91.劇場へようこそ 4
「そろそろ僕は失礼いたします」
シルヴィアの屋敷で一通り話をした後に、ヴィンセントは言った。
「もう、そんな時間?」
「いや、僕が行く必要はないけど、シンの様子が気になるから」
私が聞くとヴィンセントは説明した。
今日は、シンにはお客様が来ていて、早くに帰ってしまったのだった。
「馬車を用意しましょうか?」
「お気づかいなく、シルヴィアさま。寮までは歩いて行ける距離ですから」
歩いたら一時間はかかると思うけどな。
では、とヴィンセントが部屋を出ていく。イザークはシルヴィアと共に、茶器を片付けに行き……、私はなんとなく部屋を見渡して、テーブルの下に落ちていた時計に気がついた。年代物の、懐中時計。
ヴィンセントがいつも持っている時計だ。
「どうしよう、忘れちゃってる」
「ヴィンセントの時計なら私が預かりましょうか?」
「私、持っていくわ。今ならまだ間に合うし」
ドミニクの申し出を断り、私は時計を持って階段を降りた。降りたところで、人にぶつかりそうになり、「わ」、と声をあげる。
落としそうになった時計を彼は器用に受け止めて、私を見た。
「ごめんなさい!」
「いや……、これは」
思わぬ人影を認めて私は声をあげた。
「レーム?」
「これは、レミリア様、ご機嫌うるわしく――今日はシルヴィア様の所へご訪問を?」
「そうなの」
ジグムント・レーム。
カナン伯だ。どうしてここに、と問う前にレームが私に時計を戻してくれた。
「ありがとう、レーム、戻してこなきゃ」
「……宰相の息子にですか?」
「ええ」
「すれ違いはしませんが、後ろ姿を見かけましたよ」
まだ間に合うかな?私は伯爵に礼を言って、玄関を出た。
屋敷の玄関を出ると、まだヴィンセントは門を出ていなかった。
足が速いのか、コンパスの違いか。――小走りになりながら、私は彼の名を呼ぶ。
「ヴィンセント!」
「……何?」
ヴィンセントが振り返って立ち止まる。
私は彼に駆け寄ると、見上げてはい、と時計を渡す。
「はい、時計。テーブルに忘れてたわ。珍しいわね。忘れ物なんて」
「――!」
ヴィンセントは胸元を探って、切れたチェーンの先を確かめ、ややあって息を吐いた。
「……ごめん、落としていたのに気付かなかった」
「その時計、ずいぶん年代物なのね。留金が壊れかかっているのかも――」
私が渡そうとすると、懐中時計がシャリ、と音を立てて前後二つにずれる。
「――!!壊れた⁉」
ひょい、とヴィンセントが悲鳴をあげた私の手から時計を取り上げる。
「大丈夫、壊れてないよ。中に姿見が入れられるように、元々別れてるだけ……こっちも緩んでいるな」
私は胸をなでおろした。ヴィンセントがいつも持ち歩いて大切にしているものを壊しちゃったのかと思ったよ。
「姿見が入れてあるの?」
何気なく聞いた私をヴィンセントは一瞥する。
「中身を……、見た?」
「見ないわよ、人のものを勝手に!」
私が否定すると、ヴィンセントは口の端をあげた。
「ごめん、冗談だよ」
「誰の絵が入っているの?」
「さあ、誰かな。けれど、わざわざありがとう、大切なものなんだ」
「……そう?ならよかった」
――誤魔化したヴィンセントを見上げると、なんだか傷ついたような目をしていた。ひょっとしたら、カナンで亡くなったというお母様と弟さんの絵姿なのかな……。私はそれ以上、聞かないでおくことにする。……しかし、ヴィンセントも背が伸びたよね。ヘンリクと同じで見上げると首が痛い。
「どうしたのさ、首でも痛めた?」
「いいぇえ……ユンカー様がもうちょっと縮んでくださらないかなぁ、と思いまして……」
ヴィンセントはふん、と鼻を鳴らす。
