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78. 空色の瞳 18 ※3人称

 公爵夫人の葬儀は雨だった。


降りしきる雨の中、寄り添う公爵と娘の姿がひとびとの憐れを誘った。

 葬儀を終えた後、ヴァザ家の広い客間にはカリシュ公爵の長姉、ヘルトリング伯爵夫人カタジーナがいた。

 涙で濡れた目元を拭う。


「ヤドヴィカも可哀相なこと――けれど」


 カタジーナはくすんだ空色の瞳を眇めた。

 同じく部屋に残っていた、カナン伯、ジグムント・レームの耳元に、言葉を落とす。


()でなくて、本当によかったこと!」

「……カタジーナ様。それは、あまりにも」


 ジグムント・レームが周囲を気にして窘めたがカタジーナは鼻を鳴らした。


「彼女もそう思っているわよ。亡くなったのが息子でなくてよかった、とね」

「……若い方の訃報は悲しいものだ。公爵もさぞお気を落されているでしょう」

「レシェクはまだ若いのだもの。ヤドヴィカの代わりをいくらでも探せばいいのよ」


 カタジーナは肩を竦めた。……ほかに誰もいないと高をくくって声を潜めるのを忘れている。

 だから、彼女の暴言は扉の前にいたレミリアに聞こえていた。レミリアはそっと扉から踵を返し、――カタジーナは足音に気付かずに、扇子で自らを仰いだ。


「ああ、暑い……!この季節に喪服なんて! 早く脱いでしまいたい」


 少女は走り去る。

 声もなく、走り去る。




◆◆◆◆◆

 空気の沈んだ屋敷の中で、公爵の異母姉、シュタインブルク侯爵夫人、オルガ・バートリは一族の皆が各々――これみよがしに場を仕切ろうとしていたカタジーナや、異母妹のヨアンナでさえ――屋敷に帰った後も一人、残っていた。陰鬱な喪服は部屋着に着替え、客間でひとり窓の外を見つめている。


 昨日から降り続く雨は本格的な土砂降りになっていて窓の外の景色の輪郭は曖昧にぼやける。


「オルガ様、本日はお泊りになられますか?馬車でお帰りになるにしても深夜ですし、足場が悪い……」


 物憂げなオルガに声をかけたのは、執事のセバスディアンだった。

 オルガは口をつけたものの、飲まないままだった紅茶カップを、ソーサーに戻した。キン、という軽い音が室内に響く。

 けだるげに視線をあげるとオルガは執事に尋ねた。


「……レミリアは?」

「おやすみになられました」

「レシェクは?」

「公爵もお部屋に」

「……眠れているかしらね」


 彼は困ったように首を傾げた。

 オルガは綺麗に手入れされた左手の爪を右の指でなぞった。

 血の通わないかのようにひんやりとした体温は、昔から変わらない。


「――未来のご当主さまは? もう寝たかしら?」

「ええ、またすぐお泣きになると思いますが」


 オルガが、お道化て言うと、セバスディアンは少しだけ唇を笑みの形にした。

 再度やすむように言われたが、オルガは笑ってそれをかわす。ヴァザの家は実を言えばあまりオルガにはなじみがない。眠りが浅くなるのなら起きたままでいい。


「座らない?」


 ソファの隣を勧めるが、案の定辞退される。


「いえ、私は」

「使用人だなんて言い訳は許さないわよ?――あなた家族みたいなものじゃない。私が生まれる前からいるもの」

「左様でございますね」

「――私が生まれた日も、こんなに陰鬱だったのかしら」

「お嬢様……」

「いやね、年増をつかまえて」


 執事は複雑な顔をし、……オルガは自嘲した。


「あの子が、疎まれないといいけれど」


 オルガは、物心ついた頃には追い出されるようにしてヴァザを出た。

 婚約者のシモン・バートリの実家に引き取られ、少女時代は義理の両親に養育されていた。

 侯爵夫妻が彼女を手元に起きたがった、というのは建前でオルガを産むと同時に母が亡くなり、父マテウシュがオルガを嫌ったから――そう、聞かされて育った。


「母が死んだのは私が上手に生まれてこなかったせい。――カタジーナに言わせれば、私が殺したんですって……あの子と同じね」


 オルガは、屋敷のどこかにいる赤子を思う。


 マテウシュや長姉のカタジーナが厭ったオルガを養育したのは、先代のシュタインブルク侯爵夫妻だった。息子のシモンとは似ても似つかない、善良な、今はいない人々……。父からも長姉からも疎まれたオルガは彼らがいなければ寂しい子供時代を送っていただろう。


 生まれたばかりの甥はどうなるだろうか。


「……若君を案じておいでですか?」

「そうね、そうかもしれないわ。カタジーナはレシェクを父とそっくりだと溺愛するけれど、私は……父を思い出してゾッとする……あまりにもあの人に似ているもの。レシェクは、息子を愛せるかしらね……妻を奪った子を」


 独り言のような言葉を口にしてオルガは後悔した。雨のせいか、口が軽くなってしまっている。

 本心を明かすのは嫌いなのだ。何の得にもならないから。

 執事は何も言わずにオルガの前に置かれた紅茶を淹れなおした。


「冷めないうちに」

「ありがとう……」


 受け取りながらも、カップに手を付けないオルガにセバスティアンは微笑んだ。


「ご心配なさることはありませんよ――レシェク様は、レシェク様です……」

「そうかしら?」

「ええ。ヴィカ様と約束されましたから、お子様たちを守ると」


 オルガはため息を一つ落としてカップを手にする。囁くように口にした。


「そうね……わかってはいるのよ。杞憂だと願っているわ――けれどもね、セバス」

「はい」

「レシェクやレミリアが……あの子と向き合うのが辛いようなら、私を頼ってくれても構わないわ。ヨアンナでは二人に近すぎる。……部外者のほうが冷静に対処できることもあるでしょうから」


 辛いのはレミリアやレシェクだけではないだろう。

 セバスティアンも、ヤドヴィカが幼いころから親しくしてきただろうから。


「……お心遣い、公爵にもお伝えします」

「いいのよ。別にレシェクを心配しているわけじゃない。……ただ、とても、残念に思うわ……。ヤドヴィカと私は……特別、親しくしてはいなかったけれど、彼女は私が息子を亡くした時に、泣いてくれたから……無念でしょうね」



 目を伏せたオルガに、執事は黙って頭を下げた。



 雨はまだ、降り続いている。

続きは日付変わってすぐ。

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