81.春に風 1
その年、――――春を迎えたカルディナでは例年通り王都の各所で祝宴が催されていた。春の女神に扮した若い娘たちが花冠をいただいて人々を祝福し人々は夜遅くまで祭りを楽しむ。
以前、フランチェスカ王女が春の女神の役を勤めたのは王都では有名な話だから、城下の若い娘の間では催事で女神役に選ばれるのが名誉らしい。絶世の、とその美貌を絶賛されるフランチェスカ王女に似ているというのは娘たちには最高の褒め言葉になるし、彼女が愛しているという詩や音楽やドレス、はてには好物までが話題になる。
春の女神はカルディナの国教では主神の娘であると言い伝えられ、豊穣をもたらし人々の生活の安寧を保障する神だから人々からの信仰も篤い。その女神となぞらえられるほど王女の人気が高いのは、王家にとっては喜ばしいことだろう。
王家だけでなく、ヴァザ家にとっても……。
王家が盤石であれば、カリシュ公爵に王冠を、などという危険な考えを持つ者もいなくなるだろうから。
ヴァザ家の望みは王位ではない。
家族が平穏に暮らすことだ。ちっぽけなことだけれど……それが一番大切なことだと、そう思う。
――そうでしょう?お母様?
私はセザン――国教会の本拠地の隅に建てられた小さな礼拝堂にいた。ひざまずいて神に――祈る。この小さな礼拝堂は元は旧王族にだけ許された祈りの場所だったらしい。今でも王家と私たちが使うことが許されている。
カルディナの宗教は現世利益を重んじるものではないからあまり願い事をする文化はないんだけど、前世からのくせかな……ついつい、私の礼拝は祈ると言うより、お願い事の羅列になってしまう。
今年は領地が豊作でありますようにとか、国が平穏でありますようにとか家族や使用人の皆が元気で過ごせますように、だとか。
あとはあとは……。
うーん、ダンスが上達しますように、とかかな?
欲深いかなあ。
「人に祈っていないで、自分でなんとかなさいな」
母上に呆れながらお小言を言われた気がして、私は苦笑しつつ顔をあげた。西日がさすステンドグラスは淡く光を放っていて神秘的だ。母上ごめんなさい、しっかりします、と心の中で謝ってから私は顔を上げた。
「レミリア様、お祈りは終わられましたか?」
礼拝堂には私一人だったんだけど、入り口でジェナ神官が待っていてくれた。私の祈りを他の人が邪魔しないように、と――ヴァザ信奉者であるジェナ神官は気を回してくれたらしい。
別に誰がいてもよかったんだけどなあ、と内心で苦笑しつつも私は礼を言った。
「ええ、もう大丈夫です。ずっと待っていてくださったの?長々とごめんなさい」
「――何をおっしゃいますか!ヴァザの公女様が礼拝されるのは我ら国教会にとっては名誉なことです。毎日でもいらしてくださいまし」
「ありがとう」
ヴァザ贔屓のジェナ神官に苦笑しつつ礼を言い、私は、私の戻りを待っているはずの人物を探しに行くことにした。
「お連れ様は、用事が終わられたようですよ」
「そう、ご迷惑をおかけしていない?」
「まさか!」
ジェナ神官と談笑しつつ客間に戻ると、私の侍女が蒼ざめていた。二人の侍女のうち、一人は席を外している。
「どうしたの?ナターリアは?」
「そ、それが……」
侍女の答えに私は思わず額を押さえてジェナ神官が私を宥めた。
「元気なのはよいことではありませんか、レミリア様」
「一昨日まで高熱でうなされていたのよ?ちょっと元気が出るとこれだもの!手に負えないわ」
「――申し訳ありません、お嬢様……」
侍女が蒼ざめたままだったので、私はいいのよ、とためいきをついた。
「大丈夫。国教会の中で何か悪いことは起きないと思うわ――まったく、あの子のかくれんぼ好きにも困ったものよね」
「本当に、申し訳ありません……」
「いいから。手分けして探しましょう」
私は子供の行きそうなところ――小さな建物や庭を探すことにした。そういえば、以前来た時に礼拝堂の近くの中庭にある、四阿を気に入っていたのを思い出した。
