71. 空色の瞳 11
よく、晴れた日の事だった。
祭事から数日後。
私は最近日課になっている薔薇園の――父上がいない時だけだけれど――の午前の散歩を楽しんでいた。
もう、春の気配が濃い。
薔薇は初夏の花だけれど品種によってはちらほらとほころびはじめている。そんな薔薇園を、――私はソラを連れて色々な品種を見て回っていた。
ソラは硬い皮膚を持っているから、薔薇の棘が当たって痛がったりはしないけれど。
先日、悪戯で遊んで薔薇を噛み切ってしまい、父上からありったけの負のオーラを浴びせられながら滔々(とうとう)とお説教されたので少しは遠慮をしているらしく、遠慮がちにそろそろと薔薇園の中を飛んでいる。
「ねえ、ソラ」
私のドラゴンは、キュイ、と鳴いて空色の瞳で私を見た。
「もう少ししたらね、薔薇園には花が沢山咲いて、とても綺麗なの。ソラにも沢山見せてあげるから。楽しみね」
「キュ」
ソラは分かったのかわかってないのか、私の頭にパタパタと飛んできて、乗った。
「また頭の上に乗る!駄目だったら!」
「キュ。キュイ。キュー」
「もう……!」
ソラは相変わらず私の頭の上がお気に入りらしいので、この頃はだいぶ諦めている。
ソラがもう少し大きくなってもこの癖がなおらなかったら潰されちゃうから、何処かで止めないといけないんだろうけど、何と言って説得したものかなぁ。
私は、庭をくるりと一周して、四阿に腰かけた。私の隣にソラも腰掛けて、私の真似をする風なのがおかしい。
この一年は色々なことがあったな、なんて感慨深く薔薇園を見渡す。
事故に遭い、シンとヴィンセントに助けられたのが昨日の事のようなのに。
彼らと女王陛下への謝罪のために、父上に、秘蔵の薔薇の「夜明け」を陛下に贈ってくれるよう頼んだのは薔薇園だった。
あれから。
スタニスや、イザーク達と旅をして。
旅の途中でシンとヴィンセントが加わって。
旅の終わりにソラ達が生まれて。
帰ってきてから迎えた誕生日には皆からプレゼントを貰って。
ヘンリクとは喧嘩して。
でも、ヘンリクだって悩んでいることも知った。
それから。
……両親の仲がちょっぴり良くなって、もうすぐ、私には弟か妹が出来る。
ゆっくりとした歩みだが、時は確実に流れているのだ。
「ソラは弟と妹、どっちがいい?」
「キュ?」
「私はね、複雑かなあ……妹のほうがきっと平和なんだろうな、って思うけど」
現王家と我が旧王家を対立させたいなんて今の私は全く思わない。対立を避けるためには、フランチェスカ王女が無事に王位を継ぐのが望ましく。それにはきっと、妹が生まれる方がいい。
私は祭事で会った人々を思い出した。
現王家に不満を持つ、軍部。
軍部の不満を利用したいカタジーナ伯母上や私の親戚たち。
ヴァザを崇拝する神殿関係者や、アレクサンデルのように、ヴァザに反発心を抱く人。
ただ、慎ましく毎日を過ごしていたら、滅亡フラグなんて簡単に叩き折れるものだと思っていたんだけれど、色んな人と会ううちに、そうとも限らないんじゃないかなって気がしてきた。
私は、私の膝に降りてきたソラの頭を撫でた。
「平和のためには女の子がいいんだろうけど、母上は男の子が欲しいんじゃないかなあ……亡くなった赤ちゃんと同じ……」
「キュー」
「どちらが生まれても楽しみなんだけどね」
私は最近、昔の悪夢を……ヴァザが滅びてしまう夢を見ていない。
夢の中には弟も妹もいなかったから、その子が生まれると言うこと自体、私が知る絶望とは違う未来へ進んでいるのだと信じたいな。
「未来かあ」
自分がどんな方向に進みたいかなんて、考えたこともなかったけど、私が……望んだ未来にたどり着ける方法なんてあるのかなあ。少しずつ環境が変化して、――滅亡から逃れられたのではないのかな、と思うと途端に「もっと!」と欲が出る。
