回想 文芸部にて
僕の通う、愛知県に存在する某進学校では、他の高校と同様だと思われるが、お昼休憩の時間に購買が開かれる。毎日昼食に菓子パンを買い求める生徒が押し寄せるこの購買コーナーにはヒトツ、変わった商品がある。文芸部発行の同人誌「遊興」である。
初代文学部部長が国語辞典をパラパラと捲って、たまたま目に付いた単語がその名の由来である「遊興」は毎月第一水曜日に発行されており、その内容は各部員たちが執筆する連載、または読み切り小説で構成されている。
恋愛小説からSFまで幅広いジャンルを網羅している「遊興」は読者である生徒たちから高い評判を呼んでおり、発行した部数が毎月売り切れる好調な売れっぷりを誇っている。
そして「遊興」に連載作を持っている少数精鋭の文芸部員のうちの一人が僕である。題名は「名探偵の悪夢」。ジャンルは推理小説だ。
さてこの「名探偵の悪夢」だが、悲しいことにこの作品「遊興」に掲載されている小説の中で最も人気の無い作品というレッテルを貼られている。これはどういう事か。誰か説明しろ。
「諦めることであるな。今時推理物など受けはしないよ」
文学部部長兼「遊興」編集長である速水部長は僕の作品についてこのような評価を下した。血も涙もない。もっとヤンワリとオブラートに包んで評価してはくれないものか。
「そんな事を言うのはあんまりだよ、速水くん。人気は無くとも、彼のお話に悪い所なんて無いんだから」
隣でお茶を入れている副部長兼副編集長の羽村先輩が僕を擁護してくれた。彼女は部における僕の師匠筋の人であり、そして時折傷ついた僕の心を癒してくれる母性たっぷりの女性でもある。
また、部内では彼女の豊かな胸にはその母性がぱんぱんに詰まっていると専らの評判であるが、正直な所僕の好みではない。どちらかというと、僕は慎ましい胸が好みである。
「別に私だって彼を貶している訳では無いよ。寧ろ腕に関しては中々のものだと思っている。しかし結果は結果だからなあ」
最初、羽村先輩の顔に向けていた速水部長の目線であったが、次第にそれは彼女の顔から彼女の乳へと下がっていった。一見硬派に見える速水部長であるが、その実情は救いがたいド変態である。
「ならば改善策は無いのですか。せめて、読者受けが良くなる為のハウツーを何か伝授してくれませんか」
本来、部長にはここで後輩の僕に然るべきアドバイスをするべきである。いっそのこと「貴君に勝ち目は無い。ここで打ち切りにして然るのち、修行の旅に出たまえ」と言ってくれても構わない。
しかし速水部長はあろうことか「ははは」と腕を組んで笑い、
「うむ。諦めてずるずると続けるしかないな。無理矢理打ち切らないだけでも有難いと思いたまえ」と言ったのだった。
何たる無責任男。スケベ心で更に軟化した軟弱神経を持つこの男を頼りにしようとしたのがそもそもの間違いだったのだ。
「判りました。俺はもう速水部長をあてにはしません。もう帰ります」
おい待ちたまえという速水部長の声を無視し、怒り心頭で部室を出て廊下を歩いていると、後ろから羽村先輩が僕を追ってきていた。
「ねえ、ちょっと待って」彼女はそう言いながら僕に向かって駆けてきた。これが速水部長なら無視して帰ってしまう所だが、物書きの才能もあり、後輩の面倒見の良い羽村先輩は僕も一目置き、尊敬するほどの好人物だ。無視するなどもっての外である。
「羽村先輩、どうしたのです。俺を追ってきたりなんかして」
僕の前で立ち止まった羽村先輩は膝に手をついて、「はあ、はあ」と可愛らしく息を吐いた。
「速水君の意見は聞かなくても、せめて私の意見は聞いてほしいの」
「何です」
「確かにあなたの書いた話は受けが良くないのかもしれないけれど、少なくとも私はあなたのこと、評価しているから」
「お世辞はよしてください。最初に言われた時は満更でも無かったけれど、何度も言われると正直、ほとほとうんざりとしてきます」
「もう、またすぐに卑屈になったりして」
そう言って羽村先輩は僕の額に優しくデコピンをした。手加減をしているので痛さは全く感じない。
「私だけじゃなく、あなたに期待している人は多くは無くても、決してゼロでは無いんだから。だからちゃんと自信を持って。いい?」
流石に美人の先輩にこんなことを言われるのは、吝かではない。しかも言ってくれるのが美人なら尚更だ。
「判りました。次に原稿を渡す時までその自信が続くことを祈ってください」
僕は手書きの原稿を毎月、羽村先輩に渡してパソコンで「遊興」に乗せるための電子文章に書き直してくれる。彼女には世話になりっぱなしだ。
思えば彼女が居なければ、僕は文芸部に入ることは無かったであろう。何処の部活にも行く宛も無く、放課後の教室で「光り輝く青春街道を身も心も美しい乙女と歩む筈だった俺の計画はどうなってしまったのだこれでは暗夜行路をただ一人でほっつき歩いているだけでではないかこれは俺のせいではないでは一体誰のせいだ」と一人席に座って佇みながら途方に暮れていた僕を、近くで部の勧誘活動をしていた彼女が誘ってくれたのが始まりだ。羽村先輩には恩義がある。彼女の恩義に報いるのが道理というものではないか。
そして僕に出来ることは彼女に自信の持てる原稿を渡すことである。
「しっかりね」
「頑張ります」
「もし途中で投げ出そうとしたら、その時は監禁してでも書かせるから」
「はははッ、そうなったらお願いしますよ」
阿呆面をして笑っていた僕であったが、いざ閉じ込められた今は全く笑えない。無理矢理原稿を書かされていないだけ、幾分かマシである。
その後、羽村先輩と別れた僕は校舎を出て、寄宿先である祖父母の家へ帰ろうと校門を出た。
すると近くから僕を呼ぶ声が聞こえた。
「おうい、お前もこれから帰るところか?」
僕を呼んだのは旧友、明智であった。




