座敷牢にて その1
この海外製品であふれる現代の日本社会において、タタミ一畳と言うサイズがどの程度の広さなのかを正確に認識している者は意外に少ないであろう。
百八十センチ×九十センチ。地域や使用箇所によってその大きさは前後するものの、これがタタミ一畳のスタンダート・サイズである。
何故僕は出だしから長々とタタミの話をしているのか。これには今、僕が置かれている状況をよりよく理解してもらう為である。別に僕の蘊蓄をひけひらかそうという魂胆があった訳ではない。
目の前では鉄格子の扉が天井から床へと真っすぐに刺さっており、壁には窓が一切無いので日光が全く入ってこず、光源は天井にあるいやに明るい蛍光灯のみ。傍らは冷めたピザ、そして地面はタタミ一畳の狭苦しいスペース。この空間に僕は押し込められている。
さて、さきほどから座敷牢という普段「のほほん」と呟いて平和に暮らしているぶんには聞くことなど全くないであろう単語が出てきている。座敷牢とは一体何か。
昔々その昔、徳川一族が日本中を遍く支配していた江戸時代では大名や旗本、徳川一族が倒された明治維新以降においては華族や豪商といった世間に幅を利かせていた高い社会的ステータスを誇る一族が存在する中で、一族の中で問題を起こしたり、あるいは精神状態に異常を起こした者が現れた時、その者を屋敷の一角、離れ、もしくは土蔵に厳重に監禁して収容し、外に出る自由を失わせて外部に彼らの存在を知られないようにしたのだ。これが座敷牢とその存在意義である。
ではどうしてそのような施設に、現代社会に生きる罪の無い子羊である僕は閉じ込められてしまったのか。その理由は判らない。数時間前、日本海溝並みに深い眠りから目覚めた時、既に僕はこの座敷牢に閉じ込められていたのだ。
念のために言っておくが、このような目に遭ってしまったのには、僕が何か問題を起こしたからというわけでは決して無い筈だ。寧ろ僕は善良な市民として日本国の平穏を構成する数多くの人々の内の一人であると自負している。コンビニでの万引き行為、ましてや満員電車で婦女子のぷりぷりとした尻を触るなどといった極悪非道な痴漢行為などの反社会的行為を行ったことも、一度たりとも無い。よって世間の怒りを買い、座敷牢に放り込まれる様な事など一切していないのだ。どうか信じて頂きたい。
このタタミ一畳の空間に閉じ込められてからの僕は、ただただ寂寞の念に駆られるのみであった。独りぼっちというものがここまで寂しいものだとは今まで思ったことも無かった。今は数少ない友人、明智の声がとても懐かしく感じられる。あの明智との非生産的会話を思い出すだけでも、心にジーンと来る。
明智の事はともかく、僕はこの座敷牢から脱出しようと様々な方法を試みた。大声で叫んで外に助けを求めようとしたり、鉄格子に掛かった鍵を無理矢理こじ開けようとしたり、目の前に聳え立つ鉄格子を、ピザを載せた皿でごりごりと削ろうとしたりと、様々な方法で悪あがきをしたがそれらはすべて失敗に終わった。
脱出もできず、傍らにある冷めたピザを食べることしかすることは無いのだが、冷めたピザほど食べていて虚しい気持ちになる食べ物は無い。従って食事も止めることにした。結局今の僕に出来ることは、ただボンヤリとタタミの上で佇む事だけであった。
今頃クラスメートはどうしているだろうか。きっと「あんにゃろう。学校をサボタージュしやがったな」程度にしか思っていないかもしれない。ひょっとしたら、明智も同様かもしれない。同好の士、八橋さんはどうだろう。
そして、僕が籍を置いている文学部の部員たちはどう思っているだろうか。僕の失踪を不審に思い、心配してくれているだろうか。
もし心配してくれていなかったら、それはとてもとてもカナシイ話である。