色々な所に行ってみたいし、色んな事をしてみたい、沢山の人にあってみたいし……ヴァザのレミリアじゃなくて、レミリアとして生きてみたい。
ソラが、私の手を舐めた。
「ソラがおっきくなったら、一緒に色んな所にいこうね」
「キュ」
「東国とか、西国とか、北の森にも行ってみたいなぁ……テーセウス先生は元気かな」
「キュー」
「北には沢山のドラゴンがいるから、きっとソラにもお友達が出来るね」
「キュ」
私達が見つめ合った時、家庭教師のカミラが私を呼びに来た。
「レミリア様、そろそろお昼にいたしましょうか」
「はぁい―。お父様は今日は?」
「王宮に」
「そっか」
カナンの後処理の事もあって、父上はまだまだ忙しい。スタニスも一緒かな。母上はやはりまだ、具合がよろしくないので、お昼は一人になることが多い。
寂しいな、と私が落ち込んでいると気付いたのか、ここ数日昼食にはカミラが付き合ってくれている。
家庭教師が一緒に食事とは、とカミラは固辞したけれど、母上が「お昼だけ子爵令嬢に戻ってちょうだいな」と頼んだので、折れてくれた。
食事をとりおえて、私は彼女に聞いてみた。
「カミラはアレクサンデルやリディアと会った事がある?」
カミラはレト家の遠縁で、神殿づとめもしていたから、会った事があるかもしれない。カミラは苦笑した。
「――アレクサンデル様とはお会いしたことはありませんね。私の母はレト家出身と言っても傍系でしたので、神殿の中心にいる方々とは親しくさせていただく機会がなく」
「リディアとは?」
「神殿に入った頃に行儀見習いとしてリディア様にお仕えした事がありますよ」
へぇ、と頷いて私は首を傾げた。カミラは二十代前半、リディアは十代後半に見える。
カミラは茶色の瞳を細めて苦笑した。
「リディア様は私が子供の頃から、あのお姿ですよ――本当のお年は私も知りません」
「えっ!」
「竜族の血が強く出たのでしょうね――レト家では半竜族でなくとも、ごくたまに先祖返りのように竜族の要素が強く出る方がいるようですよ」
「そうなんだ」
長い間若くて美しい――なんてのは、羨ましい気もするなあ。私達が話を終えたとき、階下がにわかに騒がしくなってきた。窓から外を見ると、馬に騎乗した男性二人が門をくぐるのが見えた。慌てたようにヴァザ家の門番が彼らを追いかけている。
――なんだろう、と私達は顔を見合わせる。
男性の服装には見覚えがある。――軍部の制服だ。
「私が聞いてまいります」
カミラが部屋を出て、私は侍女たちと部屋に残された。
「軍部の人が、なんだろう……」
私が不安に瞳を瞬かせると、侍女のナタリアが何もございませんよ、と微笑んだ。
「軍部の方は、たまに公爵にご機嫌うかがいに来られます」
「きっと、今日は公爵がご不在なのをご存知なかったのですよ」
侍女の皆が口々に私を安心させようとしてくれる。私はそうだよね、と呟いて――やはり、不安に思って、椅子から立ち上がった。
「――ちょっとだけ、様子を見てくるね」
階下では、セバスティアンとタウシクが二人と相対していた。セバスティアンはともかく、タウシクが表に出るのは珍しい。どうしたのだろうか、と不安に駆られて階段の上から四人を眺める。
私の視線に気づいたのは、軍人達だった。被っていた軍帽を脱いでいなかった事にようやく気付いたのか慌てて手にとり、胸にあてて、頭を下げる。
続けて、セバスティアンとタウシクが青褪めた表情で私を見上げた。
「どうしたの?――何かあったの?」
私が尋ねると、二人は何も言わずにその場で固まった。まだ年若い軍人が――私を痛ましげに見つめて、俯く。彼は、絞り出すような声音で言った。
「この度は――お悔やみを申し上げます、公女殿下」
続きは、4月に。