「君は成長期だろ?頑張って背を伸ばしなよ」
「失礼な、成長期は終わっています!」
私は十五だぞ、もう。私は決して背の低い方ではないが、ヴァザの一族は皆、背が高い。カルディナ美人の条件の一つは、背の高さだし……。あと、もう少し伸びたらなあ~とは思うのである。
「君がもう、そんなになるのか。年月がたつのは、はやいね」
「何をおじいちゃんみたいなことを……」
私が呆れると、ヴィンセントは少し笑い、思い出したように、鞄の中から小さな小瓶を取り出した。
「ああ、おじいちゃんだからね、忘れていたよ。――シンから。レミリアにって、はい」
差し出されたものを私は反射的に受け取った。小さなガラス瓶に色とりどりの飴があった。飴には幾種類かの幾何学の模様が施されていて、不揃いにカットされている。硝子のかけらみたいにきらきら光って、カルディナには少し珍しいデザインだ。
「どうしたの?きれいな瓶ね。それに、これは飴?」
「東国からのものらしいよ。どうぞおすそわけです、ってさ」
「ありがとう」
「シンからだけどね?」
「持ってきてくれてありがとうございました。シンにもよろしく伝えて」
どういたしまして、とヴィンセントが肩を竦めて言った。
「アレクサンデル神官のご注進を、君が素直に聞くとは思わなかったな」
「そんなに不思議?……メルジェに何かあったら困るし。……皆困るのもいやだけれど、領地内に火種を増やしたくないの……カナンも、完全に落ち着いたとは言えないし」
表立った衝突はないけれど、住民同士の小競り合いは多いと聞く。確かジグムント・レームもそのことを父上と相談しに来ているはずだ……。
「カナン、か」
ヴィンセントは独白のように言い……、話題を戻す。
「杞憂に終わることを祈るけれど、何かわかったら教えてくれ」
「いいわ」
「――父が何か知っているようなら、君にも情報提供するから」
「ええ、ありがとう」
ヴィンセントが去っていくのを見送って、私は踵を返した。……なんだかちょっと
いい感じに話が出来たみたいで嬉しいな。
私が少しだけ華やいだ気持ちでシルヴィアの屋敷に戻ると話し声が聞こえてきた。
「……、レミリア様がなぜキルヒナーや宰相の息子と交流がある?よりにもよって、シルヴィア様のお屋敷に来るなど」
「昔からお嬢様とはお親しい。それにイザーク様もヴィンセント様もヘンリク様のご学友だ。彼らの身元は確かですし。……今日はシルヴィア様のお屋敷で偶然お会いして、歓談していただけですよ、ジグムント」
「彼らはお前の生徒だそうだな?サウレ」
「ええ、皆優秀な生徒です」
「……お前が軍に戻ったのは評価している。しかし、女王の子飼いに目をかけるな。そして、レミリア様の側にああいった輩を近づけるな」
――ああいった、輩。
ジグムントの言葉に私が腹を立てて姿を現そうとしたとき、シルヴィアが二階から降りてきた。
「何をしに来たの、ジグムント」
「シルヴィア様」
「……スタニスの戻りが遅いからと見に来れば……」
シルヴィアが、冷たく言い放つ。
「私の屋敷で誰が誰と会おうと、口出ししないで。口出しするのなら二度とここへは来ないで」
「シルヴィア様」
ジグムントがたじろぎ、シルヴィアはさらに続けた。アデリナもシルヴィアの後ろに控えて、心配げに二人を見ている。
「私に用事があるんでしょう?母屋に行くからあなたも来て……アデリナ」
「……なに?シルヴィア」
「お客様のおもてなしをしてくれる?あと、母屋でジグムントをおもてなししても構わない?」
「いいわ。……さ、ひよこちゃん、こっちよ」
……ばれてたかあ。私は出口を失ったいら立ちを持て余しながら玄関の中に身を滑り込ませた。シルヴィアは私にごめんね、と小さくつぶやくと、ジグムント・レームを連れて屋敷を出て行ってしまう。
