82.春に風 2
夕食はユリウスも一緒に、と思ったけれどあのアレクサンデルが私をわざわざご指名なのだ。厄介な話かもなと諦めて一人で行くことにした。
私の侍女のアンナが心配そうに私を窺う。
「お嬢様、本当にお一人でよろしいのでしょうか。ジェナ神官やマラヤ様をお呼びしましょうか?」
アンナは母上の侍女だった人で、今は私の侍女をしてくれている。小柄な侍女で……私もヴァザ家にしてはあまり背は高くないけれど、彼女を追い抜いてしまった。
「大丈夫よ」
「ですが、年頃の若い男女が二人ですと妙な噂が立ちませんでしょうか……アレクサンデル神官は、華やいだ方ですし」
「そうですよ、お嬢様。神官との婚姻はおすすめいたしません、正式な家名のない方達ですし、離れて暮らさねばなりませんわ」
もう一人の侍女、ナターリアも同意する。
ううむ、と私は首をひねった。アレクサンデル神官は御年十九。私と年齢のつりあいは取れるだろうね。彼に全くその気はないだろうけど、侍女達にはアレクサンデルが私に気があって、それを私が受けた――と危惧しているようだ。
「アレクサンデル神官は素敵な方だけど、ユーリがお世話になったから、お礼の食事よ。神殿の中で夕食なのだし、深い意味はないと思うわ」
厄介な話はあるかもだけどさ。
「ひょっとすると、レミリア様のデビュタントのお話かもしれませんわ」
「――アレクサンデル様は神官長補佐におなりなのですもの――エスコート役に立候補されるのかもですよ?」
「ええ?」
私はげっ、と声に出しそうになった。
カルディナでは社交界へのデビューは十四から十八歳までに終わらせるのが普通だ。私は秋には十六になるからちょうどいい頃合いで――、エスコート役を誰にするかは確かに問題ではあった。
誰に頼んでも面倒そうで、来年に延ばそうかなぁ、とか考えていたくらいだ。
「アレクサンデルは、フランチェスカ殿下の信奉者だもの。私には興味がないと思うわよ?――でも、確かにエスコートの立候補はありそうだなぁ」
思わずぼやいてしまう。
ヴァザの娘のエスコートは、やっぱり注目されるだろうし。若輩の神官長補佐に箔をつけるのには丁度いい。私は床に大の字で転がりたくなった。転がって面倒くさーい!と嘆きたい。
やだなぁ、アレクサンデルが相手役とか、始終緊張しっぱなしだし、胃が痛くなりそう!
私だってお披露目は面倒くさいと思いつつも夢はあるのだ。
素敵な、優しい、ダンスの上手い人とおだやかに過ごしたい。
「ねーね、アレクと結婚するの?」
ユーリが無邪気に聞いてくる。私は弟の柔らかな髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱した。
「しないわ。どこで覚えたの、結婚なんて言葉」
「しないのですか?じゃあ、僕がねーねとしてあげますね」
私は笑って弟の額に口づけた。
「ユーリ、大きくなってもその言葉を覚えてなきゃだめよ?」
「うん!」
ユリウスが大きくなるまでは結婚とか、考えたくないなぁとと私は思った。身体の弱い弟も心配だし、かわいいし……。
行かず後家でユリウスのお嫁さんに煙たがられるレミリア様、なんて未来も、いいんじゃない?父上にはがっくりされそうだけどさ。私が冗談めかしてそう言うと、侍女たちは目を釣り上げて「だめです!」と口を揃えた。
ですよね……。
私の失礼な危惧をよそにアレクサンデル神官からされたのはひどく真面目な話だった。
アレクサンデルは私をよくは思っていないだけで、任務に真面目なんだよなぁ。まずはユリウスの健康の話。専属の治療師をつけてはどうかとの提案だった。これはありがたい話なので、よくよく検討する必要がありそうだ。
アレクサンデルは私の向いで丁寧に仔鹿の焼物を口に運んだ。カルディナの神官は、特に精進潔斎の教えはないらしい。異能には体力を使うので、よく食べそして身体を鍛える人が多いとか。
「カルディナは、去年は不作でした」
「ええ」
アレクサンデルが切り出し、私は頷く。
ゲーム・ローズガーデンでは、フランチェスカが王太子として立った年に長雨が続いた。その影響で農作物は不作になって困るんだけど、今年はその年だ。
