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77. 空色の瞳 17 ※3人称

本日2話投稿 1話目です

 私は広間に取り残されていた。


「レミリア様、少しおやすみになられませんか?」

「カミラ」


 家庭教師のカミラは私を安心させるかのように、微笑んだ。

 優しい色合いの目に心配がにじむ。

 母上が――予定日は少し先なのに、陣痛が始まったのは夕方の事だった。

 侍女たちは慌ただしく準備をはじめ、スタニスが侍医のサピア医師を呼びに行き、医師は母上のお産に立ちあっている。

 私は――。


「何も出来ることがないの」


 ただ、うろうろと歩いているだけで。

 母上のお産に立ち会うのは許されなかったし、近くの客間でソファに座りもせず、立ったまま、数時間が経過している。


「レミリア様」

「お母様はあんなに苦しがっておられるのに」

「みな、そうですよ。お産で働くのはお医者様とお母様だけです――無事に出産が終わったらお母様を労わってあげてくださいませ」

「――うん」


 カミラは私に付き添ってくれている。報せを聞いたヨアンナ伯母上が母上の側にいる。私は、何もできない。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように屋敷は静まり返っていた。母上のいる部屋だけが騒がしく、屋敷全体が様子をうかがっているような。使用人と、家族と、屋敷、そのものが。

 私は高い天井を見上げた。幾世代も前に作られたこのヴァザの屋敷は、以前は侯爵家が住んでいたのだと聞く。

 好事家だった先々代が好んで使った落ち着いた色の天井も私の不安を宥めはしてくれなかった。


「レミリア、少し休みなさい」


 私の様子を父上が見に来たのは深夜だった。私の横に座っていたカミラがさっと立ち上がりは背後に控える。


「お父様、私は眠くありません」


 父上は黙って抗議する私の隣に座り、私の顔を覗き込んだ。


「弟か妹が生まれたときに、レミリアの顔が見えないとヴィカが不安がる――私が起きているから、君は休みなさい」

「……赤ちゃんが生まれたら、絶対に起こしてくれる?お父様」

「約束する」

「わかり、ました」


 父上の合図でカミラがほっとしたように私を連れて行く。

 手早く着替えさせられベッドに入ると――途端に睡魔が襲ってきた。

 カミラが労わるような視線を向けてきたので私は強がりを言う。


「カミラ、私もう、ひとりで大丈夫だよ?」

「……お嬢様、眠るまでお側におりますから、ご安心なさってください」


 カミラが苦笑して私の髪にそっと触れた。私が不安がる事なんてお見通しみたいだ。


「……うん」


 カミラがそっと手を握ってくれたので私はすとん、と眠りに落ちた。






 ざわめきが風と共に舞う。


(哀れなおひぃさま)(公爵は毒を飲んだとよ!)(ひとりだ)(当然の報いだ、陛下を暗殺しようとするなど!)(これで滅びた――)(悪逆の報い)(ほかの道はなかったのか?彼女を救えたはず)(断罪だ)(ひとり)(なんてこと!おかわいそうに)(領地は誰のものになる?)(ヴァザの亡霊)(―――これでヴァザは滅んだ)(最後の…)(これでやっと恨みが晴れた)(自由だ……)(私も生きている甲斐がない)(ひとり)(ああ、ついに)




 最後の、ひとり――――。




 ごう、と。

 強い風が大きく吹いて。あとはただ、がらんとした静寂が支配する。




 レミリアが目覚めたのは明け方だった。

 凍える足先をベッドから滑るように床におろし、頼りなく立ち上がる。誰もいないのか、レミリアが動く以外には何も音がしない。


(夢を見た。何か、悲しい夢を)


 冬の朝の(かす)かな陽の下を独り歩いていると、廊下の向こう、使用人たちが蒼ざめて走っているのが見え、レミリアは首をかしげる。

 屋敷には使用人はもういないはずだ。今日屋敷を離れるレミリアの他には彼女を監視する数人の兵士しかいない……。

 父である公爵がフランチェスカ女王の暗殺に加担し、公爵家は爵位を剥奪された。独りになったレミリアは国境の教会に居を移すことになっている。

 きっと一生をそこで過ごすことになるだろう。


 彼女は足音を殺しながら、使用人たちに近づいた。

 レミリアはあまり使用人たちと親しくはしていなかったが、それでも皆、見覚えがある顔ばかりだった。だが、何か違和感が伴う。彼らの声が聞こえそうな場所まで近づき、レミリアは違和感の正体に気付いた。

 使用人の顔には見覚えがあるが、皆若いのだ。

 レミリアが手を伸ばすと、彼らの身体は幻のように霧散した。

 戸惑いつつ手を見つめていると、別の場所から声がする。


(――お生まれになった)

(おめでたいこと!)