ひょっとしたらあそこかな……という私の勘は当たっていたようだった。中庭に近づくにつれ、甲高い子供の声と――大人との話声がする。聞こえて来た声で声の主が誰か察して、私は少しだけ怯んだ。
「――この御子はどこの若君かな?坊や、神殿の中とはいえ一人では危ないぞ」
「アレクサンデル神官、ヴァザの若君ですよ」
「……ヴァザの?」
「姉上様とご一緒に来られたはずです」
ヴァザ嫌いのアレクサンデルが不機嫌にならなければいいけれど、との私の心配は杞憂だった。彼らが見える位置まで私が辿り着くと、アレクサンデル神官は小さな男の子を抱えて微笑みかけている。
「若君、ひとりで歩いてはいけませんよ、危ない」
「さんぽだよ」
「お散歩ですか?――こちらへは何をしに来られた?」
男の子は――私の弟は首をかしげて考えこんだ。
「おねつなの」
「おや、それは大変ですね」
「おねつ、おわった」
幼児の言葉を、アレクサンデルの隣にいた初老の神官が解説した。
「――半月ほど前に療養でこちらに来られたのですが、今は大分お具合がよろしいようで」
「そうか」
アレクサンデルが頷き、彼の視線がゆっくりと左に移動して私を捕える。サファイアのように蒼く美しい瞳だ。
「ねーね!!」
遅れて気付いた幼児が――私の弟が、顔を輝かせる。
私は弟を抱えたアレクサンデルにちょっとだけ怯みながらも淑女らしく微笑んだ。
「アレクサンデル神官、ごきげんよう。――ユリウス、こちらへいらっしゃい」
私の弟――ユリウスはアレクサンデルに「おりる!」と頼んで降ろしてもらい、私の元に駆け寄ってきた。空色の瞳と、金茶の色の髪をした私の弟だ。
「ユリウス、神官様にご挨拶は?」
「やだ!」
「ごあいさつ!しなさい!」
いやいや期真っ盛りの弟は反抗したけれど、私がにらめっこしながら繰り返すと、アレクサンデルの方を向いてたどたどしく挨拶をした。――意外なことにアレクサンデル神官はにこやかに挨拶を返した。
私が彼に重ねて礼を言おうとした時、私を追って侍女たちが走ってきた。
「レミリア様!若君!」
「ご無事で……!」
弟に何かあったらどうしようと思ったのか、二人とも涙目になっている。私はきょとんとしたままのユリウスの頭を撫でて、言い聞かせた。
「ユリウス、皆に迷惑をかけてはいけませんよ――」
「ねーねをさがしてたの。探しにきてあげたんだよ」
「そう?嬉しいわユーリ。でもね、誰かと一緒にいないと、みんな貴方がいなくなったのではないかと心配して、とってもとっても悲しい、なのよ?ひとりは駄目、ね?わかった?」
「はい」
侍女達は私と神官たちに再び頭を下げてから先に戻りますと、弟を連れて行った。追いついたジェナ神官も私に目礼して弟についていく。
私は微笑みを浮かべて神官たちに向きなおった。初老の神官が頭を下げ、アレクサンデルもそれに倣う。
「――アレクサンデル様、お久しぶりです。弟を見つけてくださってありがとう」
「いえ、通りかかっただけです。ユリウス様も、大きくなられましたね。以前お会いしたころはまだ、乳母の方に抱かれておられた」
「そうだったかしら?」
「はい。おいくつになられましたか?」
私はちょっとだけ湧き上がる苦い感情に蓋をするために目を伏せた。
弟の年を数える時、同時にどうしても母上が亡くなったことを思い出す。今はもう胸が痛くなるだけで、涙は隠せるようになったけれど。
四年。
春が終われば夏が来て。母上が亡くなった夏から四年がたつ。
私は去年の秋に十五になって――今年は社交界のデビューを控えている。
「ユリウスは夏の生まれですから、もうすぐ四歳になります」
アレクサンデルの隣にいた初老の神官が感慨深げに弟の去った方向を見た。
「もう、そんなになられますか?しかし、若君は三歳にしてはさすがはヴァザのお血筋でしょうか。利発でいらっしゃいますな」
