【幕間】一つの夜の、三つの出来事(上)
カルディナにおいて、北部民の結束は固い。
半世紀ほど前、ヴァザ最後の王を弑したのは現在の国王、ベアトリスの父だった。
北方を守護する辺境伯であった彼はヴァザだけではなく、高位貴族のうち半数をとりこみ、半数を取り潰した。空位になった席を埋めたのは、辺境伯の麾下たちだった。一例をあげれば、キルヒナー家、フッカー家、ユンカー家、など。彼らは王都にも居を構えて、折々に親交を深めていた。二年ほど前、義務になっていた夜会の届出が不要になった事もあって、この頃は頻繁に北部民同士で顔を合わせている。
今宵も北部に領地をもつ貴族が夜会を開いていた。参加者には若い娘も多い。
――彼女たちから意味ありげな視線を向けられるのをヴィンセントは煩わしく思いながら、隣の少女の手を取る。
「よろしければ、ダンスを?」
「お誘いありがとうございます、ヴィンセント様」
少女は切り揃えた髪を可憐に揺らしてはにかむ。……傍目からみれば、似合いの二人だと思われるに違いない。少女はうっとりとヴィンセントを見上げて、――毒を吐いた。
「本当にバカみたいな集まりよね?……それに、ずいぶんと人気者ですわねえ、ヴィンセント様?」
「……マリー、前から聞きたかったんだけど。君、表情と口調が全然一致してないよね、器用だよね?」
「訓練の賜物よ」
遠目で指揮者が合図し、軽やかな曲が流れ始める。
「あなたが参加だなんて珍しいからお嬢様方が手ぐすね引いて待っているのよ、次期子爵様。一曲踊ったら私、帰っていい?彼女たちの相手をしてさしあげたらいいんじゃない」
「壁際になんて言ったかな、君に夢中な男爵令息が来ているよ?ミューゼンだったか。交代しようか」
「……終わりまで一緒に居ましょう、ヴィンス」
マリアンヌは言いながら見事にターンをした。
彼女を支えながら、体幹がしっかりしてるよなとヴィンセントは妙な感心をする。一見すれば可憐なマリアンヌだが、武門の生まれで王女の側仕えだ。鍛えているのは知っていた。
今日は北部出身の貴族が多く集まる会で、二人とも親から参加するようにと命じられて、ここにいた。若者の多くは、婚姻相手の品定めに来ていると言ってもいい。
――ヴィンセントは十九、マリアンヌは十七。
婚約者がいてもおかしくない年齢だが、決まった相手がいないのには互いにわけがある。マリアンヌは王女の婚姻が決まるまでは、と彼女の両親が遠慮をしていたし、彼女自身はしばらく自由にいろんな方と交流したいわと令嬢らしからぬことを言っている。
ヴィンセントは嫡出子ではないから、親戚連中が彼を後継と認めるのを渋っていた時期があり、婚約者はいないのだった。
親戚の同年代の誰かが子爵になった場合、ヴィンセントはただの異国人だ。……貴族と一介の異邦人では条件が違いすぎる。
義父のアルフレート・ユンカーと義母エリザベトは焦って決めることもないと言う。義父はいい縁談が来るだろうと言い、義母は好きな方と添えばいいのよと夢見がちに笑う。
義父アルフレートは平民出身だ。
先代国王のとりなしで義母と婚姻するにあたっては誹謗中傷がすさまじかったと聞く。だから、息子の相手選びには慎重なのかもしれない。
「……高位貴族か裕福な家の出で、しかし平民にも西国人に偏見がなく、朗らかな人」
「なによそれ?」
「僕の婚姻相手に求める条件、簡単だろ?」
「貴賤は問わず、って言わないのね」
ヴィンセントは黙ってマリアンヌと共に進路を変えた。
結婚に特段希望はないが、地位も財産もない女性と結婚すれば、父が恥をかくだろう。やはり血筋の悪い私生児は、だの……、両親が虚仮にされるのは面白くない。
壁際の少女たちから視線を浴びせられているのはわかっていた。熱い視線は針のように肌を刺す。
父が宰相になった時から彼らの視線は百八十度変わった。汚い肌色だと揶揄してきた者でさえ、今ではヴィンセントの前でしなを作る。
「……面倒だな」
「……全くね」
二人とも年頃で、婚約者はいない。
だから、夜会に来るたびに意に沿わない相手に品定めされ、ダンスを申し込まれるのが億劫でつるんでいるのが現状だった。イザークから「二人って、付き合ってんの?」と笑顔で聞かれたので、二人して後ろから脛を蹴っておいた。
立場で言えば今夜は不参加のイザークもそう変わらないのだが、彼は次男だしと嘯いている。それに夜会では誰の誘いも断らないし、言い寄られれば笑って退く。それでも不思議と憎まれない、得な性分だった。
「そういえばレミリアも……」
「うん?」
曲が終わり、二人は二人掛けのテーブルに座った。近くにほかのテーブルはない窓際で、マリアンヌは両手に頬を当てて上目遣いにヴィンセントを見る。二人だけの世界に……傍からは見えるだろうが、ヴィンセントは背中が痒くなってきそうだ。