(ばか、もう息をしていないのだ)

(お亡くなりになったのだ)


 見覚えのある光景に、レミリアは唇を噛んだ。

 これは、――母が弟と共に亡くなった夜の光景だ。

 母から生まれ落ちた弟は息をしないまま冷たくなり、母は弟の死を知らぬまま息を引き取った。


(わたしはまだ、夢を見ている)


 冷静に理解して、レミリアはあたりを見回した。

 懐かしい母の部屋に入ると、公爵家の侍医がうなだれているのが視界に入る。すすりなく侍女たちの側に侍従らしき男もいる。


(泣け!!泣いてくれ!!頼むから!!)


 灰茶の髪の侍従が、赤子を抱えて叫んでいる。――懐かしい顔だ。

 彼の名はなんと言ったろうか。彼は母が亡くなった後すぐに侍従を辞めてどこかへ行ってしまった。

 ――侍従の瞳から透明な雫がこぼれ落ちて、室内灯の光を弾く瞳が金色に光っている。


 レミリアは言い聞かせた。

 これは、夢だ。これは夢だ。だから……もう何も、傷つくことはない。

 レミリアはふらふらと室内を歩み進めた。

 ベッドに横たわる母は既に目を閉じていた。傍らに控えた幼い自分と疲れた様子の父がいる。

 父は――水色の瞳でじっと亡くなった妻をみつめていて、小さな少女(レミリア)は涙をこらえて、唇を噛んでいる。父は悲しんでいるにしろ、何も感じていないにしろ表情を表に出す人ではなかった。