「ありがとう……利発かはわからないけれど、私がお喋りだからかしらね、よく喋るの。年齢にしては会話がちゃんと成立するでしょう?」
「楽しくお話をさせていただきましたな、アレクサンデル神官?」
「ええ。利発で可愛らしい弟君ですね――レミリア様、客間までお送りしましょう」
アレクサンデルがそっと老神官に目くばせをして、彼を去らせ、私を弟のところまで送り届けてくれた。
――緋色の髪をした未来の神官長、アレクサンデル神官は――つい先日神官長補佐に任命された。国教会の中でも数人しかいない役職で、異例の出世らしい。
ここ数年は思い出せるほどしか言葉を交わしていないから、彼の真意はわからないけれど彼から敵意を感じることはあまりない。敵意がなくなったと言うよりも綺麗に隠している感じ、かなあ。
あんまり親しくしてないけれど、私は苦手なんだよね、アレクサンデル……と冷や汗をドレスの下にかきながらも涼しい顔で彼とも時候のあいさつや世間話を交わす。表情筋が筋肉痛になりそうだな、と思いつつ客間に戻り扉をあけると、ユリウスが私に飛びついてきた。
「ねーね、おうちにかえりましょう」
「だめよ、ユーリ。帰るのは、明日。お医者様が明日だって説明したでしょう?」
「きょうがいいです」
「お姉様も明日がいいわ、明日にしましょう」
私の弟、ユリウスは生まれたときから体が弱い。高熱を出して頻繁に寝込むから、国教会の治療師に治療を頼むことが多い。先日また、ひどく体調を崩したので、泊まり込みで治癒をしてもらっていたのだ。
いつも治療師に公爵家に来てもらっていたんだけど、国教会には、様々な施設があるから、と。強く勧められてやむなく、だった。
父上も私も、王家よりもヴァザ家を重要視する国教会には、あまり借りを作りたくはないのだけれど――ユリウスの為ならば仕方ない。
私はユリウスを抱きあげて、コツ、と額を合わせた。熱があまり高くないことに安堵して目を細める。国教会から理由遭って出られない、という治療師には私には会った事がないのだけれど、腕は確からしい。
「今夜は、ねーねも一緒だから」
「やだ!かえりたいです」
「あら?我儘いうと一緒に寝てあげないから!」
「ええー」
「明日、ね?」
なんとか弟を説得する。弟はぐずりながらも侍女に連れて行かれた。私は安堵しつつも……ちら、とまだ何故か私の横にいるアレクサンデルを、見た。
「あのぅ」
そろそろ帰ってくれてもいいですよ~、と本音を飲み込み、私はアレクサンデルを見上げた。彼は、美少女のようだった数年前が嘘のように立派な青年になった。背が高く、ほどよく筋肉質で……国教会の女性たちの憧れの的らしいのが頷ける外見だ。
――が、私は彼が苦手なので極力顔を合わせていない。彼がヴァザを恨んでいるのもあるけれど、ゲーム「ローズ・ガーデン」で父上に毒を渡すのは神官長になったアレクサンデルなのだ。そんな危険人物とは、好悪どちらのフラグも立てず、関わらずにいたい。
彼も空気を読んでか、私とは季節の挨拶以外は交わしていない……んだけどなあ。
「私も、これで失礼いたしますわね?」
そそくさと逃げようとすると、すっと手を出された。げ、と思いながらも笑みを絶やさずに手を預ける。なんなんだよーと思いつつ笑顔のまま見上げると、私をエスコートするアレクサンデルが僅かに口の端をあげ皮肉に笑ったように見えた。
「――レミリア様、本日はセザンにお泊りになられるのですか?」
「ええ、そのつもりですが」
「でしたら、夕食にお誘いしてもよろしいでしょうか。内々にお話があるのです」
アレクサンデルは完璧な貴公子の貌でにこやかに微笑む。
「やだよ!!」
とは立場上口が裂けても言えない、淑女の仮面をつけたままの私は、内心がっくりしながらも「まあ、嬉しいわ。喜んで」と快く応じた。
つづきは、明日。
誤字修正しました。毎度申し訳ない。ご指摘ありがとうございました!




