった。
これだけ一緒の時間にいれば、殺せるタイミングなんていくらでもあった。
誰にも見られていなければいいだけで、その場所が図書室だろうが、別に関係のないことなんだから。
でも、できなかった。
今は司書がこっちを向いているから……
今日はクラスメイトに図書館に行くことを見られているから……
こいつは勘がいいから魔法を放とうととしたらばれてしまうから……
それから、それから……
毎日、いろんな言い訳が頭をよぎった。
その度に彼を殺そうとする魔の手が消えた。
理由?
そんなもの自分でも分かっている。
私は、彼と一緒に居る時間を心地よく感じてしまっているのだ。
たとえ、それがいつか終わってしまう偽りのものだとしても、その時間がすべてなくなってしまうのが怖いんだ。
「おい! アーニャ! いつになったらあの虫けらを暗殺するんだ!!」
今日も、ザニス様が扉を蹴り飛ばして入って来た。
また一段とお怒りだ。
「す、すみません」
「すみません、だあ?! そんな言葉はもう聞き飽きたんだよ。俺は、いつになったら、あの虫けらを排除するんだと聞いているんだ」
「い、今、暗殺のための罠を張っているところです。もう少し経てば完璧に完了します」
「……それは本当なんだな?」
ザニス様は鼻息荒く聞きなおす。
私は声を出さずにうなずいた。
「確かに聞いたからな。期限はあと一週間だ。その間に奴を殺せ。わかったな?」
またうなずく。
ザニス様はため息をつきながら暗い部屋の中を見回した。
そして、床に散らばっている「魔導の心得」を手に取る。
「たくっ。せっかく育て上げた人形が、虫けら一匹殺せないとはな。これじゃ、せっかくこの本を与えてやったのかもわからないぜ!」
ザニス様はそう言って「魔導の心得」を床に叩きつけた。
鈍い音が部屋の中に響き渡る。
目を丸くしてしまった私のことを見て、ザニス様は満足したようでそのまま部屋から出て行った。
「……うそ、ついちゃったな」
罠を張っているなんて、全部嘘だ。
彼を暗殺する算段なんてなにも立っていない。
ザニス様に嘘をつくことなんてなかったはずなのに……
いや、むしろ私の心はもう……
床に叩きつけられてしまった「魔導の心得」を手に取る。
明日、ユーマから教えて欲しいと言われていた内容の巻数だ。
ザニス様が立ち去ってしまった後、いつもなら恐怖で震え上がっているはずの体は、今日だけは怒りで震えていた。
お読みいただきありがとうございます!
次回、課題は新しい方向へ進んでいく。