「お母様」


 レミリアは、眠るような母に近づきその貌に視線を落とした。

 ベッドの横に跪いてまだ温かい手を握る。

 少女の頃、母は厳しかった。ヴァザを守るのはレミリアしか居ないのだから強くあれと何度も娘に言い聞かせた――。


「私は、守れませんでした。ヴァザの家もお父様も。ヘンリクも、一族、皆……」


 握った手に額を寄せる。――許してほしかった。己が愚かなばかりに何も、守れなかった。

 悔いても、やりなおせるはずもない。


「――何もかもが遅いわ、レミリア」


 懐かしい声に視線をあげると、母が目を開けていた。

 幻はレミリアの懐かしい人にも会わせてくれるらしかった。しかし、その幻でさえレミリアの望む言葉はくれない……。


「母上」

「すべてが終わってしまった。ヴァザは滅び、私もレシェクも去った。お前も……じきにそうなるでしょう」

「……母上」

「寂しくないのよ。皆、お前を待っているもの」


 歌うように母は、言う。

 温かかったはずの手はすでにひんやりと硬く、娘の頬を嬲る。

 母の声は優しく、予言のように不吉だった。


「……これで全て終わりよ」


 レミリアは首を振った。


「――私は嫌です」

「レミリア」

「誰も死んでほしくなかった。お母様もお父様も――お祖父様も!どこで間違ったの?何がいけなかったの?……どうしたらやり直せるの?――どうしたら!」

「……レミリア、すべてを望むのは、無理なのよ」

「それでも!――諦めたくなかったのです」

「欲張りな子ね」


 レミリアが顔を上げると母は弱々しく微笑んだ。侍女が、布にくるまれた赤子を母の元へと無言で連れて来た。死んだはずの赤子はすやすやと寝息をたてている。


「……もし、選択が出来るのなら……、どちらを選ぶ?」

「お母様?」

「この子と、私と……レミリア貴女は、どちらを選ぶの?」



 母が赤子をあやして幸せそうに微笑む。レミリアは首を振った。


「選べるわけがないわ!どちらも失いたくない、どちらも大切だったわ」


 そう、と母は微笑み、慈愛に満ちた表情で赤子を見つめる。

 新生児の――まだ開かないはずの瞳が、薄く開かれる。赤子とレミリアの視線が絡み……、赤子のそれは彼女と同じ色の――空色の瞳だった。


「駄目な子ね、レミリア――大切なものを沢山は、選べないのよ。両手で掴める物だけ……、私が代わりに選んであげるわ……」

「お母様?」

「さようなら、愛しい子」


 訝しむレミリアの前で、母の輪郭が次第にぼやけてくる。


「お母様?いやっ、――どこへ行くの?」

「……さようなら」


 消えていく母を逃すまいと縋りつくが、彼女は段々と消えていく……、レミリアは声の限りに叫んだが、母が戻る事は、なかった。


「すぐ近くにいるわ……すぐ……そばに」






 ◆◆◆◆◆


 私はゆるゆると瞳を開けた。


 ベッドの横の椅子に座りこんだカミラは、目を閉じて眠っていた。気配に敏感な彼女としては珍しいけれど、疲れているのだろう。


 私が目覚めたのは明け方だった。

 足先をベッドから滑るように床におろし、頼りなく立ち上がる。私とカミラの側には誰もいないのか、私が動く音以外は、何もしない。


(夢を見た。何か、悲しい夢を)


 思い出すと息が苦しくなるような、そんな夢。何かに突き動かされるかのように私は走り――部屋を出て、母上の部屋の近くの曲がり角で老執事にぶつかった。

 執事が珍しく疲れを隠さない顔で私を見る。


「セバスティアン?」

「……レミリアお嬢様……、今お呼びしようと思っておりました」


 セバスティアンを私が見上げた時、母上の部屋から大きな泣き声がした。

 ――うるさいくらいに泣く、赤ん坊の声だ。

 私は勢いよく走って部屋に飛び込んだ。

 サピア医師の連れて来た助手が、揺り籠の側に立っている。助手の隣にいたヨアンナ伯母上が私の名を口にする。


「レミリア!」

「赤ちゃん!――産まれたんだ!すごい!」


 はしゃぐ私をヨアンナ伯母上が引き寄せる。


「ええ、そうね、貴女もお姉さまね」

「弟と妹、どっちなの?」

「――それは」


 伯母上が答える前に、母上のベッドサイドの椅子に腰かけた父上が私を呼んだ。


「レミリア、――こちらへおいで」

「お父様?」


 父上の側に寄ると、母上が憔悴した様子で私を見た。

 右手が彷徨うのを父上が両手で握りしめる。


「レミリア」

「はい、お母様」

「……これから貴女はお姉さまね……弟を、ちゃんと助けてあげてね?」

「もちろんです!……私、ちゃんとお世話をします、一緒に遊んであげます、――名前もいっぱい考えたの」


 私が幾つか候補をあげると、母上は満足そうに眼を閉じた。


「いい名前ね……レミリアと赤ちゃんが幸せでありますように……レシェク」

「ヴィカ」


 父上が母上の額に触れる。母上は微笑んだ。


「赤ちゃんの瞳の色は何色かしら」


 母上の問いかけに、ヨアンナ伯母上が弟を抱いて側に来た。

 新生児の目は閉じられたままだ。けれど、父上は嘘をついた。


「君が望んだとおりの、空色だ」


 母上は満足そうに口元だけで、微笑んだ。


「――言わないといけない事があるのに――たくさん、あるのに――。ああ、時間が――もう――」

「……ヴィカ」

「おかあさま?」


 私は眠りに落ちた母上の顔をみつめてそのまま動けないでいた。

 サピア医師が近づいて、母上の脈をとり、首を振る。父上が、母上を抱きしめる……。


「残念です」


 医師の言葉に、わっとヨアンナ伯母上が泣き出した。


 私は――、ぼんやりと顔をあげて――父上を見つめる。


 私を見返した父上に空色の瞳には――お母様の大好きな、お父様の空色の瞳の中に私がたよりなく、頼りない瞳をした「レミリア」がゆらゆら、と紙切れのように揺れた――――。


 私は、わけもわからずに部屋を見渡した。

 母上の侍女たちが押し殺したように泣くのをみながら……、私は首を傾げた。

 

 ――こぼれ落ちた声は、まるで他人のもののように遠い。

 


「みんな静かにしないといけないわ――お母様が、お休みになっているから――」







 カルディナと西国との和平調停がめでたく締結された翌月。

 公爵夫人の葬儀が、しめやかに行われた。



続きは1時間後に

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