80. 空色の瞳 20 ※3人称
公爵夫人が亡くなって一月が過ぎた。
カリシュ公爵は公務に復帰し、公爵がベアトリス女王と今後について意見を交わす間、彼の娘レミリアはフランチェスカ王女の温室に顔を出した。
当たり障りのない会話を小一時間ほど続けた後に王女の温室を辞したレミリアの耳に、見知った少女たちの声が聞こえて来た。
渡り廊下の向こう、少女たちが天気の話をするかのように、喋っている。
「レミリア様が、殿下のところにいらしてるんですって」
「まあ! お元気になられたのかしら」
レミリアを送っていた近衛の騎士が道を変えようか公女に視線をやったが、貴族の令嬢たちは何も気づかずに、続けた。
「公爵夫人はお気の毒でしたけれど、ご子息がご無事でよかったわ」
「ええ、本当に!」
レミリアは色を喪って立ち止まる。
騎士が、彼女たちに注意しようとレミリアの前に出ると同時に、レミリアは踵を返して、駆け出した。
奥へ、奥へと逃げる。
騎士が気付いた時には姿が見えなくなるほどに公女は遠くへ逃げて――王宮は騒然となった。
王宮の、足を踏み入れた事のない場所まで逃げて、林の中の大木の下で、レミリアは蹲った。
噛み締めた歯の間から呻き声が、漏れる。
(よかったわ)
(本当によかった)
少女たちの声が耳に蘇り、それを打ち消すように首を振る。
肩を震わせていると、背後から足音がしてレミリアは、はっと顔をあげた。
「――こんなところに居たのか。君の父上も、ヘンリクも心配して探してる……帰ろう」
「いや」
ヴィンセント・ユンカーは翠の瞳をそっと伏せた。
「……君の気持ちはわかるけれど、ここで泣いていても、皆が心配するだけだ」
「わからないわ」
「……わかるよ。僕も、同じように思った事がある」
弾かれたように彼を見ると、ヴィンセントは痛ましげにレミリアを見つめかえす。ヴィンセントは続けた。
「西国にいたときに。母と弟を、一度に亡くした時に……君と同じように、辛かったよ」
レミリアは、涙が溢れそうになる瞳を無理やり閉じて、顔を背ける。ヴィンセントは、しゃがみこんだ。
優しく、語りかける。
「辛くて、悲しみの穴から這い出せないときに、一人でいるのは、よくない……ヘンリク・ヴァレフスキが君を心配して探してる。イザークも、シンも」
レミリアは口を引き結んだ。
「泣いてなんか、いないわ。みんな、私を、心配することなんか、ない」
「……」
「もう、人前で泣いたり、しない。大丈夫よ――すぐに、戻るから、すこししたら、平気になるから、だから、放っておいて」
「……そうは見えない」
「大丈夫だから」
ヴィンセントはため息をついてその場から立ち去った。
――レミリアは袖で乱暴に目元を拭い、呼吸を整える。
泣かない。
泣いたりしない。
泣く資格など、ないのだ。
なんとか呼吸を整えてレミリアが立ち上がろうとした時に、また背後から足音がして、レミリアは立ち上がった。
「放っておいて」
「お散歩、誘おうかと思って」
振り返ったレミリアの視線の先にいたのは、ヴィンセントではなくシンだった。
「シン、どうして?」
「ん、たまたま」
シンは、彼の飛竜を連れていて、飛竜が心配げにレミリアに顔を寄せる。
レミリアが呆然としていると、シンは彼独特の柔らかな笑みを浮かべて、レミリアの手を引いた。
「空の上、行こう」
「…………」
「まだ目が赤いよ」
有無を言わせずにレミリアを、飛竜に乗せ、シンが合図をする。飛竜はまたたく間に高度を上げて――王宮が小さくなったとき、シンは少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「――空の上なら、泣いても見られないと思う」
レミリアは首を振った。
「泣かない。人前じゃ、絶対に泣かない……お、かあさまが、心配なさるものっ……」
シンはうん、と頷いてゆっくりと手綱を動かして飛竜を旋回させた。
「ここなら誰も見てないし、……俺は、人じゃないし」
「……そんなの、ずるい」
「……見てないよ。聞こえてもいない。……だから、悲しいのを、我慢しないで……」
