君が聞いた噂は本当の事です
週が開けた月曜日に沙和の拷問まがいの尋問を切り抜け。
講義を受けるために火曜日には大学に向かうと悪友と言うべきか僕の悪評を物ともしない輩が声をかけてくる。
「おはー 深月」
「おはよう。能登島に委員長」
「委員長はもう止めてよ。大学になったんだから」
「ごめん、澤井」
能登島は端正な顔立ちをして女子から人気があるがあまり浮いた話を聞かないので硬派なのかもしれない。
もう一人の澤井は高校の時にクラス委員長をしていてあまり目立つ方ではないが常に沈着冷静でここぞという時に頼れる存在で知的なメガネ男子だ。
そんな2人とは高校の入学当初からの仲でこんな僕に対して公私共に良くしてもらっている。
高校とは言っても京立大学に併設されている京立大附属高等学校で附属からの持ち上がりの学生が殆どで附属もハイレベルの部類に入る高校だ。
僕の中学の頃の事を考えると京立大附属に入学できた事自体が奇跡的なことなのだが一重に沙和のお陰としか言いようが無い。
午前中の講義が終わり大学構内寄りにある小洒落たカフェで能登島と昼飯を食べていた。
澤井は教授とまだ話があるとかで別行動になっている。
「しかし、澤井は相変わらずの秀才ぶりですね。頭がさがります」
「秀才といえば附属に桜華女子から転入生が来たらしいぞ」
「能登島の情報収集力には敵わないですよ」
そんな能登島が見てみろと言わんばかりに辺りを見渡すようにしている。
確かにカフェの中には附属の制服である男子はブルーグレーのブレザーにズボンで女子は同じくブレザーに青いチェックのスカートを身に纏い男子はバーガンディのネクタイで女子はリボンをした生徒たちが大学生に混ざり談笑したり食事をしたりしていて情報源が何処からか直ぐに理解できた。
しかし、この時期に桜華女子からの転校生なんて学園都市内の高校にどれだけ存在するのだろう。
そんな事をぼんやりと考えているとカフェの中がざわつき皆の視線が入口の方を見ている。
「噂をすれば主役のご登場だ」
「…………」
カフェのドアに視線を向けた途端に思考が停止しフリーズしてしまう。
すると事もあろうか能登島の言う主役が笑顔で手を振っていた。
「もしかして深月の知り合いか?」
「附属の女子からも絶大な人気を誇る能登島にじゃないですか」
「明らかにお前を見ているみたいだが」
否定するべきか思考を巡らせていると彼女を案内してきたクラスメイトの2人が明らかに止めておきなと彼女を制止しようとしたが敵わなかったようでこちらに向かい小走りで近づいてきてしまう。
「深月さん。京立大学だったんですね」
「能登島、紹介しておきます。隣に引っ越してきた黒木さんです」
「黒木蒼空です。宜しくお願い致します」
「こちらこそ。深月の友人の能登島です」
満面の笑顔で黒木さんはクラスメイトのところに戻った瞬間に周りからの冷ややかな視線を感じる。
こんな事は昨日今日始まったことではないし僕自身がその理由を一番良く知っているので気にはしないが。
あれほどはっきり釘を差しておいたのに彼女は何を考えているのだろう。
「噂には聞いていたが物凄く綺麗な子じゃないか。そんな女の子が深月の隣にね。まさかあのドアから乱入してきたとか」
「そんな事ある訳無いじゃないですか。ちなみにあのドアはトリックアートの様なものでハメ殺しになっていて開くことはありません。オーナーに確認済みですから」
能登島の洞察力というか想像力には時々驚かされることがあるが基本的に僕が言ったことを能登島は疑うことはしないが本気にしているかというと定かではない。
そんな能登島だからこそ付き合いが長いのだろう。
このカフェに附属の生徒たちが出入りするようになったのは僕達が入学する少し前からで、それまでは大学生しか利用していなかったらしい。
そんな時にならこの様な状況には間違ってもならなかっただろう。
午後の講義をサボタージュして無駄にするようなことはしたくないので次の講義の場に向かう。
