第一章(一)大会申し込み
まどろみの中、電話の音で努は起こされた。
カーテンの隙間から差し込む光の強さに朝だと認識し、ほとんど寝れなかった事実に苛立ちながら携帯電話に手を伸ばすと、着信画面に表示されたオーナーの名前に心臓の鼓動が跳ね上がった。
「お、お疲れ様です!」
予想される事態の深刻さに気持ちが萎え、電話口の第一声がどもってしまった。
「努君。どういうことですか?」
オーナーは第一声から状況を追求していた。努は顔を歪めて前髪を掻きむしる。オーナーの一言に努への非難も感じ取れた。
努は声にならない悲鳴を呑み込んだ。素直に謝るか、とぼけるか、勘違いするか、言い訳するか、幾つもの選択肢の中から努が選んだのは、
「だって鶴ヶ君が倒れちゃったんですよ! 男喰だって急にバックレちゃうし。無理ッスよ! 人がいません!」
言い訳ととぼけるの合わせ技だった。お店のスタッフ二人が急に抜けてしまったから仕方が無いのは事実だ。
「本気で言っているんですか?」
それに対し、オーナーは冷静に核心を突いてくる。お前覚悟できてんだな? という副音声に努の背中に冷たい汗が流れた。
「いや〜俺だってこんなことになるとは予想できませんでしたよ! ですが家庭のあるパートの方に任せるわけにもいきませんし、人件費が倍近くかかる派遣なんてうちは尚更ダメじゃないですか?」
努はもっともらしく理由をまくしたてていく。
結論は一つしかなかったと言い張って、何とか引き下がってもらいたい。
「あなたは正気ですか?」
最終警告だった。オーナーの言葉の重みは努に沈黙による長考を許さない。
「スタッフの管理が至らなかったのは俺の責任です。ですが、今大事なのはここからどう立て直すかだと思います。まずは再生を優先するべきかと……」
それでも努は勇気を振り絞ってとぼけ続けた。
認めるところは認め、痛い所は徹底的に隠しながら、相手の要求を躱す。常套手段だ。
オーナーは電話の向こうで沈黙した。努の動悸はますます速くなる。
この沈黙は嵐の前の静けさではないか?
努が身構えていると、オーナーは怒鳴らずに静かな声で言った。
「実はですね。川越の方で新しくマネージャーが必要なんですよね……」
唐突に話が変わったことに、努は戦慄した。
川越の方とはオーナーが持っている別の店のことだ。オーナーはフレンズ鶴ヶ島駅前店の他にも、川越と坂戸に一店舗ずつ店を持っている。
オーナーの言葉はマネージャーへの降格を意味していた。
「努君にーー」
「オーナー本当にすみませんでした! 早急に代わりのスタッフを選んで諸々の手続きを終えます!」
努の負けだった。初めから雇われ店長に勝ち目などない。
マネージャーは言わば副店長だ。給料が店長の三分の二しかないのに、店長の下で一番扱き使われる下積みだ。だが、努にとって耐えられない一番の理由は別にある。
店長を辞めさせられて他の店に飛ばされたら、お客や営業所のSV、他の店の店長に笑われる。
「お客がたくさん来る駅前の立地でありながら売り上げ悪くて飛ばされた。しかも降格ときた」というダメ店長のレッテルが貼られるのだ。
お店のスタッフが圧倒的に少ない中、月間400時間以上の勤務を続け、手が回らなくとも売り上げをできる限り出そうと、店を支え続けた結果がそれではあんまりだ。
「今日がタイムリミットです。今日中に手続きを終えて下さいね」
「はい。承知いたしました」
努は深々と頭を下げて、「失礼します」と言って電話を切った。
雇われ店長は辛い。コンビニ経営は契約したオーナーが基本的に店を経営するのだが、複数店経営となれば、店長を社員として雇わないと手が回らない。努も鶴ヶ島に流れ着いた所を社員として拾われた身分だ。立場は弁えている。
努は立ち上がってカーテンを開けた。ワンルーム六畳のアパートは家賃も鶴ヶ島で2万円と最安値だ。もっと良い物件にも住めたが、24時間365日営業するコンビニの店長は、寝る時間以外はほとんど店にいる。独り身なら寝床だけあれば十分なのだ。
「ああ、一時間も寝れてないのか」
携帯の画面で時間を確認すると朝の八時だった。夜勤勤務を朝6時までやって、店長業務を終えて家に帰ってきたのが七時だ。
唯一いた夜勤スタッフの鶴ヶ君が昨日過労で倒れたため、努が週七日で夜勤もやらなければいけなくなった。朝から夕方まではパートがいるので、今からでも二、三時間は寝ることができるが、すぐに起きて店に行って発注や棚作り、店長業務をやらないといけなくなった。手続きのために夕方までに終えないといけない。夕勤から夜勤まではスタッフが足りないので、自分がシフトに入る必要があって遅れを取り戻せない。
現在は朝から夕方までのシフトはパートのおばさんが五人いる。夕勤は学生が二人。後はもういない。準夜勤務の時間から一人になるので、急場はどうしのげばいい?
「仕方がない。とにかく行くか」
努は上着を手に取ると玄関に向かう。
足取りは重かった。これからあの二人のスタッフを説得しなければいけない。
来月頭から始まる第5回コンビニバトルオリンピック。
コンビニのフランチャイズ店は、加盟時に契約で参加が義務づけられている。
なので分かりきった結果が待っていても、形式上だけでも参加しないといけない。
努は携帯電話を開く。ガラケーなので余計な機能はなかった。努は大きくため息を吐く。
春のうららかな陽気に浸る余裕など微塵もない。
店の代表二名は決まっていたのに土壇場で白紙になったのが痛すぎる。
まず鶴ヶ君が体を壊して倒れ、続いてもう一人の男喰がバックレてしまった。
こうなればもう消去法だ。
今日元気と明るい。地元の高校に通う新一年生。
この春から働き始めてまだ一ヶ月も経たない新人。
もうこの二人しか残っていない。
コンビニバトルオリンピック開催まで残り一週間しかない。