90.劇場へようこそ 3
シルヴィアの屋敷に訪れると、そこには彼女の妹、アデリナも待っていた。
それもそのはず、ヘルトリング姉妹の屋敷は同じ敷地内にあるからだ。
アデリナの夫である伯爵が仕事で王都に引っ越してきたとき、アデリナは実家に戻った姉に一緒に住もうと提案したらしい。けれどシルヴィアは夫婦の邪魔をしたくないからと固辞し。
――それならば、とドミニク・キルヒナーが提案したのがこの屋敷だった。
北部の子爵が持っていた屋敷らしいけど、理由あって王都の屋敷がすべて不要になったので借り手を探していた屋敷で、
母屋にはヘルトリング伯爵夫妻が住み、敷地内にある離れにはシルヴィアが住んでいる。
離れは部屋数が五部屋ほどしかない小さな建物で、シルヴィアが二人の使用人と共に生活していた。
私たちは二階のシルヴィアの私室の横にある客間に呼ばれた。離れは珍しい造りで、一階が水回りとダイニング、二階には客間とシルヴィアの寝室がある。
姉妹が使用人に気兼ねなく話こめるよう、そういう造りに変えたみたい。尤も、シルヴィアは王宮に出仕するようになってからは泊まり込んで帰ってこないことも多いようだけど。
客間のベージュを基調とした壁には植物を文様化した大きなファブリックが一つ飾られているだけで、すっきりと整っていた。
「いらっしゃい、レミリア――皆様も」
「お邪魔いたします、シルヴィア姉さま――模様替えをされました?」
そうなの、とシルヴィアは微笑んだ。
部屋の中央にある、古風な形のテーブルは、しかしながら、新品のように輝いている。前お邪魔したときはなかったはずだ。
「王都の外れに在る市で古いテーブルを見つけたの。――私が修繕したのよ?なかなかのものでしょ?」
「シルヴィア様が?」
ヴィンセントが驚いたけど、私も驚いた。シルヴィアは嬉しそうに笑う。
「使用人にね、元大工がいるの」
「へえ!」
「彼が教えてくれるから、ボロボロな家具をよみがえらせるのが楽しくて。磨いてニスを塗って」
シルヴィアは王都に来てから――陛下に仕えはじめてから、生き生きしている。働いて、自分の好きなものをそろえて誰にも何も言われない生活と言うのが快適みたい。
「――私を呼んでくださればいつでもお手伝いしますよ、シルヴィア」
「ありがとう。でもドミニクより私の方がきっと器用だから大丈夫よ、それに楽しくてやっているのだし」
ドミニク様……、撃沈。
ドミニクは一瞬とほほと言う顔をしたが弟の慈愛の視線に気づいて咳ばらいをした、アデリナが苦笑して、お茶を淹れて私達の前においてくれる。
「夫人自ら、恐れいります」
「気にしないで。好きでやってるの」
ヴィンセントが恐縮した。――ヘルトリング姉妹だってヴァサの血筋なんだけど、ヴィンセントの対応は優しいよね?納得いかないなぁ。
アデリナはトレイを持つと私に視線を移した。
「私はお話は聞かないことにするから、終わったら呼んでちょうだい。レミリアに話したいこともあるし」
私ははい、と頷いた。アデリナが退室すると――ドミニク・キルヒナーは気を取り直して私を見た。
「お集まりいただいた趣旨を――レミリア様からお話いただいてもよろしいですか?」
事情を知らないイザークとヴィンセントが私を見つめる。スタニスには馬車の中で少しだけ話をしているので、冷静だった。
「確かなことじゃないの。この前、国教会のセザンに訪問したとき、アレクサンデルに会って……」
私は話した。
異能が有るのではないかと言われたことは省いて、国教会に所属する夢見の才がある異能者が、北部に飢饉が起きると言っていることを――。
長雨でメルジェの堤防が切れて水害が起きると予言していることも。
「アレクサンデル神官は確かな事ではないけれど、念のために伝えてくれたみたい」
私がドミニクを見ると、彼は北部の地図を広げた。
「――メルジェの堤防が崩壊する――と言う夢見ですが、あそこは堅固な作りですからね、まさか、とは思っていたんですが……人為的に、壊されているところが三箇所ありました」
地図に印が赤くつけられている。……堤防が壊れていたのか。
「人為的に?」
「悪意はないと思いますよ。堤防は五十年ほど前に水害が起きたときに建設されたものです。それ以後、大きな災害はありませんから……住民が、河川に行くのが便利だからとか……そういう些細な理由で、勝手に高さを変えているようですね」
「そうなの」
私が眉を顰めるとスタニスが地図を指した。
「印があるのはヴァザの領地、メルジェの付近ばかりですね……これは、困ったな」
「カタジーナ伯母上に伝えたら修繕して貰えるかしら?」
首を傾げた私に、シルヴィアがため息をついた。
「勝手にやるしかないんじゃない?母に言ったら、理由なく意固地になって修復なんてさせないと思うわ」
そうだよねぇ。
私が言うと、鼻で笑われそう。
「そもそも――河川と堤防は国の持ち物ですから、勝手に手を加えるのも違法ではあるんですがね――」
スタニスが器用に片眉をあげた。
「刑罰は決して軽くないですが、……今まで実害がなかったから……あまり適用されたという事はあまり聞いたことがないかもしれませんね」
私は、考え込んでしまった。
長雨が起きたとして……私は起こると知っている……人々は水害で被害を被るだろうし、堤防の管理が甘かった領主つまりは父上に怨嗟の声が行く、と。
……そういうシナリオ、なのかな。
私は冷静に考えながらも、――ヒヤリ、とした感覚がちらついた。
気をつけないと、網の目から零れて、落ちてしまいそう。
そして、谷底にあるのは破滅だ。