秋には多分、フランチェスカが正式に王太子として任命され――ゲームのとおりに歴史は動くんだろうか?そして、凶作もあるのかなあ。
凶作については色々と我が領地も手は打っているけど、極端な不作になると足りないかもしれないから、困るなぁ……。
「――我が国教会には夢見をするものがおります」
「ゆめみ?」
「占いのようなものですね。不確かですが、未来をみる」
私は頷いた。アレクサンデルが、続ける。
その夢見の異能者が長雨が原因の、秋の不作を予言したが、神官長はあまり取り合わなかったらしい。
「……神官長が?」
「確かに、その異能者はあまり確率は高くないのです。ですが……何度も夢見をすると言うので気になりまして」
アレクサンデルは私を見ながら淡々と続けた。
「北部がひどいようですね――被害を見たという場所を異能者から聞くと……公爵領のメルジェもよろしくないようで」
「……メルジェも?」
メルジェも農地はまあ、あるし。長雨が続くと河の氾濫もありうる。嫌な話だ……。アレクサンデルは河の氾濫でメルジェが被害を受けるかも、との夢見を話してくれた。
「あまり確率の高くない話しではありますが、――ご連絡をと思いまして」
「……真面目な話だったのかぁ」
「はい?」
いえ、こちらのことです。私は咳払いをした。
「教えていただいて、ありがたいです。――秋はもうすぐですから、早急に手を打つようにいたします。凶作はなんとかしのげても――堤防は怖いですね」
長雨になる前に収穫できないか、とか。メルジェ近くの堤防が壊れていないか、とか点検しないと、だなあ。
アレクサンデルは声をひそめた。
「お話したのは私ですが、……全くお疑いになられないのですね?奇妙な事を言う公女さまだと噂が立つかもしれませんよ」
「子供の言うことですもの。多少、おかしな事があっても、また我儘に付き合わされた、で済むかと?」
この仔羊、美味しいなぁーと私が幸せに浸っているとアレクサンデルは私を観察するように目を細めた。
「――公爵領は去年は不作だったとお伺いしましたが――何故か公女さまの進言で前年度の蓄えが過剰にあったとか……」
「――……え?」
私がナイフとフォークを止めると、アレクサンデルはテーブルに両手を乗せて指を組み――ニッと笑う――儀礼的ではない、彼の素だ。肉食獣のような笑み。
「前触れのない凶作でしたのに、おわかりになられたとは――レミリア様には異能がおありになる?」
「…………へっ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
私の間抜けな反応が意外だったのか、アレクサンデルはつまらなそうに口を曲げた。――なんなのだ。
「わ、私に異能ですか?」
「違うのですか?――夢見の才がおありになるのかと……ですから、私の話もすんなりと理解できたのかと」
私はポカンと口を開けた。
ゆ、夢見の才?
私は考え込んで、た、確かに……と思った。
前世の事を覚えているのも才能というか――かなりのアドバンテージではある。それに、何度かゲームのシナリオにない、「レミリアの未来」も夢で何度か見たような気がする。考えたこともなかったけど……。
「違うのですか?」
「……ど、どうでしょう」
間抜けな答え方をしてしまったけれど、仕方ない。これは能力と言っていいか謎だしなあ。見たくて見れるわけでもないしなあ。
「異能は……ないとおもいます。何かはっきりとしたことを夢に見て、回避できたこともないですし」
夢を見たとしても、あんまり覚えてないし。アレクサンデルはちょっと残念そうな顔をした。
「自覚なく、才をお持ちの方はいらっしゃいますよ。身分高い方は特に」
「そうなのですか?」
「ヴァザの遠い昔には竜族の血があるでしょうから。先祖がえりで異能をお持ちの方もいらっしゃる」
「……私の大叔母のマラヤのように?」
マラヤは私の曽祖父の妹で、異能の才を持っていたがために幼少期から国教会にいるのだ。アレクサンデルは頷く。
「私はレミリア様が異能をお持ちで、隠していらっしゃるのかと思いましたが……それは違うようですね」
「役に立つ力があれば、とっくに活用しております」