頭を優しい指が撫でる。レミリアは首を振った。
「……俺も、母さんが死んじゃった時は、涙が枯れるくらい泣いたよ」
「ちが、うの」
「レミリア?」
「……違うの、違うの……私はっ……」
空色の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
それを拭おうともせずに、レミリアはしゃくりあげた。
「わた、しはっ」
「レミリア」
「わたしの、せいっだ。私が馬鹿なことをしなければ、考えなければ、おかあっさまと、おとうさまは、仲直りしない、ままだったのに……っ! そうしたらっ」
母は死なずに済んだのに。
夫妻の距離を縮めた結果が、これだった。
――失うくらいなら、遠いままで、よかったのに。
最善を選んだつもりが、裏目に出た。
浅はかな、自分のせいで。
「弟なんて!」
「レミリア」
「欲しくなかった! 要らなかった!」
「……レミリア、そうだね」
わっと泣き出した少女をシンは抱きしめる。レミリアは赤ん坊のように泣きじゃくった。
「お母様がよかった! 弟なんて……要らなかった! お母様、お母様、ごめんなさい、ごめん、なさ、い、私、いい子になれない、なれないよっ」
「うん……」
逆ならよかったと、カタジーナは言った。
死んだのが母で良かったと。
同じことを、レミリアも思ったのだ。
亡くなったのがが母ではなく、弟ならよかった、と。
浅ましい、なんて浅ましいんだろう。
あんなに、お母様が望んだ子供だったのに。
それを私は愛してあげられない。
レミリアは、泣きつづけて、言葉が不明瞭になっていく。
シンは、決してレミリアを否定しなかった。
時折相槌を打ちながら――ただ、彼女が泣きつかれて眠るまで――空を飛び続けた。
「……彼女は眠ったの?」
「……間抜けな寝顔だな」
地上に降りると、ヴィンセントとヘンリクが二人を待っていた。ヴィンセントがヘンリクを探し、地上で待っていたのだろう。シンは、うん、と頷いてヘンリクを見た。
起こさないように、ヴィンセントがレミリアをアルの背中から降ろす。
「馬鹿のくせに気をつかって色々溜め込むからだ。ぴーぴー泣き喚けばいいんだ、馬鹿レミリア」
「……一緒に彼女を運ぼうか」
ヴィンセントの申し出に、ヘンリクは首を振った。
「……君たちの手を煩わせたとレミリアが気に病むだろうから、これ以上はいい。僕が連れて行く」
「そうか」
ヘンリクは従妹を背負うとチビのくせに重いんだよ、とぼやいて、二人に背を向ける。見送る二人に、ヘンリクは立ち止まって一度振り返った。
「ヴィンセント・ユンカー、恩に着る。レミリアを探してくれて、ありがとう」
「……! いいや……当然のことをしただけだ」
少年は面食らうヴィンセントを睨むようにして言うと、怒ったようにくるりと振り返り――、歩みを進めていく。
ヘンリクはぶつくさと、話しながら歩いた。
そろそろ、日が沈もうとしている。
「――寝たままでいいけど、聞けよ、馬鹿レミリア。僕は、大学じゃなくて軍学校に行くことにした。僕が軍にいれば、愚民共がカミンスキ伯爵を暗殺しようだなんて考えることもなかった。女王に反発しようだなんて無駄な労力をさく事はない……伯爵が、お祖父様が亡くならなければ……ヤドヴィカ様だってあんなに衰弱しなかったかもしれない……どうせ、ヤドヴィカ様のために何か出来たんじゃないかとか、馬鹿なこと考えてたんだろ? 君のせいじゃないからな、レミリアにそんな影響力ないからな……聞いてるのか……聞かなくて、いいけど……お前のせいじゃ、ないからな」
レミリアの指が肩を掴んだ気がしたけれど、ヘンリクはフン、と鼻を鳴らす。囁くように、言った。
「……そのまま、寝たフリ、してろよ。不細工な顔してるから、見せなくていいからな」
ヘンリクとレミリアを見送って、シンはまだ二人の背中を追っているヴィンセントに視線を動かした。
「……俺を呼ばなくても。ヴィンスがレミリアを慰めてもよかったのに……」
「僕には、無理だ。僕の慰めは、嘘になる……」
シンはそっか、と呟いてそれ以上は詮索せずに前を向いた。ヴィンセントがヴァザを嫌う理由をシンは知らないが、今は聞かないでおこうと思う……いつか話してくれるだろうから。
