今日はオマケは入りませんからね
高校時代、長期の休みの前と言えば嬉々感と危機感が同居していたのを覚えている。
京立大学附属高校はエスカレーター式に京立大学に上がれるが成績如何で進める学部が決まってくるし。あまりにも成績が悪ければ大学に上がることもできなくなる。
ここに危機感に怯える少女がひとり。
黒木さんがショートヘアーにイメチェンした騒ぎが終息し落ち着きを取り戻した構内のカフェに百田さんが意気揚々と黒木さんと共に現れた。
「深月さん、プール楽しみですね」
「そうですね。皆と出掛けるのは久しぶりですからね」
「でも、高校生は大変ですよね。期末試験がありますから」
僕の一言で百田さんの表情が一気に固くなってしまった。
先日は黒木さんがタッチ アンド ゴーで成層圏を離脱しそうになったが。百田さんは轟音だけを残し着陸してしまった。
「なんで僕の部屋なのですか?」
「蒼空の部屋で勉強をと思ったのに狭いから駄目だと言う事でお隣に」
「図書館が涼しくてお薦めですが」
「私、静な空間に居ると大声を上げたい衝動に駆られるんです」
それはいい迷惑で最悪な場合は出禁を食らうことになりかねない。
百田さんの後ろで黒木さんが両手を合わせているので入れない訳に行かないだろう。
「少し、待っていてください。部屋を片しますから」
「深月さんにも見られたくないものがあるんだね」
そんな百田さんの声が聞こえてくるがリビングダイニングのテレビを移動して声を掛ける。
「入って大丈夫ですよ。適当に座ってください」
「お邪魔します。ひろ~い、で、綺麗!」
他のマンションと比べれば広いかもしれないがリビングダイニングにあるものといえばローソファーに無垢材のローテーブルとテレビボードに液晶テレビだけなので余計に広く感じるのだろう。
黒木さんは澄ましているが百田さんは興味津々で初めてなのだから仕方がないのかもしれない。
「この部屋はなんですか?」
「そこは能登島や澤井曰くナルシスト部屋です。アンティーク調の姿鏡があるだけですが見たいですか? 僕の寝室は奥の部屋になります」
百田さんが首を横に振りテーブルの前に座りテキストを広げだすと黒木さんが何かに気づいたようで玄関から出て行って戻ってきた。
きちんと玄関から出入りする黒木さんが新鮮で見入ってしまう。
「深月さん、そんなに見られても恥ずかしいです」
「すいません。適当にしていますから勉強を始めてください」
直ぐにページを捲りノートに書き込む音と黒木さんのアドバイスしか聞こえなくなった。
ソファーで本を読んで静かにしていると分からない時だけ声を掛けて来た。
「ここはこの数式を使うと解けると思います」
「深月さんみたいな兄が欲しいかったな」
「そろそろ休憩にしますか」
「はい!」
百田さんが手を上げて元気よく返事をした。
キッチンで先にお湯をわかしティーポットに人数分の茶葉を入れホットティーの半分の熱湯を注ぎ2倍の濃さの紅茶を入れ。
2分から3分蒸して別のポットに濾しながら入れ氷を入れたグラスに注ぎ一気に冷やす。
ストローを挿してガムシロップを添えてテーブルに運んだ。
「良い匂いがする」
「スウィートホワイトピーチと言うフルーツティーです」
「ん、甘くてフレッシュな感じがとても美味しいです」
黒木さんが全く絡んでこないのはクラスメイトと一緒だからだろうか。恐らくクラスではこんな感じなのだろう。
「深月さん、聞いてもいいですか。蒼空はこの部屋に入ったことがあると思うのですが」
「どうしてですか?」
「教室では深月さんの話ばかりするのに感動が薄いというか」
「百田さんだから話しますが。無いとは言いません。時々、お茶やコーヒーをご馳走する程度ですよ。コーヒーやお茶は僕の唯一の趣味ですから」
百田さんも人を見る目はありそうだ。
