17章 おまじない
「はぁ……」
下町病院の隣にあるコミュニティーセンターの、唯一楽器を吹くことが認められている部屋、集会室にて。
もうすぐここでリハーサルが始まるというのに、学指揮の1人である千尋は溜息をついていた。
「あっこが振る予定だった曲も振らなきゃいけないんだよね……」
そう。
もう1人の学指揮、顕子が指揮を振る予定だった曲も千尋が指揮を振らなければならないのだ。
理由は単純。
顕子が急に来ることができなくなったからだ。
千尋はスマホを取り出し、それにイヤホンを差し込み、ラインを開いた。
そして、録音係——演奏を録音機で録音し、YouTubeに限定公開で載せて、そのURLを部活全体のグループラインに送る係——が載せてくれたURLをタップし、顕子が振る予定だった曲を再生させた。
録音に合わせて、顕子が振る予定だった曲の指揮を振ってみるが、テンポ変化のある曲で、少し難しい。
上手くいかない。
深呼吸をして、音源を巻き戻し、再び指揮を振る。
やはり上手くいかない。
千尋は何度目かになるか分からない溜息を吐いた。
千尋は一旦部活全体のグループのトークルームを閉じ、顕子個人のトークルームを開く。
顕子とのこの会話は、何度も見ていた。
見ずにはいられなかったのかもしれない。
『あっこ:ごめんね!親戚が昨日亡くなって……今日、来れなくなっちゃったんだ。うちが振る予定だった曲も振ってもらえるかな?』
『分かった、なんとかする』
『あっこ:ありがとう!本当にごめんね。千尋がうまく指揮が振れるように、おまじないをかけておくから……本当にごめんね、お願いします 泣』
「『おまじない』って……」
この吹奏楽部員の中に、あっこの言う『おまじない』が『魔法』であることを知らない者はいない。いるとしたら、今、記憶を無くしている咲希ぐらいだ。
「……普通に『魔法』って言えばいいのに……」
千尋はまたしても溜息をつく。
「しかも、どんな魔法をかけたんだろう……」
チューニングも終わり、いよいよ合奏の時間だ。
「えっとまず、あっこが来れなくなっちゃったので、あっこが振る予定だった後半の3曲からやります」
「はい!」
「じゃあ4曲目を出してください」
「はい!」
下町病院で演奏する予定の曲は、アンコール曲も含めて6曲。そのうち、顕子が指揮を振る予定だったのは後半の3曲。
千尋は、リハーサルの前に指揮の確認をしておきたいと思っていたのだ。
千尋は不安に思いつつも、腕を構えた。
さっと部員が楽器を構える。
指揮を振る千尋自身が不安だからだろうか、みんな、不安げな表情だ。
千尋は、そっと指揮を振り始めた。
すると、部員が驚いたような顔をし、千尋を見た。
驚いた顔で演奏をし始め……そのうち、笑顔になって演奏しだしたのだ!
しかし、この時最も驚いていたのは千尋自身だった。
(何で……?)
驚きながらも、楽しくなってくる。そして、千尋も笑顔になってきた。楽しそうに指揮を振り続ける。
(……勝手に腕が動いてる!)
やがて、テンポ変化のあるところへと差し掛かった。
流石に千尋は少し、顔を曇らせた。
(上手く、いくかなぁ……)
しかし、心配はいらなかった。
腕は、やはり勝手に動いてくれた。
(まるで、あっこが振ってるみたい……!)
千尋は驚き、そして、顕子のかけた『おまじない』が何かを悟った。
(うちが上手く振れるように……あっこみたいに振れるように、魔法をかけてくれたんだ)




