prologue―物語の始まり―
――これは一つの昔話に過ぎない与太話だ。
六つの大陸で分けられた世界『ヴァレージュ・ミレー』を作り出した創成に携わる生物が魔力と神聖な覇気を用いて大地を形成していった。青い水を生み出す為に氷河で大地を覆わせ、灼熱の気で溶かす。大地に根を張る植物の種を生み出し、空気に溶け込む微生物を誕生させた。
二足歩行が出来る人間よりも先に生み出したのは人ならざる生物――魔物と称される様々な気候や環境に合わせて進化を遂げていく生物だ。現世では荷車を運び、人々の生活に役立てる為に産み出された魔物を商魔と呼び、食肉用や牧畜用として扱われている物が多く、凶暴性は限りなくなかった。そして、愛玩用として誕生した魔物を人々は白い気を宿す魔物・白魔と呼んだ。いつしか大まかに分かれていた魔物は独自の進化を遂げ、新たな生命の息吹を芽吹かせていた。
――そして、世界創成の祖となる生物が六つの大陸に降臨した。それは精霊とも呼ばれ、竜種や幻獣とも呼ばれた生物達。中でも圧倒的な存在感を放っていたのが、天を統べる竜種――天竜だった。
天竜の涙は一度地上に落ちれば海を作り出し、天竜が鳴けば大地を揺るがす。天竜は自らの所在を六つの大陸に位置しない大地――ヘーゲリッチに置き、ヘーゲリッチの民達に全身から迸る恩恵を与えていた。
春になれば穏やかな気候に包まれながら桃色の花を咲かせ、夏になればじりじりと照り付ける太陽に焼かれながらも枝木に緑色の葉をつけ、秋になれば薄く肌寒い風を浴びながらも緑だった葉は黄色く染まり、冬になればしんしんと白い雪が大地に降り注ぐ。四季折々の姿を見せるのが、天竜の恩恵に包まれたヘーゲリッチの特徴だった。
だが、その天竜の恩恵にあやかりたいとヘーゲリッチに訪れる者達が後を絶たなくなった。滅多に人前にすら姿を現さない天竜を巡って、密猟を図る卑しい人間や、鱗を欲しがる人間がヘーゲリッチに足を運ぶ。天竜は不老長寿を生み出す存在だ。どこから出てきたのかも分からない話が広がる中、パタリと天竜は恩恵をヘーゲリッチの大地に与えるだけで民達の前にすら姿を見せなくなった。
しかし、天竜は一人の少年の前にだけ現れるようになる。それが確かな出会いとなり、少年は憂い哀しみ、悲痛な声を上げる天竜に願いを言った。それが始まりだと知らずに、少年は自身を包む風に笑った。それが伝説となり、英雄となる物語――。
◇◇◇
――目を閉じればあの光景ばかりが広がる。
季節は春を迎えていた。ヘーゲリッチの大地は平坦でありながら青い木々や色とりどりの植物が自生している。大地を駆ける風の香りは酷く穏やかで心地いい。老夫婦に育てられていること以外は普通の少年であるでしかない。
ただ、覚えているのは爆炎が穏やかだったヘーゲリッチを包んだこと。そして、焼け爛れた肉の香り。人間を安易に殺す余所者達。平穏が一瞬で崩れ去ったあの日を、怒りで震えたあの日を。
初めて見た天竜は酷く美しかった。翡翠色の鱗に覆われた巨大な翼竜。歌うように少年に言った言葉はただ一つ。
――汝の願いを叶えよう。
少年は迷わず言った。
――俺は力が欲しい。皆を守れる力が欲しい。
今では「ああ、そんなこと言ったな」と片付く忘れられない過去の記憶。少年は青年となり、彼の地に向かう切符を手にする為に笑った。
「――何事も気楽に気楽に、だ」
これは天竜の魂を授けられた天人と呼ばれた青年の旅を綴った物語。描き出される地図に従って、青年――フェニードルは、自身を包む風に笑みを浮かべていた。
踏み出す一歩が確かな物とする為に、自身の正義を貫く為に――。