私がナプキンを置いて再度否定すると、アレクサンデルはそれに倣ってから言葉を続けた。
「レミリア様に異能があるにしろないにしろ……お話を聞いていただけるのはありがたい。北部が凶作では国が傾きます……凶作が起きるかは、私も半信半疑なのですが、備えはあるとよいでしょうから」
アレクサンデルは私だけでなく、被害がおきそうな土地の貴族に念のため、と夢見のことを伝えているみたいだ。被害があったときに備えられるように――若輩といえど、神官長補佐。えらいなあ。
「凶作でも、貴族の方々はお困りにならないでしょうが――信徒には被害が大きすぎますからね」
「ええ」
「国教会はすべての州にありますから有事の際には信徒達を支援する立場ですが……領主の方々の協力なしで救済はありえませんから」
カルディナは農業国家で、国民の四割が農民だ。影響は計り知れない。財力のある貴族たちはしのぐことが出来るだろうけど、農民たちには死活問題だろう。……アレクサンデルにまた連絡することを約束する。
アレクサンデルはしかし、と言い、蒼い目を細める。
「――レミリア様に異能があれば、国教会への神官職をおすすめしようと思っていたのですが、残念ですね」
「ご冗談を……!」
異能もちなんてことになったら、セザンで修行の義務があると聞く。セザンにずっといるなんて嫌だよ!今後何かを見たとしても迂闊に夢のことは語るまい、と私は内心ヒヤヒヤしながら誓った。アレクサンデルはそれ以上は追求せずに、ご協力感謝いたします、と述べた。
「明日はすぐにお帰りになられるのですか」
「ええ。マラヤ様のお部屋には寄るつもりですが」
アレクサンデルは、小さく口の端を曲げ、人の悪い顔を浮かべる。
「マラヤ様が意気揚々と、レミリア様のデビュタントのお相手選びをしておられましたよ」
「えっ」
私は顔を引きつらせた。マラヤ様は善意ではあるんだろうけれど、私からはそんなことお願いしてないぞ!?感情が顔に出たのをアレクサンデルは笑って、ワインを口にした。
「――おそらく、私はどうかと勧められるでしょうね」
げげ!!
やっぱりそういう話になるの?顔に嫌ですと書いてあるだろうけれど、私はホホホーと笑ってみせた。
私は淑女、淑女なのだ。
「まあ!光栄ですわ、でもアレクサンデル様にエスコートなどされては、神殿の女性達に恨まれてしまいます」
やんわり拒否すると、アレクサンデルはニコニコと頬杖をついて私に笑いかけた。お行儀悪いけど、わざとだろうな。
「レミリア様のエスコートが出来れば、神官職にある者にとっては、この上ない誉です」
私は嫌です、と思いながら首をかしげてせいぜい可愛くしなをつくった。
「――万が一そんなことになったら、私より、アレクサンデル様のほうが話題になってしまいそうですわ」
アレクサンデル神官長補佐の話題づくりのためのデビューなんてごめんだっ!!内心できーっとハンカチを噛んでいると、アレクサンデルはくっ、と笑いを噛み殺した。
「――まあ嫌がらずに。私には、ありがたいお話ですのでお相手が決まらなければご一考を――お部屋までお送りいたしますよ」
私は真顔で神官を睨めつけた。
「――貴族達に顔を売るには、またとない機会ですものね?」
「まさか、お美しい公女さまの晴れの舞台の添え物になりたい一心、ですよ」
嘘つきの笑顔は晴れやかだ。
最後まで笑顔を絶やさなかったアレクサンデルの勝ちだな。
私はためいきをついて、私に決められるものでもありませんのでと肩を竦めた。表情筋を使いすぎたや。
アレクサンデル神官は、また愛想のいい顔に戻って私を部屋まで送ってくれた。
私の社交界デビューの候補は彼だけではない、勿論。
従兄のヘンリクを選べばヴァザでかたまってと言われそうだし、シンでは王家に媚を売ってと陰口を叩かれそうだ。アレクサンデルだと国教会を贔屓しすぎる。
部屋に戻って、面倒だなぁ……と深いため息を、ついた。
社交界へのデビューなんて、しなくてもいいかもしれない。
マラヤ様は一章の終わりに出てきた親族です。そろそろまた登場人物整理が必要かもな三章。続きはそんなにあけずに〜。
5/29 小話更新してます。アレクサンデルの話。
 