「レミリアもめんどくさい、めんどうくさいって……嘆いていたわよ、デビューについて」
「ふぅん」
「興味ない?」
「ないね」
マリアンヌは給仕の持ってきた飲み物を受け取って、唇を弧の形にした。
「間髪入れない否定って、嘘くさい」
「……」
「ま、いいけど。レミリアも社交界デビューのエスコート役が選べなくて大変、って言ってたわ?噂だと立候補者はひきもきらないみたいだけど――例えば、ハイデッカーの息子とか、近衛の副団長の侯爵様とか、あとは」
「あとは?」
「噂になっているのはアレクサンデル神官長補佐と、シンかな」
「シンが相手なら、彼女は喜ぶんじゃない?劇場でシンと会ったときもにやけてたけど」
ヴィンセントは昨日の様子を思い出した。
シンがレミリアのお気に入りなのは昔から変わらない。シンが何かを言うたびに笑顔が止められないという風情で……シンのフランチェスカへの思慕を除けば、年齢も身分も釣り合うし、レミリアが婚姻するとしてこれほどふさわしい相手もいないだろう。
「レミリアはシンに焦がれてはいないと思うけど?」
マリアンヌは首を傾げ、ヴィンセントと視線が合うと考え込んだ。
「シンが来ると嬉しそうだから――好きなのかしら、と思っていたんだけど」
「違うの?」
「フランとシンが仲良くしていると、じっと見ているから、嫉妬なのかしらとハラハラしてたんだけど、……なんか嬉しそうなのよねえ、あの子……なんだったかな、モーエがなんとかオシカァプーがなんとか……異国の言葉らしくて、よくわからないけれど」
「何語だ?」
聞きなれない単語にヴィンセントが首をひねっていると、マリアンヌがくすくすと笑った。
「それに、弟君はお身体が弱いみたいだし、心配で嫁ぐなんてことはまだ考えられないんじゃないかしら。この前も体調を崩されて国教会に泊まり込んでおられたけど……、回復して、よかったわ」
真情がこもっていたので、ヴィンセントはそうだね、と同意するにとどめた……。フランチェスカとマリアンヌとレミリアは随分と仲良くなったようだった。レミリアは子供の頃の内気さはなりをひそめ、亡き母の代わりに弟の世話や……慰問も活発にしている。公爵令嬢として自覚がおありにと言っているが、そんな大層な物ではないだろう。
……一度か二度会った事があるが、公爵家の嫡子ユリウスは姉によくなついていた。体の弱い、金茶の髪をした幼児はヴィンセントに懐かしい感情を去来させる。弟も、同じ髪色をしていた。
なんとなく二人の間に流れたしんみりとした空気を壊したのは、金茶色の髪をした青年の、無粋な声だった。
「邪魔をするぞ、ユンカー」
誰だ、と顔をあげて……ヴィンセントは思わず舌打ちをしそうになる。背の高い青年が二人を見下ろしている。
「あら、ヘンリク様。ごきげんよう」
「フッカー、久しぶりだな」
二人が話題にしていたレミリアの従兄、ヘンリク・ヴァレフスキが立っていた。黒い夜会服は彼の白い肌に映えている。ヴィンセントのあからさまな不快にも動じず、ヘンリクは給仕に合図すると無理やり椅子を持ってこさせた。二人掛けのテーブルに割り込んで来た。
「何の用だ?」
「北部の雀がうるさい。お前たちの所だけ静かだから、混ぜろよ」
眉間に皺を寄せるヴィンセントには構わず、ヘンリクは飲み物を持ってこさせると我が物顔で椅子に深く腰掛けた。
「珍しいわね、ヘンリクが北部の夜会に参加するなんて。どういう風の吹き回し?」
「……麗しのマリアンヌ・フッカーを追いかけて、って事にしておいてくれ」
ヘンリクはグラスに口をつけながら、鼻に皺を寄せた。
「どうせなら表情まで嘘をついてくれないかしら?……ほんとは?」
「ドミニク・キルヒナーに招待された。じゃなきゃ来ない。遅れて来るらしいけどな」
二人は顔を見合わせた。ドミニク・キルヒナーとヘンリクは今でも交流があるようだった。ヘンリクはふん、と鼻を鳴らす。
「――そういえばここにも候補者がいたわね」
ぼそりとマリアンヌが呟くと、ヘンリクは青い目で彼女を見た。
「何の話だ?」
「なんでもないわ。今日はドミニクと二人?」
「ああ、用事があって……」
「ねえ、ヘンリク。せっかくだから踊らない?」
「僕が君と?何の利益がある」
マリアンヌは笑う。
「ヴィンセント・ユンカーが振られたって噂を流すことができるんじゃない?」
「……、悪くない、乗った」
「裏切ったな、マリ―」
「だって、令嬢たちの顔が怖いんですもの!ヴィンセントもたまには色んな方と踊るといいわ」
ヘンリクはマリアンヌに手を差し出し、彼女は軽やかに応じてしまう。
ヴィンセントは苦い顔で二人を送り出し、背後に近づいてくる数人の気配に内心辟易としながら、振り返るために微笑みをつくった。
作者の推しカープ(鯉)は丸さんですかね