「アデリナ姉さま。キルヒナー兄弟は?」
「二階で大人しくお茶をしているわ……顔を出すとややこしくなるから、って」
「そうですか」
空気を読むのに長けた二人である。私はスタニスに謝った。
「ごめんなさい、スタニス……私のせいで嫌味を言われて」
「謝る必要などひとつもございませんよ、お嬢様。友人が多いのはよろしいことです。城下に降りて見識を広めるのもね。ジグムントは私を見ると小言を言いたくなるんでしょう。昔からですので、お気になさらず」
アデリナは視線を落とした。
「ジグムントも昔はあんなに口うるさくなかったんだけどね」
「そうなんですか?」
「ええ。――父と親しくて。たまにだけれど、遊んでくれたりもしたの」
アデリナは私たちを二階に促した。
「せっかく、キルヒナー兄弟が遊びに来てくれたんだもの。もう少し滞在していってちょうだい」
私とスタニスは顔を見合わせて、うなづいた。二階にあがると兄弟は何事もなかったかのように、笑顔で迎えてくれた。
「あ、忘れてた!私たち、イザークにお祝いがあるのよ……年間で最優秀の成績だったんですって?」
アデリナがぽん、と手を打って戸棚に向かった。
「いえ、そんな……!」
イザークが珍しく恐縮する。
「うちの領地で作っている陶器の杯なんだけど、お酒が飲めるようになったら使ってね?」
イザークはありがとうございます、と目を輝かせた。アデリナが主人と選んだのよ、と微笑む。ご主人とは結婚して何年もなるはずだが、仲のいい夫婦だ。
「私もなんかお祝いしようかな、用意してなくてごめんなさい」
「いいよ、そんなの」
イザークのお祝い、すればよかったね。気が回らなかった。……私が言うと、イザークが首を振った。
「でも主席なんてすごいね、イザーク」
「……いや、まだ主席ってわけじゃないよ。最終学年でとったわけじゃないし。努力はするけど、さ」
「じゃあ来年、主席になったらお祝いするね!」
「いいわねえ。皆でまたお祝いしましょう」
「はい、よろしくお願いします……」
何で敬語?珍しくイザークが照れていて、おかしい。
「ま、とれるとは限りませんけどねー。歴史と論文が苦手だったでしょう」
スタニスが意地悪く言ったのでドミニクがお手柔らかに、と言う。皆で和気あいあいと話しているところに階段を昇ってくる音がした。
「これは……皆さま、お揃いで」
現れたのはシルヴィアではなく、アデリナの夫でヘルトリング伯爵のテオドールだった。ヘルトリングの遠縁の男性で、元は爵位もちではない。彼は柔和な顔で私に挨拶をする。
「レミリア様も……、スタニスさんまで。どうもご無沙汰いたしております」
「お邪魔しております、伯爵」
「ドミニクは飽きもせずまた来たのか?」
「嬉しいだろ?テオ」
伯爵の軽口に、ドミニクが親し気に手をあげる。二人はお互い年も近いし、気が合うのだろう。
「伯爵、お祝いをいただいてありがとうございました」
「いや、気持ちだけだけど、喜んでくれたら嬉しいな。おめでとう、イザーク」
「大切に使わせていただきます」
テオドールと、戻ってきたシルヴィアも加わって、その日の夜はアデリナの手料理に舌鼓をうった。
屋敷に戻ったら、父上にも色々と相談しなくちゃ、だなあ……。
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。
7/4の書籍発売まで、宣伝代わりに毎日更新を頑張ろうと思います。(29日までは予約しました!)それしか出来ることはないので……。
続きは、あした。
幕間をはさんで、劇場へようこそ、はもうちょっと続きます。