黒木さんは百田さんの横で分からないくらいに首を横に振っていたのに僕がカミングアウトすると脱力してしまった。
休憩を挟んで2人が勉強を開始し始めて少しすると外が薄暗くなっている。
「結衣、そろそろ終わりにしようよ」
「ん~ もうそんな時間なんだ。今日は帰っても誰も居ないんだよな」
「それじゃ、私と一緒でひとりご飯だね」
どうやら僕の部屋に居る3人共がひとりご飯らしい。
そう言えば黒木さんがリビングダイニングとウォークインクローゼットにした6畳の部屋を使うことはあってもキッチンを使っているのを見たことがない。
「黒木さんは一人暮らしですが夕飯はどうしているんですか?」
「スーパーでお惣菜を買ってくることが多いです。作るのも面倒だし部屋には電気コンロしか無いので」
「それじゃ、今日はここで食べて行きませんか?」
「わ、私は構わないけど」
何を慌てているのか分からないが百田さんは食べて行く気満々のようだ。
大きめの鍋でお湯を沸かしている間に簡単なサラダを作る。
サニーレタスを適当にちぎりボールに入れて水に晒し、きゅうりのスライスやオニオンスライスもレタスのボールに入れ晒しておく。
お湯が湧いたら塩と少量のオリーブオイルを入れてパスタを投入する。今日のパスタは1.6ミリのスパゲッティーニだ。
フライパンにオリーブオイルを入れて刻んだにんにくを入れ香りが立ったら殻付きのあさりを入れ白ワインを振りかけ。
あさりの蓋が開いたら作りおきのトマトソースを加えよく煽り少し早めに茹で上げたパスタを加え味をなじませ塩コショウで味を整えたらアルデンテに仕上げ盛り付ける。
刻んだイタリアンパセリで彩りを添えた。
「深月さんって料理もできるんですね」
「お店ではキッチンに入ることもあるので一通りのメニューは作れますよ。でも家ではあまり作りませんね。お店で賄いを食べてくるかコーヒーで済ませてしまいますから」
「蒼空も料理は得意なんですよ。でも今の部屋はキッチンが残念らしいです。あさりも美味しいけどこのトマトソースがなんとも言えず」
「お店のオリジナルレシピですよ」
基本のトマトソースはオリーブオイルににんにくとホールトマトにバジル・塩コショウで出来る。香味野菜として玉ねぎを加える所もあるが本当に少量しか加えない。
ベーコンを加えて旨味を出す方法もあるけれど汎用性が高い店舗のトマトソースは実にシンプルなレシピになっている。
ボンゴレ・ロッソとサラダを食べて満足かといえば僕には分からないが。
1人で食べるよりは美味しいと思う。
「今日はありがとうございました。深月さんって料理も出来るのに彼女さんは居ないんですね」
「そうですね。あまりお付き合いした事は無いですね。ゼロでは無いことだけは確かです」
「色々とご馳走になったお礼に良い事を教えちゃいます。蒼空は首筋が弱点です。お邪魔しました!」
百田さんが黒木さんの首筋に手を当てると艶やかな声を上げて崩れ落ち。
逃げるように百田さんが帰って行き、その後を黒木さんが追いかけて部屋を飛び出していった。
食器やキッチンは黒木さんと百田さんが片付けてくれたのでコーヒーでも落とそう。
玄関のドアが閉まる音がして黒木さんが戻って来たようだ。
コーヒーでもと思い振り返ると黒木さんが膝を抱えてつまならそうにしている。
「どうしたんですか? そんな顔をして」
「結衣にだけずるい。どうして結衣には色々と教えちゃうんですか」
「聞かれたから答えただけですよ。黒木さんが聞いてくれば同じ様に話します。一言だけ言っておきます。百田さんが知らないことや百田さんに知られたくないことを知っているのは誰なんですか」
「本当に?」
軽く頷くと黒木さんの顔が明るくなって身体を揺らしている。
「コーヒーは何が良いですか?」
「バニラのやつが良いかな」
「今日はオマケは入りませんからね」
ブーイングが上がっているが聞こえない振りをする。