「レミリアが、元気になるといいね」
いつも朗らかに笑うレミリアが泣きじゃくるのは胸に痛かった。誰もいないところだけで悲しみに沈むのは、可哀相だ。――ヴィンセントは胸を痛めるシンを見ながらそっと胸元の懐中時計に触れた。西国で造られた古びた時計には、亡くなった母の名前と彼女に時計を贈った、祖父の紋章が彫ってある…………。母を亡くした悲しみは、ヴィンセントにも、覚えがあるものだった。
レミリアの泣き疲れた顔を思い出して、ヴィンセントは沈んだ声を、だした。
「ああ……そうだね――」
◆◆◆◆◆
季節はまたたく間に移り変わる。
夏から秋、秋から冬。
そして春へと。
春の良き日に、カルディナの若者たちは、自らの道を選びとっていく……。
軍学校の入学は毎年、春に行われる。
軍学校は十四から十九までの男子が入学を許される組織で、カルディナの軍幹部を養成する機関だ。入学者は貴族の子弟がほとんどだが、伯爵位以上の貴族の推薦状さえあれば平民でも入学が許されていた。
入学の日、イザーク・キルヒナーは真新しい制服に身を包んで、辺りを見渡した。新入生ばかりがすり鉢状の教室に集められ、様々な説明を受けていた。
今年は、軍に子弟を入学させる貴族が多いという。――無理もない、女王の甥が入学するのだ。
彼と……、あわよくば女王と誼を通じたい者も多いに違いない。
イザークは最前列でヴィンセントと並んでいるシンを見つけた。
長い髪をひとつにまとめて周囲の少年たちの視線を無視して、まっすぐに前を向いている。
――軍の規律にシンが馴染めるのかはわからないが、シンは、叔母、ベアトリス女王を気遣ったのだろう。叔母と軋轢の有る軍部に身をおけば両者の仲を取り持てると思ったのかもしれない。
意外なことに、とイザークは隣の少年を見た。
金茶の髪に、深い青の瞳の少年、……ヘンリク・ヴァレフスキは大学でなく軍を選んだようだ。
「……意外だな、ヘンリクが軍部を選ぶなんて」
「気やすく話しかけるな、成金め」
「成金はほんとだから気にしないね。――で、なんで、ヘンリクが軍部?」
しつこく食い下がると、ヘンリクは皮肉な口調で答える。
「――僕の才能を埋もれさせたくなかっただけさ」
「ふぅん」
訝しげに見ると、ヘンリクはちっと舌打ちした。
声が低い。ヘンリクはしばらく会わないうちに声変わりをして――背も伸びたようだった。
「ま、いいけど。四年間、よろしく」
「冗談じゃない――必要事項以外は僕に話しかけるなよ?いいな?」
「はいはい」
気のない返事をしたイザークを無視して、ヘンリクが前を向くと、恰幅のいい軍人が長い説明をちょうど終えるところだった。
「――これから諸君らは晴れてカルディナの兵士となる。自己の研鑽を怠らず、国民の模範となるように」
軍人――軍学校の校長が、コホンと咳払をすると教室の扉が開いた。数人の――若い男が入室してくる。校長は、君たちの訓練を主に担当する教官達だと説明する。
イザークは興味深げに教官たちを見つめ――筋骨隆々の男達にまぎれてひとり、さほど背の高くない男がいるので親近感を覚えた。イザークは彼をまじまじと見つめ、あっ、と声をあげた。
周囲の視線を集めてしまい、慌てて口を押さえたイザークを、教官の眼鏡の下の瞳が笑う。酷薄にも思える、薄い茶色の瞳。
ヘンリクを見ると、彼は澄ました顔で前を向いたままだったので、とうに知っていたのだろう。
最前列にいたシンが驚きの視線を彼に向けている。
教官達がそれぞれ自己紹介を終え、彼の番になると、青年はにっ、と人好きのする笑顔をむけた。
「――これから四年間、君たちの指導を担当する。……先に言うが、教官としては新米だ。至らない事も多いだろうが、よろしく頼む。――っと、順序が逆になったが、私の名はスタニス・サウレだ――よろしく、頼む」
これにて、二章終了となります。
ブクマ、評価、拍手や感想などありがとうございました。
三章より後半となりますので、お付き合いいただければ幸いです。
三章1話目は明日更新です。