「アレクサンデル、なんでレミリアに言ったんだろう」
イザークが、尤もな指摘をしたので、私は推測だけどと前置きして意見を述べた。
「アレクサンデルは神官長にも進言したけれど、その夢見の異能者の確率が低いから相手にされなかったらしいの。……これは私の推察だけども……例えば私の父や北部の方々に進言したとして、外れたら――鳴り物入りで就任した、神官長補佐の面目は潰れるじゃない?けれど、――私に進言して私が動くのには非行式の存在だから大して痛くはない、のかな、と」
何事もなければ、せいぜい、レミリアの頭がおかしいと言われる程度だ。――私は痛くも痒くもないし、アレクサンデルも痛くないだろう。
「……神官長補佐殿の、助けになってやるおつもりで?彼は得ばかりで懐も傷まないようだけど」
ヴィンセントが皮肉気に言った。
……たしかに、それについてはアレクサンデルを巻き込もうかな、とちょっぴり考えてはいる。意趣返しだ。
と、思いつつ私はヴィンセントにニッコリと笑ってみせた。
「――何事もなかったらそれでいいじゃない。単に堤防の管理を怠っていたヴァザ家が――宰相様にバレないうちに修理しようかな、と慌てている、ってだけで」
宰相、アルフレート・ユンカー。ヴィンセントの義父はヴァザが多分嫌いだ。――嫌いだけども、民衆の為になることを阻害するような人ではない。公平無私で国のために尽くしている。
「父にそう、伝えろと?」
ヴィンセントが翠の目で私をじっとみるので、私は肯定した。
「――堤防の事はヴァザの落ち度だから、それでいいの。だけど、長雨と飢饉が北部に起きたら、カルディナ全体が大変じゃない?――だから、出来ればヴィンセントからもこっそり宰相閣下に伝えてほしいなって……ヴァザ家がなんらかの確信を持って、飢饉に備えているみたいだ、って」
ヴィンセントは眉根を寄せた。
「それで僕を呼んだの?僕が進言したくらいで父は動かないだろうし……根拠なく動いたりはしないだろう」
「いいの。耳に入れてくれれば――宰相閣下なら、気になったらお調べになるだろうし」
イザークが首を傾げた。アデリナが出してくれたクッキーをヒョイ、と摘む。
「……レミリア、ずいぶん確信してるんだな」
確信してるんだよ。
けれど観察するような光に、私はとぼけた。ここ数年で少しはポーカーフェイスも身につけたと、思う。
「確信はないけど、心配性なの。アレクサンデル神官から、堤防のことを言われてから、本当になったらどうしようって心配でうなされるし……何か起こってから後悔するより、何もなかった、ってほっとするほうがよくない?」
ヴィンセントは私をじっとみてから請け負った。
「いいよ。――父には耳に入れておく。けれど、君が考えていることをそのまま伝えたいと思う」
「そのまま?」
「――アレクサンデルの予言と、それを君が心配して対策を講じようとしていること」
「小娘の戯言だと、取り合って貰えないんじゃない?」
ヴィンセントは首を振った。
「ヴァザの姫君が、真摯に領地を憂えていると伝えるよ。そういうことだろ?」
「……ええっと」
好意的に解釈してもらえるのは嬉しいけど、そればっかりじゃない。半分は自分本位に、破滅の未来を回避したいだけ、なんだし。だけど、せっかくヴィンセントが協力してくれようとしていることを、否定もしたくない。私は彼に頼んだ。
「……お願い、します」
「わかりました」
ヴィンセントは約束してくれた。ドミニクが言葉を続けてくれた。
「――幸い、我が領地は昨年も豊作で蓄えはあるんです……有事を想定しておこうと思います」
「ありがとう。まだ、どうしようかとは決めてないんだけど……また、相談させてください」
イザークが悪戯っぽく笑う。
「シンに話しても大丈夫?」
シンに話すと言うことは、フランチェスカと陛下にも伝わる、ということだ。どうしようかなぁと思ったけれど……私はお願いします、と頼んだ。
「お茶のお代わりしましょうか!」
アデリナが見計らったかのように部屋に入ってくる。お菓子があるというので、私が一階に降りようとすると、スタニスがついてきてくれた。
「勝手に、いろいろ考えてたこと、怒る?父上に相談もせずに」
階段を歩きながら聞くと、スタニスは軽く笑った。
「まさか。お嬢様が考えられたことでしょう?――一旦那様には一緒に報告して、判断を仰ぎましょう」
私はほっとして頷いた。
ただし、とスタニスは付け加える。
「ドミニクにはすぐに対価を払わないといけませんよ?地図を見る限り、複数人を使って――ドラゴンを飛ばせてみたはずだ。経費がかかっているでしょうから」
「そうね」
「ドミニクは好意でしてくれたかもしれませんし、北部の状況が気になっただけかもしれない。或いは、レミリア様に言い出しにくいだけかも。――けれど彼は、商会の要職に有る人物で……ヴァザ家の配下ではありません。友人とは言え、無償で動いてもらってはいけません。経費が幾らだったかは、お嬢様が彼に聞いてください」
「はい……」
考えが甘かったな。
私が反省しているとちょうど一階に到着し、品のいい老婦人が、私達を待っていた。
「ケーキがやけましたよ、お嬢様」
「まあ、美味しそう!」
クルミが入ったケーキがあった!ずっしりと密度の濃い、くるみとベリーがふんだんに散らされたケーキ!
アデリナのいつものお手製だ。
食べ物に釣られて元気になった私に、スタニスは苦笑して、――さて、と言った。
「糖分を摂取して、元気になられたらもう一度話を整理しましょうか」
「うん!」
三章は複数の話が並行して展開します…なるべくはやく更新したいなー