因みにサボタージュの本来の意味は破壊活動を意味し機械などを壊し仕事を停滞させて経営者に損害を与え事態の解決をしようとした労働争議の一種らしい。
講義が終わり能登島と廊下を歩いていると澤井が手を振っているのが見え合流して校舎を出る。
「そう言えば深月君は附属に転入してきた才色兼備の女子高生と知り合いらしいじゃないですか」
「澤井の耳まで届いているんですか。炎上しそうですが顔見知り程度ですよ」
「向こうはどう思っているか分からないけどな」
「能登島まで。本当に勘弁して下さいよ。大炎上しそうな勢いですね」
大学の正門を出て駅に向かい歩きだすと大通りに出て真っ直ぐに行けば学園都市の駅に出る。
僕が住んでいるマンションはひと駅先なのだが自転車で通うことが多く今日も自転車を押しながら歩いていて交差点で能登島や澤井と別れサドルに跨って漕ぎだす。
今日のように一日中講義がある時は仕事のシフトは免除してもらっているが呼び出しがあれば出勤することになるが今のところ連絡がないのでマンションに帰ることにする。
キッチンに向かいコーヒーメーカーでフレーバーコーヒーを落とし始める。
今日はハワイアンヘーゼルナッツをチョイスしリビングダイニングのローソファーに身体を投げ出す。
ヘーゼルナッツの芳ばしい香りが立ち込めた頃に開かない筈だったドアがゆっくり開いて黒木さんが恐る恐る顔を出した。
どうやら彼女も帰っていたようだ。
「黒木さんもコーヒー飲みますか?」
「苦いのはちょっと。でも凄く良い匂いがする」
「苦手ですか。わかりました」
徐ろに立ち上がりキッチンに向かい冷蔵庫から牛乳を取り出し少量を鍋で温めマグカップにコーヒーとミルクを入れて砂糖を加えスプーンを添える。
僕がフレーバーコーヒーを飲む時は甘みを感じるので基本的に砂糖は加えない。
木目が綺麗な無垢材の楕円形のローテーブルにマグカップを置くとラグの上に座っている黒木さんがマグカップの中を覗き込んで僕がソファーに腰を下ろすとバツが悪そうに僕の顔を見た。
取り敢えずマグカップに口をつけ一息つく。
「凄く良い香り」
「そうですか。ハワイアンヘーゼルナッツのフレーバーコーヒーです」
「そ、そうなんだ」
僕が発した言葉を堅いと感じたのか黒木さんが押し黙ってしまう。
沈黙がリビングダイニングを支配し始め先に動いたのは黒木さんだった。
「やっぱり怒ってますよね。迷惑だったんでしょ」
「迷惑ではありませんが怒っているのは確かです。関わらないほうが君のためだと釘を差した筈です。それに附属に転入したのなら尚更です」
「クラスメイトから深月さんの事を色々と聞きました」
黒木さんはコーヒーに口を付けずに俯いてしまった。
クラスメイトから聞いたのは僕に対する黒い噂の数々だろう事は容易に想像がつく。
「マンション以外、特に学校で僕に関わっていると孤立してしまいますよ。だから」
「嫌です!」
はっきりと拒絶されゆっくり瞼を閉じてから彼女の顔を見ると黒目がちの瞳が真っ直ぐに僕の事を射抜いている。
それならば事実を伝えるままだ。
「君が聞いた噂は本当の事です。僕は複数の女性とお付き合いをしています。それ以外にも」
「でも、深月さんにだって友達はいるんでしょ」
「まぁ、僕の事情を知っても友人でいてくれる数少ない友達が能登島と澤井です。君はその中には入っていません」
「私が女の子だからですか? それとも高校生だから」
首を横に振り言葉を選んでいると彼女が先に口を開いた。
「どうしても私には深月さんがそんな人には思えないし、何か理由があってそんな事をしているとしか」
「叔父さんにこれが最後だと言われたのではないですか? 出会ったばかりの君を巻き込むような事は」
「それです。深月さんって本当はとっても優しい人なんだと思います。だから」
「冷めてしまったら勿体無いのでカフェオレですが飲みなさい」
ソファーに身体を沈めるように力を抜くと彼女がゆっくりマグカップに口をつけた。
「温かくて美味しい」
「ありがとう御座います」
少し考えを改める余地がありそうだ。