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第一章―旅立ちの日―1

 カーテンの隙間から零れる日の光が薄い暗がりが包む部屋に差し込んだ。顔に浴びる直射日光に鼻から抜けるような声を漏らしながら、藍色の髪を生やした端整な顔付きの青年は瞼をゆっくりと押し上げて、小鳥の囀ずりが耳に優しい目覚めを受けたのに気付く。時刻は既に朝だと知らせる木で出来た掛け時計を黄金色の瞳で見てから、青年は簡素なベッドの上に起き上がり、猫のように欠伸をした。

「くぁ……。朝かぁ……」

 青年――フェニードル・クレイステンは自分が使用するベッドから出て、呑気に寝癖で跳ね放題の頭を掻きながら、寝室を出た。

 フェニードルが暮らす武国(ぶこく)の朝は早い。剣闘士が集まり、数多くの職人が集まっている。中でもフェニードルが過ごす家の主は更に早かった。

 自分に駆け寄ってくる白い毛玉がフェニードルの登場に嬉しそうに鳴いた。

「おはようさん、ティティ」

「フャーウ!」

 白い毛玉、基白魔(はくま)と呼ばれる愛玩用の魔物でフェニードルの暮らす家主が飼っているウィングールは可愛らしい顔を輝かせながら、ティティという名で呼ばれていた。ティティは肥満体型を更に誇張するもこもこの毛皮を持っており、甘えるようにフェニードルにすり寄ってきた。

「ティティ。フォル爺はいつものところだよな」

「フャーウ」

「まず、お前また太ったな……」

 フェニードルは苦笑を漏らしながらティティを抱き上げて、ずっしりとした身体にしては気持ちいい体毛に顔を埋め、至福だと呟いた。

「あぁ。もふもふに囲まれて死にたい」

「フャーウ!」

 ティティは前足でフェニードルの頭を叩きながら、じたばたと忙しなく尻尾を振っていた。フェニードルはティティに抵抗されるのに堪らず可愛いと漏らして、彼女を下ろした。

 フェニードルが武国に来て十年の月日が流れていた。今ではフェニードルの年齢は二十一を迎え、立派な青年として武国の大地を踏んでいた。

 フェニードルが暮らす家の隣は鍛冶屋となっており、直ぐ側に魔増器(ゼクスティル)を取り扱う工房もある。

 武具を錬成し販売をしているのは筋骨隆々とした、白髪と髭を蓄えた老骨の男性だ。各国にも名を轟かせる鍛冶職人――フォルトル・ジャッピオンと共に暮らすフェニードルは、ありふれた日常につかの間の微睡みを覚えて、再び欠伸を漏らした。

「……あー。昨日の連戦は堪えたな。ったく、多勢に無勢ってなんなんだよ」

 フェニードルは悪態を吐きながらも、楽しげに口許を緩めたまま、顔を洗おうと洗面所に向かった。その後ろをついて歩くティティに愛しさが込み上げてきて、なんだか悪くないと納得した。



 フェニードルが目覚ましとして顔を洗ってからというもの、鳴りやまない鋼を叩く音だけが響いていた。フェニードルは工房に繋がる通路をティティと歩きながら、黒い墨がこびりついた扉の前につくや、本来は重たいのであろうその扉を軽々と開けた。

「フォル爺ー。飯どうするんだー?」

 赤光が躍りながら熱の籠った工房に充満している。熱気に驚いたティティは逃げるように去っていったが、フェニードルは何食わぬ顔で鉄を叩いてる老人に声をかけた。彼こそが名匠と称えられる武器職人のフォルトルだ。長年鉄を叩いてきたからか腕の筋肉は盛り上がり、屈強な肉体を維持している。フォルトルはゴーグルを外して、自分に声をかけてきたフェニードルを見た。

「なんだ。もうお昼時か」

「いや、朝だよ。どんだけ記憶飛んでるんだよ」

「冗談に決まってるじゃないか。フェニードル、起きたのなら今日発売のエロ本買って来い」

「買わねぇからな!? なんで爺の癖に性欲有り余ってるんだよ!」

「儂にかかればどんな若い女でも一ころに決まっとるわ」

 フォルトルは豪快に笑いながら伸ばした鋼を冷や水に浸してから、道具を置いて立ち上がった。

「フェニードル。今日も剣闘士の仕事があるのか」

「あー。まあ、餓鬼達に剣教えるだけだよ。闘技戦はなしだ」

 フォルトルはフェニードルの後ろを歩きながら、急に足を止めた。普段なら剣闘士の仕事に何も口に出さないフォルトルにしては珍しい。黙りこんで何かを考えるフォルトルは、小さな声で「そうか」と一人ごちる。何に納得したのだろうか。フェニードルは怪訝そうにフォルトルを見たが、彼はそれ以降何も言わなかった。



 朝食の準備をフェニードルがしている時に、フォルトルは国が発行している新聞紙を見ていた。

「……輝光賊(プリズマー)か。ここも荒れたな」

 フォルトルが呟いた名前に、フェニードルの手は僅かに止まった。輝光賊(プリズマー)と呼ばれる空賊がこの武国に潜伏している。それを国の情勢は気付いていたらしい。フェニードルは武国に居てたまにしか聞かなかった空賊の名前に顔を無表情に変えた。

「フャーウ! フャウー!」

「……へ? って、うわ、卵が焦げたぁ!」

 フェニードルは慌てたように黒く焦げてしまった卵焼きを皿に移していた。それを見ていたフォルトルは無言で新聞紙に再び目を向けた。



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